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人気低迷、球界再編、WBC(国別対抗戦)優勝で人気回復か!?と話題には事欠かないプロ野球。ペナントレースが始まったのに、僕は別にわくわくもしない。なぜなら贔屓(ひいき)のチームがすでにないからだ。ユニフォームを変え、名前と選手を分割され、かろうじて残ってはいるが、それもただの名残でしかない。大阪近鉄バファローズ。僕はこの球団のファンだった。ここはひとつ、印象的な話をしよう。約6年前の6月だった。 |
old spring
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高校2年生のときの担任は、とにかく変なヤツだった。理科の教師でもないのに、いつも汚れた白衣を着ていた。後頭部には必ず寝癖があり、ネクタイはいつも黄色だった。変なところはいっぱいあったが、とりわけ変なのがひどく律儀な話し方だった。「イリ君、今日は元気かね。うむ・・・」。本当にこんな喋り方なのだ。人は相槌を打つ際、果して「うむ」などと言うだろうか。「〜かね」などと尋ねる人も漫画やドラマの世界にしたって稀である。 |
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2月。風が冷たい。時計を見ると午後4時50分。僕は急いで新宿駅東口に向かった。そこである人と待ち合わせをしていた。彼女とはカンボジアのシェムリアプで出会った。シェムリアプにはアンコールワットを始めとする遺跡群がある。その中にタ・プロームという遺跡がある。あの日、日差しは容赦なく、時計についていた温度計は36℃と表示されていた。崩れかけた遺跡をビーチサンダルで徘徊し、回廊を抜け、樹木が石の遺跡に複雑に絡みついた様を崩れかけた遺跡に座って見ていた。と、左横の回廊から人が出て来た。お互い軽く会釈した。僕はその瞬間、たぶん日本人だなと思った。それが彼女だった。 |
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大学生の頃、アパートで日がな小説を読みふけり、酒とタバコとスーパーへの買い物が日課だった。夕暮れ時、そろそろ夕刊が配達される頃になるとアパートの外で奇声が響く。管理人さんによれば、近くに住む障害者の人が施設から帰ってきたとのこと。彼には道ですれ違いざまに怒鳴られたり、アパート近くの公衆電話を使っていると「おれにも電話、電話!」と耳元で言い寄られるなど、僕は結構相手にされていた。それが平野君。 |
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高校を卒業してから、多少の寄り道をした。何のことはない。単に大学受験に失敗したから予備校へ通うことになっただけの話である。とはいえ、当時は不安だった。4月の時点で「もし今年受からなかったら僕の人生はどうなってしまうのだろう」などと、早くも弱気モード全開だった。頭の中を不安が螺旋(らせん)状に下降していて、小心者の母親の性格を負の部分で完全に受け継いでしまったことを、5月の終わりになって自覚した。 |



