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			<title>スリランカ ボホマストゥティ</title>
			<description>19年かかって年齢制限の39歳で合格した青年海外協力隊で頑張っています。スリランカの鉄道で12時間の山奥の終着駅バドウッラでスラム地域のコミュニテイ開発の仕事をし、今新しい任地ジャ－エラへ。15年勤めた宮崎市役所から派遣され、スラム地域住民のエンパワーメントと市役所のキャパシテイビルディングへの協力を通じてコミュニテイ開発の方法を学びます。（ボホマ：とても　ストゥティ：ありがとう）= タイトル =</description>
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			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>スリランカ ボホマストゥティ</title>
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			<description>19年かかって年齢制限の39歳で合格した青年海外協力隊で頑張っています。スリランカの鉄道で12時間の山奥の終着駅バドウッラでスラム地域のコミュニテイ開発の仕事をし、今新しい任地ジャ－エラへ。15年勤めた宮崎市役所から派遣され、スラム地域住民のエンパワーメントと市役所のキャパシテイビルディングへの協力を通じてコミュニテイ開発の方法を学びます。（ボホマ：とても　ストゥティ：ありがとう）= タイトル =</description>
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			<title>ボホマストゥティー　スリランカ！</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/15/50998015/img_0?1237109985&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
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3月9日（月）&lt;br /&gt;
帰国及び赴任の挨拶という理由で後任者と地元大臣宅を、線路沿い不法占拠住宅群住民と共に訪問。大臣は非常に良い顔をして、不法占拠住宅群住民へできる限りの支援をしたいと言ってくれ、不法占拠住宅群住民も含めて本日夕飯へ招待してくれた。カウンターパートの手作りライス＆カレーをご馳走になる。12日に配属先の住宅公共施設省で行われる最終報告会のため、借用のための文書を提出し、市役所のパソコンを借りる。地元大臣への文書を作成し、大臣宅へ何回も電話するも帰宅しておらず、最終的に不法占拠住宅群住民と共に夜10時過ぎに大臣宅訪問するも不在。&lt;br /&gt;
3月10日（火）&lt;br /&gt;
ポーヤデー（満月の祭日）。大臣宅へ電話するも大会へ出かけたとのことで、本日の訪問は付加。12日に配属先の住宅公共施設省で行われる最終報告会の準備。新旧隊員のIndivitiya自治会主催歓送迎会。後任者と私で歌の贈り物をする予定だったが、後任者がダウンし、私ひとりで参加。集まっていただいた自治会の人々には、申し訳なかったが、その分よく考えて謝辞とメッセージと後任者の紹介を織り交ぜ、できる限りの話をさせていただいた。その後、会計宅の晩餐会に招かれた。会計のご子息からスリランカの文化についていろいろと説明していただいた。非常に奥深い話で、これだけの話ができる彼の人間性が好きになった。後任者はこのような素晴らしい人々から2年間スリランカの良さを学ぶことができる。このような人々はなかなか目にかけない。もっと早くからめぐり合っていれば、私もスリランカについて別の見方ができただろう。&lt;br /&gt;
3月11日（水）&lt;br /&gt;
市営幼稚園と市議会議員宅を訪問。市議会議員宅でお茶とケーキに与る。その後、後任者と地元大臣宅を、線路沿い不法占拠住宅群住民と共に訪問。住民から住宅についての支援依頼状を渡した。できる限りの支援をする旨大臣から話しがあった。大臣から名誉市民表彰状を頂き、昼食を頂いた。新旧隊員の市役所主催歓送迎会。４自治会住民が参加し、市長、副市長、後任者と私から挨拶や発表をし、ガンパハから来訪していただいた女性銀行の説明紹介があった。ジャーエラ市長から名誉市民表書状と記念品を頂いた。ケーキとお茶に与る。今日は幼稚園と市役所そして、線路沿い不法占拠住宅で計4曲に渡り後任者と私によるギター演奏と日本歌謡紹介の出し物をし、声が枯れた。夜は私と後任者のために市長の姉宅で晩餐会催してくれた。もっと食えというスリランカ特有のもてなしに、お腹が破裂しそうだ。&lt;br /&gt;
3月12日（木）&lt;br /&gt;
配属先の住宅公共施設省で最終報告会。2年間活動の成果について発表を行った。私のシンハラ語もある程度上達した。フィールドコーディネーターや現地調整員から立派な活動だったと労いの言葉を賜った。任地変更の頃はどうなることかと私を含め皆が肝を潰したことだろう。今となればすべてこれでよかったと思う。私の青年海外協力隊任地スリランカでの活動はここで終わる。しかし、ボランティアとは、表層自分には何の利益もないものごとに身を捧げ、本質の深く大きなところで、掴み取ったものを、また、他人のために捧げることなのかもしれないと考えるとき、協力隊の活動というのは帰国後も生涯続いていくものではないかと、今帰国を前に考えている。短い一生のなかの隊員として派遣されたたった2年間だけでも、途上国の人々と同じ生活をし、身を以って貧しさに悩むことができた。途上国での不便な生活や途上国の貧しさと日本の本当の素晴らしさについては、途上国の人々と同じ生活をしたことによってのみ知り得ることができたのだと思う。不便な途上国での2年間の生活の中で、日本の経済成長とグローバル化の影で、真価が評価されていない日本の素晴らしさや現代の日本の問題に気付いたことで、帰国後の活躍の場が待っているのではないかと思う。何よりも、私たちの暮らしに問題があるのは、私たち自身に責任があり、その解決は国がしてくれるのではなく、自分たちの町や祖国日本のため、自分たちの力でいくらでも改善していけるということ―国や社会へ奉仕する勤勉さをスリランカで学んだように思う。ボホマストゥティ　スリランカ！（スリランカとてもありがとう！）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu/50998015.html</link>
			<pubDate>Sun, 15 Mar 2009 18:39:45 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>後任者と共にスリランカの明日に大志を抱いて</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/17/50779317/img_0?1236512223&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/17/50779317/img_2?1236512223&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
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2月24日（火）&lt;br /&gt;
後任者と線路沿いの不法占拠住宅を訪問。Divisional Secretariat Office(郡事務所)を後任者と訪問、所長、生活保護課、幼稚園担当課、災害担当課に挨拶をし、生活保護銀行を訪問。Thudella 東区を廻る。&lt;br /&gt;
2月25日（水）&lt;br /&gt;
後任者とIndivitiyaとKalaeliyaを廻る。&lt;br /&gt;
2月26日（木）&lt;br /&gt;
Divisional Secretariat Office(郡事務所)、生活保護銀行、民生員事務所、保健所を後任者と訪問。&lt;br /&gt;
2月27日（金）&lt;br /&gt;
各自治会でのボランティアの新旧交代挨拶の段取りをする。Sri Lanka Land Reclamation Development Cooperation(スリランカ土地開拓開発協同組合)へ連絡をする。ガンパハ在住の女性銀行役員に連絡を入れる。&lt;br /&gt;
2月28日（土）&lt;br /&gt;
JICA事務所で最終報告会。2年間の活動を15分で報告。送別会。まだまだ帰国する実感が湧かない。しかし、沢山の人々が盛大に祝ってくれた。悩んでも途中で投げ出さず、悩んだことが自分を大きくしてくれると信じて頑張れ、たとえ活動が成功裏に終わらなくとも、途上国での経験と知見を活かして日本での活躍の場が待っている旨メッセージを送った。荷造りを始めなければならない。&lt;br /&gt;
3月1日（日）&lt;br /&gt;
後任者と早朝ジャーエラへ帰り、Thudella南地区自治会員たちにボランティアの新旧交代挨拶をする。人の良い自転車修理屋が私の帰国を前に自宅へ誘ってくれた。貧しい佇まいでも、コーラとビスケットとバナナを出し歓待してくれた。予定していた2つの自治会の新旧交代挨拶のための会議が人が集まれず流会に。Indivitiya自治会会計の息子さんがシンセサイザー等をやっていてギターを抱えた後任者と共に自宅を訪れる。様々な曲をかなで、唄を歌い、セッションをした。とても意気投合し、早速バンドを結成することが決まった。ホームステイ先でも、後任者のギター伴奏で日本歌謡曲を披露した。&lt;br /&gt;
3月2日（月）&lt;br /&gt;
後任者と線路沿い不法占拠住宅群へ行く。地元大臣は今日も不在で、明日朝再度電話することになった。小学校新入生が不登校となっていて、本日登校したところ学校へ手紙を出さなければならないとのこと。手紙の書き方が分からず、民生員宅へ行くも不在。市役所へ母と子を連れてきた。事務長へ相談し、市長と協議し、市長名で文書を作ることになり、サインをもらい、親子は明日学校へその手紙を携えていくことになった。一方市役所会議場では、小学生の成績優秀者への奨学金授与式が行われた。役所で後任者への引継ぎ事務を行う。Indivitiyaの婦人会へ後任者と出席。新旧交代の挨拶をし、ふたりでギターと歌を披露した。Indivitiya自治会での新旧交代式を10日（ポーヤデー；満月の休みの日）に実施することが決まった。未だ下宿先の片付けと荷造りも始めていない。12日に配属先の住宅公共施設省で行われる最終報告会も準備ができていない。&lt;br /&gt;
3月3日（火）&lt;br /&gt;
市役所で後任者へ事務引継ぎをし、Divisional Secretariat Office(郡事務所)と住宅開発公社ガンパハ支部、ワールマーリガ・インジニアル・カーリヤーレ（灌漑事務所）を後任者と共に訪ねる。郡事務所には担当者不在のため、明日再訪となった。住宅開発公社ガンパハ支部は、Housing &amp; Community Development Committee(住宅及び地域開発委員会)会議をジャーエラ市役所で開催することについて会議をすることとなった。また、洪水対策の進捗状況について灌漑事務所からジャーエラ市役所に報告と連携をすることとなった。スリランカクリケットチームがパキスタンでテロ攻撃を受け、多数の選手と監督が負傷した。昨年世界2位の成績を収めたチームであるだけに、大きな損害だ。チームの活躍は、戦争の続くスリランカの唯一の大きなホープだ。選手たちの早期の回復と復帰を祈りたい。&lt;br /&gt;
3月4日（水）&lt;br /&gt;
住宅開発公社ガンパハ支部、ワールマーリガ・インジニアル・カーリヤーレ（灌漑事務所）を後任者と共に訪ねたことについて、市長及びカウンターパートへ報告を行う。Divisional Secretariat Office(郡事務所)を後任者と共に訪ね、所長と挨拶した後、住宅開発公社からの派遣職員と共に市役所へ行きHousing &amp; Community Development Committee(住宅及び地域開発委員会)会議をジャーエラ市役所で開催することについて市長へ説明をしてもらった。新旧隊員の市役所主催歓送迎会に４自治会住民が参加するため、ガンパハから女性銀行の説明紹介をしてもらうことになった。会の出し物として後任者と私によるギター演奏と日本歌謡紹介も取り入れることになった。カンパで集めた自治会や市役所で行うコンテスト用の景品を後任者へ引き継いだ。カウンターパート達とライス＆カレーのおかずを分け合って食べる。午後再びDivisional Secretariat Office(郡事務所)を後任者と共に訪ね、次長及び事務長に洪水問題対策の進捗状況について協議をした。ジャーエラに事務所を構え活動している唯一のNGOであるHabitat for Humanityを訪問。子供会を訪問するためThudella東へ行くが、今月から水曜日はなくなったとのことで、自治会会計宅を訪問し、Thudella南自治会書記宅を訪問。&lt;br /&gt;
3月5日（木）&lt;br /&gt;
コロンボのSri Lanka Land Reclamation Development Cooperation(スリランカ土地開拓開発協同組合)を後任者と共に訪問。スリランカ全土の洪水問題について2003年にJICAがまとめたレポートを閲覧した。ジャーエラ地域でも詳細な調査が行われ、そのデータを基にして洪水対策の計画がまとめられていた。必要なのはそれを実施するファンド（資金）だけだ。初めて知った。なんということだろうか？フィールドコーディネーターが当組合との連携を示唆しなければ、後任者まで無駄な動きを続けることになっただろう。ここまで来るのにどれほどの時間と精力を費やしたことだろう。もっとJICAとJOCVの連携が必要ではなかろうか？このレポート冊子を拝借し、後任者と共に当組合を後にした。ジャーエラ市長とDivisional Secretariat Office(郡事務所)とワールマーリガ・インジニアル・カーリヤーレ（灌漑事務所）へ報告が必要だ。&lt;br /&gt;
3月7日（土）&lt;br /&gt;
後任者とネゴンボへ&lt;br /&gt;
3月8日（日）&lt;br /&gt;
12日に配属先の住宅公共施設省で行われる最終報告会の準備。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu/50779317.html</link>
			<pubDate>Sun, 08 Mar 2009 20:37:03 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>最後まで駆け抜けて</title>
			<description>2月10日（火）&lt;br /&gt;
Sri Lanka Land Reclamation Development Cooperation(スリランカ土地開拓開発協同組合)のジェネラルマネージャー（総支配人）にジャーエラの洪水問題の改善に向けての協力要請を依頼した。ジャーエラ川の浚渫等に関する業務を管轄しているようで、文書にて当局へ協力依頼することになった。その後、配属先住宅公共施設省にて後任者と共に、挨拶をしてまわる。フィールドコーディネーター及び後任者とともに女性銀行の本部を訪問。65,000人の会員115支店から構成されており、総額10億4,600万ルピーを運用しているようだ。Indivitiyaは婦人会が同様の活動をしており、Kalaeliyaは生活保護銀行があり、Thudella南は比較的裕福なので、高利貸しが頻繁に出入りしているThudella東に導入できればよいのではないかと思っている。&lt;br /&gt;
2月11日（水）&lt;br /&gt;
線路脇の掘っ立て小屋群の住民の件で、地元大臣に陳情に行くことになっていたが、選挙活動で不在のため、繰り延べにする旨住民へ伝えに行く。洪水問題の改善に向けての協力要請依頼状を作成。日本の職場へ帰国日程を知らせる文書を作成。昨日からのどが痛く発熱。昨日ホストファミリーから聞かれた。帰国して「スリランカは良い国ですか？」と聞かれたらどう答えるかと。隊員は、日本とスリランカの友好を育むというひとつの使命を負っているため悪い国だとは言えない。しかし、途上国であるがゆえ、社会のいたるところに問題を抱えている。問題がなければ隊員は派遣されない。問題があるからこそ、派遣されるのだろう。衛生や治安の面、生活の便等、日本人にとっては、非常に住みにくい国だろう。途上国の一般市民と同じレベルの生活をし、文化や慣習を学び同じ目線に立ったとき、外来者として目に留まる問題をしがらみにとらわれず改善の触媒的な作用を起こすことができる。好きか嫌いかと聞かれたら、好みの問題だが、文化や価値観・衛生観念など私にはあわないと答えるだろう。しかし、愛しているかどうかという問いならば、深い愛情を持っていると答えるだろう。ボランテイア活動が成功であったか？家族と2年間離れるに足る価値はなく、参加したことを後悔したが、やれることをやったのではないか？&lt;br /&gt;
2月12日（木）&lt;br /&gt;
市長と今年のAnnual Implementation Plan(年間実施計画)の内容について話す。カウンターパートは（育児休暇を終えて1月から出勤している）職員に代わるかもしれないようだ。今のカウンターパートがやりたがっていないのだろう。そのほうがいいかもしれない。市役所へ行くと2月3日に献血で使った私の机が未だに戻ってきておらず方々を探し回って、彼等の勉強が必要だと思い「私に黙って私の机をどこかに持って行き、いつまでも戻ってこない。机の中には私のものが入っている。これじゃ泥棒じゃないか？誰が持って行ったのか？持って行った人に元の場所へ返す責任はないのか？何故私がどこにあるのか探し回らなければならないのか？借りてもいいかとたずねる言葉もなければ、迷惑をかけて詫びる言葉の一つもない。仕事ができないので、直ぐに持って来い。」と怒鳴ってやった。まったく責任のない土木課長が謝り、それだけで許してしまった。労務者がいないので明日の朝運んで来ると言われ、こんなことにでもなれば誠実な日本人だと労務者でなくとも社長でも助役でも誰でも直ぐにでも運ぶものだが、もういいやと思った。職員にプリンターの不具合の調整と、スピーカーの設定を頼まれ、1時間ほど時間を奪われた。&lt;br /&gt;
洪水問題の改善に向けての協力要請依頼状を印刷･コピー。来週、Sri Lanka Land Reclamation Development Cooperation(スリランカ土地開拓開発協同組合)へ提出し、プラデーシャ・レーカム・カーレヤーレ（郡事務所）へ再提出する予定。帰国時の研修等のプログラムの最終日の日程が固まり、帰省のため最終便を購入し、日本の職場へ帰国日程を知らせるメールを送信。線路脇の掘っ立て小屋群の住民の件で、地元大臣への陳情は、明日になった旨住民へ伝えに行く。世界一周中の日本籍ヨットがゴール港に停泊しており、今週末船長を訪問することとなった。ヨット世界一周は私の夢でもある。活動は帰国の日まで続けるが、もうこれ以上活動の大きな進捗はないであろうため、週末に隊員連絡所で最終報告書をポータル（インターネット上の入力）で提出することにした。暇を見て荷造りも進めるつもりだ。&lt;br /&gt;
2月13日（金）&lt;br /&gt;
線路脇の掘っ立て小屋群の住民の件で、住民とともに地元大臣に陳情へ行く。先日以来電話し昨日朝8時半に来なさいと言われた。水浴びをして身だしなみを調え家事を切り上げるという準備に時間のかかる住民たちのため、早朝に掘っ立て小屋郡に行き尻を叩いて急かして、バス停まで歩き、皆でバスに乗り、大臣宅へ到着。朝8時半から10時50分まで待合室で待たされた。顔なじみの市会議員などは後から来て面会してかえって行ったようだ。何度も秘書官のところへ行き、「住民は内職等をして何とか生計を立てているので、何時間もここにいると今日の食べ物にも困ってしまう。何とか早く大臣と会わせてほしい。」と頼んではあったのだが、秘書官が私のところへ来て、また、選挙後に来なさいとのこと。この住民たちとこの大臣宅に来たのは2回目だが、未だ大臣に会うことができない。もうスリランカのやり方には慣れ疲れて、怒る力もなくなるが、私を信頼してここまで来てくれている住民たちの顔をみると、「家をもらうのは簡単じゃないからね。」と言うしかない。住民たちは、それ以前にも来たことがあるが、会えたことがないと言っている。バス停まで歩く道すがら、「私達かわいそうだね。」とつぶやいてしまった。誰からも重きを置かれず、誰も関わろうとしない。少しだけ彼らと同じ気持ちになれ、少しは彼等の心境が分かったのが、私の今日の大きな収穫だった。&lt;br /&gt;
2月14日（土）～15日（日）&lt;br /&gt;
世界をヨット（55ft）で10年間（現在2年8ヶ月目）かけて一周中の方に会う。寄港地で現地の人々と同じ物を食べ同じ生活をすることを心がけているとのことで、これまでも、色々な国で様々な隊員と会って話を聞かれているようだ。最終報告書をポータル（インターネット上の入力）で提出。&lt;br /&gt;
2月16日（月）&lt;br /&gt;
Sri Lanka Land Reclamation Development Cooperation(スリランカ土地開拓開発協同組合)へ洪水問題の改善に向けての協力要請依頼状を提出した。Chairman及びGeneral Managerと話し、調査のため職員をジャーエラに派遣する旨取り付けた。&lt;br /&gt;
Indivitiya（ディウィニ・カンター・サミティエ）婦人会へ出席。25人が出席し、前回議事録の確認、預け入れ額･借入額の確認、次回の総会及び当婦人会の会議の計画、問題点の協議等を行っていた。とても素晴らしい活動を行っていて、皆立派な人々だ。もっと以前から関わっていれば、支援活動などの展開ができたかもしれない。ボランティアも学ぶことがたくさんあるのではないかと思う。&lt;br /&gt;
2月17日（火）&lt;br /&gt;
国会に出かけたとのことで、今日も地元大臣と会うことはできない。&lt;br /&gt;
プラデーシャ・レーカム・カーレヤーレ（郡事務所）へ洪水問題についての協力要請依頼状を再提出した。Thudella南自治会役員と20日の市民一斉側溝清掃（どぶさらい）シュラマダーナ（奉仕作業）についてカウンターパートと共に会議。&lt;br /&gt;
2月18日（水）&lt;br /&gt;
ようやく今朝私の机を返してもらった。机の中には結構の荷物や小額のお金さえ入っている。返却されるのに何週間かかっただろうか？スリランカのいい加減さにはあきれるにも程があるが、もうどうでもいい。明日後任者のハンドオーバー（配属先住宅公共施設省から派遣先ジャーエラ市役所への受け渡し）式典があり、市長と打ち合わせをする。その間にカウンターパートは帰宅したのか、机の荷物がなくなっていた。私まで市役所に来てカウンターパート達と顔をあわせるのが厭になってきた。しかし、後任者のため頑張ろう。彼には、不必要な同じ苦労はさせない。Indivitiya自治会役員の旦那さんが事故死し、葬式に参列。土と木の葉をまいた後に、十字架を掲げた棺が担がれて、その後に三輪タクシーの運転手仲間達が三輪タクシーで続き、村の人々が続き、市営墓地まで運び、土葬された。最終報告書の添付書類をメールで送信。日本へ荷物を送るため電話で情報を入手。宅急便はかなり高い。日本から送るほうが安いかもしれない。&lt;br /&gt;
2月19日（木）&lt;br /&gt;
後任者のハンドオーバー式典に参加。荷物を市役所の公用バンに積み込み、下宿先へ行き、市役所へ挨拶。家主と後任者の間に入り、家の決まりや契約そして両者間の取り決めごとなどを話す。&lt;br /&gt;
2月20日（金）&lt;br /&gt;
後任者とThudella南自治会の市民一斉排水路清掃（どぶさらい）シュラマダーナ（奉仕作業）に参加。&lt;br /&gt;
2月21日（土）～23（月）&lt;br /&gt;
3連休で、後任者と共に海へ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu/50208378.html</link>
			<pubDate>Thu, 19 Feb 2009 22:03:29 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>故郷を遠く離れて</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/78/49816078/img_0?1234159873&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/78/49816078/img_1?1234159873&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/78/49816078/img_2?1234159873&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
1月29日（木）&lt;br /&gt;
Thudella南自治会役員たちと共に朝8時から市長宅で自治会の要望を伝える。2月20日にシュラマダーナ（奉仕作業）による排水路の市民一斉清掃を実施することと自治会内の2つの通りに通りの名前の看板の設置を決定した。市役所へ行き、模様替えではずされていた5S（ファイブエス）運動啓発のための看板を通路の一番前、出勤時に目に止まる位置に掲げた。知り合いになったポーランドのNGOの人と電話で話す。Indivitiya会計宅で話す。ジャーエラ婦人会（リラウッラ）の総会（月例会）と次回のIndivitiyaグループ会議（毎週月曜17:00～）に参加することになった。ジャーエラ婦人会には、ジャーエラ市内の4つの婦人会グループ（デウミニ―マーエリヤ、タル―マーエリヤ、ロボーダ―リラウッラ、プリサンサ―ウェーワラ）があり、マイクロクレディツト（小規模融資）、葬祭互助、食料品の共同購入、健康保険、家庭菜園事業等に取り組んでいるようだ。マイクロクレディツトは、1週間に会員は（5ルピーから100ルピー程度の）好きな額を貯金（利息3％）し、会は某銀行へ貯金している。会員は自分の貯蓄額の倍額まで3％の利子で融資を受けられるようだ。葬儀には会員全員で奉仕作業を施し、葬儀代として5,000ルピーを支給する。食料品の共同購入は、会費の中から資金を拠出し、購入配布後、次の月10日に会員は費用を支払う。健康保険は、癌など大きな病気の場合治療費を支給しているようだ。家庭菜園は収穫した野菜を販売し、収益は会へ貯蓄しているという。&lt;br /&gt;
最終報告会は、自分がなかなかスリランカを好きになれなかったので、「スリランカを愛する方法」等考えていたが、任地変更もあり平坦ではなかった道のりをそのまま伝えることにした。パワーポイントを作らなければ。提出書類以外に帰国の準備は未だまったく始めていない。帰国準備で下宿先を引き払って、コロンボの隊員連絡所へ上がってくる隊員もいるが、引継ぎで後任者と最後までいなければならないので、帰国準備も難しい。&lt;br /&gt;
1月30日（金）&lt;br /&gt;
ジャーエラ婦人会（リラウッラ）の総会（月例会）出席。その後、Indivitiya住民から要望が上がっている昨年実施した家庭菜園についての品評会と表彰について市会議員と市長と協議をする予定だったが、市議会が長引き時間がとれず、次の機会へ。&lt;br /&gt;
1月31日（土）&lt;br /&gt;
ベントタへ。ウインドサーフィンとウエイクボードとボディーボードを楽しんだ。&lt;br /&gt;
2月1日（日）&lt;br /&gt;
Thudella東の教会で教会内の掃除をシュラマダーナ（奉仕作業）で行うことになっており、自治会の人々が集まるとのことで、行ってみたが書記と会計がいないため、水曜日の祝日に会議をすることになった。会計宅を訪問すると、親族皆で別の教会の神父のところへ行っているとのこと。彼の家の留守番をしていた彼の妹の話によると、彼は精神錯乱状態に陥っているとのこと。彼とは非常によい信頼関係を築いてきた。この村の自治会のほかに婦人会や子供会などを運営し人望の厚い人でもあり、この村の強力なリーダー的存在だ。非常に心配だ。&lt;br /&gt;
中国資本によってThudella南から東地区を横断する道路の建設に向け、土地の売買、測量と地盤調査を行っているようだ。建設途中で資金難となり計画が頓挫している高速道路は洪水の大きな一因となっているが、同じ中国資本で同地区にまた同じような計画が始まった。洪水に見舞われる低湿地帯の貧しい地域での道路建設と土地の売買。これも、ジャーエラをどのように変えていくのか、慎重に見守る必要がある。&lt;br /&gt;
2月2日（月）&lt;br /&gt;
Thudella東子供会へ出席。4歳から14歳までの子供たち39人が参加していた。毎週月曜と水曜日に開催している。教会が主催しているため、キリスト教の勉強が中心だ。年齢ごとに6グループに分かれ、16:00～18:00までの2時間勉強会をしている。Thudella東自治会会計宅へ。昨日の精神錯乱状態は何とか小康状態を保っているようだ。真面目な性格に経済的な貧困も重なり、村の問題で頼りにされるが、問題があまり進展しないことに真剣に悩んでのことだろう。&lt;br /&gt;
2月3日（火）&lt;br /&gt;
献血運動を市役所主催、ＮGOと赤十字共催で実施。後任者のAnnex は、頼んでおいたIndivitiya自治会の書記によると見つからず、頼んでいたThudella南自治会役員に聞きに行くと、一緒に町内を廻ることとなった。町内の10人ほどの人たちと会い話しをし、５軒の家を見に行ったが、もう既に新しい住人が入っていて、2つの家が見つかった。一軒は、２階建ての一軒家の２階を丸々借りるタイプで、内装も綺麗で、４室ありバス・トイレ・キッチン付きだが、13,500ルピー/月だ。一軒は母屋と出入り口別でトイレ･バス･キッチン付きで8000ルピー/月で上限の7,000ルピーを上回るが何とかなるのではないか。Annexにしろスリランカ人の家に住むときには、特有の文化が日本人にとっては大きな壁になるのではないだろうか？先ずは衛生観念；途上国なので兎に角衛生状態が酷い。汚いというときの定義の仕方が違うので、彼らにとってはまったくもって汚くないのだが、日本人にとってはとても堪えられない。次には、「所有」意識や価値観の相違；他人のものは自分のものであること。盗まれ物がなくなったり、触りまくられる。いつも貸してくれと当然のようにしつこくせがまれる。あれをくれ、これをくれ、写真を撮ってくれと言われるのも当たり前だ。次には、詮索；あれやこれやプライバシーという感覚なしに何でも聞き調べたがる。ここに挙げれば限がない。私のホームステイ先は、そういった特有の文化の壁が、非常に低いといえる。市役所で職員を動かすのは、権力者の命令が必要だ。ボランティアだけの力では難しい。市長との繋がりも利用できるので、仕事もやりやすい。後任者には勧めたい。&lt;br /&gt;
その後、同自治会役員たちと市役所に行き、排水路の市民一斉清掃（どぶさらい）をシュラマダーナ（奉仕作業）でやるため市役所へ協力を依頼する旨のレターを助役に渡し、市長に報告をした。&lt;br /&gt;
Indivitiya自治会の会計宅へ。後任者のAnnex は、見つからないとのこと。裕福なThudella南の人々の周りにしかAnnexといった独立した別宅を持つ高級な屋敷作りはないのかもしれない。そういった情報も貧困地区では見つかりにくいだろう。Indivitiya自治会では、１．道路の市民一斉清掃シュラマダーナの実施　２．町内のごみ収集の週2回実施　３．ゴミポイ捨て禁止看板の設置　４．家庭菜園品評会の実施　1～4のため、会計の親戚の市会議員を通じて市役所の協力を要請するとのこと。&lt;br /&gt;
2月4日（水）&lt;br /&gt;
National Day独立記念日の祝日。Kalaeliyaでニダハサウッサワヤ（独立記念式典）があり、参加。プラデーシャレーカムカーレヤーレ（郡事務所）主催で、負傷軍人と住民、地元大臣秘書と郡事務所長や生活保護担当官達等がマチングバンドに率いられた行進に始まり、サムルディー（生活保護）受給者によるクリケットマッチが催された。書記の休みの日にあわせて、Thudella東自治会の役員会議を開催する予定だったが、集合場所には誰も集まらなかったため、書記宅に行くとスリランカでは当たり前のことだが、コロンボの親戚宅へ行ったとのこと。住民達から上がってくる当自治会の要望を市役所へ上げるように会長に話しておいた。市会計宅に行くと、ついに彼は精神病で入院したとのことで、奥さんや妹さんは悲嘆にくれていた。彼は、家計をまもるため、日雇い労働に出、家庭菜園に精を出していた。大黒柱が入院となれば、この貧しい家庭はどうやって生計を立てていけばいいのだろうか。彼がいないことはこの自治会にとっても大きな痛手だ。彼は、村の問題について、様々な役所へ陳情を精力的に行い、その記録もきちんと保管していた。また、村の婦人会や子供会、家庭菜園の普及にも熱心に取り組んでいた。奥さんと妹さんにお菓子と飲み物を渡し、子供たちがいるので、強くいなさいと話しておいた。&lt;br /&gt;
2月5日（木）&lt;br /&gt;
フィールドコーディネーターとセキュリティー担当者が後任者の下宿先のセキュリティーチェックでジャーエラを訪問。設備、金額、治安、清潔さ等の面で折り合うところが見つからず、私の下宿先にしばらく滞在してもらい、必要であれば好みのAnnexを探してもらうこととなった。Thudella東教会のミサにたくさんの人々が集まっていた。3,500人位の人々が参列するとのこと。自治会会長と会計の弟が参列していた。書記は仏教徒で、この地域では3割くらいしかいない少数派だ。市長と私のホームステイ先の子供たちに、シャボン玉を買って帰った。&lt;br /&gt;
2月7日（土）～2月9日（月）ポーヤ（満月）の休日</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu/49816078.html</link>
			<pubDate>Mon, 09 Feb 2009 15:11:13 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>スリランカの風に吹かれて</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/04/49398704/img_0?1233206357&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/04/49398704/img_1?1233206357&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/04/49398704/img_2?1233206357&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
1月6日（火）&lt;br /&gt;
幼稚園始業式に出席。子供たちへ制服や靴等の支給をし、記念品を渡す。&lt;br /&gt;
1月7日（水）&lt;br /&gt;
姉妹都市関係構築についての日本の自治体への打診の文書を作成し、市長のサインをもらい、9つの自治体へ発送。&lt;br /&gt;
1月8日（木）～1月23日（金）&lt;br /&gt;
カウンターパートは1月8日（木）からハディシエンン（急用）の幼稚園始業式の仕事が終わると一週間ジャーエラ市役所へ現れず、15日に現れた。Acting(一時的に代行する)として長年複数の役場を掛け持ちしてきた彼女にとって仕事とはただの急用（急ぎの用務）だけのようだ。カウンターパートは「私はジャーエラ市役所の職員ではない。」といつも言っている。ジャーエラ市役所職員の殆どはジャーエラには住んでいない。こういう体制では、市役所職員の中に醸成されてしかるべき犲分の職場を愛する心爐筺&amp;quot;郷土愛″といったものは育ちにくいのではないか。またハディシエン（急いで）今年のAnnual Implementation Plan(年間実施計画)を作ることになった。住民には何をやりたいか聞いているが未だに返事がない旨話し、とりあえず半分費用負担する市役所側のやりたいものを上げてみようと言うと、何もないようだ。昨年実施できなかったプログラムと一部自治会から要望の出ているものと市長との話の中でやってみたいと言っていた原爆展を組み込み、ハディシエン（応急的）に作成した。他に自治会住民の要望や後任の意向で変えていくこともできるということで、大まかな作成でかまわないだろう。1月16日に発送すると、カウンターパートは再び1週間、ジャーエラ市役所には出てこなくなった。スリランカの市役所はどこも同じようだが、職員の休暇等のついても監督者の助役ですら何も把握しておらず、カウンターパートは自分で2月にはジャーエラを転勤になると言っていたが、このまま流していくようだ。20年近く放っておいた顔の出来物の手術を計画したのもやはり、このJOCV-Unit事業から逃げる口実だったのだろう。唯しかし、自分がJOCV-Unit事業を呼び込んだ張本人として私に義理を感じて3つのプログラムだけは協力してくれたが。もう既に異動希望を出しているようで、他にも今までにもあったことだがそのときと同じように、システム等がよく分からない私には転勤と言ってごまかし、同僚と話すときは私に聞こえないように小声で耳打ちしているが、スリランカ的には最後の日には食べ物を持ってお別れの挨拶に出てくるようなので、そのようにして逃げていくのだろう。職員の能力向上という目的も持つこのJOCV-Unit事業。スリランカの文化と折り合わない、そんな忙しいことになるよりは、逃げ出したくなるのだろう。&lt;br /&gt;
　隊員幹事から電話があった。最終報告会は2月28日に設定された。もう私は終わった。&lt;br /&gt;
5号（最終）報告書とパワーポイントを作り始める。最終報告会では、他の隊員たちに伝えたい物事を伝えることになっている。一般的には活動の成果を報告しているが、過去の報告会では、隊員が知っておくと便利な物事や自分が学んだことや教訓、スリランカについて等他の様々な視点から報告を行った隊員もいる。何を伝えるべきか？&lt;br /&gt;
1月24日（土）&lt;br /&gt;
新隊員と新調整員の歓迎会、短期隊員の最終報告会と一番お世話になった調整員の送別会。酒を浴びて諸事について談話。JOCV-Unit事業と初志のギャップそして、家族を残し参加したことへの後悔などについて、心を割って話した。初志―何故父親としての責任を放棄してまで参加したかったのか―自分の我儘としか言いようがない。帰国手続き等を進めながら、帰国を目前として今も後悔していること―今となっては後悔している場合ではないということに気付いた。後2ヶ月、何ができるから分からないが一生懸命頑張ってみよう！それしか今の私にできることはない。&lt;br /&gt;
1月26日（月）&lt;br /&gt;
線路脇の掘っ立て小屋群(不法居住)の住民たちともうこれで4回目になるが、住民と一緒にグラマーセワカニラダーリ（民生員）に会いに行く。今日も不在。午後になって別の民生員に会いに行ったところで判明するのだが、彼は定年退職したとのこと。張り紙も何もなく、周りの住民の誰もそのことを知らず、たくさんの人々が訪れては去っていく。私たちのように何度も事務所に足を運んだ人も多いだろう。住民のこと等なんとも思っていない証拠だ。現在ポジションは空席になっているとのことで、次の方法として、プレデーシレーカムカーレヤーレ（郡事務所）所長に会うことにした。市役所にJOCVカレンダーを張り、市長の自宅へ行き、JOCVカレンダーを渡す。Thudella 南区の会長が不在のため、書記と話す。自治会三役会議、自治会三役との市長との交渉、ジャーエラ10教会洪水問題委員会について、日程調整を再度依頼した。スリランカでは、何度も何度も言わないと物事が進まないが、「もう私は日本へ帰ることになるので、私の小さな力を使ってくれ。いつでもどこへでも行くので私を使ってくれ。でないと、あなた方にとっても、私にとっても、もったいないことだ。そして私たちで動こう！あなたたちにはわからないかもしれないが、あなたたちには大きな力がある。あなたたちはもはや一人ではなくて、自治会の役員で、あなたの後ろにはたくさんの自治会住民がいる。住民全員を代表する力がある。自治会役員と私とで市長に要望を上げよう。」と話す。いつものように市役所にてバツ（ライス＆カレー）を職員たちとおかず（カレー）を交換しあって食べる。後任の方の下宿先を探しているが、出入り口独立型のものがなかなか見つからない。私の下宿先はホームステイタイプで、そういったものならば、いろいろとあるのだが。Thudella東区の会長宅と会計宅を廻る。自治会住民から当自治会長へ道路と街灯そして水タンクの敷設の要望が上がり、それを市長へ自治会長から陳情したとのこと。市長が要望について実施を約束したということだった。この地区は、地元大臣が洪水対策として排水路の浚渫も行っている。Indivitiya自治会の書記宅へ行く。当自治会から要望の上がっていた道路の市民一斉清掃の（シュラマダーナ）奉仕作業による実施についてカウンターパートから3月にしかできないと言われたが、もっと早くすることができないかと思っているとのこと。今年のAnnual Implementation Plan(年間実施計画)への当自治会からの要望とともにレターを作って市役所へ提出するということだった。カウンターパートは上部機関へ異動の要望書を提出した模様で、このJOCV-Unit事業にはもう関わりたくないようだ。「市役所職員は、もう一週間以も出勤していない。スリランカの役人は、日本の昔の役人と同じように出退のサインをすることと給料をもらうこと以外はできるだけ仕事をしないで済ませることが自分の仕事だと思っている。市役所職員にレターを渡したら、それは捨てられるだけだ。彼らを動かすには、市長にレターを渡し話すしかない。」と話す。&lt;br /&gt;
1月27日（火）&lt;br /&gt;
後任者の下宿先を３つ探すようにとフィールドコーディネーターから何回も言われており、市役所職員（殆どはジャーエラには住んでいない）や市会議員に頼んで探してもらっているが、Annex(出入り口が外付けの独立した部屋でバストイレやキチッチン等の設備を持った母屋から区別された別館)というものは、ジャーエラ近辺では少ないし、スリランカ人ののんびりとした無責任な感覚で、探してくれているので、なかなか難しい。先日、後任者本人とコロンボで会って話したが、最初は私のいる下宿先に住んで自分好みの部屋を探すことを考えているようではあるが。私のいる部屋は市長の妹さん宅で、職場から徒歩5分の距離で、周囲の治安も良く、清潔で、2階は部屋もバストイレも1人で使用するので、わずらわしさもない。頼めば親戚も含めていろいろと面倒を見てくれるが、スリランカ人特有の詮索好きな監視や他人のものを触りまくるとか物が取られるとか、食べ物をもっと食べろという自分の徳を積むための押し付けがましさがなく、なかなかいいと思うのだが。私の場合、バドウッラは宿舎が決まっており、ジャーエラもこの下宿先ひとつだった。選ぶ余地もなかった。宿舎は何年も掃除がしてないように汚れと埃と蜘蛛の巣でとても人が住めるようなものではなく、2週間親友になった公衆衛生間の家に泊めてもらいながら、掃除をして、シャワー、ガス、ベッド、カーテンと少しずつ整えていった。ジャーエラのこの下宿先を見たときは、とてもきれいで感動したものだ。&lt;br /&gt;
市役所の職員では探すのは無理だと思い、自治会の人々で信用できる人々にも依頼をした。2月5日に治安担当者が調査に来るらしい。私のときはいずれも暮らし始めて1ヵ月後くらいに調査に来たが。今日は自治会3つInidivitiyaとKalaeliyaとThudella南を廻った。洪水問題について、Land reclamation Office(土地開拓事務所)の排水路浚渫担当者と話し、アポを取った。&lt;br /&gt;
2月28日（水）&lt;br /&gt;
線路脇の掘っ立て小屋群(不法居住)の住民たちとプラデーシャレーカムカーレヤーレ（郡事務所）を訪ねる。所長、事務長、サムルディ（生活保護）担当と会う。その後、住民たちと地元大臣宅を訪ねる。地元大臣宅は選挙に関連し政治家たちが集まり、ジャーエラ市長や市会議員その他顔見知りで一杯だった。大きな道路の前で政治家たちが集まっている状況は、LTTE(タミルイーラム解放のトラ)の格好のターゲットになる。危険を感じ、簡単に話を済ませ、再訪することとし、そそくさと後にした。市役所にはカウンターパートが出勤しており、人聞きに彼女は異動とならず、ジャーエラ市役所残留となったことが分かった。彼女の異動希望の手紙は採用されなかったようだ。彼女は、JOCV-Unit事業が厭で、今まで何回かそのような異動希望願いを出している様子だが、そのたびに市長が留任の願いを出しているようだ。いっそ替わったほうがよさそうでもあるが、他に人材がないようだ。スリランカ国と日本国が取り組んでいるこの事業に対し、やる気を出してほしいものだ。Indivitiya自治会書記に会い、話しがてら後任者の下宿先を探してもらうように依頼しておいた。Thudella東自治会の書記の夫や近隣住民たちと自治会の役割について話をし、組織として彼らが村の問題を市役所と交渉する大きな力を持っていることを言い聞かせ諭し、1日に会議をすることになった。会計宅に行くと1人ふたりと子供たちが集まり、子供会を3日に開催することが決まった。自転車を漕いでいると当自治会の中の市役所労務者たちと出遭い自宅に呼ばれた。彼等の自宅も貧しい佇まいだ。Thudella東－ジャーエラの喧騒から離れた貧しい低湿地帯―ここが何故だか、好きになった。豚が親子で道路に寝転がり、牛が草を食む。石造りのマリア様の祠は雨宿りができる。その横の林の中、こじんまりとした教会が忽然と佇む。住民は素朴で、擦れていない。貧しい子供たちもお金をくれ等と言わない。ここは年2回洪水に見舞われる。粗末なコンクリートブロック作りの小さな家や板作りの家。途切れたコンクリート道路。遊水池に紫色の蓮の花が咲き、子供が魚釣りをしていた。青空にさわやかな風が吹いていた。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu/49398704.html</link>
			<pubDate>Thu, 29 Jan 2009 14:19:17 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>スリランカの小さな水の一滴</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/95/48524695/img_0?1231133182&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/95/48524695/img_1?1231133182&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
12月23日(火)&lt;br /&gt;
フィルドコーディネーターが市役所を訪問、一緒にThudella東及び南区自治会の住民宅を廻っていただいた。経験に基づいた当意即妙な助言を頂いた。&lt;br /&gt;
12月24日(水)&lt;br /&gt;
プラデーシャレーカムカーリヤーレーを訪問。洪水の問題についてレーカムと話をし始めたところで、□□国会議員一行が現れた。スリランカの洪水対策は、災害規模の大きな、ラトゥナプラやカルタラやゴール等の地域を優先して計画されているが、ジャーエラ地域もその対象にしてもらいたい旨国会議員に話してみた。彼は、「私は政治力では動かない。レーカムにも政治の力では動かず、自分の仕事をきちんとするようにといつも話している。」とのこと。もしどうしても国の政策を無視して政治力を使うのなら○○と一緒に△△大臣に会えとのことだった。それを聞いて、私の動き方が間違っていたのだと悟った。私は、担当する地域のために、政治の力を利用すべきなのだろうか？私は、日本のボランティアだ。私のすべきことは、そんなことではない。自治会の住民の話では、洪水問題のため、地域の10の教会が協議会を作ったようだ。住民たちと一緒に動いてみよう。&lt;br /&gt;
12月25日(水)～28日(日)&lt;br /&gt;
クリスマス休暇。暖かい海でクリスマスを迎える。1.5mと1.3m程の亀の夫婦、0.9m程の亀の夫婦、0.7m程の亀の夫婦にたて続けに遭い、2m程のウツボに遭う。2.5m程の波に20名位のサーファーたちが群がる。&lt;br /&gt;
12月29日(月)&lt;br /&gt;
線路脇の掘っ立て小屋群(不法居住)の件で、グラーマーセーワカニダラーリ(民生員)に会う。住民にレターを書いてもらえば、民生員がサインをして、△△大臣に相談し、身分証明書発行や生活保護支給や住居提供等についてできることをやろうということだった。&lt;br /&gt;
12月30日(火)&lt;br /&gt;
市役所のパソコンのウイルス駆除や適正化などをした。&lt;br /&gt;
12月31日(水)～1月1日(木)&lt;br /&gt;
スリパーダ山登山。昨年も元旦にこの山を登山した。スリランカ青年海外協力隊隊員有志38名は、スリランカのスリパーダ山（アダムスピーク）2,238mの登山を行った。この山に、仏陀も、シヴァ神も、セント・トーマスも、アダムも降り立ったと言われ、仏教徒もヒンドゥ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も山頂の岩に刻まれた『足跡』を目指す神聖な山だ。&lt;br /&gt;
しかし、この山もスリランカの町と同様にゴミ屑が酷い。昨年から始めたことだが、初日の出を拝んだ後、私たちはゴミ袋片手に下山した。私たちはシンハラ語や英語で、「立派な山がゴミで埋もれてもったいないね。神様に悪いね。神様は私たちのことを見ている。」と話しながら、ゴミを拾ってはゴミ袋へ入れていた。するとスリランカ人も、他の東洋人もそれを手伝い始めてくれた。40人位の人々が私たちの活動を見てくれただろうか。20人くらいの人々が手伝ってくれた。&lt;br /&gt;
私は、私たちの協力隊の活動をこの小さな掃除登山と重ね合わせて見た。私たちにはほんの小さなことしかできない。私たちが掃除をしてきれいになったこの山も、明日にはたくさんの人がまたゴミを捨てていくだろう。しかし、この活動を見た40人の人は、ゴミを捨てにくくなるだろう。ゴミを捨てなくなっていくだろう。ゴミを捨ててはいけないよと言うようになるだろう。ゴミ拾いをはじめるだろう。この活動を見た40人のなかで、ゴミ拾いを始めた人の活動をまた、40人の人が見るだろう。ボランテイアの人々が口にする「私たちの活動は大河の一滴にすぎない。しかし、一滴一滴が集まり、やがて大河の流れを作り、大海原へ続くだろう。」という思いで下山し、心が晴れ晴れしくなった。&lt;br /&gt;
　試験に合格するのに19年もかかって、妻も子供も日本に残して、勤務先の宮崎市役所から初めての｢青年海外協力隊隊員｣として派遣されることになった私は、大きな野心を胸に抱いき、スリランカへ到着した。訓練所でも、スリランカに初めての音楽大学を作ることに協力した某音楽隊員のビデオを見て、大志を抱いたものだ。しかし、今はこう思っている。私の仕事は、小さな水の一滴でいいと。それは、私の場合、市役所の職員と住民とが、自分たちの町は自分たちの力で、いくらでも良くしていくことができるという考えを持つようになってもらうことへ力を貸すことだと思う。小さなプログラムをして、そこに小さな水の一滴一滴を集めていくことで、そんな川の流れを作っていきたいのだ。&lt;br /&gt;
1月2日(金)&lt;br /&gt;
スリランカ人友人から、1月1日の出勤は職員にとって大切で、年の最初の日から欠勤をすると怠惰だと思われるという話を聞いた。今日は絶対に出勤をしようとスリパーダ登山で痛めた足を引きずってジャーエラへ帰ってきていた。しかし、今日になっても足の痛みは治まらず、ホストファミリーも子供の学校が始まらないため朝が遅く、どうせカウンターパートも出勤しないのに、と思い出勤する気持ちが湧かないでいた。そこに、カウンターパートから出勤しないのかと電話があった。カウンターパートが元気を与えてくれた。足を引きずって、市役所の皆に新年の挨拶をして廻る。昨年5月から産休・育休していた職員とも再会した。カウンターパートは、自分のほかの仕事で忙しいようで、話さなければならないことが沢山あるので、時間をくれといっておいたところ、1時に帰宅するとのことで、その前に15分ほど話をすることができた。自治会と市役所のあり方や今後のAnnual Implementation Plan(年間実施計画)のプログラムについて、後任者について、自治会からの要望等を少しだけ話すことができた。&lt;br /&gt;
1月3日(土)4日(日)&lt;br /&gt;
家族の顔が見れない日々。インターネットテレビ電話を年末からずっとしていない。年末は家族が旅行中で、スリパーダから帰ってきたが、インターネットCafe店が閉まっている。日本の年末年始の休みに間一度も顔を見ていない。気持ちがブルーだ。1年9ヶ月が経過した。54回海外へ出たことがある。気に入って何回も訪れた国もある。訪れた国は大抵好きになった。そう思うときイメージする国というものは、そこの自然と町と人々のことだと思う。それが気持ちを高揚さえるものか、不快にさせるかということだろう。しかし、スリランカ。どうしても馴染めない。1951年戦後処理のためのサンフランシスコ講和会議で多額の賠償責任が迫られ、米英中ソ連による国土の4分割統治案等も考えられていた日本に損害賠償を要求しないようにと演説した故J.R. Jayewardene大統領（当時スリランカ外務大臣のジャヤワルダナ氏）等敬愛している人はいるのだが、、、、彼と会って話しをしてみたかった。足の痛みが未だ癒えない。&lt;br /&gt;
1月5日(月)&lt;br /&gt;
市役所へ出勤するが、発熱し、肩、足、腰が痛く、両足には何か虫に指されたか大きく熱を持って膨れている。MOH Office（保健所）で薬をもらう。カウンターパートは明日開催する幼稚園の行事で忙しい。私も参加するので協力できることがあれば手伝う旨話しておいた。メールを後任の方へ送る。&lt;br /&gt;
後任の方へ&lt;br /&gt;
あなたが日本のボランティアとして途上国の人たちと一緒に国づくりの役に立ちたいと青年海外協力隊隊員となられましたことに、一方ならぬ敬意をこめてご挨拶申し上げます。&lt;br /&gt;
あなたの着任にあたりまして、試験に合格するのに19年もかかり、妻も子供も日本に残し、職場の第一号として派遣されることになり、なみなみならぬ大志を抱いてスリランカへ旅発った日のことを思い出しています。&lt;br /&gt;
私は後任の要請はいたしませんでした。この事業が後任の方の、純粋な大志に見合うものか、迷いがあったためです。しかしながら、JOCV-Unitにひとり既に派遣が決まっているが、受け入れ先を探しているとのことで、ジャーエラ市役所に受け入れについて打診があった旨、市長から相談がありました。既存のJOCV-Unitに属する他の市役所に比べたらジャーエラ市役所は協力体制がよい市役所だと思っておりましたので、受け入れの問題はないのではないかと市長に答え、手続きが取られました。&lt;br /&gt;
志が大きく純粋であるほど悩むことも多く、楽しみよりも苦しみのほうが多いのではないかと思います。こちらで身につける語学や技術は、日本で必ずしも役に立つかどうかは分りませんが(殆ど役に立たないと思っておいたほうがよいのかもしれません)、日本へ持って帰れることができるものは、本質を見抜く心眼を磨くことや人を許し受容れる大きな包容力を養うことや人間としての器を大きくすることといった全人的な生長にしかないと思います。私たちの活動の場合、技術ももともとないわけですので、技術移転というよりも、市役所の職員と住民たちとが、自分たちの町は自分たちの力でいくらでも良くしていくことができるという考えを持ってもらうことに力を貸していくことだと思っています。2年間という短い時間では、そんな流れを作ることは難しいかもしれません。しかし、小さなプログラムを実施して小さな水の一滴一滴を集めて、川の流れを作っていけば、それは大河の流れとなり、やがて大海原へ続くのではないかと思います。そして、不便な途上国での2年間の生活の中で、日本の経済成長とグローバル化の影で、真価が評価されていない日本の素晴らしさや現代の日本の問題に気付くことで、帰国後の活躍の場が待っているのではないかと思います。&lt;br /&gt;
大切な家族や職場を犠牲にして、快く送り出してくれたその愛する人々を思うと、長い間、自分は何をやっているのだろうかと、虚しさと無力感に苛まれましたが、ボランティアとは、表層自分には何の利益もないものごとに身を捧げ、本質の深く大きなところで、掴み取ったものを、また、他人のために捧げることなのかもしれないと考えるとき、協力隊の活動というのは帰国後も生涯続いていくものではないかと、今帰国を前に考えています。&lt;br /&gt;
まあ、兎に角、地球は一家、人類は皆兄弟。人間と人間同士、心と心でぶつかれば、必ず分かり合えます。愛は国境も言葉や文化の壁も超える！肩肘張らず、自然体で！&lt;br /&gt;
熱烈歓迎！お待ちしています。&lt;br /&gt;
ブログ；スリランカボホマストゥティ　&lt;a HREF=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新年のご挨拶をご支援いただいている方方へ送る。&lt;br /&gt;
皆様 明けましておめでとうございます。 &lt;br /&gt;
今年もどうぞよろしくお願いします。&lt;br /&gt;
後3ヶ月で派遣期間を無事満了し、愛する祖国、憧憬の我が故郷宮崎に帰ることができます。これも一重に皆様のご高配とご支援の賜物と心より感謝申し上げます。&lt;br /&gt;
さて、2年間ボランティアとして、途上国の国づくりにご協力できる機会を頂き、生涯に残るかけがえのない経験となりました。活動は、大きなものではありませんが、小さなプログラムを実施して小さな水の一滴一滴を集めて、流れを作っていけば、それは大河の流れとなり、やがて大海原へ続き、いつの日か、スリランカの市役所の職員と住民たちとが、自分たちの町は自分たちの力でいくらでも良くしていくことができるという考えを持っことができるようになるだろうと思っています。&lt;br /&gt;
米共和党大統領候補として活躍したジョン．マケイン氏は、捕虜となった6年間で、祖国に恋をしたと語っていますが、2年間の不便な途上国での暮らしの中で、彼の気持ちがよく分かるような気がします。これほど私が、日本を宮崎を家族を愛していたのかと自分でも驚いております。帰国後は、祖国．故郷．家族のために全身全霊を捧げたいと思っております。&lt;br /&gt;
最後になりましたが、皆様の益々のご健勝とご活躍、ご多幸を祈念いたしまして、筆を置きたいと思います。&lt;br /&gt;
ブログ；スリランカ ボホマストゥティ &lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu&lt;/a&gt;</description>
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			<pubDate>Mon, 05 Jan 2009 14:26:22 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>地球は一家、人類は皆兄弟</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/75/48036575/img_0?1230010162&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/75/48036575/img_2?1230010162&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
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12月４日(木)～8日(月)&lt;br /&gt;
コロンボへ。安全対策協議会、ボランティアホステル（地方在住ボランティアのための宿泊施設及びボランティアの連絡所）大掃除、健康診断、インフルエンザ予防接種、ボランティア集会、新隊員及び帰国隊員のための歓送迎会。専門家による講演があった。講演の全体を通して、素晴らしいお人柄が滲み出ていた。十数年も滞在しスリランカの開発協力に取り組まれている専門家に是非伺いたかった質問をしてみた。スリランカまたはこの仕事のどこにそれだけ惹きつけられているのか、その魅力は何なのですかと。スリランカは好きでも嫌いでもないとそして縁があってという答えをいただいた。その自然な口調から何か自分が救われたような気持ちになった。なんだそれでいいんだと。私はボランティアに来ているのだから、スリランカを好きになって愛さなければならないのだが、どうしても好きになれずに悩んできた。愛がなければボランティアなんてできないと。人々を愛さなければと。日本を出国するとき、スリランカの人々を日本に残す家族と思って愛し、人々から愛され、日本の家族から敬愛されるようになりたいと抱負を胸に抱いていた。私は自分に問うてみた。スリランカを愛していないのか？人々の考え方や行動様式等嫌いな部分はいろいろとある。しかし、愛していないわけではないことにも気付いた。ジャーエラ市のためならばといつも自然に思えている。ジャーエラの人々に限って言えば、職員も住民も含め、自分はかなりの愛情を持っているのではないかと思う。いやバドウッラにもたくさんの親友たちがいる。&lt;br /&gt;
9日(火)～14日(日)&lt;br /&gt;
ムスリムの休日とポーヤデー(満月の休み)を利用し、バドウッラへ。３つの労務者住宅を回る。BadulupitiyaとKailagodaの労務者住宅は、建替えのため取り壊され、基礎作りに入るところだった。住民の一部は完成まで付近の借家を借りており、一部は市立プールの倉庫を改造して作られた掘っ立て長屋に住んでいた。PuwakugodamullaにはNational Housing Development Authority(国家住宅開発公社)が建替えに関する調査に来ることになっているということだった。市中心部の市場も建物建築予定とのこと。また、サッカー場の管理棟兼倉庫がナーガリカサンワルダナヤカーレ(都市開発事務所)の資金で完成していた。そして、JICAのプロジェクトでゴミ処理場の管理施設と堆肥化施設の建設が始まっていた。持参した野菜の種を昨年渡した農家を訪ねたが、気候が合わなかったのか、土（堆肥）がよくなかったのか、苗がすべて枯れたとのこと。未だ種子が残っているので再度試してみるとのこと。親友の公衆衛生官と再会を慶び合った。バイク事故で負傷した腕は完治していた。長男のAレベル（大学進学のための基準テスト）テスト中で、健闘を祈り、雨に閉ざされたバドウッラを発った。建物の建設ラッシュが続くバドウッラ市再開発の裏側で、私の旧住居付近の知己の貧しい数家族は、市税の滞納で店を立ち退かされたり、家賃滞納で家を立ち退かされていた。&lt;br /&gt;
山岳地帯から海岸へ、海のきれいなヒッカドウワまで、8時間のバスの旅。途中でタイヤがパンクし交換、その後エンジンが動かなくなり、バスを乗り換えた。長距離の山道、急発進急停車急ハンドル、ガクガクのギアチェンジと乱暴なクラッチとアクセルといった無謀な運転に加え、ぎゅうぎゅう詰めの乗客分の重量超過、某国製のバスが、耐えられるはずがない。スリランカで、バスが壊れ別のバスに乗ったのは、これで5回目だ。宿で鏡を見ると、窓から入る排気ガスで、顔は真っ黒になっていた。日本には寒気団が入ってきているようだ。気候的には亜熱帯となる我が故郷南国宮崎も寒いようだ。スリランカの良いところ―年中暖かい海で遊べること。花粉症もないし、、、&lt;br /&gt;
12月15日(月)～19日(金）&lt;br /&gt;
洪水問題に対処すると言っていたプラデシャレーカムカーレヤーレOffice of District Secretary of Ja-Ela(ジャーエラ郡事務所)を訪ねると、後一週間後に書類を作るとのこと。私が渡した書類もどこへやったか所長も助役も事務長も知らない様子だったが。洪水対策の関係機関のワールマーリガインジニャルカーリヤーレ(灌漑事務所)から以前調査に来てくれた担当者も異動となり、村の排水路の名前も分らない新人が来ているようだ。&lt;br /&gt;
村を廻り、自治会の人々と話す。会議をしても、調査に来てくれても、陳情をしても、洪水問題が示すように、何もことが運ばず、何の意味もないと役員の人たちは無力感を感じている。また、市役所は村に道路を新設するのにも、自治会には何の相談もなく、政治力で決めてしまうと嘆いていた。自治会の人々の間に連帯感を醸成し、団結力と交渉力をつけなければならない。市長にも、自治会と市役所の関係のあり方について話してみたい。JOCV-Unitのプログラムも市役所を会場とするのなら遠いのでいろいろと用事や家事のある村の人々は集まらないので、村を会場として開催してほしいという要望もあった。Thudella Batahilaに来年1月に公民館の建設に着工するので、ちょうどよい会場となるだろう。子供会もあるので子供たちを対象としたプログラムできるだろう。&lt;br /&gt;
市役所で建替えているプログラム費用を住宅公共施設省へ請求する書類を送付する必要があることを、11月の進捗状況報告会議から戻ってすぐ、市長と助役に説明をし、何度も助役に催促をしていたが、提出期限の前日17日になってようやく、カウンターパートに処理するようにと助役が電話をしてくれた。カウンターパートは18日、子供と一緒に昼頃に現れ、書類を作り、未だ鼻が本調子でないと休みを続けると帰っていった。&lt;br /&gt;
以前訪ねた線路脇の掘っ立て小屋群(不法居住)を訪問。7軒8家族32人（母子家庭3世帯、盲目1名・糖尿病で両手両足の指をすべてが壊死した障害者1名・学校7－2名・4－2名）が暮らしている。掘っ立て小屋はトタンや板切れやビニールで作ったもので、ポンプ井戸がひとつあるが、トイレもなく、ジャーエラ川で沐浴している。7年前に住み始めた家族から2週間前に住み始めた家族までいる。バスの語り唄歌い手が5人、衣服防虫剤の袋詰め内職が2人、衣服防虫剤売り子が2人。左官1人。糖尿病障害者は乞食をしている。市役所では対応できないとのことで、プラデシャレーカムカーレヤーレOffice of District Secretary of Ja-Ela(ジャーエラ郡事務所)に話しに行くつもりだ。彼等のニーズは住宅の供給で、それは難しいかもしれないが、サムルディー(生活保護)を受給できるかもしれない。放っておけない何かできないものか？&lt;br /&gt;
12月20日(土)&lt;br /&gt;
家庭菜園普及プログラムで野菜の種子を配布したIndivitiya自治会の家庭菜園の状況を当自治会の書記と一緒に見て廻った。この地区は、24世帯がこのプログラムに参加しており、12世帯で栽培が成功しており、残り半分の世帯が洪水でだめになったようだ。賞状か何か出ないものかと書記から相談があったが、当プログラムでは省の判断で不可能になっている、難しいと思うが市長と相談してみてはどうかと答えておいた。&lt;br /&gt;
12月21日(日)&lt;br /&gt;
Indivitiya婦人会の設立総会へ出席。式次第は16にものぼり、火入れ式、祝辞、子供のダンス、会長挨拶、議事録確認、歌劇まであった。家事(子育て･洗濯･炊事)を手伝わず威張り散らす旦那と主婦の喧嘩をおじいさんが仲裁する歌劇のようだったが、どの社会も同じだなと思った。何故だか私にもメンバーにクリスマスプレゼント〔水廻りの家財道具（たらい･洗面器･桶）〕を贈呈する機会を賜った。今後のプログラム―Women In Development(女性と開発)の分野等で支援をしていきたいと考えている。&lt;br /&gt;
12月22日(月)&lt;br /&gt;
Thudella 東地区子供会に出席。26日のクリスマス会のケーキ代として、皆から徴収したお金(1500ルピー)がその場で紛失した。集金した子供は、そのお金を手紙に包み、クリスマスカードに挟み、テーブルカバーに包んだものを隣に座っていた友達に預け、シスターに挨拶に行き、会が終了し帰宅する道すがら包みを開けてみるとなくなっていたということだ。お金を包んだテーブルカバーを預けた子供の家にまで行った。貧しい家構えだった。母親の前で、「ありとあらゆるところを探したのだが、見つからない。皆から集めたお金なんだけど、、」と話していると、母親の口から「この日本人からもらえばいい。」という言葉が飛び出したのには驚いた。「イエス様は私たちを見ている。私たちも探すので、あなた方も探してください。もし見つかったら教えてください。」と救いの道を与えその家を去った。再徴収するべきと話したが、みんな集金した子供のせいにしている様子なので、なかなか難しいのではないだろうか。集金した子供とそれを預けた子供―双方の家も貧しい家だが、否、彼らだけではなく、子供会に関わるみんなが、神聖で祝福あるべき慶びのクリスマスのひとときに、子供の頃から寒々しく悲しい出来事に出会わなければならないのか？集金した子供の母親にささやかなクリスマスプレゼントを渡して帰路へついた。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu/48036575.html</link>
			<pubDate>Tue, 23 Dec 2008 14:29:22 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>自転車で村を回って</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/79/47350879/img_0?1228381147&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-bb-d0/yuiwamitsu/folder/1739338/79/47350879/img_2?1228381147&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
12月1日（月）&lt;br /&gt;
プラデシヤレーカムカーリヤーレ（カッチェリー）へ行き所長（Divisional Secretary Ja-Ela）とジャーエラの洪水の問題（毎年2回以上の洪水が起こる）について話す。ジャーエラで4つの自治会が設立されたが、すべての自治会が洪水問題の解決を望んでいることを説明。ジャーエラ市役所もワーリマーリガエンジニヤルカーリヤーレ（灌漑事務所）も担当者が問題地点を視察し、必要な措置のスケッチを取っていったが、1.建設途中で資金繰りがつかなくなって建設が頓挫しているジャーエラ市を南北に貫く高速道路の基礎の部分（土砂を積み上げて作られており高いところで4メートル）がラグーンへ逃げるべき水をさえぎっているため、数箇所に運河の建設が必要なこと。2.ジャーエラ川の浚渫と堤防の嵩上げ。3.市内の排水路･側溝の清掃と新設。4.治水に配慮した都市計画と規制。5.治水行政の連携。6.適切な治水技術。7.1～6を実施する費用の捻出―という総合的な対策が必要なことを説明し、早急に必要な措置を実行してほしいと英文書にして手渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
カウンターパートが別途立ち上げたと言っていたRilawulla自治会を見に行ってみたが、ジャーエラ市役所の管轄を超えたカナーダーナという隣町だった。Karaeliya自治会の会長宅へ行くと生活保護担当官と書記も来ていて、次の会議開催を 勧めてみた。開催日を連絡するとの事。自治会開催日時･議題を正確に周知するための掲示板の必要性について話してみたが、スリランカでは誰かがきちんと管理（監視）しなければ、例えば公衆便所が1日目で水道の蛇口が盗まれ、2日目でドアが持っていかれ、3日目で屋根がなくなるという具合に、直ぐに子供や酔っ払い等から壊されるだろうという話になった。家庭菜園普及プログラムで配布した種子は、自治会長宅で花を付け小さな実を付けていた。Indivitiya自治会の会長宅へ行くと会長は不在で奥さんと話すが、このプログラムは会計の人がやっているとの事。「このプログラムはここの自治会のプログラムで、旦那さんはこの自治会の会長さんでしょうが。」と言っておいた。書記も不在のため、会計宅へ。女性会を立ち上げることになったので、21日（日）の設立総会に来てくれと言われ、喜んで伺うことを約束した。家庭菜園普及プログラムで配布した種子が、この会計宅でも花が咲き実がなっていた。20日（土）にほかの会員宅の菜園の状況も見に行くことになった。道路清掃のシュラマダーナ（奉仕作業）について、可能なら1月にでも実施したいという旨市長と自治会とで協議してみるということになった。&lt;br /&gt;
12月2日（火）&lt;br /&gt;
Thudella Dakuna(南)自治会会長宅では家庭菜園普及事業で配布した種が大きく枝葉をつけていた。洪水でたくさんの苗がだめになったようだ。書記は不在で奥さんと少し話す。Thudella Batahira(東)自治会会長は不在で、書記は衣服工場で8:00～17:30（土日が休み）の勤務でご主人は木材店で就労中。会計もセメント会社で日雇い労働をしており、会計の弟と話す。グラマーセーワカニラダーリ（民生員）が洪水後の救援物資配布の現地調査に来ていた。マットレス･タオル･石鹸等を配布するとの事。会計宅付近には4人の不登校児がおり、登校指導をしているとの事。本日から1月5日まで学校が休みに入ったので、子供や親たちと話をしてみようと思っている。クシカルマサミティエ（農業委員会）を村につくりましょうという話しがグラマーセーワカニラダーリ（民生員）からあった。話しを進めてみたい。カンターサミティエ（婦人会）とラマーサミティエ（子ども会）は継続しているようだ。このグラマーセーワカニラダーリ（民生員）と何か協力してできることがあるかもしれない。&lt;br /&gt;
12月3日（水）&lt;br /&gt;
市役所へ出勤すると手紙が届いているとの事。後任者の派遣に関する文書で、2年間及び週間のワークプラン作成依頼だった。要請調書でも何でも、カウンターパートや事務長や市長と協力して作成してきたので、市長と協議して作成した。&lt;br /&gt;
自転車の整備をしてもらう。スリランカのものは直ぐに崩れる、新しいペダルが3日でだめになったり、兎に角壊れるが、スリランカの凄いところ―日本よりも進んでいるというべきか―どんなものでも修理してくれる人がいることだ。日本では、新しく購入しなければならないことが多いが、どんな小さな部分でも知恵を絞って修理してくれるのだ！－物を捨てられない性格の私が一番スリランカの好きなところだ。日本なら、「メーカーに送ってみますか？買い換えたほうが安いですよ！」と言われることが殆どだ。もったいないと思う自分しか修理する人はいない。そんな日本なら捨てるしかないような靴、鞄、ズボン、時計、メッキ、電気製品なんでも、驚くほど安価に修理してくれる。インフォーマルセクターの層の厚さ。意外にも技術もそこそこある。某自動車整備隊員が言っていたが、「日本では様々な部分がブラックボックスになっていて触れなかったり、そっくりアッセンブリーごと交換となる。しかし、スリランカではあーでもないこうでもないといって何とか修理してしまうようだ。」―確かに、先端技術の分野では日本は高い技術を持っているのだろう。しかし、基礎的な部分では途上国のほうがひょっとすると底力を持っているのではなかろうか？部品もない古い車を何とか修理してしまう途上国。修理するよりも買い換えたほうが安いと言って、物を簡単に捨てさせる日本社会。仕組みが分からないようにブラックボックスにしたり、修理するよりも買い換えたほうが安いと言われる技術国日本の将来が心配だ。愛車ダイハツ―ロッキーは平成元年式だったと思うが、未だ日本で修理できるのだろうかと帰国まで4ヶ月となり心配している。&lt;br /&gt;
12月4日（木）&lt;br /&gt;
後任者の派遣に関する2年間及び週間のワークプランを事務長と市長と私で作成し送付。安全対策協議会・健康診断・隊員集会のため、コロンボへ。&lt;br /&gt;
“The Catcher In The Rye (邦題；「ライ麦畑で捕まえて」）” J.D.Salinger(Little Brown Book)を読んでいる。高校生のとき読んで好きになった本が眼に留まり、コロンボ・バンバラピテイャMC近くの書店で購入した。思春期の頃は繊細で社会に反発する主人公に同感しながら読んだものだが、42歳になって読んでみると臆病で社会に揉まれていない主人公に「しっかりしろよ！情けない！何をしてるんだ！馬鹿じゃないのか！」といらいらして途中で投げ出したくなる。―知事の父親を持つ16歳の主人公は、学校を成績不良で退学となるが、親にはそのことは話していない。幼馴染の女の子とデートした同室の学生に、嫉妬して腹を立てるが、彼から叩きのめされ、寮を出て行く。親の金でホテルに泊まり、タクシーを乗り回し、バーに数軒行くものの年齢が見抜かれ、好物のスコッチ＆ソーダではなくコーラしか飲めない。行く先々で会う女性―同級生の母親･年上の女･カトリック教会のシスター達に直ぐに惚れてしまう。娼婦を呼ぶが童貞の主人公は気が変わり、娼婦に帰ってもらい金額の半額を払う。が、再度娼婦が部屋へ現れ、ポン引きに打ちのめされ金額の残り半額を取られる。―その気もないのに貯金を下ろしてどこか遠くへ行って仕事を見つけるから結婚しようと言うが女の子に断られ、“You give me a royal pain in the ass, if you want to know the truth”(P133)と言ってしまうが、彼女が泣き出すと何度も謝り続ける。さすがにこの場面では、本当に主人公にその言葉を返したくなった。続きを読むのも馬鹿らしくなってきた。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu/47350879.html</link>
			<pubDate>Thu, 04 Dec 2008 17:59:07 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>カルチャーショック</title>
			<description>11月24日(月)～26日(水)&lt;br /&gt;
住宅公共施設省に属するボランティアの私のほうから市役所職員に、カウンターパートが入院したので、代わりに仕事をしてくれと言うことはできず、市役所に出勤だけはして先方の出方を待ったが、音沙汰なし。サブのカウンターパートには省の人と話をしてくれないかと言ったものの、無視。助役が退職し、代役を勤めている事務長さんに省からの手紙が届いたかと聞くとカウンターパートの出勤まで保留にしてあるとの事、カウンターパートの代役を充てるようにという内容の手紙を保留にしておくとはいかにもと思ったが、市長に手紙を見せてみましょうと説得した。26日市長が出勤し、12月4日までに予算執行済みプログラム分の費用負担領収書等を送付する必要があることを説明し、省からの手紙（代役を充てるようにという手紙と私の後任者について当市役所への派遣を依頼する省からJICA関連現地渉外機関への推薦状）を渡す。市長と事務長の前に女性職員が呼ばれ、カウンターパートの業務代行依頼があった。忙しいとの事で、予算執行済みプログラム分の費用負担領収書等送付の用務に限定して業務代行をするとの事だった。12月4日以降はAnnual Implementation Plan(年間実施計画)を使用したプログラムはもう実施できなくなる。12月5日から8日まで安全対策連絡協議会、健康診断、ボランテイア集会があるが、1月には後任者が現地入りするそこで、その後祝祭日を利用し休みをもらい、建設中のバドウッラの労務者住宅等を見ておきたいと思っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文化や価値観はどの国のそれが正しいとは言えない。例えば、一例。スリランカでは、残業をする公務員は見たことがない。それよりも子供が役所にいつも来ていて、一緒に昼食を食べ、一緒に帰宅する。14歳の女の子とお父さんは手をつないでお寺へお参りへ行く。日本では時間内に帰宅することはまれで、子供と一緒に話をしたり食事をすることも当たり前のことではなく、連日残業で、忙しい朝食時にしか子供と話ができないことも多い。会話不足か、父親の働く姿もみたこともないだろうし、そのためか14歳にもなると女の子はお父さんを毛嫌いし、手等つなぎようもなく、ましてお寺等へは行きたがらないだろう。どちらの社会が進んだ豊かな社会なのだろうか？&lt;br /&gt;
 私はスリランカより日本のほうが不潔だとは思ったことは一度もなかった。面白い発見があった。「食べ物を食べて3分以内に3分以上1日3回以上歯を磨きましょう。」これは日本の歯磨き習慣。私も食べたら必ず、歯磨きをする。一日三回以上になる。スリランカでは1日2回、朝起きて先ず歯を磨き、夜寝る前に歯を磨く。昼食後歯を磨いているスリランカ人を見たことがない。不潔だと思っていた。いつもどこでも市役所でも私は昼食後に必ず歯を磨いていた。市役所のシンクの前に職員は集まり列にはならずに思い思いにそれぞれ横から手を差し込んでささっと手を洗ったり弁当箱を洗っていく。私は人が途切れるまで、歯磨きを続け、ひとり口をすすいでいた。日本人は清潔だと誇らしく思っていた。たまりかねたように女性職員から私に口をそこですすぐなと言われた。何ヶ月も続けていた行為だった。ここで人は手を洗い、水を飲むのだから不潔だと。意味が分からなかった。「手を洗った汚い水も、口をすすいだ汚い水も、この排水管から下水として流れて行くよね。」と言いながら、文化が違うのかなと考え、意味が分かったら言われたようにするから教えてくれと言うと、このシンクは自分が手で洗っているのだからとの事。何らかの衛生観念的な文化(価値観)が違うのだろうとその文化に従うことにした。ここで理論的に説き伏せられたにしても、綺麗とか汚いという観念は変えることはできないだろう。しかし、通路には吐くことはできないので、トイレに行って吐くことにした。何故今まで言ってくれなかったのだろうか。皆ずっと今まで不潔だと思っていたのだろうか？バドウッラでは女性職員でも、口をすすいだ水はシンクに吐かずに、セメント張りの通路に吐いていた。私は、通路に吐くと汚いからシンクの中に吐けと教えたつもりでいたが。食堂でも、店の人からシンクに吐かずに、地面に吐けと言われたことがあった。シンクというところは（手を洗ったり水を飲む清潔なところで）唾を吐くところではなく、地面が唾を吐くところだと言っている―そんな衛生観念的な文化(価値観)があるのだろうと思う。スリランカ人は、トイレに裸足で入り使用後紙を使わず水を使って手で洗い、最後にトイレ全体に水を流して（トイレ室全体が水浸しになる）、その足で台所を通り、その足でベッドへ入るという衛生観念がある。石鹸やトイレ用洗剤は使わなくとも水で洗ったものは清潔なのだろうか。ご飯も直接手で食べるが、石鹸を必ず使っているようではなく、片手だけ水でささっと洗っているようだが、それで清潔なのだろうか。私はトイレでは紙と水と石鹸を使うし、手は指、爪、手の平、手の甲、すべてを両手を石鹸を使い入念に洗い、うがいをして、手で食べるようにしている。頭を洗う(髪を洗う)と風邪を引くと信じられていて、アップカントリー（標高の高い山岳地帯）では、寒い季節になると老若男女あまり頭を洗わず、よく帽子をかぶっている。身だしなみで外見を非常に気にするため、念入りに櫛で髪を梳かすのだが、殆どの人の髪にシラミがわいているようで、よく何人かでシラミをとる光景が見られる。ホテルに泊まるといつも、枕にシラミがいるのではないかと気になってしまう。ダニに咬まれることはよくある。シーツや枕カバーは見かけは洗濯してあるようだが、ベッドや枕の中身を見ると殆ど真っ黒に汚れたものが多い。文化に優劣はないことは理解できる。しかし、どうしても日本の文化は美しいと思ってしまう。だが、圧倒多数のスリランカ人の中ではスリランカの文化が優勢だ。&lt;br /&gt;
何が清潔で何が不潔なのかよく分からなくなる。しかし、食後に必ず歯を磨くようにいくら清潔に心がけていても、シンクで口をすすいだだけで不潔だと言われるのなら、意味がたとえ分からずとも彼等の文化の表面的な部分だけでも従うべきだろう。圧倒的大多数がその文化や価値観に従って行動する社会で、アウトサイダーには論理的に理解できないと言って従わない場合、その社会では彼は受け入れられないだろうと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
“The reefs of taprobane”（ibooks）を読み終わった。Arthur C. Clarkeは、結局スリランカをどのように愛したのか？彼はスリランカの海が好きだったと言われている。様々なリーフで行われた沈船ダイヴィング（海に沈んだ船のなかを冒険するスキューバダイヴィング）が数章にわたって描かれている。The Biggest Wreck in the Worldからの章では、ひときわ鮮やかに躍動的に生き生きとその冒険譚が描かれている。トリンコマリーのSwamy Rockという海に沈むヒンドウー教の紀元前534年の史跡と第2次大戦中に沈んだAdmiralty Floating Dock23への海底探検は畏敬の念が行間に詰まっている。海ではなく、アヌラーダプラやシーギリやダンブッラを描写した各章にも古代のセイロン人の建造技術に対する畏敬の念が溢れている。彼は、（森に囲まれた太古の土着の空間から近代的な西洋的な空間へ移動する）トリンコマリーからコロンボへの飛行機の中で、「セイロンの新しい統治者たちは、近代技術を用いて再び、彼等の祖先が成し遂げていたものに匹敵する国土の4分の3の無人地帯を、征服するのだろうか？そして、それより重要なこと―イギリスも、オランダも、ポルトガルも、セイロンの王族たちの統治下でもなし得なかったことだが―彼らは同時に、彼等のすべての民に、自由と安全を与えることができるのだろうか？」(Ｐ168)と書いている。この本は、1955年から56年のセイロンを舞台にしている。スリランカで使用されている英語・シンハラ語・タミル語の中で、シンハラ語を唯一の国語にしようという運動が始まった年だ。（その後スリランカは現在へ至る紛争へ続いていく。）面白いパラドックスだが歴史のすべてを通してのんきで温厚なシンハラ人が、彼等の宗教（殺生をしてはならないという仏教の教え）にもかかわらず、最小限の挑発で突然の暴力の衝動に駆り立てられる傾向がある。(P177)として1956年5月21日の『Times of Ceylon』の数件の殺人事件記事が挿入されている。&lt;br /&gt;
そして最後に、真珠の堆積するManaarの海床、紀元前13世紀の寺院建造者から20世紀の軍艦設計者にいたる様々な人種の詩が沈むトリンコマリーの海底、沈船の点在する南西海岸、セイロンの温かく驚愕の絶えない海面から上か下か、どちらでも、セイロンにもう一度戻ってこられれば幸いだと書いている。（P203）&lt;br /&gt;
スリランカを愛した彼から何かを学ぼうとしてこの本を読んできたが、この本には彼が楽しんだスリランカの海洋探検譚と史跡探検譚とが書いてあった。しかし、異文化のなかで心と心がぶつかり合い、理解できないものをも受け容れていく葛藤と超克といった内面の発露はこの本の中にはなかった。英語を話す著名な作家兼科学者とシンハラ語を話す無名のボランティア。結局、自分は自分のスリランカを見つけていくしかないのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このJOCV-Unit事業は、非常によくできているが奥が深くて分かりにくい面もあるのかもしれない。Annual Implementation Plan(年間実施計画)も一見JICAが拠出する事業だと思われるようで、市役所職員は市役所の仕事ではなく、JICAの仕事だと思ってしまう。カウンターパートも自分の事務分掌にはない余分なエクストラの仕事―隊員の仕事と思うようだ。しかし、この事業は市役所が半分だけ費用を負担し、住宅公共施設省が市役所が未だ取り組んでいない低所得地域のコミュニティ開発のために使いなさいと半分だけ費用の面倒を見ている、実は市役所が市民のために取り組むべき仕事だ。JICAは一銭も拠出していない。JICAは、低所得者と市役所及び関係機関を連携させるフィールドワーカーとして隊員を送り、市役所と省の間で行われるAnnual Implementation Plan(年間実施計画)に絡めているようだ。しかし市役所の職員は、自分の業務でもなく市役所の仕事でもないJICAの仕事つまり隊員の仕事を余力で手伝ってあげていると考えてしまうだろう。JICAとしては援助国の物でも金でもない人的資源としてボランティアだけを送り、被援助国の省と市役所で資金を折半して、貧困層のコミュニテイをソフトの面から支援し、ハードの部分を担当する関係機関とを結ぶという理想的な援助のあり方に徹している立派な事業だと考えているのではないだろうか。しかし現場では、なかなかそんな奥深くまで見られていない。隊員は精神的にはかなり鍛えられる。しかし、マイナー過ぎて日本で生かす道が非常に少ない語学という意味で勉強したシンハラ語すらも持って帰れない―何も持って帰れないボランティアが唯一日本に持って帰れるのは、人間としての精神的な成長だけなのかもしれない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu/47201715.html</link>
			<pubDate>Sun, 30 Nov 2008 22:27:03 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
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			<title>TIME’S UP!</title>
			<description>11月17日（月）&lt;br /&gt;
住宅公共施設省で進捗状況会議。ジャーエラ市役所からは私だけの参加となった。カウンターパートは入院中だし、カウンターパートは業務引継ぎ依頼のレターを市役所に提出済みなのだが、カウンターパートからこのJOCV-Unit事業の業務の大変さや愚痴を頻繁に聞いている他の市役所職員は誰もカウンターパートのカバーをする仕事をしたがらない。カウンターパートでさえ、自分には他にたくさんの仕事があって（日本と比べればまったくもって全然“たくさん”ではないのだが、スリランカの役人の中ででは忙しい人であると言わざるを得ないだろう）、この業務は自分にとって“アマタラワ（余分な仕事）”で“ノカレインナプルワン（実施しないでいることもできる）”自分の仕事ではなく私の仕事だと言っている。そして（市長から事実確認が取れたのだが）助役は退職し空白の状態で、その次のポストのAdministration Officer(事務長)も12月に異動予定、その次のChief Administration Assistant(事務長補佐)はコロンボ市役所から数ヶ月前に異動してきたばかりでとてもこの業務に関わる余裕はないようだ。会議では、このような状況について事実確認の取れない状況であったため、ジャーエラ市役所は他の用務で多忙のため、誰も出席できないと言っておいた。そして（シンハラ語の文書作成ができない）私が英語で作成した資料を基に進捗状況を報告しておいた。省では、この事業に取り組むコミットメントが足りないとみているようだが、職員にとっては市役所や市全体の利益のために業務を実施するといった展望を持つに至るよりも“アマタラワ（余分な仕事）”で“ノカレインナプルワン（実施しないでいることもできる）”JICAの仕事だと思うのだろう―各市役所にとっては予算を半分折半すればプログラム実施が可能な便利な事業であるし、JICAや援助大国日本との接点であり、手放したくない等と市長の視点では思うのであろうが、、、、。&lt;br /&gt;
JICA事務所で第4号報告書提出時の面接。私も住民側の仕事をしなければと思っているのではあるが、市役所の中で、どんなことでもやらないといけない、このような状況で、とてもできないでいるのだが、、、、。&lt;br /&gt;
11月18日（火）～21日（金）&lt;br /&gt;
進捗状況報告会議と第4号報告書提出時の面接では、カウンターパートのいない期間臨時職員の手を借りて何とか先進地視察とシュラマダーナ（奉仕作業）の2つの事業をやってみようかと思っていたが、市役所に戻り、Voucher(市役所の小切手)発行や予算と支出の金額で変更が生じた場合の処理（参加人数の変更はこのプログラムに付き物だ）等市役所側での業務、今までによくあった省からの裏切られたような不承認（省での会議で承認すると言っていたものが、市役所側で殆どの準備を整えた時点で、省が意向を変えて、不承認にしたことが何回もある。先進地視察については、前回の省での会議〔10月16日(木)〕でこのプログラムを先ず第一に実施するようにと言われていたものだが、今回の進捗状況報告会議の中でAdditional Secretaryから異議を唱える発言が既に何点か出されている。）のリスクを考えると、私が取り仕切るには責任が重い。予算の完全執行がそれほど大切なのであれば、5つの自治会に、自治会伝言掲示板（自治会の会議は開催日時を口頭で伝えているが、住民は定めた時間に一度に集まらず、めいめいがおのおのの時刻に会場に現れ、人がいないので去っていき、定刻開催が難しい。このため会議を開催することが難しい一因となっている。住民のよく目に触れる場所に自治会伝言掲示板を設置し、会議の日時・議題等詳細を掲示しておけば、住民の役に立つのではないかと考えた。）を作成設置できれば（見積書を取り設置するだけで、市役所職員の大きな協力も要せず、比較的大きな予算を一度に消化できる）と思い、フィールドコーディネーターに相談すると良い案だと言われたので、市長及び事務長と協議し、省へ相談すると「自治会が住民から集金して作成しなければそれは住民からは利用されない」という理由で承認できないとの事。省から市役所宛カウンターパートの業務代理執行者を決定するようにという旨の手紙を送付したらしい。が、12月4日が事業執行完了日となるようなのだが、それまでに果たしてAnnual Implementation Plan(年間実施計画)の未消化予算を執行できるのだろうか？正味2週間を切っていったい何ができるのだろうか。省で承認までに2週間かかるといつも言っていたようだが、、、、。TIME’S UPだ! Annual Implementation Planの事業の実施が目的ではなく、私の仕事はフィールドオフィサーであり、住民の組織化の仕事をしなさいと言われてはいるのだが、私も住民側の仕事をしなければと思っているのではあるが、市役所の中で、どんなことでもやらないといけない、このような状況で、とてもできないでいるのだが、、、、。Annual Implementation Planにずっと関わっていなければならない状況だったが、関わりをやめて住民側の仕事をするべきだろうか？しかし、今年をあきらめれば、毎年4月以降にしか予算執行できるようにはならないため、来年は3月に任期終了なので、もうこれで終わりとなってしまう。私としては12月まで、Annual Implementation Plan事業の執行に専念し、1月から3月に住民のエンパワーメントや関係機関との連携の分野の仕事に集中したいと考えていたが、、、、。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/yuiwamitsu/46901124.html</link>
			<pubDate>Sat, 22 Nov 2008 21:02:49 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
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