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11月24日(月)〜26日(水)
住宅公共施設省に属するボランティアの私のほうから市役所職員に、カウンターパートが入院したので、代わりに仕事をしてくれと言うことはできず、市役所に出勤だけはして先方の出方を待ったが、音沙汰なし。サブのカウンターパートには省の人と話をしてくれないかと言ったものの、無視。助役が退職し、代役を勤めている事務長さんに省からの手紙が届いたかと聞くとカウンターパートの出勤まで保留にしてあるとの事、カウンターパートの代役を充てるようにという内容の手紙を保留にしておくとはいかにもと思ったが、市長に手紙を見せてみましょうと説得した。26日市長が出勤し、12月4日までに予算執行済みプログラム分の費用負担領収書等を送付する必要があることを説明し、省からの手紙(代役を充てるようにという手紙と私の後任者について当市役所への派遣を依頼する省からJICA関連現地渉外機関への推薦状)を渡す。市長と事務長の前に女性職員が呼ばれ、カウンターパートの業務代行依頼があった。忙しいとの事で、予算執行済みプログラム分の費用負担領収書等送付の用務に限定して業務代行をするとの事だった。12月4日以降はAnnual Implementation Plan(年間実施計画)を使用したプログラムはもう実施できなくなる。12月5日から8日まで安全対策連絡協議会、健康診断、ボランテイア集会があるが、1月には後任者が現地入りするそこで、その後祝祭日を利用し休みをもらい、建設中のバドウッラの労務者住宅等を見ておきたいと思っている。
文化や価値観はどの国のそれが正しいとは言えない。例えば、一例。スリランカでは、残業をする公務員は見たことがない。それよりも子供が役所にいつも来ていて、一緒に昼食を食べ、一緒に帰宅する。14歳の女の子とお父さんは手をつないでお寺へお参りへ行く。日本では時間内に帰宅することはまれで、子供と一緒に話をしたり食事をすることも当たり前のことではなく、連日残業で、忙しい朝食時にしか子供と話ができないことも多い。会話不足か、父親の働く姿もみたこともないだろうし、そのためか14歳にもなると女の子はお父さんを毛嫌いし、手等つなぎようもなく、ましてお寺等へは行きたがらないだろう。どちらの社会が進んだ豊かな社会なのだろうか?
私はスリランカより日本のほうが不潔だとは思ったことは一度もなかった。面白い発見があった。「食べ物を食べて3分以内に3分以上1日3回以上歯を磨きましょう。」これは日本の歯磨き習慣。私も食べたら必ず、歯磨きをする。一日三回以上になる。スリランカでは1日2回、朝起きて先ず歯を磨き、夜寝る前に歯を磨く。昼食後歯を磨いているスリランカ人を見たことがない。不潔だと思っていた。いつもどこでも市役所でも私は昼食後に必ず歯を磨いていた。市役所のシンクの前に職員は集まり列にはならずに思い思いにそれぞれ横から手を差し込んでささっと手を洗ったり弁当箱を洗っていく。私は人が途切れるまで、歯磨きを続け、ひとり口をすすいでいた。日本人は清潔だと誇らしく思っていた。たまりかねたように女性職員から私に口をそこですすぐなと言われた。何ヶ月も続けていた行為だった。ここで人は手を洗い、水を飲むのだから不潔だと。意味が分からなかった。「手を洗った汚い水も、口をすすいだ汚い水も、この排水管から下水として流れて行くよね。」と言いながら、文化が違うのかなと考え、意味が分かったら言われたようにするから教えてくれと言うと、このシンクは自分が手で洗っているのだからとの事。何らかの衛生観念的な文化(価値観)が違うのだろうとその文化に従うことにした。ここで理論的に説き伏せられたにしても、綺麗とか汚いという観念は変えることはできないだろう。しかし、通路には吐くことはできないので、トイレに行って吐くことにした。何故今まで言ってくれなかったのだろうか。皆ずっと今まで不潔だと思っていたのだろうか?バドウッラでは女性職員でも、口をすすいだ水はシンクに吐かずに、セメント張りの通路に吐いていた。私は、通路に吐くと汚いからシンクの中に吐けと教えたつもりでいたが。食堂でも、店の人からシンクに吐かずに、地面に吐けと言われたことがあった。シンクというところは(手を洗ったり水を飲む清潔なところで)唾を吐くところではなく、地面が唾を吐くところだと言っている―そんな衛生観念的な文化(価値観)があるのだろうと思う。スリランカ人は、トイレに裸足で入り使用後紙を使わず水を使って手で洗い、最後にトイレ全体に水を流して(トイレ室全体が水浸しになる)、その足で台所を通り、その足でベッドへ入るという衛生観念がある。石鹸やトイレ用洗剤は使わなくとも水で洗ったものは清潔なのだろうか。ご飯も直接手で食べるが、石鹸を必ず使っているようではなく、片手だけ水でささっと洗っているようだが、それで清潔なのだろうか。私はトイレでは紙と水と石鹸を使うし、手は指、爪、手の平、手の甲、すべてを両手を石鹸を使い入念に洗い、うがいをして、手で食べるようにしている。頭を洗う(髪を洗う)と風邪を引くと信じられていて、アップカントリー(標高の高い山岳地帯)では、寒い季節になると老若男女あまり頭を洗わず、よく帽子をかぶっている。身だしなみで外見を非常に気にするため、念入りに櫛で髪を梳かすのだが、殆どの人の髪にシラミがわいているようで、よく何人かでシラミをとる光景が見られる。ホテルに泊まるといつも、枕にシラミがいるのではないかと気になってしまう。ダニに咬まれることはよくある。シーツや枕カバーは見かけは洗濯してあるようだが、ベッドや枕の中身を見ると殆ど真っ黒に汚れたものが多い。文化に優劣はないことは理解できる。しかし、どうしても日本の文化は美しいと思ってしまう。だが、圧倒多数のスリランカ人の中ではスリランカの文化が優勢だ。
何が清潔で何が不潔なのかよく分からなくなる。しかし、食後に必ず歯を磨くようにいくら清潔に心がけていても、シンクで口をすすいだだけで不潔だと言われるのなら、意味がたとえ分からずとも彼等の文化の表面的な部分だけでも従うべきだろう。圧倒的大多数がその文化や価値観に従って行動する社会で、アウトサイダーには論理的に理解できないと言って従わない場合、その社会では彼は受け入れられないだろうと思う。
“The reefs of taprobane”(ibooks)を読み終わった。Arthur C. Clarkeは、結局スリランカをどのように愛したのか?彼はスリランカの海が好きだったと言われている。様々なリーフで行われた沈船ダイヴィング(海に沈んだ船のなかを冒険するスキューバダイヴィング)が数章にわたって描かれている。The Biggest Wreck in the Worldからの章では、ひときわ鮮やかに躍動的に生き生きとその冒険譚が描かれている。トリンコマリーのSwamy Rockという海に沈むヒンドウー教の紀元前534年の史跡と第2次大戦中に沈んだAdmiralty Floating Dock23への海底探検は畏敬の念が行間に詰まっている。海ではなく、アヌラーダプラやシーギリやダンブッラを描写した各章にも古代のセイロン人の建造技術に対する畏敬の念が溢れている。彼は、(森に囲まれた太古の土着の空間から近代的な西洋的な空間へ移動する)トリンコマリーからコロンボへの飛行機の中で、「セイロンの新しい統治者たちは、近代技術を用いて再び、彼等の祖先が成し遂げていたものに匹敵する国土の4分の3の無人地帯を、征服するのだろうか?そして、それより重要なこと―イギリスも、オランダも、ポルトガルも、セイロンの王族たちの統治下でもなし得なかったことだが―彼らは同時に、彼等のすべての民に、自由と安全を与えることができるのだろうか?」(P168)と書いている。この本は、1955年から56年のセイロンを舞台にしている。スリランカで使用されている英語・シンハラ語・タミル語の中で、シンハラ語を唯一の国語にしようという運動が始まった年だ。(その後スリランカは現在へ至る紛争へ続いていく。)面白いパラドックスだが歴史のすべてを通してのんきで温厚なシンハラ人が、彼等の宗教(殺生をしてはならないという仏教の教え)にもかかわらず、最小限の挑発で突然の暴力の衝動に駆り立てられる傾向がある。(P177)として1956年5月21日の『Times of Ceylon』の数件の殺人事件記事が挿入されている。
そして最後に、真珠の堆積するManaarの海床、紀元前13世紀の寺院建造者から20世紀の軍艦設計者にいたる様々な人種の詩が沈むトリンコマリーの海底、沈船の点在する南西海岸、セイロンの温かく驚愕の絶えない海面から上か下か、どちらでも、セイロンにもう一度戻ってこられれば幸いだと書いている。(P203)
スリランカを愛した彼から何かを学ぼうとしてこの本を読んできたが、この本には彼が楽しんだスリランカの海洋探検譚と史跡探検譚とが書いてあった。しかし、異文化のなかで心と心がぶつかり合い、理解できないものをも受け容れていく葛藤と超克といった内面の発露はこの本の中にはなかった。英語を話す著名な作家兼科学者とシンハラ語を話す無名のボランティア。結局、自分は自分のスリランカを見つけていくしかないのだろう。
このJOCV-Unit事業は、非常によくできているが奥が深くて分かりにくい面もあるのかもしれない。Annual Implementation Plan(年間実施計画)も一見JICAが拠出する事業だと思われるようで、市役所職員は市役所の仕事ではなく、JICAの仕事だと思ってしまう。カウンターパートも自分の事務分掌にはない余分なエクストラの仕事―隊員の仕事と思うようだ。しかし、この事業は市役所が半分だけ費用を負担し、住宅公共施設省が市役所が未だ取り組んでいない低所得地域のコミュニティ開発のために使いなさいと半分だけ費用の面倒を見ている、実は市役所が市民のために取り組むべき仕事だ。JICAは一銭も拠出していない。JICAは、低所得者と市役所及び関係機関を連携させるフィールドワーカーとして隊員を送り、市役所と省の間で行われるAnnual Implementation Plan(年間実施計画)に絡めているようだ。しかし市役所の職員は、自分の業務でもなく市役所の仕事でもないJICAの仕事つまり隊員の仕事を余力で手伝ってあげていると考えてしまうだろう。JICAとしては援助国の物でも金でもない人的資源としてボランティアだけを送り、被援助国の省と市役所で資金を折半して、貧困層のコミュニテイをソフトの面から支援し、ハードの部分を担当する関係機関とを結ぶという理想的な援助のあり方に徹している立派な事業だと考えているのではないだろうか。しかし現場では、なかなかそんな奥深くまで見られていない。隊員は精神的にはかなり鍛えられる。しかし、マイナー過ぎて日本で生かす道が非常に少ない語学という意味で勉強したシンハラ語すらも持って帰れない―何も持って帰れないボランティアが唯一日本に持って帰れるのは、人間としての精神的な成長だけなのかもしれない。
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