|
暦は長月、9月といえばあの機関車の終焉の時をどうしても思い出してしまうのです。 そして昨日お見せした普段着の彼らの姿にまたちょっと火がついてしまった感じ 今日は「モノクロネガ」の書庫から、壱ブロが始めて行った碓氷峠を昭和52年のものです。 もうヨコカルに関してクドクド語るのはよしましょう、あの日の驚きや喜びを時系列で並べてみます。 初代師匠に連れて行ってもらっています、中学1年のGWでした。 169系急行信州で横川に入っています、ここでまずは横川駅をちょろっと撮って次の各駅停車で軽井沢へ 最初に撮ったのはこれでした http://www.lifeshot.jp/files/photos/1138780521/1157175552_o.jpg クハ85 100番台、サハ車からのクハ車改造です、スノープラウがかっこいい。 車内に乗り込み、運転席後ろからもう一枚 http://www.lifeshot.jp/files/photos/1138780521/1157175553_o.jpg まもなくロクサンの連結、隣にはEF62が待機中、そう80系も峠を越えていたのです。 悲しい事にこの80系に乗車した記憶がまったくありません 軽井沢に着きレンタサイクルを借りたのを覚えています、最初に向かったのが矢ケ崎。 矢ケ崎が下り勾配入り口、ここの横にはまだこれが残っていました http://www.lifeshot.jp/files/photos/1138780521/1157175554_o.jpg 矢ケ崎変電所跡、そうあの丸山変電所跡とかなり似た建物。 このアブトの遺構はかなり早いうちに姿を消しました、理由はちょっと不明です。 ココの坂道の険しさを目で見て知ったのがこのシーン http://www.lifeshot.jp/files/photos/1138780521/1157175555_o.jpg 普通列車の位置と先頭のEF63の位置関係を比べてみてください 新線の試運転の時、ここの坂の入り口で客車の床下が線路に接触した事例もあったとか。 「碓氷は坂を下りるほうが大変」と手記で読みました、僕らの想像を絶するご苦労だったと思います。 この頃の普通列車は客車が多かった記憶です、電車は115系と80系、あまり見かけなかった。 横川へは「急行信州」を一区間乗った記憶、急行料金100円だったかな。 この時のお昼は軽井沢で買った「峠の釜飯」、もちろん車内で食べました、「釜飯」デビュー。 やはり丸山へ行っています http://www.lifeshot.jp/files/photos/1138780521/1157175556_o.jpg 当時は単機回送というか重連単回がたくさんありました、ロクサン重連・4重連、ロクニが入る3重連・5重連 客車も貨物もバンバン走っていました、EF62もたくさん活躍の場があった頃 さてこの場所、ヨコカルがブレークする頃には絶対NGの場所でした まだココに立つことが許された時代、当然お仲間も一人もいなかった http://www.lifeshot.jp/files/photos/1138780521/1157175606_o.jpg 丸山変電所跡の屋根もまだそれほど朽ち果てていない 旧型客車の後追い写真はあまり撮りませんが、ここは違う http://www.lifeshot.jp/files/photos/1138780521/1157175607_o.jpg 編成半ばから急勾配に入っているのがわかりますね そう丸山変電所跡前って最後の速度を稼ぐ地点でした、ここでのロクサンのブロアー音は忘れない。 13歳で始めてみたヨコカル、それはそれは衝撃でした 地元で京浜線103系を風のごとく追い抜いていく「あさま」が ドデカイ電気機関車2両に守られそろりそろりと峠を上り下りする姿は信じられなかった。 何もかもがカルチャーショックだった碓氷の峠道だったのです。 ココの復活、昨日も書きましたがやはり楽しみであり・ピンとこなかったり・・・・まだ消化できません
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



