壱ブロIII

トラックバックの際はコメントで一言お知らせください。コメントにはログインが必要です、ご了承ください。

モノクロネガから

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全14ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

今ここに1冊の古い「鉄道ファン」誌があります、1979年1月号。

特集は「電車特急20年史」表紙は『いしかり』HMの新車・国鉄781系、

裏表紙ではモードラを装備したCanonA-1の広告 なにもかもが懐かしい一冊です。


この1冊の中頃やや後ろに「鉄道ファン/キャノン・鉄道写真教室」の報告とその参加者の作品が載っています。

そう・・・実は僕の写真も載っているのです、今回はこのときの事を。


この頃 交友社「鉄道ファン」主催の少年写真教室が毎年開催されていました。

毎回この日のための特別列車をチャーターしていただき、

今で言う「フォトランバイ」とはちょっと違うのですが、希少な車両を撮影させてくれたのです。

どの回も凄く楽しそう、参加できたらなぁ〜で毎年見ていたのです。

参加資格は中高生のみ、ハガキで応募抽選、中学2年の時ダメ元で出したハガキが当選、

念願の参加者になれたのです、確か・・・補欠でした。


キャノンと「鉄道ファン」が主催、後援が鉄道友の会でした。

講師が廣田尚敬さんと宮澤孝一さんでした、どちらも雲の上のような存在のお二方。


取手集合でこの日は関東鉄道の撮影会でした。

まだ筑波線も健在、現鹿島鉄道も「関東鉄道・鹿島線」の頃です。

最初の撮影は水海道の車庫、ここでDD502を引き出してくれての「形式写真撮影会」。

このDD502のカットが廣田さんに選んでいただきこの誌に掲載されたのです。

なぜ?これなのかは今だわかりません、ちゃんとした形式写真ではほかの方が出てますし・・・。

きっとバックの倉とのバランスかな?と思っています。

いやらしい・自慢げな言い方になりますが、初めて僕の作品(?)が世に出た瞬間なのです。


この回の目玉は筑波線のキハ461とデッキ付のキハ541の特別手配列車でした。

これを筑波山バックで撮らせていただいたのです。

どちらもすでに第一線からは退いていて、今回特別に整備していただいたとのこと。

特にキハ541は関東最後のデッキ付の気動車との説明を受けた記憶があります。

2・3枚目がその時の写真、どちらもいい気動車ではないですか。

これが我が手元に残っている事に物凄い喜びと、感謝の念にあふれています。


廣田さんに初めてお会いできた時でした、みんな廣田さんの写真集を持参してサインをもらってる。

シャイ(?)なこの頃の僕はそんなことできない・思いつかない。

筑波山バックでチャーター列車を仲間も作れずポツンと待っていると、廣田さんが

「ニコマートELかぁ!キャノン主催だぞ!!」なんてジョーク飛ばしてくれて

「電池だけ常に気をつけなさい、このカメラはある日突然電池がなくなるから」なんてアドバイスくれて・・。

もちろん「ハイ!」としか返せなかった。


鉄道友の会の理事だった宮澤さんもたくさん声をかけてくれました。やはりカメラの事

「ニコマートELですか!いいカメラですよね、レンズは何本持ってきたの?」

「105mm持ってるんだ、僕も持ってるよ。僕は135mmがヘタクソでねぇ。」

そんな会話をしていただいたのを鮮明に覚えています。


中学生は4〜5人だったのかな、みな高校生だった感じ。

この時参加した方々は今頃何なさってるんだろう?願わくば今でも線路端に立っててほしいな。


関東鉄道も筑波線は国鉄終焉と同じ日に歩を止めました。

この鉄道を撮れたこと、今すごく喜んでいるのです、

そしてこの日が僕のこの趣味で大きな一歩として残っているのです。

イメージ 1

イメージ 2

もう一回昭和54年頃の江ノ電を、今回は600形です。


これ元は東急玉川線、現世田谷線の80型なのです。

ここらの経緯は有名なお話、渋谷の街を走っていたことになります。

僕の世代で東急玉川線がR246を走っていたのを見れたギリギリの世代だと思います。

ただ埼玉県民の子供には無理な話で、伝説の「ペコちゃん」は聞いているだけなのです。


この頃一応、600形が元タマ電であることは理解していました。

まだ世田谷線にはライトを改造する前の80型がたくさん残っていたので危機感みたいのはなかったのです。


それでもこの丸っこい車体は大好き、一番好きな江ノ電でした。

僕の中の江ノ電のイメージはこの600形とつい最近まで走っていた500形なのです。

なんといっても正面窓のデザインが素敵でした。

大きな2枚窓とその横の小さな2枚窓の正面4枚窓、しかも上部の角のR処理。

こんな小さなオシャレさが粋でした。

1台だけこの窓がHゴムに改造されたものがいました、

今世田谷線宮の坂駅横で保存されている601号。

これが来るとガッカリしたのを強烈に覚えています。


一枚目は七里ガ浜あたりでしょう、雰囲気かわってませんね。この頃もポクポク歩いていました。

2枚目は長谷、あの頃流行ったと思われるコートを羽織る女性が写ってます。

こういう風俗が写ってると20年経つと楽しいものですね。鎌倉を歩く女性はみなオシャレでした。


この600形の印象は強く、江ノ電から姿を消した後は

丸っこい車体と正面窓のデザインを500形にその面影を求めました。

500形の晩年、その思いが高じて追いかけた事があります。

ピンクの塗装もプラレールラッピングも興味本位ながら喜んで撮ったものです、

近い時期にこの500形もご紹介したいと思います。



3回に渡って古い江ノ電を登場させてきました。

古い・ヘッタクソな写真の連続お許し下さい。

中学3年のレベル、とは言え今の中学3年のほうが上手でしょう。

この頃、「ピントがあってる」だけで上手い写真だったのです。

無念にもピントのきていない・手ブレの餌食になったカットにはいい電車いっぱい写っています。

こればかりはもう取り戻せない事、しかしこれが自分の歴史でしょう。

一眼レフにAFが搭載されたのはこの後7年後、AF機を手にした今でも手ブレやってます。


300形が最後の旧型電車になりました、それもかなりの少数派。

縁遠く最後は見届けられませんでしたが、これからも江ノ電には通うと思います。

電車がコジャレタかたちになっても、沿線の風景はあの頃のままが多いから・・・。

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 2

昭和54年頃の江ノ電を続けましょう、今回は801と107号を発掘しましたのでこちらを。


まだ801が走っていました、これは「+50番」ではなく801+802という番号付け。

僕は見ていないのですが、これが「チョコ電」の元祖なんだそうです。

ネットで調べてみると、まぁ流浪の人生とでもいうんでしょうか、経歴がすごい。

元は峡西電鉄(山梨電気鉄道)の電車、上田丸子電鉄を経て江ノ電に来たものでした。

当時はそんなこと知るよしもなく、「ただ1つの800形」という程度の知識でした。

それでも沿線で撮っていて軽い丸みを帯びた300形連続の後、

直線的なデザインの800形が来ると嬉しかったものです、少数派が撮れた!」とう喜びでした。

この電車、今でも現存しています。故郷の山梨で静かに余生を(?)すごしているようです。


極楽寺の車庫にも必ず立ち寄っていました。

まだ中学生の知恵だったのでしょう、正面きって見学の申し出をするでもなく、

見える範囲で写真を撮ったり・眺めたり程度の行動。

一般人がギリギリ入って行けるところに107号がいつも停まっていました。

さすがにこれが走っているところは見たことありません。

それでもビューケル上げてるところを見ると、構内では動いていた一応現役の頃でしょう。

自社で保存している108号ではない107号の方が撮れていることに、今喜びと驚きを感じています。

その今でも線路の上にいる108号は江ノ島駅に停まっていた記憶があります。

そして木造だった建物も時代を感じます、なにもかもが昭和の香りですね。


当時のカメラはニコマートEL、レンズはニッコールではなく「日本光学社」製。

今、プレミアのついているという「イエローコーティング」と噂されているタマでした。

モノクロでのコントラストのよさはまさに「イエローフィルター」いらず。

ただカラーネガはキッチリ黄色が乗っています、ピントも僕が合わせれればキリっとした描写。

いまでもボディーこそデジタルに変わりましたが、マウントは同じFマウント。

ちょっと手元に取っておけば面白かったのに・・・そんな事考えています。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

またあちらの方面から残念な知らせが舞い込んできました。

今月いっぱいで江ノ電304+354(304)形の廃止とのことです。

元「チョコ電」の方が最近ではとおりがいいかもしれません、また300形が減ります。

また化石のようなネガの山から304形の過去の雄姿を探して見ました。

「壱ブロ」名物(?)古ネガものです。


今回の写真の撮影時期が特定できません、すいません。

ただ前後のカットの様子と極楽寺の車庫に1000形が写っているので昭和54年でしょう。


ぱっと見て現在の姿と印象が違うと思われるでしょう、この頃ヘッドライトがオデコ1灯でした。

このネガに写っている600・800形も1灯ライト、301形は2灯になっていました。

どうやらこの頃からライトの改造が進んだようです。


106・109形からの大改造で連接車として生まれ変わったと紹介されています。

106・109形を見たことないので「単コロ」108と同様の姿からだとしたら

大変身してることになりますね。


この頃の江ノ電のメインはどの電車だったのでしょう?

ネガに写ってるのは300形が2編成、600・800形が一つづつ。この4編成で1日まわしていた様です。

そう考えると、やはりこの頃300形がメインだった事になると思います。

ただ、僕の好みとしては600・800形の方が好きでした。


1枚目の豪快な画面の傾きはお許し下さい。

たくさん人が写りこんでるので選びました、人々の服装が昭和だな・・と思っています。


そして、やはり腰越で撮っています。この頃から(中学3年)ここだったのです。

自分の「進歩のなさ」か「不変の好みか」はわかりませんが、必ず訪れるところなのです。

家並み・商店もずいぶん変わったのがわかります、2枚目左の平屋の魚屋さんも

3枚目右のクリーニング屋さんも建物は変われどまだこの地で営業してると記憶しています。


正直な所、300形は一生懸命撮るようになったのはつい最近のことです。

当時はもっと魅力的な車両がガシャガシャいたのです。

まだ4両編成がなかった頃、ドラマの舞台になった極楽寺は観光客多かった記憶がありますが、

江ノ島・長谷あたりは閑散としていた。

腰越もごくごく普通の商店街でした、お仲間を見かけることは皆無だったのです。


これで残る300形は2編成になります、江ノ電の旧型(?)もいよいよということでしょう。

それでも残る車両もなかなか魅力的な姿、10・20形のツートンは好きな塗装です。

まだまだ、ここには通いたいです。もちろん腰越で「鯵のひらき」を買うのも楽しみなのです。


僕が最後に撮った304形はこちらで
http://blogs.yahoo.co.jp/yuiccyan1964/7246415.html

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

もう少し「ブルトレブーム」の頃を続けます、モノクロの似た画像ばかりお許し下さい。

今回は華々しいブルトレの脇にいた電車達の登場です。

今思えばこれまた懐かしい面々がEF65やブルートレインの隣に点在しています。

どれも過去帳入りしたものばかり、その中から3点選んでみました。


157系「あまぎ」です、これは自分で見ていても懐かしすぎる電車です。

「電車」らしい姿で大好きでした、地元でも「白根」「そよかぜ」などの臨時で走っていました。

もうこの頃最後の活躍だったと思います、これを撮ったのが昭和50年。

52年のネガには183系の「あまぎ」が写っていましたから、ギリギリ見れた電車です。

皇室用電車クロ157の存在もありこれで有名かもしれません、でも僕は見たことありません。

話は前後しますが、185系電車が登場した時、その正面窓の配置にこの157系の面影を感じました。

しかも伊豆への特急用と聞いてなおさらだったのです。

ですから逆説的かもしれませんが、185系は好きな電車なのです。


写真を見ると隣は20系出雲、ホームではギターを持つ人が写っています。

街中でギターを弾く人がいた時代・・・なのです、これ結構いました。


2枚目は167系修学旅行用電車、その奥にはクモニ82(?)が停まっています。

これは臨時急行「伊豆」だったと思います、

修学旅行のない年末年始・お盆の頃などは伊豆方面へ臨時急行でよく走っていたものです。

もちろんあの黄色とオレンジの塗り分けのままでした、

モノクロだとわかりずらいとは思いますがクモニが湘南色ですのでトーンの違いで判別できると思います。

モノクロ写真って不思議で、撮った本人や知ってるモノだと見た瞬間色が浮かぶんです。


忘れてはならないのが東海道新幹線、もちろん0系しかいません。

実は自分東海道新幹線と同い年なのです、去年の10月の「開業40周年」は

ちょっと複雑な心境で見守っていました  「40歳になっちまった・・・」

ちょうど新幹線のホームの増設がありました、51年に完成したと記憶しています。

この新ホームからブルトレ到着ホームが見下ろせて、新たな撮影ポイントになったのです。

先の167系のカットもここから撮りましたし、

第2回目のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/yuiccyan1964/188960.html)のカットもそうです。


もちろん振り返ればずら〜っとならぶ「丸いお鼻」の0系達。

全ホームに並ぶジーンはありそうでなく、この時「あっ!並んだ!」で撮ったものです。

正直言えば0系新幹線は「守備範囲外」の「興味の対象外」でありました。

それでも撮っておいたこのシーンにちょっとホッとしています。


この頃の東京駅で撮った写真の70%がブルトレでした、残りがこうした電車達。

もう少しゆとりや余裕があり周りを見渡せたらよかったのに・・と思っています。

撮り逃した電車たくさんあります、思い出せるのは153系、111系、103系、101系・・・

現存する電車もいますが当時のオリジナルの姿を残したかった。

何もかもが幼稚な・幼い感覚だったのでしょう。

次回、もう一回懐かしい電車を振り返らせてください。

全14ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
壱ブロ
壱ブロ
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事