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自然の摂理が存在しない時代
井上 優
いささか旧聞に属するが、ロンドン留学時代の最大の事件は『狂牛病』だった。連日、テレビはこのニュースとコメント、そして政府による公式見解と注意でもちきりだった。自分達に直接関係するせいか、慣れっこになってしまったIRAのテロよりも、イギリス国民は恐怖に慄いていたように思う。このニュースに比べると、ダイアナ妃事件の取り扱いは小さかったなと感じる。何故これほどイギリス人は、この問題を大きく討議したのだろう? 察するに、中世ヨーロッパを席捲し、人口の三分の二を死に至らしめた『黒死病』の恐怖が、民族の記憶となっているらしい。 イギリスでは、どの部位に危険性があるとか、感染経路、感染者数の予測、感染力などがメインの問題となっていた。話題性が弱かったが、このニュースで個人的に驚愕したことがある。 『草食である牛に、豚や鶏や羊の肉を与え、更には共食いをさせていた事実』だ。 正直、人間は営利追求のためには、ここまでやってしまうものなのか! と悲嘆に近い感情さえ覚えた。草食動物が人間のちょっとした関与で肉食動物になってしまう。 飼料として、肉骨粉を与えるという形で。 “自然の摂理など存在しない時代”。モラル・ハザードの域はこれほど凄まじいのだ。 そしてこれは表象として現れた、氷山の一角に過ぎない。 人ゲノムの解析さえ2003年に終わり、最近のニュースは更に進展し、牛の皮膚細胞をクローニングした『クローン牛の安全性について』に移り変わっている。 菓子の箱などに『とうもろこし(遺伝子組み換えでない)』と、但し書きがある時代。 「もうどこかの国でクローン人間が誕生している、きっと。」そう呟かざるを得ない。 ウィルス細胞に、人間の正常な遺伝子を運ばせる『遺伝子治療』も始まっている。代替臓器を万能細胞から造る『臓器畑』も実現化が急ピッチで進められている。細胞・遺伝子レベルで“不死”を目指す研究さえ進んでいる。 “自然の摂理の存在しない時代”に“自然であるべき人間感情”を捉え、いかに叙情詩を継承し、また新たな時代の新しい叙情詩を打ち立てていくべきか? 詩人が自己内部に沈潜しているだけで詩を創れた時代は、ずいぶん昔に終わっている。 |

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