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内なる声に耳を澄ませ、勇気を持って行動せよ。

日々雑記

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短文の練習。
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もっちゃんの消息

通勤路から一本入った通りに不二家があった。「あった」と書くくらいだから、今そこは何の変哲もないコインランドリーになっている。当たり前だけど、ペコちゃんもすでにいない。


* * *


小学校の同級生に「もっちゃん」という女の子がいた。彼女は国語算数理科社会、音楽体育図工家庭科、なんでもできた。


決して「美人」というのでもなかったけれど、愛嬌のある顔立ちはクラスの男子のおそらく3人くらいから好意を寄せられていた。(一クラス25人の内男子16人という田舎の小学校では結構な人気だったと言える)。


オマケに足も速くて、ハードルの選手で、健康優良児だった。非の打ち所のない優等生は、中学に入ってからも常に成績上位、クラス行事の中心には必ず彼女がいた。


確か高校も地元で一番の進学校に進んだ。大学生になって久々に居酒屋に地元の友達みんなで集まったときも、もっちゃんは相変わらずだった。


シワ一つない白いシャツを着て、お酒の飲み方も上品。パンフレットにでも載りそうなキャンパスライフと自分のおだやかな一人暮らしを、ゆっくりと語っていた。


+ + +


それから数年たったある日、地元の友達とタバコをふかしながらダベっていると、一人がフイに「この前もっちゃん、サクラ通りの不二家で見たよ」と言った。


その話のキモが「もっちゃんは買い物に来ていたんじゃない」ということに気付くまで、みんな結構時間がかかったと思う。だって、誰もあの秀才が大学を卒業してケーキ屋さんでアルバイトしていることがうまく想像できなかったから。


子ども時代何をやってもオッチョコチョイで(今も)、通信簿には「落ち着いてやればできる」っていっつも書いてあって、やること成すこと宿命的にチグハグ(今も)で、タイミングが悪くて(今も)かなり要領が悪かった(今も)僕と、その間逆のような存在のもっちゃん。


彼女がどういう理由でそうしているかは知らないし、あるいはお金を貯めて何かをしようとしていたのかもしれないけれど、僕が彼女の消息を聞いたとき最初に頭に浮かんだのは、なぜか「真っ当な人生」という言葉だった。




+ + +


おとついもコインランドリーの前を通った。当たり前だけど、そこには純白のケーキもなければ甘酸っぱいイチゴもなかったし、舌を出していたずらっぽく笑うペコちゃんもいなかった。


ただ、3日分くらいの洗濯物を放り込んだ大学生と思しき男の子が、退屈そうにタバコをふかしていただけだ。もっちゃんはどこにいったのだろう。どういう人生を送っているのだろう。


あのとき「真っ当な人生」と思った僕も、歳を重ねるにつれ「普通の生活」や「真っ当な人生」なんて、ありもしない幻のイメージだっていうことに気付いた。


もっちゃんだって、そのくらい知っていると思うけれど。

笑いのタネ

こぶしを握り締めながら、笑える人はいない。


眉間に皺を寄せながら、笑える人はいない。





とりあえず、これ見て笑おっ^^






応援歌

祝日だというのに、半日の仕事を終えて、ぐったりして帰ってくる。


午後2時を回っている。サッポロ一番味噌ラーメンを作り(作るってほどのもんじゃないけど)、テレビをつけると、東京大学応援団のドキュメンタリーがやっていた。


画面の中の彼らの上下関係は軍隊のように厳しく、狂気の沙汰みたいに拍手し声を張り上げ、弱小東大野球部がアメフト並みのスコアで負けるのは「自分たちの応援が情けないからだ!」と本気で悔しがってた。


今よりも若いころの自分だったら「バッカじゃねぇの」と思っていたに違いない。番組でスポットを当てていたのは4年生の団長と2年生の団員。


2年生の団員は、厳しいだけでほぼメリットがない応援団をなぜ続けるのかという問いに「何かを達成したかったから」と。


その思いは真摯なものだろうし、練習中の彼の顔には中途半端な思いではできない「本気の顔」があった。まるで、自分がいま声を張り上げていること以外には何も考えていないとでもいうくらいに。


翻って、小さなことでクヨクヨしたりおびえたりしている自分の覇気のない毎日とのコントラストが鮮明になる。


ああ。オレってば、本当に、覇気がない。


+ + +


その練習中、団長らしき人物が2年生を呼び出し怒鳴る場面が。件の2年生は自分なりに精いっぱい声を出してやっていたように見えたけど、なんでや??と思う。



だって彼の狂ったように張り上げた声と拍手は、誰がどう見ても練習に集中した本物の行為じゃないか?


団長「貴様ァ!今、自分のことだけ考えていただろう!!」


ああ、そういうことか。


つまりこういうことだ。横にいた1年生がしんどくてぶっ倒れたのに、あくまで「自分はキチンとやってますよー!」と練習を続けていた無責任な姿勢を団長に見抜かれたというわけ。


そして団長は、こう言った。



「自分ひとりが苦しいと思っているんだろう、貴様ぁ!」





そのとき、僕は頭を乾いた流木みたいな鈍器で、ぶん殴られたみたいな気がしたんだ。



* * *


僕もそこまでナイーブじゃないから、自分ひとりだけが世界のすべての不幸を背負ったみたいな気持ちになることはない。


でも、日々いろんな人と関わるときに(それは仕事でも恋愛でも家族でもいい)何かのトラブルや行き違いがあると、自分だけが苦しいような気がしてくるのが人間だ。


それを否定はしない。誰もが弱いからね。


ただ、同じように誰もが苦しいんだ。当たり前だけど、自分も苦しかったら相手も苦しいんだ。それなのに貴様(僕のことです)は何だ?



もし東大応援部の団長に、「貴様は、自分の不幸や不安や苦しみを集めるだけ集めて、勝手に落ちていってるんだろうがァ?」と言われたら、僕は脊髄反射的に「NO」とは言えない。


本当はね。


本当は賭けをするのが怖くて覇気のない毎日でお茶を濁している。その二番煎じのお茶で、マズイお茶漬けを食っている。


本気で、全身全霊で突っ込める仕事や恋愛や話やケンカなんて、人生においてそんなにないのだとも思う。本気の思いなのだから、常に同じくらいの不安や苦しみが付きまとうだろう。


でも、選んだのはこの俺だ。


その不安や苦しみを、自分の穏やかな性格のせいにして勝手知ったる居心地のいい不幸に落ちていっているのなら、それは欺瞞だ。


自分ひとりで生きてるわけじゃないのに、精神的に優位に立つとか、気持ちの上でアドバンテージを取るとか・・・バカらしい。面倒くせぇ。男らしくねぇ。
















あ〜あ。

もう、やめたやめた。














飽きちゃった。




















嘘くさい自分に、飽きちゃった。














秋晴れの太陽に恥じないように、がんばるぞー!





そ〜れぃ!



長い散歩

秋晴れの一日。


朝からな〜んもしないで過ごす。窓からほのかに薫るキンモクセイの匂いとか、淹れたてのコーヒーとか、バラエティー番組とか。


昨日しゃべりすぎたから、今日はとにかくぼーっと過ごす。


午後、冒険家の植村直己の記事が載っている雑誌を読む。日本を徒歩で縦断している写真が載っていて、無性に体を動かしたくなる。


パソコンでニコニコ動画を見ながら腿をストレッチして(←わりと器用w)今日はじめて外に出る。昼間、あんなにいい天気だったというのに。


イヤホンで音楽をかけて軽めにジョグ。頭がザラついている分、いつもより長い距離を走る。7キロくらい走って小学校の校庭に入る。蛇口まで歩きながら、無為に過ごした一日の自己嫌悪と闘う。


割り切れない思いとか、辛すぎるラーメンとか、不完全燃焼したままの怒りとか、口の中のネバネバとか、雪かきみたいな仕事のこととか、友達に相談された悩みとか、バンテージのほつれとか、黙っていることと言ったほうがいいことの境界線とか・・・。



蛇口を捻って水を含む。口をすすぎ、うがいをする。

ガラガラガラガラガラガラ・・・( ゚д゚)、ペッ

ガラガラガラガラガラガラ・・・( ゚д゚)、ペッ

ガラガラガラ・・・ガラ




見上げた夜空には、秋の星座が煌めいていた。





ホント、きれい。




時々、夜空を飛行機が音もなく飛んでゆく。赤いランプがトンボみたい。



I−Podでブライアン・イーノをかけてキウイ棚のベンチに座り、しばし星空に見とれる。星ってば、実は、昼間は明るいから見えないだけでずっとそこにあり、夜になったから見えているだけなんだよねぇ。


そんな、小学生でも知っているようなことを思う。


見えていない部分は、存在しないないわけじゃないと思う。


目に見えないもののほうが大・・・星の王子さまかコレは。


ぼんやりしていると、汗で体が冷えてくる。ゆっくりと家路に着く。


芝生を焼いた煙の匂いを嗅ぎながら歩く。星空はずっと追いかけてくる。


ひんやりした空気の中でキンモクセイのにおいが強く薫ってくると、またぞろわけもなく悲しくなっちゃうのは、秋という季節のせいなのかしらん。


帰り道、ずーっと星空を眺めてみる。ずーっと、ずーっと、ずーーーっと。


深呼吸をして、「大丈夫」と言ってみる。一体何が大丈夫なのか、僕自身よくわかってないのだけれど。



あーあ。


やっぱり頭おかしいなぁと、僕は思う。

アルデンテ過ぎる

ウチの弟は、休日には必ずどこかに出かけている。行き先を聞くといつも「そこらへん」という。本当に本屋やネットカフェや漫画喫茶など、「そこらへん」を毎週末ブラブラしているらしい。


その弟が夜遅くに帰ってきた。夕飯に手をつけていないので「なんか食べてきたの?」と訊くと、友達の家でスパゲティーをご馳走になったらしい。


そのスパゲティーは非常に硬く、弟はコンタクトレンズをはずしながら「アルデンテすぎるだろーって思っちゃったー^^」とのこと。



む。



正確に言うと、「アルデンテ」とは理想の茹で上がり状態を指すので、たぶん「硬すぎたよー」と言いたかったであろう弟の「アルデンテ過ぎる」という日本語は、適当ではない。


でも、もちろんそんなことは言わなかった。だって楽しそうに話してんだもん。


+ + +


「他人の間違いを敢えて訂正しない」とか「問題の本質を追求しすぎない」とか「ホドホドに考える」とか「見逃す」って、大事なことなんだなぁとこの歳になって思う。


会議などで議論が白熱しているのは結構なことだけれど、あまり問題がややこしくなってくると「そんなのどうでもいいじゃん。もう腹減ったからメシ食おうぜ〜」って思えてくる。


いや、話し合いは大事だと思うけど、ウチの弟(ミスターのんびり)や母親(ミセス適当)を見ていると、どうもそんな気がしてくるんだわ。


「なんで?」っていわれるとよくわかんないんだけど。ウチの家族の会話はほんと〜うに適当で、各々が夕飯時に今日の出来事やその日適当に見聞きしたことを思うままにしゃべっているからかな。


それにイチイチ反応してたら、体持たないしw


例えば、議論や話し合いでは、知識やボキャブラリーや、相手を説得する話し方や論点や論破なども大事なんだけど、「適度な引き際」を見つけることも大事なのかもなぁって思う。




ちなみにウチの弟が食べた「アルデンテ過ぎる」スパゲティーは、昔なつかしのナポリタンだったそうです。お腹すいてきた・・・。

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