寄り添うこと・母性愛の世界原理へ
井上 優
社会的に弱い立場に追いやられた女性に寄り添い、こどもに寄り添い、社会に問う、やさしくしなやかに力強い詩集だと感じました。
あとがきにある『大人を棄てて世界に出ていきなさい』というフレーズが印象に残りました。精神的鎖国状態にある日本に於いて中村純さんは、頂いた手紙の中の詩句「風よ吹け 美しい彼方に」と力強く詩(うた)っているのです。
中村さんの大人・社会に対する改革の意思と、母としてやはりやはり一人の大人としての自分もいるというスタンス。それは自分はどうなっても、こどもだけは何としても守るぞというスタンスでしょう。その根底にある精神は、サクリファイス自己犠牲による愛でしょう。それが随所に表れ、良質の香気となり、詩の馥郁とした薫りに昇華した詩集だと思います。
私の好みでは、『はだかんぼ』の”ほわほわ眠る”という表現が優しくて好きです。赤ちゃんの擬態語・オノマトペを超えて、人間本来が持つ柔らかな肌の匂い・魂の香りのメタファーのようにも感覚されます。
より柔らかなものの方へ子供に寄り添う方へ、新たなるフェミニズムの根幹理念は“母性回帰”でありそこに留まらず、“母性愛を世界意識の支柱にしようという運動”のように思えます。その運動の中にあって自ずと詩語も丸みを帯び、時代という壁が疎外して更に悪化させている精神の貧困への直截的アプローチになっています。その中で練成された詩語は、心への母乳を芳醇に含み、読み手の心を潤沢に潤します。
その当然の結果として、旧来のフェミニズムに見られる男性への攻撃性は無くなり、あるいは転化して男性を真の意味で守るという境地に止揚されています。『男を守れ』という詩に代表されるように、被爆手帳を持ち福島第一原発で働く男たちを「あれは私の息子ではなかったか」「あれは私の夫ではなかったか」とリフレインの中で、気遣い・思いやり・愛おしむ。
世界原理が母性原理で動けば、戦争は無くなり、核兵器も廃絶され、循環型自然エネルギー文明は成就するはずだと気付かされます。
放射能問題が大きくクローズ・アップされ、更に従軍慰安婦問題、母による子供殺害に対する温かな目、自分がクオーター・コリアンであること、問題は多岐に渡っているように思えます。しかしてその底流を脈々と熱く流れるものは、精神的マイノリティーだけが有することの出来る、現文明に対する懐疑のみならすプロテスト精神でしょう。更にその情熱は灼熱の体温ともなり、新たなる文明を恣意し志向する力強い愛へと変容を遂げています。
中村さんの詩集の随所に散見される「許してくれとは決していわない」という詩句に見られる言い訳をしない潔さに、その秘めたる決意を見ることができます。
タイトルに要約されているように”はだかんぼ”とは、人間の生まれたばかりの無垢な姿、人間の内面をあらわに描く・抉るの意味で裸にする、という一つの”ことば”の意味の多重性を詩集全体の内容の表象に敷衍する行為のみならず、”人間存在の根源的姿”に立ち返る行為そのものとも取れます。
それこそが、新循環型自然エネルギー文明の成就のみならず、人間が人間性を取り戻し、より人間らしくなるために他者を慈しんでいくという本来あるべき文明への方途ではないでしょうか?
そのことは、序詞 水底の家族―東北の海の底に在る、懐かしい死者たちへーにオマージュとして暗示されています。以下引用です。
さかさに雨の降る水底の食卓よ
赤ん坊のやわらかな足の裏に触れて
乳を与える母の安堵
見つめる父の静謐な幸福
つつましくはじまったばかりの 家族の時間
津波にはぎとられ 放射性物質の雨が降り
探し出してあげることもできなかった。
港に放置された魚の匂いの風が吹くとき
海の底に家族の幻影を視る
それ故に、中村さんらしい詩集に仕上がっているとの感慨がありました。
大上段に構えず草の根的に運動してゆくという、中村さんのスタンスが詩集という形で結晶した、血の涙の結晶である大粒のルビーのような詩集です。
悲しいニュースばかりが叫びのように聞こえてくる、目を覆い背けたくなる日本の社会・現実の中で、性別・世代を超えて読んでもらいたい詩集です。
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