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「凛子ちゃん、来たよ。」
遠くからそう叫ぶ子供たちの声と共に、バタバタと廊下を走る音がリビングに近づいてくる。
「おばちゃん」と呼ばれるのが嫌だと言って、僕の子供たちに「凛子ちゃん」と呼ばせている僕のお姉ちゃんは、ほぼ毎日のようにこうやって、実家から徒歩5分の僕のマンションにやってくる。
「アンタに相葉家は任せられないから。」
そう言って、お姉ちゃんは長男である僕を尻目に、婿養子を取り、守るほどの家柄でもなく、大して財産もない相葉家を継ぎ、今も実家に大きな顔で暮らしている。
小姑がこんなに近くにいて、わずらわしいときは山ほどあるけど、まぁ、そのおかげで僕は両親のことも気にしないですむし、子供たちの面倒も見てくれるので、悪いことばかりじゃない。
子供たちは、常に誰かがウチと実家とを行き来しているので、全員が同じ場所にそろうことは、まずない。
まぁ、男の子ばかり4人もいると、このマンションじゃ手狭だし、誰かが実家に行っていてくれる方がこっちも助かる。
「何だよ。また来たの?」
僕がそう言うと、お姉ちゃんは僕の目の前のソファにドカッと腰を下ろしてカバンの中からあれやこれやと手品のようにいろんなものを取り出しては、子供たちに与える。
「食事前に、お菓子とか食べさせないでよ。ウチは子供が多いんだからね。一気に同じ時間に食べさせないと片づけが大変なんだから。」
そう言いながら、僕はテレビのチャンネルを変える。
「今日は、子供たちを全員実家に連れて行こうかと思って。」
「何だよ、いきなり。」
「だって、今日はバレンタインデーでしょ。たまには夫婦水入らずで過ごしなさいよ。」
「バレンタインデーだからって、特別なことなんてしないよ。結婚してもう何年経ってると思ってんの?」
そう言って僕が笑うと、お姉ちゃんはカバンの中をかき回し、一枚の封筒を取り出した。
そして、それを僕の目の前のガラステーブルの上に置く。
「何・・・これ?」
その封筒を取り上げる。
宛先は、僕の実家の住所で、僕宛になっている。
差出人は・・・ない。
・・・何だろう?これは・・・と、思った瞬間、その筆跡に見覚えがあることに気がついた。
これは・・・?
この筆跡は・・・これは・・・僕じゃん!
「封筒の隅を見てごらんよ。」
と、お姉ちゃんが言う。
慌てて、裏返して封筒の隅を見てみると、そこにはあるスキー場のホテルの名前。
その名前はどこかで聞いたことのある名前だった。
ここ数年はスノボも行ってないけど、学生時代は毎年のように行っていた。
泊まるところはそのときによっていつも違うので、いちいち名前なんで覚えていないのに、何故かその名前だけは妙に懐かしい響きがした。
もう一度裏返して消印を見てみる。
・・・その日付を見て、僕はすべてを思いだした。
それは、ちょうど20年前の今日・・・僕と彼女が高校生活最後のバレンタインデーを過ごした日だったから・・・。
そう、高校3年生のバレンタインデーの日、僕たちは二人でスノボ旅行に出かけた。
そのとき泊まったホテルがちょうど創立20周年で、それにちなんで20年後の大切な人にラブレターを届けてくれるというイベントをやっていた。
そのときは、20年後のことなんてあまりにも遠い話で、まったく現実味もなく、そのときまで二人が一緒にいられるのか、20年後にどこに住んでいるのか、想像もできなかったけど、それでも僕は20年後の彼女にこの手紙を渡せることを祈って、彼女に内緒でこっそり手紙を書いた。
その手紙が、今日届いたんだ・・・。
20年以上も前、僕たちはあの古ぼけた学校の、汗と埃の匂いの染み付いた体育館で、恋をした。
僕があの場所で学んだことは、英語でも数学でもなく、バスケと友情と、彼女との恋・・・ただそれだけだった。
高校を卒業して、二人で一歩ずつ大人への階段を上って、時にはどちらかが遅れたり、足を踏み外しそうになったりしたけれど、それでも何とかつないだ手を離さずに、二人で通り過ぎた青春時代。
大学を卒業して、3年目の秋に僕たちは結婚した。
結婚してすぐに次々と子供たちが生まれて、新婚気分を味わう間もなく、嵐のように慌しく日々は過ぎていき、子供たちの寝顔を見ていると確かにそれは幸せだけど、もう長い間、あの頃の「恋」の感覚を忘れていた。
今、この封筒を手にして、そこからあの頃の懐かしい「恋」の感覚がじわじわと伝わってくるのを体中に感じて、なんだか体全体がじんわりと暖かくなった。
あの頃の彼女の笑顔や、肌の感触、触れた髪の毛の柔らかさまでもが、はっきりと胸の中に蘇ってきて、周りで走り回る子供たちの声も聞こえなくなるくらい、僕の心がゆっくりと過去へとタイプスリップしていく。
二人で過ごした様々な季節。
入学して間もない頃、桜舞い散るあの体育館で、初めて君を見たとき。
灼熱の太陽の下で、ただがむしゃらにボールを追いかけたあの夏。
真っ赤に色づいた木々の中を、落葉を踏みしめる音を聞きながら、君と手をつないで通り抜けたあの銀杏並木。
突風に吹かれた粉雪が僕たちの頭をハラハラと舞って、それでも君を抱きしめていればちっとも寒くなかったあの冬の日。
遠い昔の二人の影が頭の中でゆらゆらとかげろうのように揺れて、甘酸っぱい香りが胸いっぱいに広がったそのとき・・・。
バタンと大きく扉を閉める音が、僕を現実へと引き戻した。
「あら、お義姉さん、いらしてたんですか。もうすぐ夕食ですから、食べて行ってくださいね。今日はバレンタインデーだから子供たちにチョコレートケーキを作ろうと思って・・・。」
買い物から帰ってきた彼女が、キッチンのテーブルに置いた大きなスーパーのレジ袋から、あれやこれやといろんなものを取り出しながら微笑む。
「僕のチョコは?」
思わずそう言うと、彼女は眉をひそめながら訝しげな目を一瞬、僕に向け、すぐにまたテーブルの上の食材に目を落としてこう言った。
「どうせ子供たちは食べきれないんだから、パパは残ったやつ食べてちょうだい。」
そのとき、子供たちがバタバタとリビングに入ってきて、僕が持っているピンクの封筒を見つけ、大声を上げた。
「パパ!これ何?」
僕は、すっと立ち上がると、それを子供たちが届かないところまで高くかかげた。
「ダメ。これは、ママの。」
そして、そのままそっとキッチンカウンターの中にいる彼女の横に立つと、子供たちに聞こえないようにこっそり彼女の耳元で耳打ちした。
「今日は、お姉ちゃんが子供たちを全員実家に連れて行ってくれるって。だから・・・今日は、僕のためだけにチョコレートケーキを作ってよ。」
エプロンをつけようとしていた彼女の手がふと止まる。
そして、斜め下から覗き込むように僕の顔をじっと見つめる。
その顔が、ふと高校時代の彼女の面影と重なった。
「ね?綾乃ちゃん。」
その言葉に、一瞬で彼女の顔が火を噴いたように真っ赤になる。
当たり前だったお互いの呼び名も、いつしか「パパ」「ママ」に変わってしまった。
でも、やっぱりたまには昔のように、「駿」と「綾乃ちゃん」に戻ろうよ。
あの頃、僕たちが描いていた未来と今は、まったく同じではないかもしれないけど、君を愛する気持ちは今でもずっと変わらないから。
幼かった僕たちの恋が、少しずつ大人になって、愛の意味も幸せの種類も少しずつ変わっていく。
でも、そういう変化を君と一緒に過ごしていける・・・そのことが、一番幸せなことだと思うんだ。
今日は、二人きりで昔の恋を思い出そう。
20年前の今日の日のことを。
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