壱ブロIII

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モノクロネガから

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昭和51年頃の青梅線の4回目になります。


最初に青梅線に導いてくれたのは初代の師匠でした、

もちろん大ベテランでしたから駅撮りで済ますわけもなくちゃんとした撮影地に連れて行ってくれました。

何箇所か行った中で最初に連れて行っていただいたのが軍畑(いくさばた)だったのです。

やはり最初の場所というのは印象に深く残るもの、

まして駅からすぐ近くとあって単独行動するようになっても軍畑にはよく通ったものです。


なんと言っても鉄橋がメインのポイント、でもこの鉄橋すごく難しいんです。

大人になってからもここに行ってますが、それでも苦労した覚えがあります。

バランスが難しいんです、鉄橋をどこまで入れて・列車をどこに置いて・・が。

1枚目の画像が僕が最初に撮った軍畑鉄橋です、完全な日の丸写真 まんま中1レベル。

今の中学1年の方がもっとモット上手でしょう。

こうしてEF64時代と比べると(http://blogs.yahoo.co.jp/yuiccyan1964/16988502.html

木々がずいぶん大きくなり架線柱が1本増えたのがわかります。


鉄橋の反対サイドでも撮っています、2枚目の画像。なぜ木が入っているのか?意味不明。

きっとなんか考えていたんでしょうね、撮影意図まったく思い出せません。

姿写真は酷い手ブレのものばかりでした、技術・感性共に未熟な頃でしょう。


軍畑駅の奥多摩側にはまだかやぶき屋根の家がありました。

これ、すごく印象に残っています。地元で最後のかやぶき屋根と言われた住宅の建替えがあり、

その解体を見学したのが小学4年生でした。「まだ残っているんだ」そんな感じでシャッター切っています。

真ん中右側を分断する電柱の存在は・・・、笑ってくださいとしか言いようがないわけでして

原型近いクハ79と一緒に写っているかやぶきの家ということでお許し下さい。


中学1〜2年頃通っていたのですが、1年の時と2年の時とでは電車がガラリと変わりました。

1年の頃は101・103系はまだ珍しく青梅でも見かけなかったのですが、

2年生で行った時にはスカイブルーの103系が奥多摩まで入ってきていました。

この軍畑のネガシートにもチラホラ写っていました。

昨日お見せした3段窓の未改造車はこの頃落ちたのでしょう。

103系が写っているネガシートの旧国達は圧倒的に近代化改造されたものばかり。

旧国も これまたギリギリ間に合ったという事がうかがい知れるのです。

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昭和51年頃の青梅線の3回目になります、しばらくモノクロの画像が続きます。


青梅駅で並ぶ旧国の中でも一目置かざるを得ない電車がいくつかいました。

「異彩を放っていた」という表現が正しいかわかりません、こちらの方がオリジナルなのですから

「よくぞ残っていた」とでも言いたくなるのがクハ79の三段窓車でした。

中学1年レベルでもあの「桜木町事故」のことは知っていました。

これ以来改造が進んだと聞いていたので、初めて見た時は「えっ?あっていいの?」と思ったものです。

今回まで出てきたクハ79とはまるで違う電車のよう、ずらりと並ぶ小さな窓はやはり異彩でした。

残念ながらドアが近代的なものに改造されていますが、正面はほぼ原型と言っていいと思います。

僕が撮れた唯一の3段窓の旧国です、中学2年の頃にはもう見れなくなっていました。


青梅の主とでも言える存在が2両いました、しかも同形式なのですが形態がかなり違う

平妻のと半流の2台のクモハ40です。

増結用に使用していたのでしょうか?当時の運用はさすがにわかりません

よく青梅駅の多摩川側の側線に停まっていました。

平妻の方が走っているのは残念ながら見たことがありませんが、

半流の方は何度か見ていますし写真も残っています。

立川〜青梅間でよく見た記憶です、青梅から先では見かけなかった。

いい電車でした、僕の中では旧型電車の理想にほぼ近い姿です。

近代化改造された72系列が並ぶ中でひと際存在感をかもし出していたのです。


大きな括りとしての「旧国」でしたが、何度か通っているうちにだんだん目が肥えてくるんですね。

でもお目にかなう存在はそれに反比例して減っていきました。

すでに101・103系が青梅までは多くなっていましたし、奥多摩まで直通する101系も登場しました。

クモハ40は旧国最後の頃まで残っていましたが、

姿のいい72・73系はどんどん少なくなり、近代化改造ばかり。

こうなると気持ちはED16に急激に傾いていったのです。

もう少しこの頃の青梅線を続けます。

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昭和51年頃の青梅線の第2回目です。


立川からの車窓は取り立てて楽しいものではなく、唯一楽しみだったのが拝島駅でした。

ここはちょっとした鉄道の要所、八高線のキハ30系やDD51、西武電車などが車窓の右に左にと並ぶのです。

これ以外は大住宅街の中を眠気誘う釣り掛けモーターの響きを聴きながら青梅到着を待ち望む

それまでの複線が単線に変わればいよいよ青梅到着、

1枚ドアの不揃いな開閉音ももどかしく駅奥多摩側に進みます。

今と変わらぬ青梅駅の留置線が旧国見学の絶好のスポット、ここで一編成づつ撮りまくるのがお約束でした。


それはそれは雑多各種の旧国が並んでいました。

形式的にはそれほどの種類ではないのでしょうけど、同形式の近代化改造あり・窓のみ改造あり・・

これで同じ形式名乗っていいの?それぐらいバラエティに富んでいました。

もちろんオリジナルに近いものを好んでいましたが、ちょっと笑えるというか微笑ましく思っていたのが

クハ79 920番台、1枚目の真ん中の電車です。そう「茶色い101系っぽい」のがなんか可愛かった。


先頭車ばかりに気が行きがちだったのは中学生レベルそのものなのでしょう・・・

今回のネガを探してるうちにこんな中間車を発見しています、2枚目の写真です。

2両目だけ低い屋根、これは何系だったのでしょう?中央線対応車だったとは思うのですが。


もちろんED16もここで停まっていることが多く旧国との並びも数多く撮っています。

似たようなカット多い中で選んだのはトップナンバー、そして最後尾切れてしまっていますが、

青梅線ではちょっと珍しかった(自分だけかな)トラ編成。

それでもなかなか貨物の存在は微妙で、いい電車が停まっていても貨物の向こう側なんてよくあり

「はやく発車しないかなぁ〜」なんて思ったことありました。



そんな旧国の中でもピカイチの存在がいました、いそうでいない、中学生レベルでもこれは!という電車が・・・

青梅駅での旧国ウオッチングは明日も続かせてください。

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201系の置き換えが発表され「大騒ぎになる前に・・」と撮っています。

そんな中でちょっと気になっているのが青梅・五日市線の201系

風光明媚な路線を走る201系は大月乗り入れとこの路線だけではないだろうかと・・・。

特に青梅線は昭和50年代にも注目を浴びた路線、想い出に重ねて記録するのもオツかなと思っています。

今回からはそんな想い出の青梅線を振り返ってみたいと、また得意の古いネガの出番です。

昭和51年頃の青梅線を集めてみました。


昭和51年頃といえば蒸機が終焉し一段落した頃、

蒸機の終わりと共にカメラを置く先輩も多かったと聞いています。

それでも線路端から離れられない仲間は「ポストSLは?」とばかり分散していきました、

そのターゲットとなったのが旧型電気機関車と旧型国電 もちろん子供達は全盛期のブルトレ・特急電車達。

僕は「Fのフィフティーズ」と呼ばれるEF56・57にはちょっと間に合いませんでした。

何とか撮れたのが末期のEF56の田端での姿(http://blogs.yahoo.co.jp/yuiccyan1964/9281343.html)程度。

そんな僕でも間に合ったのが青梅線のED16だったのです。


青梅線の基点となるのが立川駅です、ここが絶対に素通りの出来ない駅。

青梅線とは反対の南武線ホームがその場所、ED16は立川機関区所属でした。 

機関区こそ見えませんが、ここで入換えや出発待ちをしているED16がいつもいたのです。

まさしくゴロゴロいる・・そんな感じでした。

写ってる貨車達も懐かしい面々、黒い「ワム」や車掌車つきの「ワフ」、

そして2枚目には「生石灰専用車」というのが見て取れます、これちょっと珍しい形態かな?。


南武線ももちろんまだ旧国時代でした、こちらは青梅線と比べて近代化改造されたものが多かった印象です

クハ79もクモハ73もどことなく101系につながる顔をしているな・・そんな思いで見ていました。


立川駅南武線ホームからウオッチングを済ませ、いよいよ青梅線ホームへ

ここでも気が抜けません、同じホームから五日市線が発着、これにもいい旧国が入るときがあったのです。

五日市線にはED16の運用が少なかったので、今でも足を踏み入れたことないのです。

ここで五日市線のサボが撮れるとちょっと嬉しかった。

そして・・次に立ち寄るのは青梅と相場はきまっていたのです、明日に続かせて下さい。

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僕のホームグランド武蔵野線、何度もここに登場してますし、これからも出るでしょう。

またも武蔵野線なのですが今回はちょっと過去のものをお見せしようと思います。

「壱ブロ」得意の(?)古ネガからゴソゴソと出してみました、1977年のネガです。

南武線にED16を見に行った時についでで撮ったものになります。


70年代の武蔵野線は独特の路線でした、別名「武蔵野線伝説」などと(僕等は)言っています。

元は貨物線として計画されたのは有名ですね。

沿線への見返りで合間に「電車を走らせてあげてる」そんな感じでした。

運転間隔はラッシュ時でも15分、ディタイムは40分間隔というものでした。

圧倒的に電車より貨物の方が本数多かった、圧倒的にですよ。

電車1本待つ間2本貨物なんてザラでした、武蔵野線伝説#1。


そんな武蔵野線でしたが、先進的なこともありました。

伝説#2は自動改札だったこと、関東の国鉄で一番最初に自動改札入ったのは武蔵野線だったと思います。

接続のない武蔵野腺の駅でキップを買うと裏が茶色でした。

記憶が曖昧な部分なのですが、自動改札は入鋏だけで出札は有人だったような・・・。


もう1つは構内放送のテープ、たぶん列車接近信号と連動していたのではないでしょうか。

これがクセモノ!電車も貨物もみんな一緒!!

「1番線に列車がまいります、白線の内側に下がってお待ち下さい」全部これ、

「やっと来た」なんて思って待ってるとEF65の長い貨物がドドドドド・・・・、伝説#3。


走っていた電車は101系1000番台でした、南浦和で撮影しています。

この1000番台というのが西国分寺〜新秋津間の長トンネルに対応した火災対策されたもの。

とは言え見た目は普通の101系、しかもどう見たって中央線のお古という感じでした。

行き先幕もいつも「府中本町〜西船橋」という変える必要のない幕、伝説#4。

当時の国鉄っぽいちゃぁぽいですね。


今も昔も貨物が魅力でした、京浜東北線沿線ではなかなか見れないEF65P・Fなどには興奮、

重連も武蔵野線でしか見れないものだったのです。

2枚目の先頭のPは#510、ブルトレ牽引した元東京機関区のカマ、後ろは交差パンタですからPFですね。


EF15がまだ元気に走っていました、牽引している貨車のバラバラさが楽しい。

スノウプラウにホイッスルカバー付の上越型、高崎第二のカマかな。

これは武蔵野線府中本町の多摩川方ですがずいぶん景色が変わった気がします。


こうしてみるとずいぶん長い付き合いになるんですね、僕と武蔵野線。

いよいよ12月ダイヤ改正で完全205系化、103系ともお別れなのです。


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