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無題

天皇の葬式に、九十億円もの費用が割かれる。一日五十円で生活する人もその同じ国にいるのだ。人間の葬式なんて、◯十万あれば足りる。残りの八十九億円を、貧しい人達に施そうとは思わないのか。そういう事を、ただの一度も思わないのか。仕方がない、ではないだろう。やったら出来る事だ。全然仕方なくない。日本を含め、こういうわけのわからない儀式にクレイジーになっている国民を見ると、本当におかしくなってくる。何を思ってそんな事をするのか。少し冷静になって考えてみればすぐにわかることなのに。

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無題

ステレオで聴くクラシックは確かに良いが、どうしても機械の一本調子でうるさく、冷たく聞こえる時がある。しかし、頭の中で響くクラシックはなんて優しいのだろう。すべてが自分の思いのままに用意され、そこで流れる音楽も強弱を整えて、必要な時に必要なだけ流れてくれる。ここにも一つ、機械と人間との違いがある。機械を作ったのは人間であり、人間を創られたのは神様である。

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『サルビアの蜜』より

一九八八年、俺がちょうど小学校五年生から六年生の頃、中井貴一主演の『武田信玄』というドラマがあった。大河ドラマである。そのドラマの中で、唯一思い出せる、魅力的なセリフがあった。


「御館様の思い・姫様の思いは、我が思い、我が救いは御館様・姫様の救い、あの人の喜びは私の喜びになる。」

このセリフである。俺は先ほど神様に祈りながら、このセリフをふと思い出した。とても良いセリフなのである。

「神様の喜びを我が喜びとし、神様が思われる事を我が思いとし、神様の御心を我が心とし、神様と共に永遠に歩き続ける。その、神様の為にする仕事の平野(へいや)の中で、俺の平安は限りなく続き、この世では測れない程の厚さを保つ。人は、神様を頼らなければ、必ず生きていけない。必ず恐怖し、平安に生き尽(き)る事が出来ないのである。」

俺はこれを感覚か本能によって、はっきり知った気がする。先程こう祈った。

「今までの罪は言葉では言い表せません。多過ぎるのです。長過ぎるんです。今までに犯して来たすべての罪をお許し下さい。イエス様のお名前によって、お祈りいたします、アァメン」。

あのドラマから借りたセリフであるが、心から記憶となって出て来てくれた。感謝な事である。

この心から、一切の驕り高ぶりを取り除き下さい、そう神様にお祈りをした。そして、この俗世間にある競争や人間のサークルから脱出させて下さい、卒業させて下さい、そうお祈りした。そうする事によって神様の方向を一途に見、神様の方向に没頭する形で歩んで生きたい、そのように強く願ったからである。そうお祈りしたかったからである。

なんだか、なんとなくだが、神様の方に、やっと一歩、近付けた気がした。この近付きは、心で一番大きな宝物として、永遠に持ち続けたい。臆病から来る願いでもあるが、しかしそれは純粋な願いである。とても良い夜だった。

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『サルビアの蜜』より

昔は本当にいろんな人が家に来て、そのいろんな人の家にもこちらから行った。俺達はそのとき子供なれども、その親は、三十歳から四十歳程だった筈である。今の俺の年齢とほぼ同じである。なのに彼らは毎日のように人に会い、子供を引き連れて、いろんな所へ行って、人と人との絆を持ち合っていた。それが今はない、とも思えるのである。ひどく薄れている気がする。確かに見えない所ではそういう絆があるのだろうが、果たして生活をしている上で、近所同士の付き合いにそれを見た事がない。本当に見ないのだ。なぜだろうか、それについての疑問を甚だ思う事がある。なぜこうなってしまったのか。時代の移り変わり、人の希薄さの移り変わり。人の希薄の部分だけが徐に前面に出て来たようで、なんとなく悲しく、困るのである。物足りなさを覚え、寂しさを覚えつつ、悔しさも覚える。そしてそれに輪を掛ける形で、疑問を覚えるのだ。果たして俺が変わったのだろうか。この想いも遠からず当たっているように思う。

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『サルビアの蜜』より

子供の頃は天才だ、子供の頃に持って生まれた本能がその人である、と言うようなことを言う。そして、青年とは裏切られた少年の姿だ、とも言う。しかし成長していくにつれて人は大人になり、協調性を持ち、人の痛みを自分の事のように知ることができる。成長は神様から与えられたものである。これらを総じて思うと、裏切られた姿だとか、子供の時間がどんどん失われていくだとか、そういったトータル面の事は問題無いように思う。人間は永遠に成長するものであり、天才を持っており、持って生まれた純粋と本能を持っている。それを成長の過程で常識から逸脱するように発散し続けると、人を傷付ける事がある。隣人を愛する、これに裏切りを見せる事がある。大人になったその成長は、子供の頃の純粋を持ったままの成長であり、子供の頃に勝るのではないだろうか。

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