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12月4日(木)〜8日(月)
コロンボへ。安全対策協議会、ボランティアホステル(地方在住ボランティアのための宿泊施設及びボランティアの連絡所)大掃除、健康診断、インフルエンザ予防接種、ボランティア集会、新隊員及び帰国隊員のための歓送迎会。専門家による講演があった。講演の全体を通して、素晴らしいお人柄が滲み出ていた。十数年も滞在しスリランカの開発協力に取り組まれている専門家に是非伺いたかった質問をしてみた。スリランカまたはこの仕事のどこにそれだけ惹きつけられているのか、その魅力は何なのですかと。スリランカは好きでも嫌いでもないとそして縁があってという答えをいただいた。その自然な口調から何か自分が救われたような気持ちになった。なんだそれでいいんだと。私はボランティアに来ているのだから、スリランカを好きになって愛さなければならないのだが、どうしても好きになれずに悩んできた。愛がなければボランティアなんてできないと。人々を愛さなければと。日本を出国するとき、スリランカの人々を日本に残す家族と思って愛し、人々から愛され、日本の家族から敬愛されるようになりたいと抱負を胸に抱いていた。私は自分に問うてみた。スリランカを愛していないのか?人々の考え方や行動様式等嫌いな部分はいろいろとある。しかし、愛していないわけではないことにも気付いた。ジャーエラ市のためならばといつも自然に思えている。ジャーエラの人々に限って言えば、職員も住民も含め、自分はかなりの愛情を持っているのではないかと思う。いやバドウッラにもたくさんの親友たちがいる。
9日(火)〜14日(日)
ムスリムの休日とポーヤデー(満月の休み)を利用し、バドウッラへ。3つの労務者住宅を回る。BadulupitiyaとKailagodaの労務者住宅は、建替えのため取り壊され、基礎作りに入るところだった。住民の一部は完成まで付近の借家を借りており、一部は市立プールの倉庫を改造して作られた掘っ立て長屋に住んでいた。PuwakugodamullaにはNational Housing Development Authority(国家住宅開発公社)が建替えに関する調査に来ることになっているということだった。市中心部の市場も建物建築予定とのこと。また、サッカー場の管理棟兼倉庫がナーガリカサンワルダナヤカーレ(都市開発事務所)の資金で完成していた。そして、JICAのプロジェクトでゴミ処理場の管理施設と堆肥化施設の建設が始まっていた。持参した野菜の種を昨年渡した農家を訪ねたが、気候が合わなかったのか、土(堆肥)がよくなかったのか、苗がすべて枯れたとのこと。未だ種子が残っているので再度試してみるとのこと。親友の公衆衛生官と再会を慶び合った。バイク事故で負傷した腕は完治していた。長男のAレベル(大学進学のための基準テスト)テスト中で、健闘を祈り、雨に閉ざされたバドウッラを発った。建物の建設ラッシュが続くバドウッラ市再開発の裏側で、私の旧住居付近の知己の貧しい数家族は、市税の滞納で店を立ち退かされたり、家賃滞納で家を立ち退かされていた。
山岳地帯から海岸へ、海のきれいなヒッカドウワまで、8時間のバスの旅。途中でタイヤがパンクし交換、その後エンジンが動かなくなり、バスを乗り換えた。長距離の山道、急発進急停車急ハンドル、ガクガクのギアチェンジと乱暴なクラッチとアクセルといった無謀な運転に加え、ぎゅうぎゅう詰めの乗客分の重量超過、某国製のバスが、耐えられるはずがない。スリランカで、バスが壊れ別のバスに乗ったのは、これで5回目だ。宿で鏡を見ると、窓から入る排気ガスで、顔は真っ黒になっていた。日本には寒気団が入ってきているようだ。気候的には亜熱帯となる我が故郷南国宮崎も寒いようだ。スリランカの良いところ―年中暖かい海で遊べること。花粉症もないし、、、
12月15日(月)〜19日(金)
洪水問題に対処すると言っていたプラデシャレーカムカーレヤーレOffice of District Secretary of Ja-Ela(ジャーエラ郡事務所)を訪ねると、後一週間後に書類を作るとのこと。私が渡した書類もどこへやったか所長も助役も事務長も知らない様子だったが。洪水対策の関係機関のワールマーリガインジニャルカーリヤーレ(灌漑事務所)から以前調査に来てくれた担当者も異動となり、村の排水路の名前も分らない新人が来ているようだ。
村を廻り、自治会の人々と話す。会議をしても、調査に来てくれても、陳情をしても、洪水問題が示すように、何もことが運ばず、何の意味もないと役員の人たちは無力感を感じている。また、市役所は村に道路を新設するのにも、自治会には何の相談もなく、政治力で決めてしまうと嘆いていた。自治会の人々の間に連帯感を醸成し、団結力と交渉力をつけなければならない。市長にも、自治会と市役所の関係のあり方について話してみたい。JOCV-Unitのプログラムも市役所を会場とするのなら遠いのでいろいろと用事や家事のある村の人々は集まらないので、村を会場として開催してほしいという要望もあった。Thudella Batahilaに来年1月に公民館の建設に着工するので、ちょうどよい会場となるだろう。子供会もあるので子供たちを対象としたプログラムできるだろう。
市役所で建替えているプログラム費用を住宅公共施設省へ請求する書類を送付する必要があることを、11月の進捗状況報告会議から戻ってすぐ、市長と助役に説明をし、何度も助役に催促をしていたが、提出期限の前日17日になってようやく、カウンターパートに処理するようにと助役が電話をしてくれた。カウンターパートは18日、子供と一緒に昼頃に現れ、書類を作り、未だ鼻が本調子でないと休みを続けると帰っていった。
以前訪ねた線路脇の掘っ立て小屋群(不法居住)を訪問。7軒8家族32人(母子家庭3世帯、盲目1名・糖尿病で両手両足の指をすべてが壊死した障害者1名・学校7−2名・4−2名)が暮らしている。掘っ立て小屋はトタンや板切れやビニールで作ったもので、ポンプ井戸がひとつあるが、トイレもなく、ジャーエラ川で沐浴している。7年前に住み始めた家族から2週間前に住み始めた家族までいる。バスの語り唄歌い手が5人、衣服防虫剤の袋詰め内職が2人、衣服防虫剤売り子が2人。左官1人。糖尿病障害者は乞食をしている。市役所では対応できないとのことで、プラデシャレーカムカーレヤーレOffice of District Secretary of Ja-Ela(ジャーエラ郡事務所)に話しに行くつもりだ。彼等のニーズは住宅の供給で、それは難しいかもしれないが、サムルディー(生活保護)を受給できるかもしれない。放っておけない何かできないものか?
12月20日(土)
家庭菜園普及プログラムで野菜の種子を配布したIndivitiya自治会の家庭菜園の状況を当自治会の書記と一緒に見て廻った。この地区は、24世帯がこのプログラムに参加しており、12世帯で栽培が成功しており、残り半分の世帯が洪水でだめになったようだ。賞状か何か出ないものかと書記から相談があったが、当プログラムでは省の判断で不可能になっている、難しいと思うが市長と相談してみてはどうかと答えておいた。
12月21日(日)
Indivitiya婦人会の設立総会へ出席。式次第は16にものぼり、火入れ式、祝辞、子供のダンス、会長挨拶、議事録確認、歌劇まであった。家事(子育て・洗濯・炊事)を手伝わず威張り散らす旦那と主婦の喧嘩をおじいさんが仲裁する歌劇のようだったが、どの社会も同じだなと思った。何故だか私にもメンバーにクリスマスプレゼント〔水廻りの家財道具(たらい・洗面器・桶)〕を贈呈する機会を賜った。今後のプログラム―Women In Development(女性と開発)の分野等で支援をしていきたいと考えている。
12月22日(月)
Thudella 東地区子供会に出席。26日のクリスマス会のケーキ代として、皆から徴収したお金(1500ルピー)がその場で紛失した。集金した子供は、そのお金を手紙に包み、クリスマスカードに挟み、テーブルカバーに包んだものを隣に座っていた友達に預け、シスターに挨拶に行き、会が終了し帰宅する道すがら包みを開けてみるとなくなっていたということだ。お金を包んだテーブルカバーを預けた子供の家にまで行った。貧しい家構えだった。母親の前で、「ありとあらゆるところを探したのだが、見つからない。皆から集めたお金なんだけど、、」と話していると、母親の口から「この日本人からもらえばいい。」という言葉が飛び出したのには驚いた。「イエス様は私たちを見ている。私たちも探すので、あなた方も探してください。もし見つかったら教えてください。」と救いの道を与えその家を去った。再徴収するべきと話したが、みんな集金した子供のせいにしている様子なので、なかなか難しいのではないだろうか。集金した子供とそれを預けた子供―双方の家も貧しい家だが、否、彼らだけではなく、子供会に関わるみんなが、神聖で祝福あるべき慶びのクリスマスのひとときに、子供の頃から寒々しく悲しい出来事に出会わなければならないのか?集金した子供の母親にささやかなクリスマスプレゼントを渡して帰路へついた。
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