壱ブロIII

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モノクロネガから

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鶴見線 旧国時代#2

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昨日に引き続き昭和52年前後の旧国時代の鶴見線です、また古い拙いネガにお付き合いください。


今も昔も京浜工業地帯の真っ只中を走る鶴見線、沿線の雰囲気はあまり変わっていないような気がします。

そしてなんとなく撮影地がないなぁ〜というのも変わってない・・、

今でこそ・モハの12の終焉の頃から200mmレンズで切り取れるようになりましたが

この頃の手持ちのレンズは50mmと105mmだけ、どこに行っても苦労した記憶があります。

多くは中学生ゆえの行動、努力・工夫もせず撮っていたのでしょうね。

なによりもこの工業地帯、どこまで立ち入っていいかがわからなかった。

踏切で撮ろうとしても、その踏切自体が工場の敷地だったり、どこの工場にも守衛さんが睨みを利かせている

いつも、そ〜っとコッソリ撮っていたぐらいの記憶です。


そんな中でも手軽に撮れたのが弁天橋のカーブ、なにより効率がよかったのです。

ここなら海芝浦行きも扇町行きも撮れる、いろんな顔のクハ・クモハを撮るにはうってつけ


朝のラッシュをここで撮り、弁天橋に戻る途中に見える弁天橋電車区、帰区した電車を撮るのも楽しみ。

入れる・見れる範囲をこれまたそ〜っと撮ったものです、近代化改造されたクモハ73も3つ並べば壮観。


最大撮りづらいのが海芝浦行き、もちろん終点は改札から出る事も阻まれる有名な駅。

それでも新芝浦付近だったらなんとか撮れます、この全金属クハ79はまんま101系顔

これが来るとガッカリだったのを強烈に覚えてます「なんだよ〜、茶101か!」


もちろんクモハ12も撮っています、こうして見ると全然変わってないんですね。

客席窓の保護棒が付いたくらい、本当にこいつが平成時代まで走っていたんだから驚きです。

この撮った場所はクモハ12終焉の頃は絶対立ち入り禁止でした。

この頃はお咎めなし、何もかもが今と違うのかも知れません、大目に見てくれてたんでしょうね。

なぜかクモハ12のカットは少ないです、それはちゃんとした計画立てていないから・・・、

アチコチ行って武蔵白石に付く頃には朝のラッシュ終わってた

スカスカの時刻表を見てガックリが毎度のパターン・・・


もうひとつこの頃の鶴見線で書かねばならないことがあります。

そう貨物全盛期だったと思います、アチコチに電気機関車が停まっていました。

明日は鶴見線で見た機関車でいってみたいと思います。

鶴見線 旧国時代#1

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昨日の飯田線ブログの最後でこんな事を書いています・・・

『きっと旧型国電に間に合わなかった事と密接に絡んでるんでしょうね、
僕にとっては「飯田線はED62を撮るところ」なのですから・・・』と

そうなんです、飯田線の旧国時代は見れた世代なのですが行けなかったのです。

中学生のお小遣いではちょっと遠かった、悔いといえば悔いですがこれも縁・運命でしょう。

ではその時は何を撮っていたか?やはり同じ旧国、鶴見線に通っていました

また古いネガの出番です、しばらく旧国時代の鶴見線をお見せしたいと思います。


行っていた時期は昭和52年前後、以前お見せした青梅線の後に訪ねています。
http://blogs.yahoo.co.jp/yuiccyan1964/20151991.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yuiccyan1964/20257609.html

青梅線の旧国はこの頃から急激に減ってきています、101・103系の進出。

奥多摩の山から追い出されるようにこの鶴見の運河にたどり着いた感じです、それでもまだ旧国天国

南武線・横浜線にも多少旧国は残っていましたが、密度が違いました。


またいつもの言い訳ですが、ここも記憶が曖昧な部分が多くあります。

印象は強いのですが、所々もしかして大切な部分かもしれない事が欠落しています。

どうか「またいつものいいかげん壱ブロだ!」と温かい目でご覧いただければ幸いです。


今も昔も最初に降り立つのは国道でした、光線がよくて手軽に撮れる。

ここのカーブは雰囲気変わりませんね(http://blogs.yahoo.co.jp/yuiccyan1964/1683099.html


鶴見川に架かる鶴見線の鉄橋は白く綺麗なアーチ橋、ここ今フェンス高くなり撮れなくなってしまいました。

いつも思ったのです 後方のマンション見て「あの屋上から撮りたいなぁ」、いい景色でしょうね。


鶴見線でも3段窓のクモハ73・クハ79が撮れています、数は少なかった記憶です。

この次にここを訪れた時にはもう見かけなくなっていたので、やはりこれから落ちていったのかな

圧倒的に近代化改造のクハ・クモハの先頭車でした、ここでもギリギリ間に合った。

そうそう、この頃も前パンを好んでいたのですが、クモハの向きがけっこうバラバラだった記憶もあります。


青梅線を見てからここに来てるので、中学生なりに目が肥えていたと思います。

近代化改造されてないのをもちろん好んだのですが、時代がそれを許さなくなっていた。

もう旧国ならなんでも撮らなければ・・そんな雰囲気になりつつありました。

季刊だった「鉄道ダイヤ情報」でも「南武線であと○編成」「横浜線はいよいよ○本」そんな情報が入ってくる

それでもお仲間は見た事なかったなぁ、いつも昼間の閑散とした工場地帯にポツンと電車を待つ中学生でした。


もう少し鶴見線の旧国時代を振り返らせてください

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こんにちわ壱ブロです。

本線では90年代前半の磐越西線を続けています、もちろんメインは雪中力走のD51498

年度別に振りかえっています、しばらく続きますゆえ どうかご覚悟のうえ・・・(笑)


「蒸機と雪」の組み合わせはその色のコントラストから「最高!」「カッコいい!」と見えるのです。

それと同時に蒸気機関車という被写体に対してモノクロという感材の組み合わせもベストマットと

昔から言われ続けている事だと思います。


ブログ毎日更新を目指す者として、約3回分ぐらいの準備はしてあるんですね。

今日もこの先の回を準備していたのですが、出てきたんです磐西D51のモノクロネガが・・

出てきちゃったというのはちょっと表現違うんですが、なんとなく本線から外れた感じ。

このままネガストックアルバムに寝かせるのも惜しい(?)ので臨時便で急遽アップしてみます。


「雪」と「蒸機」と「モノクロ」、この組み合わせはどうでしょう?

すべて自家現像しています、フジ・プレスト400

現像液は1枚目がミクロファイン、2・3枚目がD−76だったと思います。

いやいや・・・ヘタクソですね〜、ミクロファインの方の粒子って・・・そんな感じ。

スキャナーかけると強調されてしまうかのよう、

もちろんプリントもしてありますが こっちはなんとなく眠い調子になっています。

露出も気持ちアンダー、うん?現像時の「押し」が足りなかったのかな?まぁヘタクソには変わりないですね。


カメラにモノクロが入っていても、そんなことお構いなしにスナップ撮ってるところが相変わらず。

でもキャブのアップの質感はモノクロならでは・・なのかな?なんて思っています。

「雪はどうした?」と言われればそれまでですけどね。


僕もご多分に漏れず、仕事もプライベートもデジタルがメイン、これはしょうがないでしょう。

ただ無性にネガがやりたいんですよね〜、キッチリ準備して重装備で。


ニコンの銀縁カメラ撤退、そして衝撃だったのが(あえてこの名で)コニカのフィルム撤退。

百歩譲ってのニコンの銀縁撤退はよしとしましょう(怒)、

でも感材メーカーがフィルムを止めるのはユーザーへの侮辱と思っています。

なんだか・・・究極の贅沢が「フィルムで画像(写真)を撮る事」になりそうな気配ですね。

AF全盛の時のライカM6みたい。

ネガフィルムのラチュードって大きなアドバンテージなんですけどね。

次の休みは久々F−100を持って線路端に行ってみようかな、ネガカラーを詰め込んで。

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上野口特急電車全盛期の頃を振り返っています、もう少しお付き合い下さい。


東北・上越・信越線特急の出発点だった上野駅、その発着数はまさに「星の数」

なんの考え・思想・こだわりもなくコツコツ撮っていた少年でした。

それでも目が肥えてくるとお気に入りができ、なおかつ希少性を求めるようになったものです。

中でもとびっきり存在感のある電車がいました181系、正調「こだま」形151系の晩年の姿

これには「一目置いていた」という表現がピッタリだと思います、

今回は子供心にこだわった181系「とき」を並べてみました。


すでに「とき」専用になっていました

手元のネガには「あずさ」「あさま」「そよかぜ」の愛称板を付けたものも残っていますが、

とてもとてもお見せできる状態ではありません。

「SLブーム」をリアルに体験した後でしたので

「もうなくなるかも」「これは減る一方だ」みたいな感覚をすでに持っていました。


どう見たってこれが最初に消えるな、そんな思いで選び・シャッターを切っていたのです。

なんといっても外見がボロボロだった、

ボンネットの開口部の縁に浮くサビ、

ボコボコになっているカプラーカバー、

雨どいの塗装の剥げ・・・豪雪地帯を長い間走った証なのかも。

同じボンネットでも485系とは雲泥の差だったのです、

サロ車だけ交換というのもありました、編成がサロ2両だけ車高が高く凸になってる。

そして183系1000番台の登場。

子供の幼い考えでも「これを撮っておかないと大変な事になる」と思えたのです。

上野以外の駅で走りを撮っているとちょっと年上のお兄さん方とよく一緒になったものです。

高校生ぐらいだったでしょうか、そんな先輩たちの「181系だけ撮る」スタイルを目の当たりにすれば、

あっという間に感化されたもの とにかく一生懸命撮った電車です。



181系で覚えているのが行き先表示がサボだったこと、白地に赤文字でした。

115系・165系もサボを使用していましたが、赤文字を使うのは特急の証 格調あったものです、

よく撮ってあったと自分で思っています。

サボと言えばどのホームも駅員詰め所付近にサボ置き場がありました。

主に115系あたりのものが無造作に重そうに置いてあり、

手に取って見たいのをじっと我慢し遠くから眺めていたものです。

あまりいい話ではないんですがこの頃からこういった車両部品の盗難っておき始めた記憶もあります・・・。


3枚目は大宮駅での編成写真モドキ、サロ車だけ凸を探したのですがありませんでした。

でもこれには噂のサイドミラーが残っています、これ面白かったですね、電車にサイドミラーって。

他の181系も見たのですが台座だけっていうのが多くて2つ残っているのはこれぐらいしかありません。

当時から大宮駅にはお仲間の姿が絶えなかった感じ、雰囲気あまり変わっていない気がします。

ここも機会があれば振り返りたい駅でもあります。



今度の鉄道博物館には新津に保存してある181系も来るそうですね、これは楽しみです。

再会を果たせるってなかなかない事、今からわくわくしています。

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上野駅13〜20番線 特に2階建てになる13〜15番ホームは夏蒸し暑く・冬底冷えという印象が残っています

どこか密閉された雰囲気、上ホームや同じ下ホームの16〜20番は日差しも差し込み開放的。

この空気感は今でも変わらない気がします、あの頃想像もつかなかった客車「カシオペア」が発着してもです

上野駅の2回目、下のホームに降りてみましょう。


改めてネガを見て思い、そして毎度の悔いています。ここの全体像が見えてくるコマがまったくないのです


中央改札口にずらっとならんだ木製の列車案内板、

13・14番ホームの間にあった荷物専用ホームでの積み下ろし、

駅員詰め所のそばにあったサボ置き場・・・etc


・・・どのシーンも鮮明に覚えているのですが、ネガとしては残せていないのです

小学高学年〜中学2年の感性ってこんなものなんでしょうね、

やはり魅力的な特急群を前にして駅の表情をスナップするという事は出来なかった、発想すらなかったのです

前回「雰囲気のわかるものを」と書いておきながら列車中心の画像お許し下さい。


上・信越線経由の特急に比べ東北線の特急はいくぶん密度が濃かった気がします。

途中東北線と枝分かれして目的地に向かうのが多かったからでしょう。

会津若松行きの「あいづ」、秋田行き「つばさ」、山形行き「やまばと」

これに青森行き「はつかり」、盛岡行き「やまびこ」、仙台行き「ひばり」が加わるのですから。


常磐線の「ひたち」を含めて16〜20番線が主に特急が発着していたと思います。

上記のように毎時1本ある「ひばり」「はつかり」を軸にその他の特急が合間を走っていた。

16・17番では毎時特急が並んでいた印象すらあります、文字幕時代の「ひばり」と「つばさ」

東北線での空気みたいな存在の特急は「ひばり」と「はつかり」、

昨日も書きましたがこれ以外が撮れるとちょっと嬉しかったものです。

僕自身この「やまばと」はメチャ懐かしい。

「やまばと」は奥羽線経由の山形行き、2往復あったのかな ちょっと珍しい存在でした。


「ひばり」はもう見飽きているぐらいな存在、それでも3号だけは特別でした、583系使用。

この前のコマを見ると20番ホームに入ってくる「ゆうづる」が写っています、

折り返していたのでしょうか?上野駅で寝台の解体・座席のセットをしていたのでしょうか?

尾久への回送の幕の偶然かもしれませんね、ドア横の行き先表示は「上野」のままのようです 

もう少しちゃんと見ておくべきでした。


この事実は伝えたかった、上野駅昭和51年頃には気動車キハ58系の急行列車が出入りしていた事を。

常磐線の急行「奥久慈」だったと記憶しています、水郡線乗り入れの直通急行。

DC181系「つばさ」が485系電車化され唯一そして最後に上野に乗り入れる気動車だったのです。

天井のある15番ホームではあの排気ガスの香り(匂い?)が充満していたのを妙に覚えています。


以前コメントでいただいたのですが、この頃僕は昼食どうしていたんでしょう?

何かを食べた記憶がまったくありません、

もちろん一人で立ち食いソバのノレンを潜るにはもう少しの年月が必要ですし。

まったく食べずに駅の端から端へと飛び回っていたんでしょうね、我ながらかわいいじゃありませんか。


かなり端折って・大雑把に上野駅を振り返って見ました。

「あの電車は出てこないの?」あると思います、実は駅で撮ったもの案外少ないんですね

そう・・東京駅から始まった駅撮り少年は、この後すぐに走ってる姿を追い求めたのです。

それは鶯谷や日暮里、赤羽、川口、大宮と徐々に行動範囲が広まっていったのです。

列車名別に振り返れれば、その時上野駅のものも一緒にお見せできれば・・と思っています。


過去にも20番ホームあたりを出しています、よろしければこちらも・・
181系「つばさ」
http://blogs.yahoo.co.jp/yuiccyan1964/1395223.html
「ひたち」・455系急行
http://blogs.yahoo.co.jp/yuiccyan1964/17495996.html
「みちのく」
http://blogs.yahoo.co.jp/yuiccyan1964/17590924.html


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