「厚い手のひら」 井上 優(Yu)

詩人・井上優(ゆう)のブログです。

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書評

井上優詩集『厚い手のひら』
 
時代の魚、穢れのない神の涙として祈る姿
  
                    宇宿一成
 
 
 若い詩人である井上優さんの詩的世界では、野には花が咲き海では魚が歌っている。その中心にはいつくしみの心があって、妻へ、子供へ、関わりのあるすべての人へ、そしてより多くの人々へと広げられている優しくて強い光の球体のようだ。
 しかし、昨今の状況、大地震、大津波、原発事故といったカタストロフは詩人の世界も脅かさずにはいない。
 井上優詩集『厚い手のひら』を開く。序詩として、「慈しみの海には/悲しみという塩が溶けている」という二行がある。
 慈しむ思いは、自身が深い悲しみに沈んだことがあって初めて湧きあがるのだろうか。私はとりあえずの疑問符を脳裏にぶら下げたまま続きを読んだ。

『菜の花を植える人』菜の花が放射性セシウムを吸収しやすいというので、農地の放射性物質を除去するために植えられるという。だが井上さんは、「花は何故咲く?/地下のマグマを吸い上げて咲く」と書く。
 花はこの詩人にとって地球の奥深いところのエネルギーを吸い上げることで咲いているのだ。菜の花に、尋常ならざる力がこもる。あの花がマグマの表現でもありうるのかと驚かされる。

 『時代の魚』では、「僕らのシンボル」として、魚は「映すためにある」のだ。「僕があのまだ若い 慈しみの海に/幼く稚い 地球のために」と書くとき、「若い」は「海」に、「稚い」は「地球」につながっているように読めるが、そうではない。億年を経た海であり、地球なのである。地球の年齢としても、海の年齢としても、「若い」「稚い」ではおかしいと思う。膨化する太陽にあぶられ、または呑みこまれて干上がる海や地球の最後を予想するときに、現在はおよそその全年齢の半分ほどを経過した姿であるのだから。「若い」や「稚い」は「魚」であって、それは僕らのシンボルであり、時代を映す魚なのだと読むべきだろう。〈火の玉〉だったり〈スノ―・ボール〉だったりした地質学的時代をへて現在に至った地球。さまざまな生物を育み、進化させた海。その中で魚類の歴史は、サメやウニなどに比べるとはるかに短い。つまり、変転の末に辿り着いた現在の海や海を存在させる地球に棲む、若く稚い「時代の魚」に表象される「ぼく」なのだ。
 
 このような、言葉の流れと意味のつながりの微妙なズレが随所に在って、そのことで、井上さんの作品は、考えさせる作品となっており、言葉のもたらす安定感をわずかに揺るがし、言葉自身が持つ意味の領域を超えることに成功しているかのように見える。
 
 『子どもの黄色いクツ』では、津波に襲われた小名浜で「時を忘れて佇む、流されずに残った家財」とともに家の中に置かれた「泥で作ったウサギ」(それは流されて死んだ子供を弔うためのものだ)が、瓦礫の下に見つけられた黄色いクツと重ね合わされる。作者は自身の幼い子供(シオンちゃん)が泥のウサギとして悼まれる子供であったら、と思い、狂おしくその靴を抱きしめる。わが子への愛情を、失われた無名の子にも注ぐ人間愛の表出は激しく、美しい。

 『てのひら』は、農作業をするおばさんとの関わりを描いた作品だ。作者の家族を包む周囲の人々を代表するようだ。この夫人との関わりを通して、井上さん家族と社会とがどのように触れ合っているのかが浮き彫りにされる。新鮮な農作物を分けてくれる夫人に、作者は自身の手作り絵本を差し出す。「泥にまみれた手のひらは、ページをパラパラとめくり、目を輝かせた。」二才の孫に読んでやろうと思うと作者に伝える農夫の姿を作者は胸に焼きつけようと誓う。
 「銀板写真のフィルムが溢れる光を蓄えて映像を映す出すように」という、記憶の方法が、井上さんの真骨頂だと思う。泥に汚れた手の農夫の、汚れた顔に光が満ちる一瞬の時を、詩人は逃さず確実に捉え、胸の中に映像として残すのだ。「ありったけの笑顔を返し、ありったけのお辞儀をして」家路につく作者の姿も、光に包まれる。
詩は言葉の遊びでもあろうけれど、ありったけの思いが込められたものなのだ。
 
 第二章『誕生』では、妻と子に注ぐ愛情が惜しみなく語られている。生まれてくる子供に捧げられた詩「誕生・史遠へ」は素晴らしい。
「君が生まれる日 新しい若い母 まゆみは泣くだろう/君も泣くだろう/父である 僕も泣くだろう//やがて君が大きくなり/世界に本当に生まれ/世界のために泣く日のために」
心からの大きな祝福と共に、予言される悲しみがあり、この子の内に目覚める慈悲がある。現実の誕生と同時に、「世界のために本当に生まれ」というもう一つの誕生が予測されている。信仰のための誕生なのか、社会的な誕生なのか、いずれにしてももう一つの誕生のあと、この子は「世界のために」泣く日が来るだろうというのだ。この一篇の中でも、「世界」は伸縮している。「世界のために泣く日のために」と生まれる前の子に呟くとき、井上さんはきっと、「私がそうしたのと同じように」という言葉を行間に隠していると思われる。「私が世界のために泣いた」という思いが、生まれ来るわが子への祈りになっているように感じられるからだ。そしてまた、井上さんがそのために泣いた世界とは、愛する妻と自身の間に生を得るわが子に他ならないのではないか。私が、君の誕生を泣いて迎えるように、君もまた君の子供を…というような果てしない感動の循環を感じさせる一篇だ。
 「永遠・はる」の中でルビを振られたフレーズ「多者である自分」というのは、自分自身の中に様々な存在を見出しているのだろう。別の作品に出てくる「ちぎらさん」というホームレスのクリスチャンや特養老人ホームでの研修で下の世話をした意識も幽かな老女も、また外国での生活で巡り合った多くの人たちの一人一人も、作者の中に在る。自身を大事に思うように妻を、子を愛し、妻子を見つめるように他者を見る作者のまなざしはいつも暖かい。
 
 第三章『世界』ではオランダ、ロシア、イギリスと多くの国が舞台になる。八年間のロンドン生活と後書きにあるから、そちらでの経験から紡がれた作品だろう。
「和蘭任侠」はリズムがあって面白い作品。「義理に厚いたあ
日本だけじゃねえやい/和蘭任侠 風を切る」と始まり、「任侠すなわち いつくしみよ//てやんでい」と結ばれる。
義理人情と慈悲とが軽やかに交叉する。地球の中心に内核があるように作者の人格の中心に、〈いつくしみ〉があるのだと思う。
「M・G先生に捧げる」というサブタイトルのついた「数時間と数週間の叙事詩・豚カツの灯」は、深い恩を感じる先生との心の交流をモチーフにしている佳品だが、その中に、自身を見つめたこんなフレーズがあって目にとまった。「僕はといえば/生き延びるために 神に 文学にすがりつき/ワーキング・プアの中/神の涙として 与えられ そして与えられ/生命を賭けた分だけ/他人を傷つけて廻る 回転木馬」。「生き延びるため」「他人を傷つけて廻る」などの言葉の伝える心のすさみを「神の涙として 与えられ 与えられ」という言葉が深く大きく包み込んでいる。
 
 第四章『物語り詩』は、「深い森の眠りのバク」「涙をあつめる天使」という二篇の、改行された童話と言うべきもので、第三章までに垣間見られた切実さは影をひそめている。しかし、分かりやすいキャラクターを登場させて語らせる物語りは、いつくしみの心を伝えるものであることに変わりはない。
ありったけの力で今を生き、未来を祈る姿が、作者の作品にある種の普遍性を与える。ここで私は、序詩を読んだ時に感じぶら下げたままの疑問に立ち返る。慈しむ思いは、誰かの悲しみのすべてを汲みつくすことができなくても、その悲しみの奥に差しいる一条の光を胸に焼いて、ありったけの力でその希望に微笑み返すことなのだと、作者は言っているような気がしてきた。多くの社会的事象や悲しみに全身がまみれても、井上さんの詩の心は、その作品に書かれた神の涙のように穢れない清浄さをたたえている。その祈りの姿が、黒い表紙に嵌めこまれた一葉の写真―ボア地の袖口からのぞいた赤ちゃんの小さな手が大きな手の小指に触れている写真―に見てとれるような心地がして、私は少しだけ充たされた思いの中でこの詩集を閉じた。

キズナバコ http://kizunabako.net/ 詩誌コールサック71号 好評発売中
 
<a href="http://neyers.main.jp/kizuna/inoueyu.html">井上優特集ページ!絵本も好評発売中!</a>
 
日本詩人クラブ
   http://homepage3.nifty.com/japan-poets-club/
 

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