僕は今、花を育てています。 種はもうずいぶん前に蒔いたような気がしていますが、あいにく忘れてました。 ある日、気がついたら僕の庭に小さい緑色の芽が出ていたんです。 それからというもの、毎日水遣りしながら、肥料を施してきました。 時々、順調に育っているのかどうか不安になって水を遣り過ぎ、根腐れを起こしそうになりました。 植物って、外見ではわからないけど、根っこのほうではいろいろあるんだそうです。 今でも時々、ガマンできなくて如雨露を取ってしまいます。 だって、ただ咲くために生まれた花と駆け引きするなんて、嫌じゃない? なにも望んでなから、いつまでも見飽きないんだと思います。 もし、秋の空に揺れるコスモスみたいな花が咲いたら、 「あ〜、よかったなぁ^^」って思います。 今は毎日水を遣りながらその日を心待ちにしています。 花が終わったら種をまいて、また秋を待つつもりです。 |
詩
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例えば、黄ばんだノートの隅っこに書き殴った鉛のこと。
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昔、どこかの掲示板を見ていたらこんな書き込みを見つけた。主語が「僕」だけど、なんか女の子が書いたっぽい詩(散文?)だなぁと思った。 ちょっと気になって保存していたものを、おとつい夕方から酒盛りしながらファイルの整理をしていて、たまたま見つけた。 これに「愛を君に」という仮題をつけて紹介します。 そうなのだ。 みんなに好かれてても、君に好かれなければ意味が無い。 そして君に好かれていても不安になる。 探せばいくらだって落ちる穴がある。 落ちたがりな自分。 愛は嬉しいけれど、それを信じられないくらい、今は実感が湧かない。 実感がないと孤独。実感があると不安。 結局は最大の喜びのために、長い長い孤独と哀しみが必要なのかもしれない。 けれどいつだって、その最大の喜びは全てをチャラにしてくれる。 そしてそれは愛によって生まれるのだ。 愛不足な僕から、愛を君に送ろう。 そうすれば僕も愛で満ちあふれる気がするのは自己満だろうけれど。 (原文ママ) 愛を贈ったところで自分が愛で満たされるかもしれないし、満たされないかもしれない。 愛を贈っても相手がそれに答えてくれるとは限らない。 それでも、愛は与えるもの。 惜しみなく与えるもの。 そこには貸し借りも、分量も、カタチもない。 愛は与えるもの。 愛は与えるもの。 愛は、与えるもの。 与えたことで受け取るもの。 与えたことで受け取るもの。 与えたことで、与えられるもの。 その半永久的相互作用を、愛と呼ぶのではないかしらん。 愛を君に。
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わたしの影は ながく伸びる 夕陽に照らされ ながく伸びる 中央線のオレンヂ色の電車がわたしの影を轢き わたしの影は わたしの記憶を呼び覚ます かつて暮らしていたアパートの壁のシミ あのひとの泣き黒子 ハードカバーの帯の色 坂道の途中にある図書館 旅先のオロナミンCの看板 新聞の片隅のいちごジャムの広告 運動会の万国旗 ブルーハワイ色の舌 わたしの影は そんな、なんでもない日々の記憶を食べてながくのびる わたしの影は、わたしがここにいるという記憶 わたしがわたしであるという、わたしだけの記憶 わたしとともに歩んできた、これまでの記憶 寄り添う影がいなくとも あしながの川の字にならなくても わたしの影はのびていく わたしの影はのびていく わたしの影よ のびてゆけ わたしが使わなかった人生のために のびてゆけ わたしが使えなかった人生のために のびてゆけ わたしが選ばなかった道のために のびてゆけ わたしが選べなかった人生のために のびてゆけ そして どこまでも、いつまでも わたしのあとについてきておくれ |
五月のように 竹内 浩三 なんのために ともかく 生きている ともかく どう生きるべきか それは どえらい問題だ それを一生考え 考えぬいてもはじまらん 考えれば 考えるほど理屈が多くなりこまる こまる前に 次のことばを知ると得だ 歓喜して生きよ ヴィヴェ・ジョアイユウ 理屈を言う前に ヴィヴェ・ジョアイユウ 信ずることは めでたい 真を知りたければ信ぜよ そこに真はいつでもある 弱い人よ ボクも人一倍弱い 信を忘れ そしてかなしくなる 信を忘れると 自分が空中にうき上って きわめてかなしい 信じよう わけなしに信じよう わるいことをすると 自分が一番かなしくなる だから 誰でもいいことをしたがっている でも 弱いので ああ 弱いので ついつい わるいことをしてしまう すると たまらない まったくたまらない 自分がかわいそうになって えんえんと泣いてみるが それもうそのような気がして あゝ 神さん ひとを信じよう ひとを愛しよう そしていいことをうんとしよう 青空のように 五月のように みんなが みんなで 愉快に生きよう ボクの20回目の誕生日の日、これをボクのために そしてボクのいい友だちのためにつくる 昨夏、竹内浩三という詩人をある冊子で知りました。そこに書いてあった詩が『五月のように』。23歳で戦死した彼の誕生日は、今日。5月12日。 再び巡ってきた若葉と陽光の季節に、ふとこの詩を思い出したので、載せてみます。浩三の詩は、いつまでたっても悩み多き僕らの胸を、五月の青空にようにしてくれると思います。 さぁ、歓喜して生きよう。 Vivez Joyeux.
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タコくんちの庭は、海の底。 タコくんちの庭は、桃色サンゴの近く。 タコくんちの庭は、青い洞窟のずっと奥。 タコくんちの庭は、提灯アンコウの道案内が必要。 タコくんちの庭は、水族館のぶ厚い硝子のこちら側。 タコくんちの庭は、とても楽チン。 だ〜れもいないし、なによりしずか。 ふと見上げると、地上の光とゆらゆら揺れる泡。 ああ、とても静か。 ねぇ、タコくん。 もちっとここにいてもいい? え、ダメ?^^; そっかぁ。 んじゃ、またどっかで会えたら吸盤ごっこでもして遊ぼ〜ね。 もう来ないと思うけどね。 さよなら、タコくん。 |



