Tさん
Tさんが貼り付けてくれた、神父さんの記事読みました。
そう「まだ途中」なのよね。。。きっと。
とても意味の深さを感じさせてくれる言葉ですね。
私の所属する教会での、女性の自死はただ若いから残念とかではなくて
なぜ私が彼女にもう一言、突込んで話しかける事が出来なかったのかしら?
という後悔の気持ちが強くあるからなのです。
彼女が亡くなる5日程前に礼拝があったのですが、彼女はそこに参加していました。
そして、記念撮影の時私の横に立っていたのです。それが悲しい最期の写真となってしまいました。
彼女はシャイな人で、はにかんだ笑顔がとてもステキな人でした。
私にもどこか遠慮がありました。私は彼女にどのように受け止められているのかしら?
という不安ももちろんありました。
そのために私から積極的に彼女に話しかける事が出来なかったのです。
私は彼女を助ける事が出来なかったことに対して、自分で自分を責めました。
もし、もう一言か二言、私が話しかけていれば、彼女は「まだ途中」であることに思いを及ぼす事が
出来たかもしれません。
彼女の自死は、私にたくさんの涙を流させました。本当にやるせなく哀しかった。。。
私も私自身の事で、重症の鬱状態になり、自殺を試みたことがありました。
幸いにすべてが失敗に終わり 、私は今こうして生きています。
癌を患い、余命の宣告を受け、抗がん剤を打ち、大きな手術を乗り越え命をつないできました。
この間私は「命の持つ不思議な力」のようなものを感じました。
いまだにうまく説明できないのですが、
この「力」は、神から生まれたものだと私は信じています。私は、それまで自分の内に抱え込んで
決して人前では表現しなかった私の「性」について、カミングアウトすることを決意しました。
そうしたらなんという「心の解放感」を味わう事が出来たことか。それは想像以上の喜びでした。
「私は私として生きる」という喜びをやっと手に入れる事が出来たという「開放感」です。
それはもはや後戻りすることなどできないものです。
Tさんは今でも時々「楽になるなら・・・」と考えることがあると書いていましたよね?
そんな時は私に話をしてください。何の解決にもならないでしょうけれども、そんな力はもとより
私にはありませんけれども・・・。それでも私に聴かせてください。。。
もう友人の自死による涙は流したくない、、もう、そう、できれば・・・
おかしなことばかり書いてしまいました。許してくださいね。
Tさんに神様の豊かな祝福がありますように! また、健康が支えられますように!
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