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大字鬼石字宮本にあり、
祭神は磐筒男命、中筒男命、底筒男命の三柱である。

鬼石という霊石を神体とし、直径約4尺、高さ地上約3尺、地下不明の霊石を囲んで社殿が建っている。

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神体は絹で厚く巻き、錦で堅くつつんで神主さえ見ることができなかったと言われている。(現在は見ることができます鬼石の地名が当社で祭る霊石からおこるように、創建はたいへん古いものと思われる。

昔は鬼石大明神と称し、元禄16年(1703)5月19日に宣旨があって正一位を授けられ、寛政6年(1794)5月8日社殿を改築し、明治初年鬼石神社と改称して村社となった。

春秋の神事は古例を厳守しており、神官榊原氏は宝永以来260年以上継続している。

バイパス道路から石段を登って境内に入ると老杉が茂って社殿をおおっている。また境内より全町を一目に集めての眺望は美しい。

「宮司 榊原敬胤 」

上野名跡考に曰く、
鬼石明神、平親王将門を祭りしものなりと。又疑うらくは秩父将恒は将門同流の平氏なれば将恒を祭りしものなるべし。

また、上野国風土記に曰く、鬼石大明神、土師大明神は鬼子村に在り。何れも平親王の公達を祭るといい伝ふ。

神流川の入御荷鉾の麓にて将門の宮女の潜居の地というあり。又秩父の内将門の城山といふあり。家来の末裔という土民あり。類族その山に登ることならず。推して登る時は必ず災殃にあふという。

当社をめぐって岩城姓の家が数戸ある。
岩城氏は奥州磐城国石城郡より起り、恒武平氏維茂の子孫という。
ある年、戦いに敗れてこの土地に来たのが大晦日で、松を立てることができないまま元旦を迎えた。
これが同家の家例となり、今でも松を立てない。この時、同氏が鬼石大明神を守護神として背負って来たものとの言い伝えもある。

上野国志、御荷鉾山のところに、昔この山頂に鬼がいて人を害す。弘法大師に調伏され、鬼が石を投げて去る。その石の落ちた地を鬼石と言い、その石は今なお村の中にあると記されている。 
     
     「鬼石町誌第二部・歴史編より引用」
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*追記 鬼が石を投げた・・・その場所が、御荷鉾山の「投げ石峠」
      と言われています。

「鬼石神社は鬼肩が宿るご神体がある。投手など、野球選手にはご利益があるのだ・・・。」なんて、強調する知恵者の話を耳にしました。

誰か、一度試して欲しいと願っています

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