壱ブロIII

トラックバックの際はコメントで一言お知らせください。コメントにはログインが必要です、ご了承ください。

カラーネガから

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全48ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

昨日に引き続き94年3月の真岡鉄道を。

今でこそレールバスも好き嫌いなく接する事の出来る自分ですが、この頃ホント苦手でした。

捕らえようがない感じ、どう撮ればカッコイイのかがわからないまま苦手意識もってしまった感じ

第三セクター独特の雰囲気が全国どこも画一された気すらしていました。

でもこうして2両編成のレールバスをサイドから見ればなかなか楽しいと思えます。

今なら多少カッコよく撮ってあげる事ができるかな。

そして現在の真岡のレールバス、楽しい塗装ですね、サイケチック

一回、正面きって向かい合ってみたな、そんな思いすら抱いています。


さて返しのC12は得意のバック運転。

蒸機のバック運転はこれまたちょっと苦手意識あるんですが、C12だとちょっと楽なんです。

デフレクターの有無なんです、無いと機関車そのもののフォルムが捕らえやすい気がする

あの四角チックな平面部分がないとボイラーの丸みが見えてくる、これが後追いだと強調されるんです。

自分だけの思いかもしれませんがバックC12と客車1両って似合ってる気がする、雰囲気あるなぁ〜。


蒸機のサポート役だったDL・DD13も今は過去帳入りしてるんですね

こんなのもなんだか懐かしい気がしています。

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

只見線では数回・磐越東線では2回と追かけているC11 325 彼のホームが真岡鉄道。

お恥ずかしながら自分真岡鉄道へはたった1回しか行ったことがないのです

しかもC12が復活してすぐの試運転の時だけ、なんだか申し訳なく思っていたりしています。

今日は94年3月のネガから、そんなたった一回きりの真岡鉄道を2回に分けてやってみようと思います。


なぜ真岡鉄道にはこんな行っていないか考えてみると

当時復活蒸機の走っていた関東の路線は大井川と秩父、どちらも汽車以外のメンツの濃ゆいところ

汽車以外はレールバスという真岡鉄道ではなんだか楽しめない雰囲気でした。

この頃レールバスってちょっと苦手だったんです、写欲が沸かない・興味の対象外

おおまかこんな思いでいたので、なんとなく足が向かなかったものです。


この時は試運転、なんと牽引客車1両という姿

C12らしいっちゃぁらしいし、残念と言えば残念。運転区間も真岡〜茂木という短縮区間

でも今思えばちょっとイレギュラーな姿が楽しいかな?なんて思っています。

まだ茂木にターンテーブルがなかった頃、返しはバック運転、明日に続きます。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

今日は昭和61年3月の東北線東大宮〜蓮田・通称ヒガハス、雪の日のものです。

画像を見ていただいて、あるいは年号からいってお気づきかもしれませんね、これ国鉄時代のものなんです。

もう国鉄解体・分割民営化は決定していました、そして私事ですが休車ならぬ休鉄時代なんです。

学生生活を謳歌してた頃、運転免許も取得してバイトとサークルに明け暮れていた毎日、

そんなミーハーな学生でも「国鉄がなくなる」ということはとても重大な事と捉えていたのです。

「なんとか記録しておきたいな」とばかりに休車が一時開けた時のもの。


残された時間は少なかった、もう1年ない状況 行くと決めたら多少の事では決行するのは今も変わりません

関東南部では珍しい大雪でした、「前輪駆動は雪強い」そんな迷信に近い言葉を信じてファミリアでヒガハスへ

ましてこの天気、いい写真が・少なくとも珍しい写真が撮れるのではないか、そんな思いでいったのです。


写っているのはPFの貨物、ワム8もまだ茶色のみの頃、うしろはトラかな?

そしてEF64 1000番台が引くのは荷物列車、これたぶんあの伝説の「36レ」かもしれません

寝台特急「あけぼの6号」も写っています、三往復時代・上野9時代着だった記憶

583系は愛称幕が見えませんが「はくつる」です

記憶が定かじゃないんですが「はくつる」が上り夜汽車のトリだった時期じゃないかな。



カメラはオフクロのペンタックスSP、レンズは55mmとマクロ105mmの2本だったような記憶

雪に曝され大変そうな撮影に見えるでしょう?、実はこれ車の中から撮影しているんです、軟弱ものです。

今年は雨の多い冬のようです、こんな時は春先にドカ雪がありそう

さすがに今となっては雪だからといって撮影に蓮田まで行く事はありませんが、

地元の線路際には行っちゃうんでしょうね、それはそれで・・楽しみにしています。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

かれこれこのブログもまもなく2年という月日を迎えようとしています。

初期に展開したものであまりにもさら〜っと通ってしまったものもいくつかあるんですね、

少しそんなあっさり目だったものをその前後を交えて展開してみましょう。


ある意味「伝説」と言われている蒸機イベントがありました、

よくぞここまでC57を持ってきたもんだ、自社の東の端と言っても過言ではない

しかもC56というこれまたこの地にゆかり深い相棒連れて、平成2年2月の七尾線C57・C56重連運転です。


雪深いこの地で・この季節、しかも重連とあって物凄い人数が集まった印象です

関西エリア・関東エリア、いや日本全国から集結したんじゃないでしょうか

しかし熱気が有りすぎたわけでもないんでしょうが、誰しも期待した「雪景色の重連」シーンは

季節外れの大雨で夢と散ったものです。

それでも「あの」C571の集煙装置が外れてる!それだけでみんなの期待は膨らんだもの。

それほどあの集煙装置は当時から敬遠されていたものだったのです。


世に言う「SLブーム」の最後の方に幼いながらも「引っかかった」人間です

そうすると「耳年増」みたくなってる部分ってあるんですね、

実際は見てないんだけど、雑誌や先輩の話を見聞きして「知っている」状態、いわゆる「知ったかぶり」

そんな「知ったかぶり」の復活蒸機から見ている人間はこの時こう思ったのです

「七尾線なんだからC56を前補機にすればいいのに・・・」

これ今でも思っています、やっぱり七尾線はC56だと、すり込みなんですよね

でもこうしてスキャンして並べてみると、それが正しいのかどうかはわかりません

ステキな煙に全て持っていかれた感じ、いい2条の煙だったんです

なにより頭上のすっきりしたC571を始めて見れたことがなにより嬉しかったものです。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

今注目を浴びている201系、青梅線での姿も是非記録しておきたいところでしょう。

青梅線と言えば自分たちの世代はなんと言っても旧国と貨物というイメージがあるんです。

貨物では古くはED16・EF15の茶色いデッキ付機関車、そして晩年はEF641000番台の活躍

このブログでも以前この日のものはお見せしたのですが、今回はネガカラーのものでお見せしようと思います。


97年10月に撮っています、お見せしたかったのが1枚目、奥多摩駅の様子。

今ここヤードがなくなっているのをブログ仲間の記事で拝見しました、駐車場になっているんですね。

この奥多摩のヤードはED16の頃から有名・絶好の撮影ポイントだったのです

確か20時頃かな、ずら〜っと貨車を従えたED16が3台並ぶんです、先輩の写真で見せていただきました。

さすがに中学一年生では奥多摩に20時は到底無理な事、自分は撮れませんでした。

この駅のプラットホームと同じ曲がり具合のヤードは名物だったものです。


「人より偉い青梅線の貨物」と言われた時期もあるそうです。

さすがに自分が出入りしていた頃には旅客の方が優先されていましたが、それでも貨物はたくさんありました。

なかなか時刻も雑誌に公開されず、いつも自分で作ったメモを頼りに行ったものです。

貨物同士の交換もあって、メモした時間の駅が違っていると反対側から来て慌てたのもいい想い出だったりしています。


もし・・今でも青梅線に貨物が残っていたら、きっと通い詰めていたでしょうね、

あの沿線風景に赤茶色ホキを従えるEF64はカッコよかったですもの。

全48ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
壱ブロ
壱ブロ
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事