壱ブロIII

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モノクロネガから

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引き続き昭和50年前後の上野駅で行きましょう 駅撮り少年時代のものです。

「壱ブロ」的にはおまたせしましたかな 特急電車全盛期の頃の上野駅にお付き合い下さい。


実はこの上野駅をどうやってご紹介するかず〜っと悩んでいました。

ブログ仲間もこのテーマでたくさんの特急電車を紹介しています、

「後出し」する分同じ内容じゃつまらないですし 「壱ブロらしさ」を出すにはどうしたらいいのだろうか?

残るネガの内容はやはり皆さんと同じです、正面1発の顔だけの写真が半数以上。

ほぼ当時の全ての愛称板・幕が残ってると思います、これを全部並べても2番手だと面白くない

出した結論として当時の雰囲気がわかるものと、

珍しい車両を混ぜてギュっと凝縮して2回に分けてやってみようと思います。

上野駅の特徴を生かし、上ホームと下ホームで分けてみました

今日は5〜8番ホームから 上信越・高崎線の車両たちです。


京浜東北線沿線の鉄道好き少年には進行方向左側車窓は上中里から目が離せなかったものでした、

そのピークは東北線が併走する西日暮里から 鶯谷のカーブを越えれば

いよいよ上野駅地上ホームが目に飛び込んできます「なんかいるかな?何が停まってる?」

ここに国鉄特急色がずらっと並んでればもうソワソワそんな感じ。

でも大抵は一回通過、東京駅に向かうのです。

東京ブルトレを終わってお昼ちょっと前に上野に戻ります、これがいつものパターン。


この頃からひとつの画面にたくさん電車が写ってるのが好きで、このシーンを撮っています

京浜4番線から撮った1枚目、たぶん新車の115系1000番台を意識したんだと思います。

荷物・夕刊輸送も全盛期、5・6番ホームの東京側には荷物台車がたくさん置いてありました

一番奥にちらりと見える常磐線401系赤電と近郊電車3本並び。


165・169系急行「佐渡」「信州」あたりは5・6番ホーム、7・8番から特急が主に発着していました、

ここに「とき」「あさま」がいつもいる感じ、時たま「白山」「いなほ」「はくたか」がいる。

「とき」「あさま」は1時間に1本ずつ必ず見れる空気みたいな存在、

「はくたか」や次回出てくる「やまばと」あたりが撮れると嬉しかったのを覚えています。

北越急行開通の時「はくたか」の愛称が復活したのには驚きました、

この頃の「はくたか」も金沢行き、もちろん上越線・長岡経由、ほぼボンネット型だった記憶です。


ほとんどの写真がモノクロです、何度か書きましたが父が暗室職人だったので使うフィルムはネオパンSSばかり

それでも時たま父からカラーフィルムをもらえました。当時カラーは本当に高価!S版1枚50円ぐらいしてた記憶です

カメラも当然1台ですからカラーフィルムが入っている時は1枚1枚被写体を吟味したものでした。

この2枚目は唯一に近いカラーでの記録、同じネガシートには以前お見せした

日暮里・京成青電(http://blogs.yahoo.co.jp/yuiccyan1964/17682853.html)のシーンが写っています。


高崎線には比較的遅くまで客車使用の各駅停車が残っていました、お昼頃出発していた記憶。

あの京浜東北線4番ホームのすぐ隣からEF58原型小窓の旧客列車が発着してたんですね。

今思うとちょっと不思議な感じすらします。

この写真の中でちょっと目に止まったのが各柱についていた灰皿、これ懐かしくありません?

嫌煙なんて意識のまったくなかった頃の国鉄ホーム、

ラッシュ時の人ごみの中でもたくさんの人がタバコ吸っていたものです、

そして線路が真っ白になるくらいのポイ捨てされた吸殻も覚えています。嫌煙権より喫煙権が上回っていた時代。



さあ明日は東北・常磐線特急が発着する13〜20番 下のホームへ行ってみましょう

いつもいい匂いさせてる「立ち食いソバ」のあった中央連絡通路を通って・・・。

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昨日上野口の旧客使用の急行列車を振り返ってみました、客車というより機関車でしたね。

このままこの頃の上野駅を出入りしていた列車をもう少し見てみましょう。

客車を続けます、昭和50年頃の上野口のブルトレを またモノクロの拙い画像お付き合い下さい。


上野駅でのブルトレをサルベージしたのですが、ことの他少ないのです。

これは理由があります、その時間は東京駅に行ってたから 

東京駅のブルトレタイムを上がって上野に戻ってくるのがパターンでした。

このパターンは子供とはいえ頑なに守っていた行動だったのです。

もうひとつ上野口のブルトレは地元でも見れたから・・これも大きかった

結果、遅れで来たものがモノクロネガとして残せている状況になっています。


当時の上野口ブルトレは「ゆうづる」「あけぼの」が2大看板でした。

僕が出入りしてた頃は「はくつる」はすでに583系になっていましたし、

「ゆうづる」も7本中3本が583系だったと記憶しています。

京浜東北線沿線の鉄道好きの小学高学年生には「ゆうづる」は縁遠い存在、

でもちょっと見れています それは東大宮への回送

今回添える画像 僕の最古のモノクロネガに近いと思います 小学4(S49)年の時の撮影。

地元川口〜西川口で撮った20系「ゆうづる」回送、まだ地元の空が広い・・・

可笑しなこと・笑えることにこの跨線橋には今でも出入りしています、進歩なし。


上野〜盛岡を結ぶ「北星」というブルトレもありました、これほとんど印象に残っていません。

確か終電間近に上野を出る下り、5時台上野着の上り あまり見れなかったブルトレです。

2枚目の画像はS51年大宮駅で撮ったもの、これも遅れで来たのを撮っているはずです。

僕が上野を出入りしてた頃に急行から格上げされたんじゃなかったでしょうか。

とにかくあまり見る事のできない寝台特急でした、牽引機はEF58じゃなかったかな。


「あけぼの」は当時まだ2往復、昭和60年頃に3往復になった記憶。

これは中学1(S52)年の頃、これも遅れで来たものだったはずです、

京成電車を利用する用事があり京浜線の窓から並んでるのを見付け、寄り道して撮っています。

この隣のコマには京成電車3200形の京成荒川(現八広)駅での姿が残っていました。

上のホームに到着していたんですね、たぶん「あけぼの」の到着シーンって見た事ない、

東京駅の「瀬戸」「出雲」「あさかぜ」あたりと到着時間が同時刻だったような記憶です。



先ほども書きましたが京浜東北線沿線に住む子供だと「ブルトレを撮る=東京駅」でした。

もう少し上野にも目を向けてればな・・・なストック数になっています。

でもこれはしょうがない事だとも思っています、なんたてヘッドマーク受難時代ですから。

まったくと言っていいほどヘッドマーク付いていませんでした。

客車の種類を見なければ「十和田」も「ゆうづる」も同じ機関車が牽引、

EF80もEF65PFもみな素顔のまま先頭に立っていました。

小学生のレベルでは眩しいくらいのヘッドマークを付けていた

東海道ブルトレに傾くのは至って健全な興味だったのでしょう。

なにより上野駅は特急電車を撮るところ、そんなすり込みすらあるのです。

明日は「お待たせ」かもしれません、このまま上野駅で電車を見てまわりましょう。

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再び古ネガの出番がやってきました、昨日の「懐かしの急行津軽号」「津軽」をきっかけに、

昭和51年頃の夜行急行列車を振り返ってみましょう。


と始めたはいいのですが、かなり困っています。それは列車名が特定できないのです。

みな旧型客車の寝台車・グリーン座席・一般車有りの寄せ集め(?)、

これが「津軽」も「八甲田」も「天の川」もみんな一緒なんです

幼稚な中学生でした、メモも取ることもせずただの撮りっぱなし状態。

ネットで調べても列車名が特定できなければ役に立たないのです

すべてにおいて自己責任、毎度の感想文・資料性「0」の駄文になっています お許し下さい。



中学1年頃の撮影、数は少ないです。

やはりブルトレブームの住人には旧客やEF58にはまだ興味を抱かなかったのだと思います。

そして到着時間の問題もあったと思います、みな5〜6時代に上野到着していた記憶です。

今でこそ早起きは全然平気ですが、育ち盛りに5:30に上野に立っているって無理でした。

ほとんどが何らかの遅れで来たものを撮っているというのが前後のネガからうかがい知れます。


1枚目は確か遅れ「八甲田」だった記憶、東大宮で撮っています。

もしかしたら臨時の上り急行「八甲田51号」だったかもしれません。

当時は列車号数は上り・下りで奇数・偶数という区分はなく「上り1号」もあったのです。

先頭に立つは宇都宮機関区の小窓原型#144、晩年はHゴム化された記憶があります。


2枚目は鶯谷で撮った推進回送、列車名は完全失念しています。

今でも現役の#122、当時はこれも宇都宮区でしたので「八甲田」「津軽」もしくはその臨時あたりかな。

こちらは客車が見えます、マニ36・スロ62(?)・オロネ10・オハネ12かな・・

間違ってたらごめんなさい、ちょっと自信ありません。


信越線にも夜行急行がありました、もちろん牽引はEF62 3枚目は赤羽で撮影。

これは遅れ「妙高」だったと思います、マニの後ろにかろうじて10系寝台が確認できますね


なんだか客車急行を振り返るというより電気機関車を振り返るになってしまいました。

まだまだ旧客が日常的に・普通にいた時代、中学生レベルではレンズを向ける対象ではなかったのでしょう。

そして今思うに当時の時刻表が残っていればな・・・と思います、年に1冊ずつでもあれば随分違う

「取っておけばよかった」と思うのですが、

まさかあの頃ブログやるなんて思わなかったんですからしょうがないですね。



ここまで来たらばこのまま当時の上野駅をも振り返ってみましょう。

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どことなくその鮮やかな車体の色とは反対に地味な印象のあるEF80、

いい機会ですのでもう少し懐かしいシーンを振り返ってみましょう。

こんな時出ないとこのままネガの山深くにまた眠ってしまいそうです。


僕が一番目にする機会の多かったEF80は旧客使用の常磐線各駅停車仙台行きです。

列車番号を忘れてしまいました、123レは東北線の仙台行きだったような・・

常磐線と高崎線には比較的遅くまで客車列車使用の各駅停車が残っていました。

1枚目を撮ったのは昭和52年中学2年だったと思います。

尾久からの推進回送、上野発が午後1時頃だった記憶、無理せず撮れる時間帯でした。


2枚目の尾久への回送を押すEF80ですが、場所わかりますか?

今ここ東北新幹線で見えなくなった所、西日暮里駅から撮ったものです。

豪快な画面の傾きは相変わらず、EF80&20系ということでお許しください。

「ゆうづる」は最盛期に7往復あったと思います、もちろん583系も含んでです。

20系もまだ特急として現役だった頃でした、

このカットにHMが付いていれば・・と思わずにはいられません。


3枚目もちょっと今はなき風景になっています、赤羽駅の東北線ホーム上野方。

地上ホームの頃です、まだ新幹線の「し」の字もない頃。

僕はここの住人でした、光線悪いんですけどここが大のお気に入りでした。

「ゆうづる」の東大宮操への回送列車、尾久まで推進・機回し後東大宮でお昼寝だったのです。


東大宮へ行くと各種客車・電車がずらりと並んでいました。

その片隅に牽引してきた機関車が留置してあり、

EF58・EF62・EF65PFに混ざってピンクのEF80が停まっていたものでした。

これをなぜ見たかというと、「鉄道ファン」誌に

EF57が東大宮で入換え作業しているという記事を読んで駆けつけたもの・・、当然空振り。

今でこそこの手のニュースは最短1ヶ月で載りますが

当時は大体3ヶ月前のニュースが写真入で報じられるのが相場。

なんとものんびりした時代だったのです。

この空振りした時に見た入換機がEF80でした。


形式消滅したのが昭和62年だったそうです、本当にひっそり消えていった印象があります。

今なら形式消滅とでもなれば「さよなら」イベント目白押しの大騒ぎでしょう。

きっと国鉄民営化直前の時期、無駄は徹底的に省かれた時だったのかもしれません。

なんか「さようなら」という言葉をかける前に僕の前から消えてしまった・・

そんな感じのピンクの電気機関車なのです。

青梅線 ED16の頃

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4回に渡って青梅線の昭和51年頃のものをお見せしてきました、今回で最終です。

古い・拙い写真をまた並べてしまいました、お付き合いいただきありがとうございます。

最後はED16を並べて見ましょう。


最初の回にも書きましたが「ポストSL」と言われ当時の鉄道ファンたちからは旧型電気機関車が注目されていました。

僕自身「駅撮り」を卒業し、カメラを持って線路端をうろついたのは中学1年の頃。

すでに首都圏ではEF10、EF12は見れなかったですし、

それらは中学生にはお小遣いの及ばない大遠征せねばならないところで最後の活躍をしていました。

EF56・EF57もすでに第一線を退き、EF57最後の高尾臨といわれたやつはこの頃のはずです。

当時の情報網なんて無いに等しいもの、到底撮ることが出来なかった機関車になります。


正面にひさしの付いている機関車に物凄い憧れがあったのです

EF10・EF53・EF52・・どれも撮れなかったものばかり、ED16に僕がこだわったのはここかもしれません。

当時の専門誌では消え行く旧型電機達を含めたの車両の転属・廃車の動向が毎月載っていました。

EF15などは転属でしたがEF10やEF57は廃車の報ばかり、ED16だけが変動なし。

それでも「これもいつかは・・」と思っていました。

線路端での噂では「ED16が落ちてDE10が担当するらしい」といった話は何度か聞いています

これは実現しませんでしたが、このあとEF15に変わっています。

とにかく上手い・下手はともかく一生懸命撮った機関車でした。


青梅鉄道公園にED16 1が保存されています、

以前長男と行った時この機関車の説明板を読んでビックリ昭和6年製造。

ずいぶん頑張っていたんですね、「矍鑠(カクシャク)といった走り」という表現は今となって思うこと、

当時は「とにかく撮らないと・・」の一点張りでした。

そしてこの機関車を追いかけると付いてきた青梅線の電車達はまだ旧型国電の頃。

ED16のおかげで僕は旧型国電を撮ることが出来たのです。

そういった意味でも感謝の念が絶えない・思い入れの大きい・大好きな電気機関車なのです。


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