cafe&bar oldspring♪

内なる声に耳を澄ませ、勇気を持って行動せよ。

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友達のコーヒー屋さん「辻本コーヒー」のメルマガで連載したエッセー。 http://www.rakuten.co.jp/tsujimoto/index.html
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土曜日、友達の結婚式があった。場所はお寺。何を隠そう、新郎の家はお寺なのである。梅雨の蒸し暑さの中、本堂にて厳かな式が行われた。


新婦のいそっちは、「天真爛漫」という言葉がぴったりの女の子。僕と同い歳で、4年くらい前に知り合った。たぶん僕の人生の中で出会った女の子で一番というくらいポジティブ。そして、ありえないくらいオッチョコチョイ。


でも、それが一番かわいらしいところ。


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そのいそっちが、白無垢を着てそろりそろりと歩いてくる。看護師の不規則な勤務をやりくりして何回も練習したんだろう。その様を見ていると涙とともに、なぜか笑えてくる。


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うふふ。


なぜなら、いそっちは僕と出会った頃からずっと「イリくん。わたしね、真っ白なウエディングドレス着て教会で挙式するのが夢なんだ〜^^」ってはしゃいでたから。


+ + +


仏式では参列者は数珠を持ち、「南無阿弥陀仏」と読経する中で愛の誓いを交わす。新郎のフジ君が誓いの手紙を読む。親鸞聖人の歎異抄から、阿弥陀如来に宛てた誓いの言葉だ。


人を信じられないと嘆くのではなく、信じてくれる人がそばにいる。それを胸に二人で歩いていきます」。ボロボロ泣いていたからあんまり憶えてないけど、たぶんそういうような意味のことを言っていたと思う。いつか聞いた言葉だ。


人を信じること―。ああ、それはとっても、難しい。


* * *


生きていると、ファミレスの日替わりランチみたいな「生の悩み」に遭遇する。中でも、自分の周りの大切な人を信じられるかどうかはは、生の悩みのメーンイベントと言っても過言ではない。


人並みに人生を送っていれば、誰でも一度や二度は「裏切り」や「不実」に遭遇するだろう。そして、一度裏切られた人間は、わかっちゃいるけど次に出会う人を「この人もいつかは裏切るんじゃないか」と訝しむ。


でも、会う人会う人イチイチ疑ってたらキリがない。挙句の果てに自分の心が磨り減ってきて自己嫌悪になるのは明らかだ。


僕も昔、人並みにそういうことがあったからフジ君に「救い」を求めたわけだ。「ねぇ、人を心の底から信じられない僕は、やっぱりこの先もダメなのかなぁ・・・」って。


副住職のフジ君は柔和な笑顔で言った。「イリくん、だいじょうぶ^^ もともと人は人を信じられないもんなんだよ」


自分さえよければいい、感謝の心を忘れる、その結果孤独になる・・・。つまりそうした誰もが持つ地獄(=三途の川)や煩悩が備わっている身だからこそ、それを救おうとして仏の存在に気づくのだ、と。


「そしてこの世で起こる出来事はすべて、縁なんだ。たとえばイリくんはなんで今の職業に就いた?誰かの本を読んだから?誰かに出会ったから?」


なるほど。言わんとすることは、こうだ。


たぶん、物事の因果をどこまでもたどっていくと「なぜ僕は、あの母親の胎内に宿ったのか」という問いにまで遡るだろう。そして、すべての答えは、ここに収斂される。


なぜ、僕は生まれてきたの?



僕の顔を見ながら、フジ君がうまそうに煙を吐いた。


「僕らは縁によってこの世に生まれたんだ。だから幸せな家庭に生まれたのも縁。不幸な出来事に見舞われるのも縁。イリ君が裏切られたのも縁。大切な人と出会うのも別れるのも縁。それは理屈じゃないんだ」


物事にはほとんど因果(原因と結果)があるくせに、「自分という存在の一番最初」はいつまでもナゾなのである。そして、この世で起こる出来事は縁によって起こり、それがやがて「必然」となる。


フジくん「だから、人を信じられないことに絶望することはないよ。むしろそこに気付けた人ほど、仏の救いの近くにいる人はいないよ。


+ + +


哲学的に生きるフジ君と、どこまでも楽観的な女・いそっち。

坊主頭じゃないフジ君と、こども病棟で健気に働く看護師・いそっち。

趣味は山登りなフジ君と、学生時代は武田修宏の追っかけをやっていたいそっち(笑)



そういえば式の何日か前に電話でいそっちと話したときのこと。かる〜く「プロポーズの言葉ってどんなやった?」と訊いたら「長くてよく覚えてないんだよね〜^^」。


二人の胸にとどめておきたいから言わないのか、恥ずかしいのか、あるいはそういうことは二人にとってそんなに重要じゃないのか。


だから勝手に、レッツ仏教、トゥギャザーウィズミー。仏教のことはなんだかよく分からないけど、レッツ仏教トゥギャザーウィズミー。数珠と袈裟とナースキャップと注射器と、レッツ仏教トゥギャザーウィズミー。


* * *


披露宴のひな壇で幸せそうな二人を尻目に、一緒に出席したトシにゃんやカナカナ、クニーやさゆみんと普段食えない高級な肉を食べつつビールを飲み続ける僕。


未来の住職はいつかこう言っていた。「俺も長いこと人を信じられなかった。でも、あいつ(いそっち)に出会って変わったんだ。あいつは理屈抜きで疑り深い俺を信じてくれるんだ


瞼が徐々に重くなり、とろけるチーズみたいなとろ〜んとした胸の中で思ったこと。


二人に出会えて感謝。

この世に生まれたことに感謝。

そして、仏様に感謝。


ぐるりと式場を見回して、ろれつの回らない舌で、誰にも聞こえないように唱えてみる。「なむあみだぶつ、ナムアミダブツ、南無阿弥陀仏」と。


これでいいんだよね、フジ君。


ありがとう。そして、おめでとう。




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ビールの飲みすぎでブッ壊れたトシにゃん(左)とイリイリ(右)「おめでと〜んヾ(*´∀`*)ノ」

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突然のおくりもの

仕事で「読者プレゼント」の記事を書くと、月曜の昼過ぎにはいっせいにハガキが届く。


目を通していくと、行間からは家事の手を休めてペンを執るエプロン姿の主婦や、何枚も同じハガキをせっせと書く物欲の塊のような学生、趣味の筆ペン講座で習った健筆を披露したいだけのお年寄り、選ぶ側(僕のことですね)の目を止めようと蛍光ペンやキンキラキンの☆シールなど身近なツールを総動員する女子高生の姿などが想像されて、けっこう楽しい。


「いつも読んでます。ぜぇ〜ったいくださいネ!!(はぁと)」とか「待ちに待った○○のコンサート。私、彼の20年来のファンなんで、ど〜しても行きたいです!!チケットください。ぜ〜ったいください!!」などと、いささか気合が空回りしたハガキを読むと「そんなに行きたきゃ、自分で買えばええやん」と、ハガキはシュレッダー行きの山に堆く積まれることになる(ごめんネ!)。


僕がどういう基準で当選を選ぶかというと、これがまたしょうもない理由なのだ。字がきれいとか昔好きだった女の子の名前と同じとか(年齢を見るとその女性はおばちゃんだったりします)。


また、プレゼントハガキには結構な割合で「ストーリー物」が存在する。例えばこうだ。「母親の誕生日に○○な理由があって、どうしてもプレゼントしたいから当てて」。「おばあちゃんが元気になったから○○をプレゼントしたい!」など。その物語が詳細であればあるほど、こちらもついつい余計な想像をする。


しかし、それならば家族への日々の感謝を言葉にしてみたらどうかと思ったりもする。何も、モノをあげるだけが感謝ではないし、殊勝なことをしなくてもいい。


ただ、家族と今日あったことを面白く話してりゃいい。それだけで家族の誰かの心のささくれが取れたりするものだ。


あまりオススメできないが、その昔アニメ「サザエさん」でカツオが多用した経済的で古典的な「肩たたき券」やちびまる子ちゃんがカツオを模倣した「お手伝い券」もネタとしては有りだと思う。


しかし、これはカワイイ子どもがやってこそ効果を発揮する。やはり、妙齢の大人にはオススメできない。


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* * *


話をプレゼントに戻す。


今年の正月明け。暇なので元旦号プレゼントハガキの仕分けしていた。「中華料理3000円分の食事券」の応募ハガキを仕分けしていたら、その中に懐かしい名前を見つけた。なっちゃんだった。それで僕は、一瞬にして2年B組の教室でシャープペンをカチカチする、14歳の男子ぃ〜に戻っちゃったわけ。


彼女は僕の中学生のときの同級生で、美人で、粗野で、背がスラリと高くて(もちろん僕よりは低いけど)、女子バレー部のセッターで、僕の前の席に座っていた。


思い出したのはある日の自習時間。僕がなっちゃんの背中に消しゴムを丸めて飛ばしていたら、なっちゃんはいきなり振り向いて「ぶっ殺す!」と言ったあと、すぐにヒマワリみたいな笑顔になったこと^^


あんまり良い思い出がない中学生活で、彼女と教室でふざけていた短い時間は、今思い出してもやっぱり悪くない。


誰しも思うと思うけれど、ガキのころって何で楽しいことが頼んでもないのに次から次へとやってきたん
だろう?


そして、大人になるにつれて、不思議とそういう機会は減っていくんだね。もしそれがユーミンの歌の通りならば、幸運は神様が運んできてくれたことになるんだろうけれど。


歌詞の意味を丹念に解読していけば、大人は賢くなった分そんなメッセージに鈍感になっただけなのかもしれない。これはちょっとさびしいね。


うん、さびしい。


大人になると誰もが怒りに怒りで対抗してしまう。だけど子ども時代は誰もが周囲のやさしさに包まれていたから、ほおっておいても幸せがやってきたのかもしれない。


それは神様が届けてくれたのではなく、自分で見つけてきたものなのかもしれない。


だとすると大人になって起こる僥倖って、なんの因果があるんだろう。誰かのためにやさしさを届けられる人になれってことなのかな。


オイラ頭悪いから、よくわかんないけどさ。


* * *


今日も僕のデスクにはたくさんのハガキが積まれていた。その山を崩して一つ一つ読んでいくのが、僕の仕事の大事な句読点。


たぶん会社のコーヒーメーカーで淹れた煮え湯みたいなうっすいコーヒーよりも、それはほっとする行為なんだろうなぁ。


それにしても、なっちゃんのハガキで一瞬にして学ランを着た僕といい、プレゼントや良い話って、なんで「来い!来い!カモ〜ン!」って思っているときは全然来なくて、忘れたころにやって来るんだろう。


期待していない分、突然のおくりもののほうがうれしい。もちろん期待しててもうれしいけど、本当にうれしいことって、相手が何も返してくれなくてもうれしい。そして、何も求めていない自分が、うれしいんだ。








あ、なんかいま、わかった気がする〜んるんんるん^^








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はなのようなひと

「イリくん。アジサイがたくさん咲いたから見に来てよ」


大塚さんから会社に電話があったのは月曜日の昼前だった。さっそく次の日の午後訪ねてみた。


僕が小学3年生のころ、地域のローカル線が廃線になった。サイクリングロードに生まれ変わった線路跡沿いには一軒の古びた町工場。工場主の大塚さん(仮名、63歳)は建物の裏手を通る自転車道にボランティアで季節の花を咲かせている「花咲おじさん」だ。


最初に取材してから2年経つが、今ではアジサイやヒマワリ、コスモス、ヒガンバナなど季節を彩る花が咲くたび大塚さんを訪ねるのが一年の仕事の中で、大事な句読点になっている。


訪れたのは曇り空の昼下がり。いささかくたびれた事務所のソファに腰掛け出されたリンゴジュースの甘い果汁が舌に広がると、最初にここを訪れた2年前の春を思い出す。


当時は桜や桃が咲き乱れ、確か機械の音がうるさくて大塚さんの声が聞き取れなかった。何人か従業員がいた小さなゴムパッキン工場は、今やウグイスのさえずりが聴こえるほど。


さて今回は5年前に植えたアジサイが3キロメートルにわたって満開になったという。工場の裏手に回ると、赤や青のアジサイが水無月の曇り空に可憐な花を咲かせている。

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「ここまで大きくなるには地域の皆さんが週末ごとに草取りしてくれたおかげだよね」と大塚さんは微笑む。でも僕は、大塚さんがほとんどすべての種や苗木の費用を出し、草取りのたびに地域住民に頭を下げ、名も知らないサイクラーやウオーカーや学生が心和む道をつくっていることをを知っている。行政が地域の環境整備に出してくれる補助は草刈り機の替え刃だけ。(「だけ」とか言っちゃ悪いけどさ)



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写真を撮り終えて事務所に戻る。「どうです、静かなもんでしょう。もう先月の半ばからまったく働いてません」と大塚さん。


明るい声は侘しさのコントラスト、静かな工場は大きな鉄の塊―。


大塚さんによれば工場がある地域では近年商店が次々と潰れ、高齢者世帯では車で5、6分ほどのスーパーに食料品を買いに行くのに皆でお金を出し合ってタクシーを相乗りするという。運転できる者が家に一人もいないからだ。これはかなり切ない光景だと言わざるを得ない。


「これが地方の現実だ」と声を大にして言うつもりはないけれど、こんなことが僕の家のすぐ近くで起きている。なんだかこんなに景気の悪い話をしていると、僕と大塚さんはくたびれたソファから世界の果てのどん詰まりの、そのまた奥のフン詰まりに足蹴にされたような気がしてきて、気分が滅入る。


すると大塚さんが幾分ゾンザイな口調で言った。


「でもさ、イリくん。仕事がねぇからって、道路が草ぼーぼーでもいい理由にはなんねぇべ」


* * *


大塚さんは工場の門のところまで見送ってくれた。「イリくん。忙しい中、わざわざ取材に来てくれてありがとうございました」。


次にここに来るのはきっとコスモスが風に揺れる頃だろう。深々とお辞儀をする大塚さんが車のルームミラーに映る。

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深夜帯の通販番組で売っている外国製の強力な洗剤でも落ちそうにない宿命的な油のシミが付いたぶかぶかの作業服に、村山元首相みたいな長い眉毛。なで肩で不ぞろいな白髪と無精髭。決して風采は上らないけれど、僕は思う。


大塚さんはまるで、はなのような人だなぁ、と。

るんるん、るるるん♪

雨の日曜日

先週日曜日の午前中、寝ぼけまなこで降り止まない雨空をぼんやり眺めていたら、急に幼い記憶がよみがえった。


= = =


その日も雨降りの日曜日だった。


僕は小学校低学年。家の外ではもちろん誰も遊んでなくて、誰も遊んでくれなかった。まるで、冷めたトーストに賞味期限の切れたジャムを塗りたくったみたいな朝だった。父親は何かの会合に行き、母親はパーマ屋さん&買い物というゴールデンコース、水泳が上手だった兄は大会、弟は・・・覚えてない。頼みの綱の教育テレビも日曜日は将棋か囲碁、民放はおなじみのゴルフ中継のオンパレードだった。


そこで僕は、唯一暇そうだった祖父母にどこかに連れて行くようせがんだ。とりあえずどこでもいいから「楽しいところに連れて行って」と。祖父は僕を隣町のジャスコ(今のイオンですね)に連れて行った。


着くやいなや、僕は車から勢いよく飛び出しゲームセンターに向かった。30分で100円玉を3つ失い、その後おもちゃ屋さんに行ってプラモデルやゲームソフトを眺めた。


食料品売り場にいる祖父母を探してフライドポテトやフライドチキンのこんがりとした匂いの中をさまよい、ふと見つけたガンダムのガチャガチャをやって僕の財布は本当にカラッポになった。


なけなしのお金をはたいて買ったカプセルから出てきたのは、量産型ザクとかすぐにやられちゃうゲルググとか、そんなしょうもないロボットだった気がする。(ゲルググとザク、ホントごめんw)


20年も前の、無理やり何かをしようとして何一つうまくいかなかった日の淡い記憶だ。


@ @ @


ジャスコを出てからもなんだか物足りなくて、帰り道本屋さんに寄ってもらった。祖父は駐車場に車を停め、僕は好きな本を片っ端から眺めた。結構な時間をそこで過ごし店から出てくると、祖父母は同じ姿勢で座っていた。そして少し雨に濡れた僕を振り返って、こう尋ねた。「おもしろい本あったかい?」と。


「ううん。なかった(´・ω・`)ショボーン」


そう、楽しいところを求めて外に出たけど、楽しいことなんてひとつもなかった。孫に果てしなく甘かった祖父母に、たぶん僕は幼いながらに一日中振り回したことで後悔したんだろう。後部座席の曇り硝子をこすって★マークを描いたり、熱いおでこをつけたり。そう、そして確かこんなことを考えた。


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「あ〜あ。こんなユウウツな日に、世界で一ばん楽しい思いをしている人って、誰なんだろうなぁ」



僕の頭に浮かんだのは、なぜかジャッキー・チェンだった。幼き日のヒーローはこんな雨の日に何をして過ごしているんだろう。遊園地にでも行っているのかもしれない。あまいお菓子と、遊び切れないゲームソフトに囲まれているのかもしれない。あるいは・・・。


★ ★ ★


家に帰ると、台所にはあたたかい明かりが灯っていた。


いつもの晩ご飯が並び、お父さんはYシャツの第二ボタンを外してキリンラガービールを飲み、お母さんは茹でたブロッコリーみたいな頭でサラダボウルを持ち、お兄ちゃんはツンツン頭から塩素の匂いがし、おじいちゃんとおばあちゃんはきょうの一日を満足そうに話していた。弟は・・・忘れた。


あの夜、晩に家族でご飯を食べたらその日のことは忘れてしまった。今でも頭に白いものがチラホラと増えてきた両親と兄弟中で一番背が高くなった弟は元気で、ちょっとお腹の出てきた兄は東京で大阪人の嫁と暮らし、孫に果てしなく甘かった祖父母は両方とも施設に入っている。


雨の日の匂いはあの頃と同じなのに、いろんなことが変わったんだなと思う。

ありがてぇ!

「おう!イリ君、ひさびさじゃねぇか★ 暇ならちょっと顔出しにおいで^^」


ぜ〜んぜん江戸っ子じゃないのに、江戸っ子みたいな気風の良さで受話器から聞こえてくる声の主は、以前取材で知り合ったセミプロ落語家のウメハチさん。


ちょうど仕事もひと段落していたので、五月晴れの午後に車を走らせる。窓から入ってくる風が本当に気持ちよくて、オザケンの軽やかなリズムもピッタシなのさ♪


ウメハチさんは最近新しい「一門」を立ち上げたという。その名も「有難亭」。「名前の由来ぃ?毎日ありがてぇからに決まってんだろーがばっかやろう^^」


豪快に笑うウメハチさんは地域の人に落語で恩返しをしている。そんなウメハチさんの小屋にはさまざまな人が立ち寄る。


仕事中のサラリーマンがトイレを借りに来たり、引き戸の陰に下校途中の小学生の女の子が隠れたり。ウメハチさんは女の子たちに「よっ!どこに行くんだい?^^」と声を掛ける。まるで、高座にいるみたいに。


そんなウメハチさんの落語を昨年の夏、老人ホームで拝見させてもらった。ネタはNHK連続テレビ小説でもやった「ちりとてちん」。終わってから楽屋を訪れた。


イリ「いや〜、おもしろかった。うまくしゃべらはるもんですねぇ」


ウメハチさん「ばっかやろう!お客さんはさ、おれがうまくしゃべってるから笑ってくれるわけじゃねぇんだよ^^」


落語は、たぶん話している状況描写が頭の中でイメージできていないとダメなんだと思う。状況を思い浮かべながらじゃないと目線の配り方が一緒になってしまったり、扇子で蕎麦をすするのとお茶の飲み方がごちゃ混ぜになったりするんだろう。でも、たぶんウメハチさんは話術の総合デパート案内をしたかったわけじゃない。




「いいかい、人間なんでもうまくやろうとするからダメなんだよ」


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* * *


僕らには影みたいに寄り添う自意識がある。多少の自尊心もある。だから相手に「良く見られたい」とか「良く思われたい」と思うのは自然な感情だ。


僕の場合で言えば、取材で相手に話しかける言葉、話しやすい間の取り方、仕事の頼み方、デートの誘い文句、教えてもらうときの態度とか。。。


そして、どうやって言えば相手が自分に振り向いてくれるかとか、納得させられるかとか、言うことを聞いてくれるかと悩む。ボキャブラリーを増やしたり、イメージトレーニングしたりもする。


でも、あくまでも目的は「自分の思いを相手に伝えること」であって、「自分が適度な間を取ってゆっくり落ち着いて話すこと」だったり、ましてやスタイリッシュな表現やスマートな言い回しやドラマのようなセリフを言うことでもない。


目的と手段を取り違えると、得てしてしょうもない結末を引き寄せる。


★ ★ ★


ウメハチさん「イリくん。また遊び来なっ^^/~~~」


イリ「は〜い、また〜^^/~~~」


五月晴れ 今の気分は ありがてぇ! 


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