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1年ほど前、同じ編集部の先輩が会社を辞めた。
どちらかの資質の問題ではなく、彼と僕は馬が合わなかった。仕事だから繋がっていたのだ。そんな人間は彼のほかにもたくさんいたし、今もいる。僕も一部の人にそう思われているかもしれないし、まったく思われていないかもしれない。
決定的な事件があった。会社でグルメ本を出すことになり、特集ページの最終段階で僕と先輩は決裂した。作業時間ギリギリまで良い企画にしようとアイデアをひねり出そうとする先輩。
すでに締め切りも過ぎ、印刷屋さんや本業のタブロイド紙発行に支障を来たしたくない僕。良いものを作るったって制限時間があってこそ。永遠に頭をひねっていてもOKなら、雑誌や新聞なんて存在しない。
時間内に良い物を書き終えようと努力するから結果的に良いものが生まれるんじゃないか。これは今でも変わらない僕の仕事のルールだし、数少ない「正しいこと」のひとつだ。
とにかく、制作部から「早く編集部の校正を出せ!」との突き上げにこっそり校正を済ませておいた僕は、先輩がOKを出すと同時に校了の内線を入れたものだから、先輩としては「自分の指示以前に校正が終わっていたこと」が気に入らなかったんだろう。
数ヵ月後、先輩は営業部に回されたことに腹を立て、会社を辞めた。
* * *
それから1年経った5月の終わり、突然先輩が来社した。新しく勤めた出版社で自分が編集した本が出たという。その宣伝に来たのだろう。突然の「凱旋」に僕の心は曇り空だった。そう、まるで1週間前に見上げた梅雨空みたいに。
僕だってもっと骨のある仕事がしたいと持っていた矢先だったから「麻薬取引で儲けて海外に高飛びしたギャングが、自らの羽振りの良さを見せに故郷に帰ってきたような凱旋(街宣?)」が、たぶん僕は単純に羨ましかったんだろうと思う。
でも、会社を辞めたあとの彼の努力を全く知らないのだから、僕は何も言えないのだ。
+ + +
先輩の凱旋から数日後、会社の制作部のAさん(女子)と話をした。彼女は件のグルメ本の企画で「早く校了出せ」と言っていた人である。
先輩が辞めたあとも親しくしているらしく、彼の思いを代弁するようなことを言った。僕の顔色を見たAさんは、先日先輩とやり取りをしたメールをプリントアウトして見せてくれた。
一瞬、先輩の顔が浮かんだ。ローマ帝国のネロ帝(いわゆる暴君です)みたいなヤツだったから、いったいどんなことが書かれているんだろうと思った。怖いもの見たさって、こういうことだろう。
「イリ君には嫌われていると思う。でも、本当にプロ意識を持ってやってほしかっただけ」。それは前にAさんから聞いた。だからどうした。
「イリ君のおかげなんだ」
「は?」。僕は嫌いな人には極力関わらないようにするので(誰でもそうか)あの事件後に先輩に話しかけた記憶はない。
「オレが会社を辞める時、みんなで寄せ書きしてくれたじゃないですか。あそこに書かれていたイリ君の言葉がいつも頭にあって、それで今の仕事をしているようなものなんです」
・・・悪いけど本当に思い出せない。続きを読む。どうやら僕は、こう書いたらしい。
「どこに行っても、いつもそばに文章のある生活を イリ」
35歳にして会社を辞める先輩が不景気の世の中でどんな職業で口に糊をしていても、常に文章のある生活を送ってほしい―。それは大ッ嫌いだったけど同じ釜の飯を食った人(暴君だったけどね)への、多少かっこつけた贐(はなむけ)の言葉だったと思う。
こういうとき「体に気をつけてがんばって」とか適当なこと書けないのが、僕の性格のめんどくさいところなのだ。メールは続いた。
会社を辞めたあと、建設現場やコンビニのバイトを転々としたこと。挙句ニートのような生活に転落したこと。それでもいつも頭の片隅にこびりついて離れなかったのは僕の言葉だったこと。
時々は重い建築資材を担ぎながら「・・・んなこと言われてもなぁ」と苦笑いし、コンビニで廃棄の弁当を整理しながら「・・・でも俺にはコレ(書くこと)しかないもんなぁ」と思ったという。
そんなことが、あったのか。
* * *
時々、僕たちの住むちっぽけな世界には、すでに「END」とクレジットされた話の続きがあって、ふとした拍子に偶然その物語の続きを読むことで現在の世界が微妙に変わっていくことがあるらしい。
そしてその僥倖はほとんどの場合主人公の頭の中だけでは完結せず、もう一人の主人公との共同作業を必要とする。
☆ ☆ ☆
先週末の朝、記事を書いているとAさんからメールが来た。「イリく〜ん、今度駅前にできたビアガーデンに飲みに行こ〜よ。もちろん○○さん(先輩)も一緒に!話しといたからね〜!」
あはははは^^
どうやら物語にはまだまだ続きがあるらしい。次のページをめくるのは正直怖いけど、そこに書かれているのは「ただの和解」なんかじゃなく、一つの物語の終わりとはじまりだ。
あ〜あ。
もう一人の主人公が先輩みたいなむさ苦しいオッサンじゃなく、まつげがキュートな女のコだったらいいのになぁ・・・とかそういうことはこの際言うまい。
時々こんなことがあるから、だらだら生きているのも悪くないんだよなぁ。
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