スリランカ ボホマストゥティ

19年かかって合格の夢をつかんだ42歳の青年海外協力隊。

バドウッラ市役所

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手紙―時の流れ

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1月14日(月)
出勤直後にPublic Health Inspector(公衆衛生官)のひとりからD氏が異動になった旨告げられる。事実確認へ行くと、D氏から(業務怠慢のため)他自治体への異動を求める(新助役から州知事へ宛てた)公文書を見せられた。氏を異動させようとする動きは、これで3回目だ。氏は、前回と同様公衆衛生官組合からの支援で、これを阻止すると言っていた。彼は、旧助役の指名を受け、(私の活動へ協力の悪い3人の)Community Health Assistant(地域衛生官補佐)の業務監督者となっていて、助役交替の後、唯一私が公私とも信頼を寄せる協力者だ。彼もバドウッラ市役所からいなくなってしまえば、私の市役所での活動は行き詰る。
1月15日(火)
ヒンズー教の祭日で休み。
また強制起床が再開された。どうして、こうもいいかげんなのか。スピーカーでの寺院外への放送が禁止されていたのに、たった2週間でモスクと仏寺から堂々と大音量でお経の放送が再開されている。早朝から本当に迷惑だ。
1月16日(水)
JICAコンサルタントの方が来所。
1月17日(木)
家族、友人・知人へ手紙・絵葉書を発送。
家族への手紙
みんな元気にしてますか。いつもいつもそのことばかり心配しています。いつも考えるのはあなたたちのことばかりです。
パパはスリランカにいる時間の3分の1が終わりました。パパの仕事はあまりうまくはいっていませんが、こちらの生活にだいぶん慣れました。食事や言葉やバスの乗り方、お金の払い方、道路やトイレ、ゴミ、何もかも一つ一つが日本とは違い、何をするにも苦労し、日本で当たり前に簡単にできることが同じようにはできないので、ものすごく大変です。こんなに日本と違うところで仕事をうまくしようとするのは、本当に難しいことです。
あなたたちに毎日会えないことは、本当につらいです。生活も仕事も何とかして乗り越えていますが、あなたたちに会えないことは乗り越えられません。日本がどれ程素晴らしい国なのかということを痛感していますが、それにもましてあなたたちが私にとってどれ程かけがえのないものなのかをひしひしと感じています。あなたたちが近くにいれば、どんなところへ行っても怖くはありませんが、あなたたちがいないことがこれほど私の力を無力にしてしまうのかを痛切に感じています。あなたたちとのなんでもない普通の会話や何の変哲もないつまらない風景や気にもかけないような一瞬一瞬の表情やちょっとした瞬間の触れ合いや何もしていなくても隣にいるその存在感や近くの同じ空気を吸っているといういつもは感じることもないささやかな、小さな小さなあなたたちの日常の動作が、パパからとてつもなく遠く、本当に切なく、たまらないほどさびしく、どうしようもなく欠けています。もしあなたたちがここにいたなら、行ってきますと家を出るあなたたちに大きな夢をつかんできなさいと自分の全ての夢を捧げられます。そしてちゃんと安全に家まで帰って来るんだよと祈るとき自分の幸運も捧げられます。でもここからはあなたたちが元気に出かけていく姿を見ることができません。
洋の入学式も通学する姿も見ていません。風子の卒業式も入学式も一緒に祝うことができません。逃げ回る空を捕まえようとすること、必死に愛してもらおうとして追いかけることもできません。幸恵にすまない、愛しているよと近くでささやくこともできません。
自分の夢を諦めず、人生を後悔せずに生きたい。あなたたちから尊敬されるような父親になりたい。そう思ってスリランカへ来ました。
後もう少し、きちんと仕事を全うして、あなたたちの元へ帰ります。
そんな父親そして深く深く幸恵と家族を愛する俺から、愛を込めてこの手紙を送ります。
遊びに来てくれる日を待っています。スリランカの良いところは、まだ見つかりませんが、良いところに案内したいと思っています。パパのいるバドウッラからは遠いですが、海だけはとてもきれいです。インド洋という海です。
父と母への手紙
スリランカに来て任期の3分の1が過ぎもうあと少しで半分にまでなりそうです。病気も怪我もせず元気にしています。荷物ありがとうございました。少しずつ食べています。バドウッラは和食が手に入らないので、心の滋養になります。
心配をかけてすみません。風子や空や洋が見も聞きもしない外国へ行くのならどれ程心配をしただろうかと思うと、心労が分かります。シンハラ語にもある程度慣れて、スリランカの事情にも少し通じてきました。関係のある日本の会社の人からも少し頼りにされるようになり、町の人達の中にももよく理解してくれる人達ができました。
自分の夢を諦めず、人生を後悔せずに生きたい。家族から尊敬されるような父親になりたい。そう思ってスリランカへ来ました。最初は、文化の違いや言葉が理解できずに、なかなか仕事をするレベルに達しなかったため、自分の無力さに悩みました。そして、ずっと犠牲にしている家族や仕事のことを思い、私がここにいることの意味を求めてきました。
貧しく必死に生きる人々を助けたいと思ってここに来ましたが、私が派遣された2年間でスリランカの人達の生活が良くなるという大きな目に見える成果を出すことはなかなか難しいことでしょう。しかし、首都から遠く離れた田舎まで日本からやって来て真剣に悩んで一緒に奉仕作業をしてくれたと貧しい人達が思ってくれれば、若干の罪滅ぼしになるのではないかと思っています。
 このような形で、大学時代から願ってきた夢をかなえることができ、私ほど幸せな人間はないと思います。ふるさとへ帰ったら、家族の幸せのために、尽くしたいと思っています。
 スリランカの山あいの終着駅バドウッラから感謝の気持ちをこめて
知人への手紙
スリランカに来て9ヶ月が経ちました。お蔭様で事故にも病気にも見舞われず、過ごしております。生活には慣れましたが、仕事の面では自分の無力さをつくづく思い知らされています。毎日が苦悩と困難の連続です。
 こちらに来て思うことは、日本の素晴らしさと家族の尊さです。私がどれほど恵まれた環境にあったのかということを身にしみて感じています。日本の快適な生活も恋しいですが、家族が近くにいない寂しさは痛烈です。
夢見た青年海外協力隊の2年間は、私に与えられた貴重な修行の場だと思って精進しようと思っています。
友人への手紙
お元気でしょうか?
スリランカは海はきれいで、旅行するには良いところかもしれません。物価が安いので、海沿いの立派なホテルやレストランではおいしいものが食べれます。しかし、私のいるバドウッラは海へは近いところで6時間、何でもそろっている首都からも8時間もかかるスリランカでは一番奥地の任地です。うまいものもきれいなところも近くには何もありません。名も知れぬ山に囲まれているだけです。仕事のほうもあまり順調ではありません。バドウッラ市役所の協力を得られず仕事が進まず悩み、任地変更の要望まで出しました。バドウッラ市役所は、支援をしていくには、問題の多い市役所と言わざるを得ません。しかし任地変更の話と並行して、貧困労務者住宅の建て替えとハウジングローンプログラムの計画が持ち上がりました。この計画は、隊員がいないと計画が流れてしまうとのことで、私は、その段取りがつくまでバドウッラでできる限りのことをしようと考え、任地変更の要望を据え置くことにしました。そして、こんな酷いところでも、ここでしばらく戦ってみたいと思うようになってきました。青年海外協力隊隊員5代目というバドウッラ市役所の環境は、援助慣れにもなっているけれども、先輩隊員の流した汗と涙はある程度の重みを感じます。なぜこんなとんでもないところへという想いは先輩隊員もひとりひとりが抱いたことでしょう。しかし、そんなところにまで隊員が入っているということが、日本にとってもスリランカにとっても大切なのだろうと思うようになったのです。
政府軍とLTTEとの戦争がいつ終了するのか分かりませんが、インドシナ難民との遭遇から始まった私の国際協力への想いが、どこかで私とスリランカを結び付けているのかも知れないと思うようになりました。本当に支援が必要なところが長期間の紛争で疲弊したスリランカの北東部にあると思います。あるいは津波被災地にもまだあるかもしれません。帰国後のことも含めた支援を考えたとき、スリランカともう少しひざを突き合わせて真剣に関わってみたいと思うようになってきました。こんなところに家族から離れひとりでいると痛烈な孤独感とも戦わねばなりません。2年間の修行だと思ってがんばっています。
 簡単に遊びに来るようなところではありませんが、機会がありましたらお寄りください。
1月18日(金)
D氏の知人のPublic Health Inspector(公衆衛生官)の結婚式に出席。
1月20日(日)
(コロンボからの出席者もあり、市民会館で開催)女性銀行総会へ出席。
1月21日(月)
D氏の異動の件で、助役に詰め寄る。彼は、旧助役の指名を受け、(私の活動への協力の悪い3人の)Community Health Assistant(地域衛生官補佐)の業務監督者となっていたこと。市長から政治活動を認められ直接採用されているこの3人のCommunity Health Assistant(地域衛生官補佐)はこの業務監督について忌々しく思っていたこと。彼らから市長への働きかけで、D氏を他自治体へ異動させようとする動きができたこと。彼は、Public Health Inspector(公衆衛生官)4人の中でも一番に活躍していること。私の活動に協力してくれるのは、D氏しかいないこと。彼の協力なしには、私は活動できないこと。よって、彼が異動となれば、私も出て行くこと。私が出て行けば、JOCVプログラムはなくなってしまうこと。−について説明を行った。
D氏は、州知事に対し当異動案件についての不服申し立てを行った。1月24日にその回答があるとのことだった。
当の(私の活動への協力の悪い3人の)カウンターパート達は、当然休み。住民側の方も―Puwakugodamulla労務者住宅Community Development Committee(地域開発委員会)の市役所への登録についてのレターもまだできていない。議長に、「役所はしょっちゅううるさく言わないと動いてくれないんだよ。はやく登録を済ませて、いろいろと市役所に交渉しよう!」と催告する。
「スリランカの人達は変わりたいとは思っていないと」前任者が言っていた。
彼らの時間の流れと私の時間の流れが本当に違う。ここにいたら錆び固まってしまいそうだ。―動かなければ、、、 「何のために来てるの?何をしてるの?」と家族から問われたら、、、職場の人から問われたら、、、そして自分にいつも問うている。家族を置いてきている私には意味がなくてはならない本当に貴重な2年間なのだが、、、役所の人間はさておき、住民たちも時間を大切にしたほうが早く幸せになれるのではないかと思うのだが、、、

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1月7日(月)
新しい助役が初登庁。就任式も何もない。30代前半の女性で、ウバ州庁の役人からCivil Serviceの登用試験に合格し、初めて助役になったようだ。自己紹介をしておいた。JICA事務所とJOCV-Unitに新助役就任について連絡しておいた。
1月8日(火)
寺院からの4時半(ムスリム寺院)と5時半(仏教寺院)の拡声器放送がなくなったので、強制起床からは免れているが、雨漏りがあり気になるのがその一因だが、雨音が酷く眠りが浅い。洋服類やバッグにカビが生え、ベッドや枕が黴臭く寝心地も悪い。毎日一日中雨なので、干すこともできない。しゃきっとしないが、朝食を食べ出勤。
1月9日(水)
市長とCommunity Health Assistant(地域衛生補佐官)と私で新年Annual Implementation Plan(年間実施計画)について打ち合わせ。私が提案していたとおり、再度、Public Health Inspector(公衆衛生官) 助役も含めて、打ち合わせることとなった。彼らは、上司から言ってもらうまでは、私がいくら言っても聞いてくれない。JICAコンサルタント会社がひとこと言って仕事が進むような存在感が私にはない。しかし、労務者住宅の住環境と生活の改善だけは、できる限りの協力をしたい。
National Housing &Developing Authority(国家住宅開発局)に挨拶へ行く。エンジニアだけしかいなかったが、バドウッラ市長からのCommunity Action Plan(地域行動計画)冊子を添付した協力依頼の公文書を収受し、現在、局内で処理中とのこと。日本からわざわざバドウッラへ来てくれているので、できる限りのことをしたいと言ってくれた。
Puwakugodamulla労務者住宅Community Development Committee(地域開発委員会)書記長へバドウッラ市への登録をするようにと催告へ行く。明日、公印とレターヘッドを作成することとなった。
1月10日(木)
8時から8時30分私事を必死に片付けて、登庁。約束の9時になっても、Puwakugodamulla労務者住宅Community Development Committee(地域開発委員会)三役が現れない。カウンターパートのCommunity Health Assistant(地域衛生補佐官)は10時頃現れ、「三役が来るまでお前はここで待っていろ、俺はお茶を飲みに行く」と喫茶店へ。私は彼らの仕事を手伝っているボランティアではないのか?私に仕事をやらせておいて、自分はお茶を飲みに行く―ということについて彼らは何も感じないのだ。10時10分まで待ち、もう三役は来ないだろうと判断し、助役へこのことについて報告しておいた。10時20分三輪タクシーに乗り、Puwakugodamulla労務者住宅へ。三役はたった今市役所へ向かい出発したとのこと。再度市役所へ戻り、三役に会う。雨の住宅への浸水が酷く、1時間半約束の時間に遅れたということだった。時間を守らないとどんなに不都合なことになるのかを、三役に対して説教をした。あまり謝らないが他人を許す寛容なスリランカ人たちから謝罪の言葉をひとこと聞くことができれば、もうそれでよかった。やるべきことを明日へ明日へと先送りするスリランカの時間の流れに逆らい、今日できることは全てやろうと、三役を連れてバドウッラ市新助役へ挨拶し、Community Action Plan(地域行動計画)冊子の写しを議長へ手渡し、公印の制作依頼、National Housing &Developing Authority(国家住宅開発局)のバドウッラ支局長への挨拶、レターヘッドの作成まで済ませた。Community Development Committee(地域開発委員会)の市役所への登録についてレターの書き方を教えてもらい、三役は帰っていった。
1月11日(金)
名目だけだった停戦合意が政府により破棄され、事実上の戦争状態になるようだ。コロンボ市とその周辺でLTTE(タミルイーラム解放のトラ)によるテロが相次いで起きている。バドウッラは何も変化なく、市役所の人達もまったく心配要らないと言っているが、JICA事務所では万一の事態への対策を協議しているようだ。JICA事務所から任地からの移動禁止通達が出た。雨季真っ盛り。1日中毎日雨。1週間降り続いただろうか。気持ちが塞がる。何もないバドウッラ。停電になると更に寂しさが募る。

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12月21日〜25日
クリスマス&ポーヤデー(満月の祭日)のお休みのため、海を見にヒッカドゥワへ。シンハラ語が少し上達したためだろうか、私の仕事まで話した相手は、スリランカ人価格かお前だから特別にという価格でまけてくれ、そして、親切にしてくれる。少しずつシンハラ人達の懐に入れるようになったのだろうか?スリランカは、まだまだ、乗客より車掌や運転手に、生徒より先生に、市民より役人に、客より店主に、都合よく強い権限を持たせている縦型社会だ。人々は自分が物のように扱われても公然と苦情を言わず、我慢してそれを許しさえしているようだ。そんな時々に、私はまだまだそれを見過ごすことができず、腹を立てて説教までしてしまう。
12月26日(水)
カウンターパート達は出勤無。
12月27日(木)
助役と話す。先日の助役主催の会議で決めたことは、カウンターパート達は全部来年の仕事と思っているようだと話すと、助役は、彼らから出ている賃上げ要求について、彼らがきちんと業務に取り組み成果を出さない限り要求には応じないと書き残した。
12月28日(金)
私の前任者がバドウッラへ来てくれた。初めて前任者と顔を合わせた。ふたりでPuwakugodamulla・Badulupitiya労務者住宅を訪問。カウンターパート達と晩餐会を開催。私の近所の友人が料理をこしらえてくれた。貧しいムスリム人のまごころがこもった料理で、カウンターパート達を含む前任者の知人たちと酒を酌み交わした。前任者が彼らと私の間に橋を架けてくれた。ハートのでかい男だった。
12月29日(土)
洗った皿を持って料理をいただいた近所のムスリム人宅へ行く。スリーウイラー(三輪タクシー)運転手の奥さんは妊娠3ヶ月。赤ちゃんグッズをお礼に手渡した。10時半前任者とバドウッラからコロンボへ向け出発。前任者もなかなかスリランカを好きになれなかったようだ。しかし、スリランカの人たちの考え方や行動を全て否定しなかった。少しでも理解しよう理解しようと努めたという。するといつの日からかスリランカを好きになることができたという。面白いことに前任者も「いいかげんなところ・適当なところがスリランカの良いところだ」と言っていた。「彼らは変わることさえ望んでいない。彼らはTake it easyな生き方をしている。」と。分かるような気がした。そして、家族を大切にしている。14歳の娘が父親と手をつないでお寺へ行く。子供たちは学校帰りに母親の職場へ来て一緒に昼食を食べる。腹いっぱい食べて眠れれば、それが幸せだと言う。大抵のことには「カマンネー(問題ない)」と言ってのけるシンプルな生き方なのかもしれない。18時半コロンボ到着。
12月30日(日)
スリ・パーダ(アダムスピーク)という聖なる山への登山のための準備をする。食べ物等いろいろな買出しをした。
12月31日(月)
コロンボから隊員26名でハットンへ。日本の寺へ宿泊。皆でカレーを作り、年越しそばを作り、おにぎりを握り、除夜の鐘を突いた。ゴミを燃やして仮眠。
1月1日(火)
2時に寺を出発し、4時過ぎに山頂のお寺に到着。全ての神がこの山に現れたという世界でも稀有な名刹だ。鐘を突いて登頂を祝い、初日の出を待った。6時半に素晴らしいご来光を拝むことができた。コーヒーとキリバツ(ミルクで炊いたおにぎり)がふるまわれた。ゴミを拾いながら下山する。見ていた外国人も拾いはじめ、神の祝福がありますようにと協力に感謝した。話しかけたスリランカ人もゴミを拾いはじめ、沢山の徳になりましたと協力に感謝した。私たちの活動を見ていた人々が一緒になってゴミを拾い始めた姿を見て、私たちが大きな力を持っていることを知ることができた。たとえ明日誰かがゴミを捨てようとも、この活動を見ていた人々の心に幾らかでも意識が芽生え、大河の一滴になったのではないかと思った。協力隊やボランティアの意味が分かったような気がした。
1月2日(水)
カウンターパート達と今年のAnnual Implementation plan(年間実施計画)を作成。私が先日の助役主催の会議での決定事項も盛り込もうと言うと、とっていたメモはなくしたとのこと。彼らのやり方がわかった。上司の命令は上司の手前一生懸命メモを取り聞くふりをして、都合の悪いことややりたくないことは忘れたふりをする。はじめからどうせ12月末で退職するやつの話だと思っていたのだろう。本当にいいかげんなやつらだ。私の方でできる限りをそのときの決定事項を盛り込ませてもらった。
1月3日(木)
JICA関連会社の方々がバドウッラを訪問。このゴミ関連問題については、カウンターパート達も一生懸命にやっているようだ。JOCVのプログラムに協力する姿勢とはっきりと違う。なぜだろうか?しかし、ゴミの問題はバドウッラの全住民と市役所の悲願だ。私も協力できることがあればできる限りのことをやろうと思っている。[[img(http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php,1,1, )]]

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スリランカを愛したい

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12月11日(火)
ゴミ処分場の移転先の地勢調査準備に同行。同行先のカウンターパートの女性たちも一緒に汗をかきかき3時間程山を歩き回った。昨晩遅くまで、関連会社の人達と国際協力の視線、スリランカの文化等について語り合った。確かにスリランカの人々が望んでいることに協力をするのが国際協力の正しいあり方だろう。スリランカの人々は何を望んでいるのだろうか?市役所の役人は一生懸命に仕事をたくさんすることは望んでいないようだ。いつも仕事が多い多いと言っては、お茶を飲みにいくし、休みをとるし、朝遅く来るし、早く帰る。一日の仕事時間は通常1時間から長くても3時間くらいだ。労務者住宅の人々に所得創出活動として凧作成のプログラムについて話したとき、「私たちは食べることと寝ることにしか感心がない。」といって参加の意を示さなかった。しかし、彼らは少しでも豊かになりたいと言う。自分で努力せずに他人から何もかもしてもらって豊かになりたいのだろうか?私たちの仕事は何なのだろうか?何かをしてやることではなく、彼らが自分たちで一生懸命していくように後押しするような支援をすることが私たちの仕事だと思う。彼らが一生懸命になってくれれば良いのだが、、しかし、自分たちが必要だと思うまでは一生懸命にならないのだろう、、、そんな彼らに一生懸命になって欲しいと思うことも押し付けになるのだろうか。しかし彼らはいつもお前は何をしてくれるんだと聞いてくる。ここはあなたたちの街であなたたちが主人公だと、私は主役じゃなくて黒子だよと言ってみたが、まったく理解されなかった。彼らが一生懸命になっていくように後押ししなければ、、、いや彼らはもらえるまでは、このままでいいと一生懸命になんかならないのか?
最も貧しいところにこそ支援が必要だという国際協力のあり方には私は賛同しているが、うまく機能している市役所ではなく、うまく機能していない市役所にこそ国際協力が必要だという支援の仕方は大きな挑戦だと思う。機能していない市役所を機能させていくことがいかに難しいことであるか。これは日本でも一筋縄ではいかないことを言葉も文化も異なる国でしようという挑戦ではないだろうか。協力隊というよりも専門家の領域ではなかろうか。しかし、機能していないというだけではなく、自分たちでやれる能力のある援助 慣れしたところからは、役目を終えていると考えて手を引くべきだと思う。
この機能していない市役所―能力のある援助慣れしたやる気のないバドウッラで私がすべきことは、彼らが自分たちで一生懸命していくように後押しするような支援へと転換していき手を引くことだと思う。一生懸命になるように―必要に迫られるように後押しするとは?どうしたら彼らの尻に自然に火が点くのか??(そのために宮崎市役所との交流を掲げ企画していく気はしない。今のところ全然彼らが信用できないから、彼らの受け入れ保証人にはなれないだろう。日本到着時に脱走するとか、何でもありだろう。)どうしたら彼らの自然発火へもっていけるのか???
12月12日(水)
雨の日の状況を見ていなかったので、Puwakugodamulla労務者住宅を見に行く。雨漏り部分にガムを貼り付けたり、容器を置くなどし、しのいでいた。
12月13日(木)
助役主宰で新たにCommunity Health Assistants(地域公衆衛生補佐官)の監督官の役目を負ったDissanayake氏が同席し、Community Health Assistants(地域公衆衛生補佐官)の会議を行った。助役に提出したPuwakugodamulla労務者住宅臨戸訪問家庭調査の調査結果と分析について、NATIONAL HOUSING DEVELOPING AUTHORITY(国家住宅開発局)の労務者住宅建て替え工事計画の影響を受けない部分で、バドウッラ市役所が可能な支援策の検討を行った。保健クリニックや就学支援、社会福祉機関との連携等を行うこととなった。高収入であるとか場所が離れているという理由でPuwakugodamulla労務者住宅臨戸訪問家庭調査のリストに載せなかった住宅については追掲はせず、高齢者支援やアルコール関連問題支援をしていくこととなった。
12月14日(金)
昨日の決定事項の前提で、National Housing &Developing Authority(国家住宅開発局)からPuwakugodamulla労務者住宅の住宅ローンと住宅建設計画についての公文書をもらうため、同労務者住宅のCommunity Action Plan Workshop(地域行動計画会議)で決定した地域行動計画を冊子にして、National Housing &Developing Authority(国家住宅開発局)へバドウッラ市役所から協力を求める文書を送ることになっているが、その前に当Workshop(会議)の講師料を支払わねばならないということが理由でいまだに送っていない状況にある。
12月16日(日)
Puwakugodamulla労務者住宅Community Development Committee(地域開発委員会)開催。会議終了後ヌワラエリヤへ。NGOの方とJICA関連会社の方々と懇談。スリランカを人々を愛することができれば、仕事も一生懸命にできるし、その心が人々に伝わり、うまくいくのではないかと思っている。スリランカの人々を日本に残してきた家族のように思って愛することができれば、よい仕事ができると思うし、それが残してきた家族への贖罪になるようにも思ってしまう。しかし、なかなかスリランカと人々を好きになれない由、滞在の長い方々へ、スリランカのどこが好きなのか聞いてみた。調整員等滞在の長い方々へ聞いたこともあるが、仕事があったからとか、なんとなくといった答えしか聞いたことがない。今回は、「いい加減なところ」という答えが返ってきた。仕事だから愛する必要はないということだった。立場が違うからいろいろな視点があるのかもしれない。だけど、俺はスリランカを愛したい。好きになって帰国後も何らかの支援をしたい。でなければ、フランス語やスペイン語のようには評価されず帰国後教材もないので直ぐに忘れてしまうであろうスリランカでしか通じないシンハラ語をこんなに一生懸命覚える意味も、不便で不快適な生活や異なる文化に慣れる意味もないのではないか。家族と職場を犠牲にした2年間はどういう意味があるのか?青年海外協力隊はきっとこたえてくれると思っている。これだけ好きだった青年海外協力隊は、俺に何を教えてくれるのだろうか?
青年海外協力隊の志望動機は、インドシナ難民に遭遇し何もできずに、降り立ったベトナムで必死に働く人々の姿を見て、彼らのために何かできないかと思ったことだった。バドウッラには、生死をかけて祖国を脱出しようという程の生活困窮も、必死に働く人々の姿もまだ見かけない。
12月17日(月)
女性銀行の書記長と所得創出活動の打ち合わせをする。1月20日の総会以降に凧作りを始めることとなった。しかし、この話も打ち合わせをするたびに伸びていく。あまりやりたがっていないようだ。助役・PHI・I氏と夕食。私の信頼する助役は12月末で任期更新をせず退職、信頼するPHIも助役の退官後妻の実家へ移動する予定にしているとのこと。ふたりはバドウッラ市役所の酷い状況を変えるための力がないと憂いていた。当市役所職員の70%が職務をこなしておらず職場に負の影響を与えており、20%が与えられた職務を遂行しており、10%が職務以上の仕事を行って職場へプラスの影響を与えているとのこと。I氏曰く日本は20%、60%、20%で、中間層の10%の意識改善で職場全体の改善ができると言っていたようだ。バドウッラ市役所は底辺から変えていかなければならないとのこと。
12月18日(火)
幼稚園入園説明会へ出席。ゴミ処理場移転先の地勢調査が雨で進まず、関係者はコロンボへ。
12月19日(水)
Puwakugodamulla労務者住宅Community Development Committee(地域開発委員会)議長が市役所を訪ねてきた。いつものとおり私以外誰もいない。彼らは助役との会議以来何もしていないし、職場にもいない。もうこうなったらしようがない。労務者住宅のことを忘れないでいてくれますようにとNational Housing &Developing Authority(国家住宅開発局)と助役室へ連れて行った。
12月20日(木)
私の仕事分野を中心にして仕事をしているカウンターパートが久しぶりに職場へ顔を出した。先日の助役主催の会議で決めたことを忘れていないか聞き、他の仕事も忘れていないか聞く。全部来年の仕事と思っているようで、そわそわしてサイドビジネスのことばかりで心ここにあらずの状態。もうひとりは、ふらりと現れて、またどこかへ。どこにいくのか何をしに行くのか聞いても答えずただにたにたしているだけ。しかしもうひとりがふと現れ、しつこく私のことを聞いてくる。私に関心があるだけでもましだ。家族の写真なども見せていろいろと答えた。そして労務者住宅のこと、助役会議で決まったこと、本当にお前らやる気があるのかと聞いてみた。やらないんだったら俺は他へ行くと!あまり強い反応はなかったが、「やるだろうと...」。

動き出した列車

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11月22日(木)
今日は、市長とPublic Health Inspector(公衆衛生官)達の異動についての会議があるという。どうなることやら、、、午後、カイラゴダ女性銀行へ所得創出活動(凧の作成)プログラムの打ち合わせ。
助役はMinistry of Housing &Common Amenity(住宅公共施設省)のAdditional Secretary(秘書官)からAnnual Implementation Plan(年間実施計画)を消化するようにという話しがあったようだ。助役がサイトへ連れて行けという。24〜25日のPuwakgodamulla労務者住宅Community Action Plan Workshop(地域コミュニテイ行動計画会議)に出てもらうこととなった。
11月23日(金)
Puwakgodamulla労務者住宅Community Action Plan Workshop(地域コミュニテイ行動計画会議)の準備。会場の幼稚園へ椅子を運び、ペンと模造紙購入、お茶と茶菓子、お弁当の注文をする。会計課長が不在のため決裁が下りず、費用は全てカウンターパートの借金で支払った。私が立て替えても良かったのだが、そこまでカウンターパートを信用できなかった。
11月24日(土)
Puwakgodamulla労務者住宅Community Action Plan Workshop(地域コミュニテイ行動計画会議)。当住宅近く幼稚園が会場。開会が8時半になっていたが、住民を2回呼び集めに行き、開会は10時15分へずれ込む。バドウッラではどの会議でもこれぐらい遅れるのが当たり前となっている。市長の開会の挨拶、会議の日程と内容の説明の後、2グループに分けてワークショップを開始した。最初に住民自身で自分たちの長屋を一軒一軒実際に見て、住環境の問題点を具体的に書き取っていった。会場に戻り、ビスケットとミルクティーのティータイム。2グループで話し合い、模造紙に問題点とその理由、問題を被っている対象者を書き出し、問題分析をした。これをグル−プ代表が全体発表した。
11月25日(日)
Community Action Plan Workshop2日目。昨日の問題点それぞれについて、誰がその問題解決に取り組むのか、いつまでに問題を解決するのかについて、2グループで話し合い、グループ代表が発表した。土地所有権の取得に関してはNATIONAL HOUSING DEVELOPING AUTHORITY(国家住宅開発局)が移譲に取り組むほか、住環境整備に関し市役所の関わる部分も少なくはなかった。しかし、住環境の不備について問題解決の多くの分野で、関係機関に強い依頼心をもたず、住民が組織する地域開発委員会が中心的役割を担うことを住民側が厭わなかったことに驚かされた。NATIONAL HOUSING DEVELOPING AUTHORITY(国家住宅開発局)のファシリテーター(会議の後押し進行役)のファシリテーション(後押し進行)が上手だったことと、この地域に今まで支援の手が入っていないことが、よく作用したようだ。この会議で決定したCommunity Action Plan(地域コミュニテイ行動計画)を市役所で冊子にして、NATIONAL HOUSING DEVELOPING AUTHORITY(国家住宅開発局)へ提出することとなった。また、地域開発委員会の第一回会議を11月28日に開催することとなった。
11月26日(月)
Puwakgodamulla労務者住宅で8月に実施した臨戸訪問家庭調査の再確認調査を実施。
11月27日(火)
Puwakgodamulla労務者住宅臨戸訪問家庭調査の調査結果の入力
11月28日(水)
朝8時市長に呼ばれ市長車でタウンホールへ。オランダからの支援で建設した消防車・救急車用ガレージ、購入した救急車・パソコン・発電機の写真を撮って回る。E-メールで写真を添付し礼状を送ったようだ。午後2時半からのPuwakgodamulla労務者住宅地域開発委員会第一回会議まで、業務月刊報告書を書く。地域開発委員会会議では、委員会三役と職務代理者、月例会の日取り、公用スタンプの作成について決定した。
11月29日(木)
労務者住宅の建て替えの住宅ローン計画のため、会議を予定していたが、当局担当者が手術入院したため、中止となった。カヌペララ幼稚園児ダンスショーに出席する。
11月30日(金)
Puwakgodamulla労務者住宅臨戸訪問家庭調査の調査結果と分析をレポートにして助役とカウンターパートへ提出した。山の斜面に位置する当地域は、一昔広く紅茶プランテーションの労働者が非合法に住宅を建設した地域のようだ。現在茶畑で働く人はいないが、121人(23軒)の住民のうち様々な職場へ臨時雇用されている労務者30人が居住している。その他15人は傷病者、6人が高齢者、失業者(19歳から59歳の健康な人)は35人。23軒のうち水道給水口8口、トイレ6基。半数の家が土叩き床。19軒の屋根が雨漏り、20軒が汚水排水溝無、3軒が電気不通。住宅が山の斜面に建っているため雨水が各戸へ流入する。一軒あたりひと月の平均収入は4277.8ルピー(公務員ひとり当たり月収は16,000ルピー位だろうか。)来年1月小学校入学6名、幼稚園入園1名。
今回対象となっているのは一塊(ひとつの建物で壁同士がくっついている家)となった長屋2つだ。しかし、その隣の民家(程度がよく広い家、所得もある程度ある)から女性銀行の中心人物がこの会議に積極的に関わっている。彼女の主な関心は、土地所有権の取得にあるようだ。また、高齢無収入の彼女の知人が長屋の道を挟んで奥まったところにあるあばら家に住んでいる。これら2世帯については、調査リストには記載しなかったが別紙に調査事項を書き添え、助役へ可能な支援を依頼しておいた。
 また、カウンターパートから更に2軒まったく場所の異なる普通の民家もリストへ載せるよう話しがあったが、意味が不明であるため、その件については助役へ直接話をしてみるように言っておいた。
助役から、可能な限り支援をするので、バドウッラにいて欲しいと言われる。
どこから漏れたのか驚いたことにカウンターパート達からバドウッラ市役所から出て行くなと肩を叩かれた。カウンターパートから私の官舎の修理(私が来て7ヶ月経っても未だに修理されていない)もするからとも言われた。カウンターパートたちが止めていたのか?交換条件だったのか? 「そんなことは問題ではない。」「本当にありがとう。」としか言えなかった。今は12月5日の所長面接を前に決心が固まっていない。
12月3日(月)
現地訓練のシンハラ語講師の結婚式に行く。
12月4日(火)
JOCV-UnitそしてMinistry of Housing &Common Amenity(住宅公共施設省)を訪問。私の移動要望に対して、現在の状況説明があった。NATIONAL HOUSING DEVELOPING AUTHORITY(国家住宅開発局)がバドウッラの労務者住宅の建て替え工事計画を持っており、住宅ローン計画と地権を譲渡する計画を進めていくことが予定されていること。Ministry of Housing &Common Amenity(住宅公共施設省)がAnnual Implementation Plan(年間実施計画)を従来の倍にすることが可能になったので、バドウッラ市役所が可能であれば、労務者住宅の改善に大きく役立てることができるとのことだった。Ministry of Housing &Common Amenity(住宅公共施設省)のAdditional Secretary(秘書官)から可能な限りの支援をするので、バドウッラに引続きいて欲しいと言われる。No とは言えない状況だった。
12月5日(水)
健康診断の後所長面接。前回の次長面接とは打って変わって、柔らかい雰囲気が漂っていた。所長自ら話があり、調整員も次長も後ろに控えていた。現状の確認の後、任地変更の選択肢も可能な旨の話しがあり、アドバイスがあった。変更先の任地についても調査中であるとのことだった。
指導どおりに住民側でも仕事をしているが、バドウッラ市役所の状況にはあまり変化はなく、当初のAnnual Implementation Plan(年間実施計画)の半分以上が計画倒れとなっているように、バドウッラ市役所と職員の質は帰国後の支援も含めて考えられるようなレベルにないことを説明した。(能力がないわけならば支援もしたいが、有能なのに働きたがらない人々を帰国後も支援する必要性を感じない。)しかし、NATIONAL HOUSING DEVELOPING AUTHORITY(国家住宅開発局)がバドウッラの労務者住宅の建て替え工事計画を持っており、住宅ローン計画と地権を譲渡する計画を進めていくことが予定されているので、この段取りが一段落するまで様子を見た上で、帰国後の支援も含めて考えられるべき市役所があるようであればそこへ移動をしたいという話をした。
12月6日(木)
ボランティア集会。JICA事務所は隊員を支援していくという旨の話が所長挨拶で前面に出され、所長の協力隊・シニアボランティア事業への熱意が伝わった。活動分野ごとの各部会から活動紹介があった。JOCV-Unitからの活動紹介がなかった。活動がうまくいっていないので私にも責任の一端があるのだろう。
12月7日(金)
安全対策連絡協議会。スリランカの最新治安状況と安全対策について学ぶ。最近のLTTE(タミルイーラム解放のトラ)の市民への無差別テロの状況―いつどこで何があっても不思議ではない。
12月8日(土)
帰途への準備をし荷物を抱え健康診断問診。コルステロール値が230!(1年前は170、正常は200まで)2ヶ月後再検査となってしまった。何もないバドウッラからコロンボへ上がるといつも食べておけとばかり旨いものを三食食べてしまう。検査前夜もピザを食べたのがいけなかったのか、、、体重も変わらないし、いつも質素なものを食べているから考えられない結果だった。しかし、用心するに越したことはない。よいアドバイスと思い、油ものをできる限り摂らないようにしよう!診断終了早々帰路へ。
12月10日(月)
気合を入れてバドウッラ市役所へ。助役と会うと12月末で退職するとのこと。コロンボの話をしたが、上の空のような感じだ。また話してみよう。職場のある2階へ行くと机などがめちゃくちゃに散乱している。壁と天井の修繕中とのこと。2週間働く場所もなくなってしまった。メインのカウンターパートは、よくあることだが帰郷中。

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