壱ブロIII

トラックバックの際はコメントで一言お知らせください。コメントにはログインが必要です、ご了承ください。

モノクロネガから

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

今日は「モノクロネガ」の書庫から、77年の伊豆急下田駅のものです。

中学2年まで写真部に所属していました、その夏合宿に行った時撮ったもの。

183系「あまぎ」もピカピカ、隣にいるのが167系臨時急行「伊豆」だったと思います。

167系は修学旅行用電車なのですが、夏や年末・正月の修学旅行オフシーズンには臨時列車として使用

これはカラーで残したかったコマになりますね、でもトーンで湘南色とは違うのがおわかりいただけると思います。


なんとも懐かしかったのが2枚目の列車案内板、幕式のものです。

これJR(元国鉄)では見なくなりましたね、みな電光掲示式に変わってしまいました

東京・上野・新宿なんかにもたくさんあり、列車が出発して次の表示になるのを嬉々として見ていたもの

混ざってるんですよ、廃止された特急名とかめったに見ない列車名が、くるくる回ってるの楽しかったものです。


このネガシートには3枚目のカットに目が釘付けでした

たぶん国府津じゃなかったかな?御殿場線で活躍したD52の倉・ラウンドハウス

乗車中の車窓から撮ったもの、窓ガラスの反射写りこみはご愛嬌

重厚なつくりですね、ここにD52がずら〜っと並んでたかと思うと鳥肌たちます。

すでに使用していなかった様子、ターンテーブルも撤去済み

排煙窓や後方壁のかまぼこ型窓がなんともおしゃれ、自分の中ではよく撮ってあったと思える1枚なのです。

開く トラックバック(1)

蒸機とモノクロ

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

先月は月一回の蒸機のノルマを果たせませんでした、その分10月にイッパイやたから。

今日は「モノクロネガ」の書庫から、平成2年2月の磐越西線・中山宿スイッチバックのD51です。

復活蒸機から撮り始めた者にとって一度はモノクロで汽車を撮ってみたかったのです。

ましてや雪景色、一応役者は揃っていたし・・・

でもやっぱり見る目がモノクロじゃなかったんでしょうね、いつものように撮っていました。


中山宿のスイッチバックは大好きでした、いいポジション取れればシャッターチャンスは倍増

この時も目の前を行ったり来たりするD51に似たようなアングルで何枚も撮ってありました。


汽車の撮影の時、どうしてもキャブを撮りたくなります

でもどういう訳だか助手席側が多いんですよね、運転手側って少ないんです

この時は運良く運転手側から撮れました・・・が!

警備の添乗員さんの敬礼&ゴーグルに持っていかれちゃいました。


蒸機とモノクロ、黄金の組合せでしょう・・・

でも、それに寄りかかってはいけない、

モノクロは情報が少ない分しっかり主題を見せないと意味がないものと思います。

写真の基礎中の基礎が求められる表現なんですね。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

今日は「モノクロネガ」の書庫から、また現像練習時代のものです。

これはGWじゃなかったかな?89年だったと思います、地元でのもの

気持ちアンダー気味、スキャンしたら恐ろしいほどのハイコントラストになっていました。


ここでの夜汽車たちの姿は何度もお見せしているので、今となっては懐かしいのを3つ並べて見ます。


なんと言っても1枚目の20系客車でしょう、臨時急行「竿灯」もしくは「おが」じゃなかったかな。

まだカニ(カヤ)21の最上部に白線が残っています。

これEF65(古くはEF60)の特急色とラインの高さが揃うんです

だから20系3本ラインは「The編成美」なんです。


もうひとつ懐かしいのはやっぱりEF62、急行「能登」です。

高さの違う座席車と寝台車の14系編成、旧客・雑客時代のような凸凹さが好きでした。

確か3段式B寝台だったんじゃないかな

以前も書きましたが、EF62はEF63の陰に隠れて動態保存されなかった峠の機関車

大好きだった機関車、やはり横川で保存されている試作車トップナンバーより

量産型のほうが馴染みがあるもんです。



そして・・・、やっぱり最近103系を素通りできないんですよね

これをプリントした頃はEF64「北陸」がメインでしたが、

今は完全に逆転しています、103系がメインでスキャンしています。


この頃のモノクロは「モノクロでなきゃ」という理由はありません

己の練習用というだけ、モノクロが新鮮に見えていただけの事でした。

八高線・ススキの頃

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

今日は「モノクロネガ」の書庫から、92年11月の八高線です。

これも現像練習時代のもの、練習用だと馴染みの所が多いのはしょうがないことなのかもしれません。


30代の頃は時間があるとついつい八高線にハンドルを向けていました。

自宅からもちょうどいいドライブコース、なによりDD51の重連が多かった 一石二鳥のプランなのです。


「鉢形城の築堤」と呼んでいた荒川を越えて最初の急勾配は大好きなところでした

25/1000とあってDD51重連も大力走、エンジン音も排気も高らかに上がった。

それにしてもDD51重連カッコいいっすね、自分で言うのもアレですけど、

次回の「カラーポジ」書庫でも八高線DD51をやりましょう。


この時の沿線はススキが満開でした。

ススキは逆光がいいですね、鉄則かもしれません

2枚目を撮った時ススキの輝きを入れ込まなかったのを大後悔したのを覚えています。

あんまりにも悔しいので、竹沢〜折原のサミット近くのススキ群れに向かい

斜光になるまで待って撮った3枚目です。

この時のレンズはゾナー135mmだったかな、ピントが決まらず焦った事も覚えています。

キラキラ輝くススキほどピントが難しいものはないんじゃないか?そんな事を思っています。

イメージ 1

イメージ 2

久々に古いネガに戻りましょう、「モノクロネガ」の書庫から また・・鶴見線です。

例の白黒現像練習時代のもの、90年前後だった記憶です。


この時メインはこのクモハ12ではありませんでした、お目当ては101系だったのです。

すでに鶴見線内では3編成までに激減していて、最後の姿になる前にと訪れています。

普段の行いなんでしょうね、101系は撮れませんでした、全て弁天橋車庫の中・・・


それでもこんなのが撮れています、大川支線から出て本線(?)を走るクモハ12の姿。

一時期クモハ12はデイタイムの閑散時に本線を103系3連の代わりに走っていたのです。

確かに平日お昼前後の鶴見線は103系3連でも持余す程度の輸送量、

ちょっとキツメのクモハ12で・・・そんな思惑だったのでしょう


実はこの時この事実すっかり忘れて現地入りしています。

いつまで待っても姿を現さない101系に業を煮やし弁天橋を覗き込んでいる時に登場

肝心の101系はクモハ12の背景になっています。


コレの折り返しを大川まで追かけてとった2枚目、

ホキ2200のクリーム色のボディがとても懐かしく思います、大川駅名物でした・・・。

開く トラックバック(1)


.
壱ブロ
壱ブロ
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事