cafe&bar oldspring♪

内なる声に耳を澄ませ、勇気を持って行動せよ。

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友達のコーヒー屋さん「辻本コーヒー」のメルマガで連載したエッセー。 http://www.rakuten.co.jp/tsujimoto/index.html
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昨日は昼過ぎから夕方まで、アイスコーヒーを入れてジブリの『耳をすませば』を見ていた。雫ちゃん、かわいいなぁ。受験生なのに、「物語を書く!」って突っ走っちゃう、オマエが好きだぜ〜(笑)


ふと、5、6年前に他人の文章のアラばっか探してて自分で一行も書かなかった恥ずかしい「評論家」時代を思い出した。バカでもダサくても自分で書いて誰かに見てもらう。そして今の自分を誰かに評価してもらう―。


雫ちゃんから教わったことは、つまりこれです。


それは時に恥ずかしくて、クソミソにけなされてミジメかもしれないけど、それがあるから今こうして文章を書いてご飯食べられるんだもんね(ブログはただの練習ですが・・・)。




感謝しなきゃ。




これから自分の目指す所にたどり着けるかどうかはわからない。歌詞でも目指す場所の隠喩として出てくる「あの町」には「この道」を行けば「あの町に続いている気がする」だからね。


でも、目指すのは勝手やし、あこがれるのも自由。だから、明日からまた、がんばろうと思う。難しいことはわかんないけど、ただただ「がんばろう」と思う。


そうやってがんばっているうちに、一人ぼっちで生きようなんてことは、思わなくなるのかもしれないなぁ。



コンクリートロード♪(笑)



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何年か前の終戦記念日、友達と靖国神社を訪れたことがある。


お参りして遊就館で展示を見て、単純に「自分たちと同い年くらいの若者が犠牲になったことで、今こうして僕らはダラダラしていられるのかもなぁ」と境内に建つ超デカイ大村益次郎の銅像を見上げ、「よし、今のこのカンドーを写真に収めよう!」とデジカメのモニターを覗くと、画面の中の女の子が手を振りながら近づいてきた。


高校のときの同級生・キノサキさんだった。


+ + +


授業中は僕の後ろの席でいつもヨダレを垂らして寝るかプリントに下手な似顔絵を描くかしていた彼女。田舎の高校に置いておくにはもったいないほどの美人だった。僕らは「京浜急行特急三崎口行き」みたいな速さで旧交を温め、2ヵ月後に新宿で再会した。


キノサキさんはやっぱりというか予想通り、「普通の女の子」じゃなかった。


二度入り直した大学では演劇の勉強をしつつ所属する劇団の公演で全国を飛び回り、その傍ら雑誌モデルで学費を稼ぎ、同時にガチでキックボクシング選手だった。「僕もボクシングをやってるよ」と言うと、彼女はアイスコーヒーのストローで氷をクルクルとかき回しながら「ねぇ、イリ。知ってる?」と言ったものだった。


「相手を殴るときはね、愛を以て殴らなきゃダメなのよ」と。大きく濡れた瞳で、僕を覗き込みながら。



愛を以て、人を殴る?




単純に考えて、戦いのときに必要なのはファイティングスピリット、つまりは負けたくないという気持ちと戦う度胸だと思う。


だけど彼女は、真剣勝負だからこそ相手を憎んで殴ってはいけないと言う。相手がいて初めてスパーリング(実戦形式の練習)が成り立ち、一生懸命練習して鍛え上げた相手がいるからこそお互いの力を出し切れる試合が成り立つ。



「大事なのは戦って『勝つ』ことじゃないの。まず相手がいるということに感謝することなのよ」。



応えて曰く。


僕らは机の上とか本の中だけで知ったことで人生を泳いでいけるほどタフじゃないから、たまには本物の痛みを通して他人の痛みや恐怖を想像することが大切だと思う。


インターネットで思想体系や物事の成り立ちの上澄みをかっさらうだけでは本当の知識が得られないように、文字情報からこぼれる人間の感情を汲み取るにはそういうことが必要だと思う。


そして「決して使わない力を持ち合わせる」ということは、いざという時に他人に暴力を振るって物事を解決しない抑止力になるんじゃないか―。



「うふふ、イリらしいね」とキノサキさんは微笑み「バカだからこうでもしないとわかんないんだよ」と僕は言った。



いずれにしても、若い二人は日々体を鍛えながら青いパパイヤのような若く拙い意見を交わし、ややもすればいびつでグロテスクなマッチョイズムに陥りやすい若気の至りに寸でのところで歯止めをかけていたのかもしれない。


大人になるってことは単純に我慢することではなく、力というのは使わないからこそ効果を発揮する―。そんな簡単なことに気付くのは、キノサキさんと僕が最後にアイスコーヒーを飲んでから4年後の夏だった。


* * *


キノサキさんは今、僕の世界から行方不明になっている。最後に電話で話したとき彼女は成田空港の第二ターミナルにいて、「今からタイの田舎に修業に行くぜ!」と言った。そして、晩秋の新宿で再会したときと同じ艶やかな声で「ねぇ、イリ」と僕を呼んだ。


キノサキさん「今度帰省するときはグローブ持って帰るからさ、一緒に・・・」


イリ「・・・おぅおぅ!うんうん^^、キャッチボールでもして遊ぼ〜ぜ〜」


キ「違う、ちが〜う、チガ〜ウ、ちっが〜う! スパーリングしよっ!」



そっちのグローブかw ^^;



イ「えっ!? でも女のコの顔はたぶん殴れないから・・・」


キ「だよねぇ^^」


イ「またナ。がんばって修業してこいよ」


キ「おう!バイバイ」


たぶん彼女は「おう!」と言ったとき、受話器を持っていない右手の拳をグッと握り締め、キュっと口を結んだはずだ。それは僕が憶えている彼女のクセの一つなのだ。


だからその約束は果たせないまま。


でも、もし実現したとしても、ほつれかけたバンテージを巻いて14オンスのグローブをはめたとしても、頭の中でゴングが鳴ったとしても、そして・・・愛をもってしても、やっぱり僕は彼女を殴れやしないから、どうせ一方的な判定かKOでボロ負けしそうだ。でも、全然それでかまわない。


よろこんで、負けてやる。


勝ち負けよりも大切なことが、この世界には確実にあるんだ―。それがわかっただけで、僕は今日も巨大に膨れ上がった悪の化身みたいな(笑)サンドバッグに安心して左ストレートをぶち込める。



力は、それを実際に行使する、あるいは威嚇することで自身の欲を満たすための道具にしてはならない。威嚇された相手は必ずや違った形での報復を考え、その連鎖は暴力を行使したほうもされたほうも確実に不幸にする。



折りしも今日は終戦記念日。←ごめん。実は狙ったw



憲法とかヤスクニとか右とかヒダリとかよくわかんねぇけど、蝉時雨の中、微風の扇風機に「あ〜」とか「う〜」とか言ってガリガリ君ソーダ味を食べながら麦茶を飲んでお腹を壊しつつ、そんなことを考えてみた。



夏だねぇ。

桃ちゃんのユウウツ

先日、アジアやアフリカの飢餓問題を日常生活から解決しようという学生団体があると聞き取材に行った。


5分も座ればお尻が痛くなりそうな大学のキャンパスのくたびれたソファで僕を待っていたのは、大学3年生の女の子だった。


彼女(名前は桃ちゃん)は様々なジャンルの音楽家を招いたコンサートを開き、そこでフェアトレード商品や環境保護にバックする商品(ヴォルビックなど)購入などの啓発を行っている。取材がひと段落したころ、彼女に質問された。


桃ちゃん「あのぅ、イリさんて、最初から書く仕事がしたかったんでしょうか?」(どうでもいいけど最初の変換は「隠し事」だったw)


長いこと開けてなかった押入れの布団のようなにおいのような質問だ。なにしろ僕が「物を書く仕事がしたい」と最初に思ったのは、まさに桃ちゃんと同じ歳の頃だったのだから。


* * *


今秋から就職活動が始まる彼女の周囲には、大学を辞め「自由に生きている友達」がたくさんいるらしい。


それもあってか「私、自由な生き方がしたい。一つの場所で働くのと自由に生きるほうだったら、私は自由な方が絶対合っていると思うんだけどなぁ」と悩める女子大生は幼い溜息をつくのである。


イリ「でも、その『自由な友達』も、何かしらの不自由は感じてると思うけどなぁ」


桃ちゃん「・・・」


自由って、なんだろう。



+ + +


たとえば、諸国漫遊(う〜ん、ええ言葉や^^)。


毎日時間に追われる勤め人と比べたら旅人は時間的に自由だろうけど、旅人は何か重大な心の病に迷って移動を繰り返しているのかもしれない。僕がそうだった。


たぶん、桃ちゃんはなんとなく「自由な雰囲気」だけを知っていて、いざ自由になったときに何をしたいのかがはっきりしていないのかもしれない。


それに、純粋な自由ってのは本当にキツイことだ。


ホンマに。


大学時代、冷蔵庫にマヨネーズしか入ってない『ナマケモノアパート』でぼんやりしていたセピア色の日々を思い出せば、世界の飢餓に目を向けている桃ちゃんのほうが遥かに見通しがいいと思う。


僕は本当に、ホントウにな〜んもしていなかったのだから。


+ + +


イリ「ま、まずは自分で何かやってみて思いっきり失敗してみれば?死なない程度に」


桃ちゃん「そうですね」


イリ「そうだよ」


桃ちゃん「そうですね」



「笑っていいとも!」みたいなやり取りだ。


* * *


さて。


今でも「あの瞬間」はカラーテレビみたいに思い出せる。


大学3回生の「3―203」大教室。講義は家族社会学で、テキストは一回も教科書を開けたことのないリースマンの『孤独な群集』。


傍らでは当時お付き合いしていた彼女が熱心にノートを取り、僕は沢木耕太郎の『人の砂漠』を読んでいた。終業の鐘が鳴り、僕はいきなり宣言した。


僕「俺、物書きになるわ」


彼女「ふぅ〜ん。なりたかったら、なったらええやん」


「ぜったいなったるわ、よう見とけ」


彼女「はいはい」


あの日から自分で取材した文章が今働いている地域紙の紙面に載るまで、実に7年もかかった。だいぶ時間も掛かったし、当初なりたかった全国紙の新聞記者にはなれなかったけれど、それはたいした問題じゃない。


大卒ですぐ記者になった人への引け目もないし、妬みもない。卑屈にもなってないし、ましてや卑下もしていない。アゴヒゲはいつも生やしてるけど。


何でかって?





幸せかどうかはいつだって自分の心が決めるからさ。そして、ちっぽけな僕の人生のナビゲーターは、いつも僕自身なんだ。





がんばって、桃ちゃん。
最近、会社から帰ってから自宅近くを走っている。


ipodで音楽を聴くこともあるけど、普段は自分の呼吸音と心臓の音と風の音を聞きながら淡々と走っている。すると、一日胸の中で大渋滞だった思いが、シワ一つない制服を着たおまわりさんに交通整理されるような気持ちになる。(わかりにくい表現w)


+ + +


たとえば誰もが煩わされる人間関係の中で、相手が「何を考えているか」「何を望んでいるか」なんてことは、どんな状況証拠(さつじん事件みたいですね)を積み上げたって正確なことはわからない。


頬を桃色に染めた女の子に実は毛嫌いされているかもしれないし、好意の裏返しでちょっかいを出してくる男の子には、ただ単に嫌われているだけなのかもしれない。


そう、僕らは「わからない世界」に生きている。


+ + +


もちろん普段の行いや表情・言動からある程度は推測できるし、ドンピシャな場合もなくはない。でも、だからといって明日からのストーリーがどう展開していくかなんてことは、右の耳に赤鉛筆を挟んで競馬新聞に◎や△を付けたってわからないのだ(そりゃ、わかりませんね)。


そんなことは百も承知だけれども、過去の経験その他諸々からあれこれ推測するのが人間。わからないことには極力首を突っ込まない人もいるし、すべてがっぷり四つに考え込む人もいる。そこに人間的な優劣はない。


とにかく、現実に起こる出来事はいつだって僕らの想像を遥かに超えている。もうそれだけは、夏にビーチで食べるしょう油ラーメンのおいしさと同じくらい確かなことなんだ(どんなだ!)。


* * *


走っているときの呼吸は「ふっふ、はっは〜」のいわゆる二回呼吸法ではなく、僕の場合ただの深呼吸。歩数に関係なくできるだけ肺の空気を大きく入れ替えていると、「今の自分が置かれている状況」だとか「今日あった不快な出来事の対処法」なんて呼吸をするのに忙しいからイヤでも忘れていく。


だから問題解決を放棄したのかといえば、実は欲望に対して少しも妥協していない自分がいる。




これは一つの革命だ。




たぶん、長時間にわたって深い呼吸を続けることは単純に体に良い行為なんだろう。


そういえば「誰かに謝らなくちゃ」「素直にならなくちゃ」「怒ってないかなぁ」「明日の仕事どうしよう」「まだ連絡来ない・・・」などと思い詰めているとき、僕らの呼吸はよく止まっている(本当です)。


ケイラクヒコウ(漢字がわからない)を突かれたわけでもないのに呼吸が浅くなり、ムソウテンセイ(漢字がわからない)したわけじゃないのに動悸は激しく、北斗百烈拳(これは分かる)でボコボコにされたわけでもないのに、僕らの細い神経は日常的に「オマエはもう死んでいる」状態に陥っている。


オマケにそんなときは得てして姿勢も悪い。無呼吸状態で内臓を圧迫しているわけだからマトモな考えが浮かぶはずもなく、精神衛生はさびれた観光地の公衆便所並みに堕ちていく。


だから先人は難しい解釈はしなかったけど経験則でこう言ったんだろう。「しんどかったら、深呼吸してごらん」と。本質的な問題の解決にはならないかもしれないけれど、「とにかく深呼吸してごらん」と。


+ + +


走るということ。


それは僕にとって深い呼吸であり、下半身のトレーニングであり、心の天秤を真ん中あたりに揺り戻す処方箋。


とらえどころのない気分によって果てしない夢を見たり、山の上から誰かさんが転がした岩みたいにいつまでたっても堕ちてゆくことを繰り返すのが人の心の在り方ならば、たぶん誰の心も常にぶれている。


少なくとも僕の心は、常にぶれている。でも、それって割と正常なんだと思う。


たぶんそのうちこんなくだらない分析もしなくなり、ただ走ることが楽しくてしょうがなくなるんだろうと思っている。



マラソン大会まで、あと3日。


アタタタタタタ〜、ワタァ〜♪ 

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文章のある生活

1年ほど前、同じ編集部の先輩が会社を辞めた。


どちらかの資質の問題ではなく、彼と僕は馬が合わなかった。仕事だから繋がっていたのだ。そんな人間は彼のほかにもたくさんいたし、今もいる。僕も一部の人にそう思われているかもしれないし、まったく思われていないかもしれない。


決定的な事件があった。会社でグルメ本を出すことになり、特集ページの最終段階で僕と先輩は決裂した。作業時間ギリギリまで良い企画にしようとアイデアをひねり出そうとする先輩。


すでに締め切りも過ぎ、印刷屋さんや本業のタブロイド紙発行に支障を来たしたくない僕。良いものを作るったって制限時間があってこそ。永遠に頭をひねっていてもOKなら、雑誌や新聞なんて存在しない。


時間内に良い物を書き終えようと努力するから結果的に良いものが生まれるんじゃないか。これは今でも変わらない僕の仕事のルールだし、数少ない「正しいこと」のひとつだ。


とにかく、制作部から「早く編集部の校正を出せ!」との突き上げにこっそり校正を済ませておいた僕は、先輩がOKを出すと同時に校了の内線を入れたものだから、先輩としては「自分の指示以前に校正が終わっていたこと」が気に入らなかったんだろう。


数ヵ月後、先輩は営業部に回されたことに腹を立て、会社を辞めた。


* * *


それから1年経った5月の終わり、突然先輩が来社した。新しく勤めた出版社で自分が編集した本が出たという。その宣伝に来たのだろう。突然の「凱旋」に僕の心は曇り空だった。そう、まるで1週間前に見上げた梅雨空みたいに。


僕だってもっと骨のある仕事がしたいと持っていた矢先だったから「麻薬取引で儲けて海外に高飛びしたギャングが、自らの羽振りの良さを見せに故郷に帰ってきたような凱旋(街宣?)」が、たぶん僕は単純に羨ましかったんだろうと思う。


でも、会社を辞めたあとの彼の努力を全く知らないのだから、僕は何も言えないのだ。


+ + +


先輩の凱旋から数日後、会社の制作部のAさん(女子)と話をした。彼女は件のグルメ本の企画で「早く校了出せ」と言っていた人である。


先輩が辞めたあとも親しくしているらしく、彼の思いを代弁するようなことを言った。僕の顔色を見たAさんは、先日先輩とやり取りをしたメールをプリントアウトして見せてくれた。


一瞬、先輩の顔が浮かんだ。ローマ帝国のネロ帝(いわゆる暴君です)みたいなヤツだったから、いったいどんなことが書かれているんだろうと思った。怖いもの見たさって、こういうことだろう。


「イリ君には嫌われていると思う。でも、本当にプロ意識を持ってやってほしかっただけ」。それは前にAさんから聞いた。だからどうした。


「イリ君のおかげなんだ」


「は?」。僕は嫌いな人には極力関わらないようにするので(誰でもそうか)あの事件後に先輩に話しかけた記憶はない。


「オレが会社を辞める時、みんなで寄せ書きしてくれたじゃないですか。あそこに書かれていたイリ君の言葉がいつも頭にあって、それで今の仕事をしているようなものなんです」


・・・悪いけど本当に思い出せない。続きを読む。どうやら僕は、こう書いたらしい。




「どこに行っても、いつもそばに文章のある生活を  イリ」





35歳にして会社を辞める先輩が不景気の世の中でどんな職業で口に糊をしていても、常に文章のある生活を送ってほしい―。それは大ッ嫌いだったけど同じ釜の飯を食った人(暴君だったけどね)への、多少かっこつけた贐(はなむけ)の言葉だったと思う。


こういうとき「体に気をつけてがんばって」とか適当なこと書けないのが、僕の性格のめんどくさいところなのだ。メールは続いた。


会社を辞めたあと、建設現場やコンビニのバイトを転々としたこと。挙句ニートのような生活に転落したこと。それでもいつも頭の片隅にこびりついて離れなかったのは僕の言葉だったこと。


時々は重い建築資材を担ぎながら「・・・んなこと言われてもなぁ」と苦笑いし、コンビニで廃棄の弁当を整理しながら「・・・でも俺にはコレ(書くこと)しかないもんなぁ」と思ったという。


そんなことが、あったのか。


* * *



時々、僕たちの住むちっぽけな世界には、すでに「END」とクレジットされた話の続きがあって、ふとした拍子に偶然その物語の続きを読むことで現在の世界が微妙に変わっていくことがあるらしい。



そしてその僥倖はほとんどの場合主人公の頭の中だけでは完結せず、もう一人の主人公との共同作業を必要とする。



☆ ☆ ☆



先週末の朝、記事を書いているとAさんからメールが来た。「イリく〜ん、今度駅前にできたビアガーデンに飲みに行こ〜よ。もちろん○○さん(先輩)も一緒に!話しといたからね〜!」


あはははは^^


どうやら物語にはまだまだ続きがあるらしい。次のページをめくるのは正直怖いけど、そこに書かれているのは「ただの和解」なんかじゃなく、一つの物語の終わりとはじまりだ。


あ〜あ。


もう一人の主人公が先輩みたいなむさ苦しいオッサンじゃなく、まつげがキュートな女のコだったらいいのになぁ・・・とかそういうことはこの際言うまい。


時々こんなことがあるから、だらだら生きているのも悪くないんだよなぁ。

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