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先日、隣町の郷土資料館の学芸員さんとある話題で盛り上がった。夏至や大寒、啓蟄などの二十四節気、数ある年中行事をあまり意識せずに暮らしている現代について。 今や盆も正月もなく働く人や(お疲れ様です)外資系企業に勤める人は日本の祝日も休めなかったりする(大変ですね)。そういう意味で現代は「ボーダーレスになったね」という話。 そんな話をしながら、僕も高校生くらいになると家族で正月を過ごすのがなんだか恥ずかしくて、退屈だったことを思い出した。そのときの心の声を言葉にすればこんな感じ。「そんなんしてもしなくても、別に何も変わんないもん」 消費社会の住人は、「役に立つもの」の対価としてしかお金を払わなくなり、手に入れたものを現実的に使う。現代っ子にとって「お供えして心付けを払い、人形やお札をもらう、しかもそれを川に流して願う」なんてことには、価値を見いだせなくなった。 誤解を恐れずに言えば話題に上った「流し雛」なんて、その「現実的な効果」は甚だ疑問だ。自分の穢れを人形に託して流せば、人形が自分の代わって穢れをかぶってくれる?・・・ホントかよ!? 年中行事を蔑ろにし、とりわけ宗教や地域共同体が個人を縛らなくなった結果、僕たちは確かに自由になった。 でも神仏や宗教から解放され身軽になった僕らは、依然として「精神的な何か」を激しく求めている。元雑誌編集者だった友人は「10年前に比べてあるジャンルの本が急に増えた」と言う。 それは「癒やし本」だ。例えば「北欧雑貨の本」や「緑のある暮らし」などというジャンルの本を買って、ホンマに北欧雑貨で部屋をコーディネイトしたり田舎暮らしのできる都会人なんて、そうはいないと思う。 では、この不景気の世の中にどうしてこんな現実離れした本が売れるのだろう? 僕も、まさか自分が流行に乗っかった「癒やされたい人間」だとは思いたくなかったけど、本屋さんに行くと、ついついその手の本に手が伸びている。 * * * 今よりもずっと昔、年中行事に参加することは「区切り」だった。それは単に季節の変わり目という意味を超えていたんだと思う。6月下旬の「大祓」では「茅の輪くぐり」を行う。これも一年の半分を無事過ごせたことを感謝する区切りだ。節分は巻寿司を食べるだけでなく(←今や立派な商売ですネ)冬の終わりを告げるだけでなく、それ以上に市井の人々の「心の区切り儀式」だったんだと思う。 昔は宗教や共同体が肩代わりしてくれた不安を、今や個人が一手に引き受けなければならない時代だ。そして、いつまでも続くとも知らない日々のストレスや人間関係、恋の悩み、家庭の不和・・・に僕たちは常に悩んでいる。 つまり、先人は小さい頃から日常的に日々を区切っていたから「物事の切り替え」が上手だった。そして、今の人は生活の中に暦に裏打ちされた区切りがないから、いつまでもどこまでも迷う。それは言い方を変えれば「可能性がある」ってことなんだけれど、自由な身になった分、果てしなく迷う。 「一体いつが、そのときなんだろう」って。 そんなときは「リセットボタンをポチっ!」ってやればいい。でもそれって、臭いものにはフタをしちゃって今までの一切を消して前に進むぜベイベ〜!!(←この部分だけ清志郎さん風に)ってのとはちょっと違うと思うんだ。 大丈夫。 リセットしても大事なセーブデータは残る。そしてまた明日からはじめたらいい。どこから、何をはじめればいいかは、自分の胸の奥が勝手に憶えている。
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old spring
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友達のコーヒー屋さん「辻本コーヒー」のメルマガで連載したエッセー。 http://www.rakuten.co.jp/tsujimoto/index.html
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季節はずれの大掃除をした。 出るわ出るわ、いらんもん。読み終わった雑誌から、好きな野球チームが優勝した記念に買ったスポーツ新聞3紙、穴の開いたTシャツやジーンズ、フリマで買ったしょうもない雑貨、誰かさんから頂いた手紙・・・。 こんなことをしようと思ったのも、最近立て続けにいろんな人から「捨てる話」を聞かされたから。同じような話をいろんな人から同じタイミングで聞かされると、これはもうカミサマが誰かの口を使って僕に警告してくれているような気がしてならない。 アインシュタインの脳だって普通の人と「物理的な量」はさほど変わりないわけだから、たぶん忘れたりいらんことは覚えなかったりしたんだと思う。天才はただ単に脳の使い方がうまかっただけなんじゃないかと思えてくる。 「捨てる」って物理的に身軽になること以上に、大事かもしれない。 @ @ @ 日が傾きかけた頃、ようやく掃除が終わった。たくさんの市指定ゴミ袋を横目に、コーヒーを入れてパソコンの電源を入れる。 「・・・Cドライブの容量が足りなくなっています。PCが不安定になっています」 タイムリー^^; 使わないソフトを削除していくと、みるみるパソコンが軽くなっていく。「これはいつか使う!」と思ってたソフトなんて、全然使わないんだよね。 そうそう、片づけをしていて不思議に思ったのは「捨てて惜しいと思ったから取っておいたもの」をきっぱり捨てた後で、「まだ今ならゴミ袋から取り出して自分の手の届くところ」にそれがあっても、もうすでに取り戻す気になっていないという事実。 いったん「ゴミ」として認識してしまえば、あれほど後生大事に取っておいた「タカラモノ」が嘘みたいに輝きを失うのだ。こんなとき、自分が「取っておいた物」に対して本当はどう思っていたかが分かるんじゃないかな。まったく、これじゃあよくワイドショーに出てくる「ゴミ屋敷の住人」を笑えない。 モノはまだいい。一番厄介なのは「思い出」だ。 僕らは一年に一つずつ必ず歳を重ねる。人生は本当に短いから、とっくに賞味期限の切れた後悔味の甘ったるい「思い出キャラメル」を、いつまでもしゃぶっているわけにはいかないんだよね。 忘れない過去 忘れたい過去 あの人の声 ささくれた指先 耳たぶの形 深爪から滲んだ血 なんだか楽しい夜 気の抜けたビール 甘ったるいカクテル 苦いメンソール煙草 染みのついたぬいぐるみ プールの反響音 やっと来たメール 着信履歴 押せない通話ボタン 古びたメモリー ひからびた枝豆の皮 色あせた蛍光ペン ラジオの雑音 やっぱり、捨てる。 調子に乗って捨てちゃいけないものまでポイしちゃうかもしれないけれど、やっぱり捨てる。そんなもんまた一から積み上げていけばいいんだ。捨てるべき思い出がたくさんあるってことはある意味幸せだったってことなんだ。 なんとなく、ゴミ袋を横目に冷めたコーヒーをすすっていたら、そんな気がしたんだよね。
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昼休みにファミレスでヤクザな味付けのチーズハンバーグを食べて会社に戻ると、机に一通の手紙が置かれていた。ねずみ色の封筒にはメガネをかけた女の子が両手で頬杖をついている黄色い切手。後ろには「藤崎(仮名)」と書いてあった。 送り主は先日取材で偶然再会した中学時代の同級生・ちえちゃんのお母さん→卒業写真。 10年ぶりくらいに会った僕の初恋の人のお母さんは、ボランティアで地域の障害者にダンスを教えていた。手紙には先日の取材のお礼と、参加している障害者たちが以前の練習のときよりも上達した喜びが独特の丸文字で綴られていた。昔どこかで見たような懐かしい文字だった。 あはは。相変わらず元気いっぱいのおばちゃんに会えて僕もうれしかったです^^。 結びの言葉がなぜ中国語なのかはナゾだけれど、おばちゃんのあたたかい言葉に僕の胸は一瞬詰まり、緩やかにほどけていった。 それはまるで、ずっと昔に使わなくなって押入れの奥にしまったままだった防虫剤臭い手編みのマフラーの赤い毛糸を、ひとつひとつほどいて湯気に当てていくような、そんなきもち。 手紙には取材当日におばちゃんの携帯電話で撮った写真が同封されていた。最近の携帯カメラはサービスサイズのプリントでもきれいに写る。 二人で腕を組んで、ちょっと恥ずかしそうなその写真を眺めていると、だんだんおばちゃんの顔がメガネっ子のイモジャージ姿に見えてくる・・・な〜んて、また妄想族になっちゃったヨ、ぶんぶんぶぶぶん。 便箋を封筒に戻し、写真を机のカバーにはさむ。国語辞典と漢和辞典の間に挿し込んだ手紙から、黄色い切手のメガネちゃんがこちらを見ている。そのかわいい頬杖顔を視界の隅に置いて、僕は午後の仕事に取り掛かる―。 僕の毎日はこんなふうに続いていく。これまでも、そしてこれからも。 そしてそれは、色々ややこしい世の中にあって、わりと美しいことなんじゃないかと思うんだよね。
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4月の最初の日曜日、障害者にダンスを教えている地域のサークルの練習が近くの体育館であると聞きつけ取材に行った。デジカメで練習風景を撮っていると、後ろから「ぽんぽん」と肩を叩かれた。振り返ると一人のおばちゃんが立っていた。 「イリくん・・・。イリくんだよね?」。僕を見上げる二重の垂れ目が少し潤んでいた。 @ @ @ 初めて女の子を好きになったのは中学一年生のときだった。 小学校では男子と女子が敵対していた(笑)から、女の子と会話らしい会話をしたことがなかった僕に、入学式の後のホームルームで話し掛けてきた隣の席の女の子が「ちえちゃん」。そのとき、僕は左の胸をやさしく握られたような気持ちになったんだと思う。 「初恋はレモンの味」とかいうけれど、大方の初恋と同じく僕の場合も散々だった。初恋なんて、残酷さと軽薄と情熱と自己チューを足して平方根(√)にでもかけちまえば、ダメになるのがオチだ。 僕らは手紙のやり取りから始まり、バレンタインのチョコレートやホワイトデーのマシュマロ(不思議なお菓子ですね)や、放課後の教室での出会いなどを繰り返した挙句、2年生の春につまんないことでケンカして、なんだか僕は彼女のことが嫌になっちゃった。 たぶん僕もちえちゃんも、自分の感情をうまくコントロールできなかったんだと思う。それでも彼女は僕の人生から簡単にいなくなりはしなかった。 2年後、憧れのブレザーに袖を通し、僕らは高校生になった。ちえちゃんは遠く離れた学校に行き、僕は仲間とビリヤードやダーツやバンド活動や覚えたてのタバコに明け暮れていた。 ある夏の日、友達の一人がバイクのキーを渡してこう言った。「これで今から彼女を迎えに行け」。もちろん無免許だったけれど、とりあえずの運転の仕方だけ教えてもらってバイクにまたがった。ちえちゃんの家ではおばちゃんが出てきた。 おばちゃんは見るからに無免許の僕を咎めることなく「うまくやれよ」とでも言うような不敵な笑みを浮かべ「気をつけてね」と言った。僕とちえちゃんは二ケツで山の上にある公園に行き、夏の夕暮れが長いのをいいことに、日が暮れるまでとりとめないお喋りをした。 高校3年の冬、進学を希望していた僕らは仲良く大学に落ちた。春から僕は予備校に行き、ちえちゃんは家で勉強していた。時々連絡を取り合って図書館で一緒に勉強したけれど、世界史の年号ひとつ覚えられなかった。季節が変わっても僕らは相変わらずただの仲良しだった。そのうち僕には彼女ができ、苦痛だった受験勉強からも年内には解放された。 恋も勉強も「イチ抜け」したみたいで嫌だったけど、しょうがなかった。誰かのために人生の歩みを遅らせるほど、オレはやさしくねぇんだ。そう思い込むことで心の天秤を安定させた。ちえちゃんにはもちろん合格の報告だけした。 ちえちゃん「おめでとう」 イリ「うん」 「大阪の大学に行くんだっけ?」 「そう・・・。受験、これから本番だね。風邪引かないでがんばってね」 「・・・あたし、寒がりだから沖縄の大学でも行こっかなぁ〜」 「それじゃ、ね」 「・・・うん」 僕らはお互いの世界から行方不明になった。指名手配のモンタージュもなく、それから彼女は僕の世界から行方不明になった。 * * * 「あれ・・・。ちえちゃんの・・・お母さん?」 歓声やら奇声やらが反響する体育館の中で、赤いバンダナで滴った汗を拭うおばちゃん。僕の手を握り何か言おうとするが、感極まってうまく言葉が出ない。涙目のおばちゃんの目は、娘とおんなじ二重で垂れ目だった。 「こんなに大きくなって・・・。中学のときはうちの娘とよく遊んでくれたのよねぇ」。 そこまで言うと、おばちゃんは僕の左肩にあふれる涙を押し付け、ぎゅぅっと抱きしめた。しつこいけれど、その潤んだ目はちえちゃんとおんなじ、二重で垂れ目だったんだ。 ・・・・・・・ あたたかい春の夕暮れ。 帰り道、今の季節にぴったりなバラードを口ずさみながら帰途に就くと、中学時代にちえちゃんが教えてくれたユーミンのFM番組を思い出す。確か日曜の夕方、ちょうど今頃の時間帯にやっていて、親の車のラジオで聴いてたっけ。 週明けの月曜日に同じ話題で話せるようにと車中で聴いた雑音交じりのナンバーを思い出すと、あれから随分たくさんの時が流れたことを実感する。あの頃の僕らをつなぎとめていた気持ちって、なんだったんだろう。 無闇な情熱? 残酷な若さ? 押し殺した声? 羽根みたいな希望? シャンプーの匂い? まさか。 そう思いながら車のルームミラーに反射した春の夕焼けで僕のこんがらがった頭の中を透かしてみれば、レモンなんかよりも甘酸っぱい果汁であぶりだした出来の悪い四つ切画用紙に、そこはかとない切なさを伴ってある感情が浮かんでくる。 15年経って思い出したその淡い感情は、これからの僕を支える力になる。 卒業写真 詞/曲 荒井由実 悲しいことがあると 開く皮の表紙 卒業写真のあの人は やさしい目をしてる 町で見かけたとき 何も言えなかった 卒業写真の面影が そのままだったから 人ごみに流されて 変わってゆく私を あなたは時々遠くでしかって 話しかけるように 揺れる柳の下を 通った道さえ今はもう 電車から見るだけ あの頃の生き方を あなたは忘れないで あなたは私の 青春そのもの 人ごみに流されて 変わってゆく私を あなたは時々 遠くでしかって あなたは私の 青春そのもの |

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※うちのおばばは、昨夏に事故って入院し、今は施設で暮らしています。 命に別状はありません(念のため)。 2週間ほど前の日曜日の昼過ぎ、母親が結婚式の引き出物のようなでかい紙袋に股引や肌着を詰め込んでいた。紅茶を淹れてI―Podでレディオヘッドを聴きながら村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を読んでいる僕のひざを「コンコン」と小突いた。「これ、届けてきて」。 お使いは簡単だった。施設に入っているばあちゃんに荷物を届け、代わりに汚れ物を引き取ってくる。途中で「桃屋のごはんですよ!」を買っていく。 車に荷物を積み車を走らせると、「正しい田舎の冬の夕暮れ」みたいな景色が広がる。途中の町でスーパーに寄り、「桃屋のご飯ですよ!」を買った。「ごはんですよ!」は大きいサイズと小さいサイズがあったが、少し迷ってから小さいサイズを買った。 施設に着き個室をノックすると、元気な声が返ってきた。座っていればいいのに、ばあちゃんはミルキーやらお煎餅やら、みんな大好きハッピーターン(!!)やら乾燥イモやらザボンの羊カンやらを、真珠湾攻撃のように繰り出す。僕は布団に寝転がった。 イリ「毎日、暇?」 訊いてから「しまった」と思った。当たり前だ。これから夢のキャンパスライフ(笑)が始まる大学生じゃないのだ。 おばば「暇でございます」 10分も話すと会話は尽きる。それくらい外の世界から離れているばあちゃんと、情報の洪水におぼれている自分のコントラストは甚だしい。 来たばかりだから引き返すのもなんだか悪いから、持て余した時間にテレビの助けを借りた。ちょうど相撲がやっていた。 ばあちゃんの嫌いな朝青龍が勢いよくまわしを左手で叩いても、ボンヤリと画面を見つめるばかり。それはキライな力士のせいではなく、映りが悪いテレビのせいでもない。ばあちゃんは、いろんなことに興味が持てないニートみたいになっちゃったのだ。 これも「老い」のひとつなんだろう。 窓からは相変わらず冬の夕暮れが見えた。田園の中にある施設から見るそれは、本当にさびしく、バカみたいに赤い。すると、ばあちゃんが引き出しから何かを出し、僕に手渡した。 イリ「俺、風邪引いてないよ」 おばば「でも、持っとけ」 それは、ただのガーゼのマスクだった。 * * * 帰り道、来るときよりも面積が狭まった青空と、より赤くなった夕陽が目に痛い。「前方不注意!!」とおまわりさんに怒られても見ていたいくらいの夕陽。 「皆、年老いてゆき、そして、孫にガーゼのマスクなんか渡したりするんだ・・・」。神様はウチの家族だけ特別扱いしてくれないのだ。 ふと、「桃屋のご飯ですよ!」のラベルとCMが浮かんだ。ウチの家族だって、昔はサザエさんみたいにみんな一つの家にいた。今は仲が悪いわけじゃない。時間が経って「必然的にバラバラになった」だけだ。 それはどこの家族にでもあり得ることだし、そうやって家族は広がってゆく。そしてそれは、ある程度は予測できたことだ。兄は東京で暮らし、じいちゃんは市内の病院に入院し、ばあちゃんは見ての通り。しょうがないんだ。これは。誰のせいでもなく、必然なのだ。 やれやれ、思い出の洪水が始まった。 昔、家族の誕生日にはみんなでステーキ食べにいっていた。 あの時はじいちゃんも元気で(なにより!)、ばあちゃんも今より良い意味でうるさかったし、兄ちゃんはむかついたし(良い意味で)、弟は小さくてかわいかった(もちろん良い意味)。父は今よりも暴力的で(良いのか?)母は今よりもマヌケじゃなかったw(悪い意味です)。 ステーキを食べた後には店の売店でお菓子を買ってもらった。帰りの車の中で大人はミントのガムを噛み、僕ら兄弟は毒々しい色のガムを噛んだ。 遠い昔だ。 早起きしてお湯の入ったポリタンクを積み、サーフボードを頭に乗せて車に積もうとした何年か前の夏の朝。庭木の手入れをしていたばあちゃんと目が合った。 おばば「どこいきなさる?」 イリ「サーフィンだよ。○×海岸に行くよ」 おばば「さーひん、さーひん・・・。 ああ、波乗りですか。気をつけてねぇ」 イリ「はい、気をつけて行ってきます」 これも、遠い昔。 もうすぐ終わりが来ると思えば、ささいなことが急に輝き出し、 良くも悪くも、過ぎていった時は錬金術を使う。 ばあちゃん、ごめん。俺、錬金術使うわ。
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