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惜別・鹿島鉄道#1

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いよいよその歩みを止めようとしている鹿島鉄道、連日大賑わいなのをブログ等で拝見しています。

今年度末の廃止関係・関東では一番の大きな出来事になるのでしょう。

自分は一昨年行ったのが最後でした、ちょっと時間的に折り合わなかった終焉間近の姿、

結局湘南フェイスの古豪たちは今の塗装になってから会えなかった事になります。

ちょっと悔いてる部分もありますし、これでよかったのかな?とも思います。

90年代前半通っていた時期があるんですよ、もう何度もこのブログでお見せしてきました。


思い入れもそこそこあるし、やはり自分なりにケジメというか惜別の念は表現したい・・・

そうですね3回に分けて「惜別・鹿島鉄道」として再掲載含めて展開してみましょう。

過去モノに頼ったこのブログ、そして終焉間近はいつも過去シーンで振返るのが壱ブロのお約束ですしね。


ここへ通うようになった理由は大きく分けて2つありました。

一つはネタモノの追いかけ「団臨牽引機一喜一憂時代」からの脱皮でした

煮詰まっちゃったんですよね、ネタモノに。飽きたというか燃えなくなった、卒業でしょう。

そんな時この非電化のローカル私鉄は暖かく迎え入れてくれたのです。


そしてもう一つはこれも何度も書いていますが貨物列車の存在

まったくスジがわからなかったんです、自衛隊ジェット燃料輸送でしたから

これをどうしても撮りたかった、半分執念みたいなもの、ほとんど空振りでしたしね。


ちょうどレールバスが登場した時期とも重なります、これも焦ったものでした

あの旧型気動車がなくなるかも?特に現役最古のキハ600あたりは塗装もなかなか変更されなかったですし。

そう自分が撮れている湘南フェイスの気動車ってみなこのレールバス塗装だったりしています。


不思議とこの頃霞ヶ浦周辺ではあまり撮りませんでした、ちょっと山間の里っぽいところが多いのです。

きっとそんな日本の原風景みたいな景色を自分自身が求めたのでしょう。


キハ600の塗装変更を聞いてから足が遠のきました、ちょっと受け入れられなかった

この後ここへは何かの「ついで」で立ち寄る場所になっていったのでした。

別れ三月 クモハ12

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別れ3月ですね、鉄道界もそんな時期。例年この時期にお別れがあるものです。

3月に去っていった電車でどうしても思い出すのが鶴見線のクモハ12のこと。

もう何度もやりましたね、過去モノは右下の「検索」で「クモハ12」「鶴見線」とかけてみてください。


この時が自分にとって本当に最後の瞬間でした、最後はビデオカメラで音声付記録に勤しんだものです。

ですからスチールは少なめ、要所要所を撮る、そんな感じでした。

そう8mmビデオなんですよね、もちろんアナログ。早いとこデジタル化しないといけません。


最後の見送りは弁天橋駅でした、安善は何度も撮っていたのでちょっと変えてみたのです。

ド逆光の中、大川支線から上がってきたモハの12

改札口横で撮り、視線を送れば弁天橋車庫への渡り線を単車独特の揺れ方で去っていった。

心から思いました「あぁ・・・終わったな。」

すでに土日は仕事の身でした「さよなら」イベントに行けないのはわかっていましたからね。

いい電車でした、一番一生懸命撮った電車だと思います。

今でもあの床のにほひ・スタンディングポール・リベットが目に浮かびます

何よりも靴を履いていてもくすぐったくなるような、吊掛けモーターのビビリ音は忘れられません。

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鉄道雑誌を定期的に買っていない自分にとってネットでの情報が7割方を占めています。

あまりピンとこないものや、衝撃的なものまで様々なものがあるのですが、

今回は「いよいよかぁ」そんな感じです、薄々・近々かなと思っていたもの。

JR東日本200系新幹線の勇退の事、ついにこの日が来た感じです。

今日はこの200系新幹線の大宮駅での姿を再掲載含みつつ偲んでみたいと思います。


これでJR東日本新幹線から国鉄型が消滅ということになりますね。

そしてあの「0系」の面影残す電車が首都圏で見られなくなる、

強いて言えば400系にも0系の面影はあるような気もするのですが、やはりサイズが違いますし。

正直言えばやはりあまり撮れていません、よほどの事がないとカメラを向けない被写体だと思います。

これを撮ったのが98年6月、確かオリジナル200系が減ってきた、そんな動機じゃなかったかな。


今回見つけたのが200系とE3系の併結編成、

カツカツの画角ですね ベクトル・列車の進行方向もあったもんじゃない、お恥ずかしい。

それでも懐かしい思いでいっぱいです、400系との併結編成も撮ってあるはずですがどこだろう。


2階建てグリーン車を組み込んだ100系フェイスの2000番代(でいいのかな?)も懐かしい。

迫力ありました、威風堂々。新幹線らしさをかもし出していた印象です。



二階建て新幹線といえばE1系Maxなんですが、実はこれのオリジナル塗装って撮れていないんですよ

この縦位置のカットが唯一に近いのかな、後は「北とぴあ」での俯瞰ぐらい。

ちょっと悔いてる部分です、塗装変更があるとはね・・そんな感じです。

そうこの日気が付いた事、大宮から新幹線で上野・東京まで乗る方多いのにはビックリ

自分の感覚としてはないんですよ、大宮から新幹線って。京浜東北線の始発で座ってなんです。

ヨコカル 眼鏡橋から

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久々に碓氷をやりましょう、96年3月のものです。

この時はかわいい後輩の中学(!)卒業記念に行っています。

車を利用して丸山の先まで行って見たいというリクエストだったんじゃないかな?眼鏡橋まで行っています。


碓氷では立入禁止の場所が数多くありました、この眼鏡橋も熊の平もダメだった時期。

確かこの時一時的ではありますが、眼鏡橋の上だけ開放されているという一報を聞き行った記憶です。


「あさま色」ばかりの特急電車の中で「白山」と午後1本の「あさま」だけが違う色

意識して「白山」にあわせて眼鏡橋の袂に立ったものです。


「白山」のあと恐る恐る眼鏡橋に登れば制止する立札もなく、みな自由に出入りしている

ようやっと眼鏡橋からの撮影ができた時でした。

眼鏡橋そのものも興味津々、旧線時代の通信ケーブルのアブトラックもレンガ積みのトンネルも見入ったものです。



まだまだ自由に撮らせてもらえた頃だったのかな?

丸山ストレートの踏切付近でももう一歩入っていてもお咎めなし、

変電所跡をどう絡めて撮るか、一番いい場所だったのですが、ブレーク後はダメだった記憶です。

う〜ん、こうしてロクサンをみるとやっぱりかっこいいなぁ。こりゃ横川に行かないとダメかな。

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今日添える駄文をお読みになって、ドン引きしたらすいません。

「こんなヤツがこんなブログやっての?」そう言われても仕方ないかもしれません。

気が付かなかったんです、本当に。意識していなくて・観察もしていなかった。

気が付いたのは2月の千葉DCの時、各種電車が支社号として千葉に行きましたよね。

この時どなたかのブログで気が付いたんです、この電車の色が変わってることを、251系「スーパービュー踊り子」

まぢでお恥ずかしい、全然気が付かなかった・わからなかった。ウスラぼんやりしてました。


そして恥の上塗りを、この際だから言ってしまいましょう・・・

自分の撮ったカットを振返ってみました、そしたら03年9月新子安駅で撮れていた

なおかつ05年11月の早川〜根府川でも発見・・・。

なに見てるんですかね、自分でもこの観察力のなさに辟易としています。

遠〜い・微かな記憶に後輩が「251系の旧塗装撮っておかないと」って言ってたような。


確かに東海道本線のブルトレはこの数年足げに通ってコレクションしています。

この時にこの電車が通らないんですよね、あまり馴染みのない電車なんです。

いやぁ・・ビックリしました、色が変わった事じゃなくて自分の昼行灯さに。


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