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例えば。 今よりも若いころは、「成功した瞬間」とか「達成した瞬間」がうれしかった。テストが終わった、志望校に合格した、バイト代が出た、ライブで踊った、憧れの服を買った、仕事で成功した、誰かに感謝された・・・。とりわけ女の子に告白してOKされた日にゃ、昇竜拳でもできそうな感じだった。 もちろん齢を重ねたって何かをやり遂げたらうれしいことに変わりはないのだけれど、ここのところどうも違うような気がする。 歳取ったんだな、きっと笑 + + + 例えば。 ちょっと前の読売新聞に、大きい写真付きで9年連続200本安打の大リーグ新記録を達成したイチロー選手の記事が載っていた。 彼がもし、単に「9年連続年間200本安打」という新記録達成に「向けて」野球をしていたら、今とは違った結果になったかもしれない。 ん、わかりにくい? イチロー選手の目標は「200本打つぜベイベー!」ではなく、「ヒットを打ち続けること」が目標だったんじゃないかってこと。 新聞を読むと、彼はあくまで200本を毎日汗を流してきたことの「結果」としてとらえており、200本に至るまでの過程が「ワクワクした」というようなことを言っていたから。 人がワクワクするときには、ほとんど理由がない。だからイチロー選手は当然、ヒットを打ち続けることを時に楽しみ、時に苦しんでやっていると思う。 + + + してみると、能力や経験の差こそあれ、そういう意味で僕らも何がしかの可能性を秘めたイチロ〜〜〜・スぅ〜ズぅ〜キぃ〜(大リーグのアナウンサー風に発音希望)なんだろうなぁ(飛躍しすぎ!?)。 だって、誰もが何がしかの希望を持っているから、毎日泣いたり笑ったり悩んだりしてとりあえず生きているわけでしょ? その夢や目標や思いや想いが、庶民的だろうと、世俗的だろうと、ショボかろうと、個人的だろうと、自己満足だろうと、卑下することはない。 断じて、断じて。 自分だけの幸せや楽しみなんだから、誰ともバッティングしない。人と比べてうらやんだり妬んだりする必要がないから、安心して楽しめる。 そう。 夢への道のりは、いつだって苦しくて楽しい。 だから、オレもオマエもイチロー・スズキ。 キミもアナタも、イチロー・スズキ。 あの子もこの子も、イチローズズキ。 みんながみんな、イチロー・スズキ。 かっとばせー、俺♪
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