|
「私、アナログなのよ」 髪の先から、0と1の数列に変化し、それがボロボロと剥げて行く。 警告音が耳元で鳴り、僕は神経端末を頭から外した。 手元の機械にはタイムオーバーと表示されていた。 どうやら、長い間使い過ぎていたらしい。 後輩に指摘されてから、デジキャバに通うのが億劫になり、自宅に家庭用バーチャル体験機を購入したんだけれど、まだ出始めのせいか、値段の割に出来が悪かった。 グラスを満たした冷たい水を、喉に流し込むと体が干からびていた事を、脳が思い出し、逆に急激な喉の渇きを感じた。 僕はこんな事ばかり繰り返している。 君をデジタル化したなんて知ったら、君はきっと怒るだろうね。 でも、君が僕に教えてくれたように、僕らの心はデジタル化できないから、面倒なアナログだから……。いつか君は言ったよね。その通りだったよ。デジタルのように、アナログは簡単にデリート出来ない。 だから、まだ、君の存在が僕には必要なんだ。 後輩が言ったように、所詮デジタルは情報でしかない。 けど、この普遍的な数字が記録する記憶の情報を、たかが、と割り切れる自分はここにはいない。 それでも数字から、デジタルから解放されない僕は、毎晩君のデジタルと思い出の中を彷徨っている。 君は最期の時、何を思ったのだろう? それだけは、どれだけ数字に聞いてみても、答えは返ってこない。 |
デジタルガール
[ リスト | 詳細 ]
|
3日後、君から手紙が届いた。 まっ白い封筒に、真っ白い便せん。 名も知らぬ、真っ白い小さな花が同封されていて、清らかな香りがした。 そこには、黒いペンで君の涙の訳が綴られていた。 しかし、ネットで根も葉もないうわさが飛び交い、君の父親がつ作った彫刻が世界中で破壊される騒動にまで発展した。 評価はガタ落ち。それまで作品を評価していた人たちもこぞって君の父親をこき落とした。 そして、最後の作品があるオークションで、一円も値をつけなかった日……君の父親は自ら命を絶った。 手で触れて、肌で感じて、舌で味わい、目で見て、耳で聞き、そして心が震えるもの。 それだけを信じようと思ったと。 馬鹿な僕は、そこでようやくわかったんだ。 君が頑なに、僕に聞いてきた アナログは面倒なんだ。 デジタルのように、かっこしとした基準がない。良いも悪いも、右も左も、暑いも寒いも、何もかもを自分で感じ決めないといけない。 それは不安定で、あやふやで、形のないものだ。 だから、面倒なんだ。 手間がかかり、時間を必要とし、なにより信じる力が大切になる。 君の心も、君の想いも、君の存在自体。 でも、だから、僕は……。 僕は家を飛び出した。 彼女の手紙を握りしめて。 でも、でも……。 簡単に手に入る金。 合理的に目に見えるランキング評価。 年齢。生年月日。体のサイズ。 数字、数字、数字……。 でも、そんなものどれだけ寄せ集めても、君にはならないし、僕にもならない。 僕らは、僕らは……。 握りしめたせいで、手の中であの白い花が潰れたようだ。 アクセルを踏む。 ハンドルを切る。 クラクションを鳴らす。 |
|
僕らは農園を後にし、そこから1時間かけて君の家へと向かっていた。 あの日以来、僕らが一緒に寝泊まりするのは君の家と決めている。というか、君が決めた。 ドアを開ける。 ロッジ風の作りの君の家は、昔のアニメ映画に出てきた絵描きの家と似ていた。小さな魔女と黒猫の話の、あの映画だ。 そして、君はやっぱり絵を描いている。 ドアを開けてすぐに、いつも鼻をつくような匂いがする。 油絵具の匂いだ。 何度か来るうちに少しは慣れてきたが、それでも、やはり刺激臭な事には変わりない。 先に台所に入っていた君は、エプロンをつけながら首を突き出し 君が開けたのだろう、窓から入り込む夜風に、手元の紙袋がカサカサと音をたてた。とたんにホウレンソウの青臭い香りが昇って来て、油絵具のそれと混じり合い、何とも奇妙な臭いになる。 後ろの戸棚だ。古く、手彫りの彫刻が施されている。この間個展にいったあの彫刻家に買った後から彫ってもらったのだと聞いているが、僕はその彫刻家がやっぱり嫌いだった。 正直に認めると、僕より彼女と話が合い、僕より男前だったからだ。 何となく嫌な気分になり、パスタを入れた長ぼそい筒のようなものを取り出し、少々乱暴に彼女に突きつける。 彼女はホウレンソウを洗った手でそれを受け取りながら、僕の顔に苦笑した。 きっと、僕があの彫刻家に嫉妬しているのは知っている。でも、やっぱりその事には触れずに 彫刻家をかばったように思えて、少しムカつく。冷静に考えればただの言いがかりなのだけれど、僕はその時、久々の太陽に頭をやられていたのかもしれない。 そして、言ってはいけない事を言ってしまったのだ。 僕はしてやったりの思いで、色が塗りたくられたそのキャンバスを、指の先でつついた。 そんなくだらない、子供じみた自分の意地の悪さに、僕はまだ気がつかずにそのまま、顔を上げた。 台所の向こうで、君が青い顔をして立っていた。 唇を強く噛み、強烈な憎しみを持って僕を射抜かんばかりに睨みつけている。 その目には涙が溢れ、僕はその雫に気がついた時、初めて君を酷く傷つけたことに気がついた。 でも、僕にはわかった。 僕は、僕は言ってはいけない事を言ってしまったのだという事を。 |
|
5時のチャイムが鳴る。 一応の終業の合図だが、これで帰る日本人は公務員くらいだろう。 パソコンの前に座る僕の肩に、誰かの手が乗った。 僕は振り返りながら、彼の顔色が悪いのに気がつく。 僕は少々同情して、彼の落ち込んだ肩に手を置いた。 指先でボタンを器用に操作し、何かの画面を呼び起こす。 それはピンク色で、挑発的な下着をつけた女性の画像と大きな文字が踊る、一見しただけで風俗店のものとわかる画面だった。 最近流行りのデジタルキャバクラ、通称デジキャバだ。 普通の風俗と違うのは、人間が相手をするのではなく、神経端末にコードをつなぎ、そこから送られてくる情報に接待してもらうというものだった。 とはいえ、神経に伝達される刺激は本物だから、酒を飲まなくても酔っ払った気分にはなれ、実際事に及んでいなくても快感は本物と同等以上に味わえる。 この後輩のように、小心者のくせに浮気癖もなおせない輩にも好評だと聞いてはいた。 僕はそれをじっと見てから、君の事を思い出し 踵を返そうとするから、僕も画面に戻ろうとした。 「でも」 その顔には卑屈さと嘲りが混ざり合い、同類を嬲り殺すような醜さも見て取れた。 後輩は溜息をつきながら、掌でもう一度あの画面を引っ張りだし、溜息混じりに独り言とも当てつけとも取れない言葉を漏らす。 確かに、彼の言っている事は間違ってはいない。 しかし「間違っていない」と「正しい」の間には深い溝があるようにも思う。 それ以外は何もしていない。 そうなんだ。手を握ったわけでも、ましてや肌を合わせたわけでもない。 ただ、端末をつないだ、それだけ。 軽い眩暈を感じ、机に寄りかかる。 君の事を思い出す。 確かに僕は君に電話した。 僕は手紙を書いて、カメラのシャッターを下ろした。 一緒に農園を借りて、野菜も植えた。 収穫が楽しみだと君と目を細めた。 「所詮。全てはデジタルです。ただの、情報です。そうは思いませんか?」 |
|
その日は君の学生時代からの親友という彫刻家の個展に来ていた。 木を彫ったものもあれば、硬そうな石を彫ったものもある。中にはアスファルトの塊を砕いたようなものもあって、僕にはその芸術性がさっぱり理解できなかった。 僕は、少しむきになって、相手から僕に関心を示すまではこちらから声はかけまいと決めて、黙っていた。 僕を無視して二人が目の前の、鉄くずの塊のような奴について語り合う。時に深く頷き、時に討論口調になり、二人のやり取りはまるで熟練した舞踏家の即興のダンスのようだった。 取り残された気持ちになり、僕はそっと逃げるように彼らから離れようとした。 その時になって、ようやく、君が僕の腕をとった。 たっぷり間を置き、品定めするような視線で僕のつま先から頭まで眺める。上から目線のそれは鋭く、最後僕の瞳の奥に止まったそれは僕の内側をまるごと射抜きそうな迫力すらあった。 とっさに、彼女の事が彼は好きなのだとわかった。 僕は、彼が誠実ならいいのか、とも思う。 帰り道、僕は君の手を握りながら、訊こうか訊くまいか悩んでいた。 君はそんな僕の態度を察したのだろうか、それとも手の温もりを通して僕の不安が伝わったのだろうか、独り言のように話し始めた。 駅へ続く遊歩道に等間隔に灯った街灯に、君のやわらかな髪が照らされる。白い吐息が立ち上り、君が笑ったのがわかった。 可愛らしい白のゆらめきが天に昇っていく。 つないだ君の指先が冷えないかと僕は心配になって、握り直した。 条件を絞り込み、それに該当する人と会う。効率的で合理的な方法だ。 君の不満はまだ続く。 何か不安なのだろうか? そうも思わせる口ぶりだったけど、僕はそこにはあえて触れなかった。ここそこが君の不安点でしょ? と指摘されて喜ぶ人間はそうはいない。少なくとも、僕は嫌だ。だから、察した君の不安を拭うような言葉を選ぶ事にした。 宝石店のショウウィンドーだった。 一瞬、僕はそこに並んだ指輪が欲しいのかと思った。けど、君が見ているのはそれではなく、僕らの影だという事に気がつき、言いかけた言葉と違う言葉を口にする。 僕らは二人ともコンパに縁遠い人間だった。 なのに、たまたま僕は人数合わせに、君はアンチデジタルの為にあの場所に居合わせた。そして、何故か二次会に一緒に行き、その後付き合うようになった。 数ある確率の中から、僕らはこの出会いを選んだんだ。 それは自分でも驚くほど自然で、ためらいがなかった。 まるで、今度の週末はどこそこへ行こうか、そう言う提案をするような軽さでもあったし、ずっと準備をして全てのわだかまりを排除した後のような潔さもあった。 でも、実際は、本当に、口をついて出た、と行った感じで。 僕は息をのんで、ショウウィンドーに映る君の影を見つめていた。 すぐ傍にある、君の瞳を直に見るのが怖かったからだ。 君の影が揺れた。 そしてこう言ったんだ。 |




