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ほぼ空になったクローゼットの中と、部屋中に散乱した服や、もう何年も見ていなかった小物の山に目をやって、まるで自分の荷物のようにあれやこれやと思いを巡らせながら荷造りをしている自分にふと気付き、わたしは思わず苦笑した。
必要なものは何でも日本で買えるとわかってはいても、いざとなるとあれもこれも持たせたくて、つい余計な世話を焼いてしまう。
ひっくり返った部屋の中央にある、開いたままの大きなスーツケースを見て、わたしはふと、20年前の自分を思い出す。
20年前、不安と心細さに締め付けられそうな心を抱え、これと同じような大きなスーツケースをたった1つ携えて、一人、この街に降り立った自分のことを・・・。
妊娠に気付いたのは、卒業式が終わって数日後のことだった。
それまでにも、体調が悪いのは感じていた。
でも、まさか自分の身にそんなことが起こっているなんて、思いもよらなかった。
病院で、その事実を告げられたとき、わたしは崖から突き落とされたような気持ちになった。
本来なら、将来を約束し合った相手がいる中で授かった命は、たとえ多少、順番が違うとはいえ、二人にとっての喜びの光であるはず。
でも、わたしには、どうしても喜べない理由があった。
・・・それは・・・妊娠周期から考えて、父親である可能性を持つ人物が、2人いたから。
1人は、わたしを闇から救い出し、生きる意味と勇気を与えてくれた、わたしの人生そのものであり、命の限りに愛したあの人・・・。
そして、もう1人は、今思い出しても身の毛がよだつ、不気味な目をしたあの男・・・。
彼に、真実を話すことだけは、絶対にしたくなかった。
だからといって、2分の1の確率に賭けて、何食わぬ顔で彼と結婚し、子供を産める?
それで、もし彼の子供じゃなかったら?
死ぬまで真実は話さないと決めた以上、自ずと答えは見えていた。
たとえ、父親が誰であろうと、女にとって自分の体に宿った命を自ら摘んでしまうことは、身を引きちぎられるような思いであることに変わりはない。
それでも、他に選択肢はなかった。
中絶の意思を告げるために、病院に行こうと、朝起きて、顔を洗い、洗面所の鏡を見た瞬間・・・。
・・・わたしの体の中で、何かが動いた。
それは、力強い生命力に溢れ、まるでこれから訪れる自分の運命に抗うかのように、必死に声にならない声を上げようとする、小さな小さな命の声だった。
今から思えば、そんな時期に胎動など起こるはずはなく、単なるわたしの幻覚に過ぎなかったのだと思う。
でも、そのときのわたしにとって、それはまるで滝に打たれたような衝撃だった。
この子は、生まれたがっている・・・。
たとえ、父親が誰であろうと、今、必死になって、生きようと・・・生きたいと、わたしに訴えかけている。
それを、わたしは、殺そうとしている・・・?
できない・・・できない・・・この子を殺すことは絶対、できない。
でも、じゃあ、どうしたらいい?
彼にすべてを洗いざらい打ち明ける?
彼に真実を打ち明ければ、すべて受け入れてくれることは、わかっていた。
たとえ、誰が父親であろうと、自分の子供として・・・二人の子供として育てていこうと言ってくれることは、わかっていた。
でも、そんな人だからこそ・・・そんな彼の愛情を十分すぎるほどわかっていたからこそ・・・絶対に言えなかった。
過去を捨て、ようやく明るい未来に目を向け、足を踏み出したばかりの彼を、また憎悪と後悔の淵に突き落とすようなことだけはしたくなかった。
薄暗い欲望と、果てしない絶望の渦巻く汚い世界で生きてきたわたしたちにとって、この愛だけが、自分たちの手で生み出したたった一つの美しいものだったから・・・初めて手にしたその美しい世界を、あんな男の醜い復讐劇で汚したくはなかった。
この愛だけは、美しいままにしておきたかったから・・・そこに一点の染みもつけたくなかったから・・・。
だから、わたしは決めた。
彼には何も告げずに、姿を消そうって・・・。
最後の朝、笑顔で手を振り、玄関のドアを閉めた瞬間、今までこらえていた涙がどっと溢れた。
彼の家を曲がった角で、スーツケースの影に隠れてしゃがみこみ、胃の中のものを全部吐き出すまで泣いた。
記憶の中の笑顔だけが、何度も何度も浮かんでは消え、空港に向かうタクシーの中で、「引き返してください」と叫びそうになる口を必死で両手で押さえながら、わたしはただ、狂ったように泣き続けた。
そんなわたしをチラチラとミラー越しに見ていたタクシーの運転手が、わたしがタクシーを降りるとき、
「タダにしとくよ。」
と、言ってくれた。
ただ一言、その言葉に救われて、わたしは飛行機に飛び乗った。
それから約半年後・・・。
わたしは、元気な男の子を出産した。
その子の顔を一目見て、わたしには誰が父親であるか、一瞬でわかった。
血液型検査や、DNA検査などするまでもなく・・・それは、信じるとか、予想とか、そういう不確定要素の一切ない、歴然たる事実・・・そう、わたしにとっては火を見るよりも明らかな事実だった。
・・・嬉しかった・・・。
言葉にならないほど・・・。
今までのすべての苦しみも悲しみも一瞬で消え去ってしまうほど・・・。
アメリカに来て、初めて生きていて良かったと思えた瞬間だった。
子供の父親の名前は、わたしと子供を引き受けてくれた叔父夫婦にさえ、明かしていない。
自分の父親にさえも・・・。
父親のわからない子供を身ごもったまま身を寄せたわたしを、黙って受け入れ、自立するまでずっと援助してくれた叔父夫婦には、どんなに感謝しても足りないくらい感謝している。
彼には、お父さんがわたしのためにアメリカ移住を決めたと言ったけど、それは嘘。
本当は、彼は会社でリストラに遭い、職を失ったことでそれまで付き合っていた愛人にも捨てられ、行き場を失い、それを見るに見かねた叔父夫婦が自分の経営するアメリカの会社で働けるように手配してくれたものだった。
そんな情けない父親だけど、ちゃんとした人間形成もできていない未熟なわたしが子供を産み、しかも父親のいない子にしてしまって、それでも何とかこの子に支えられながら今日までを生きてきたことを考えると、父親の愚かさもなんだか赦せるような気がする。
言葉もわからない異国の地で、たった一人で子供を抱え生きていくのは、確かに大変だったけど、苦労だなどと思ったことは一度もない。
日に日に彼に面差しが似てくる我が子を見ながら、ただ健康に育ってくれればいいと、それだけを願って育ててきたけれど、一つだけわたしにはどうしても譲れないことがあった。
それは、日本語。
わたしは、日本に行ったことも見たこともない彼に、完璧な日本語を操れるように教育した。
会話はまだしも、ひらがな、カタカナ、漢字の読み書きとなると、「自然に」は覚えない。
わたしは、遊びたい盛りの息子を押さえつけて、日本語学校に通わせ、家でも毎日日本語を勉強させた。
自分のアイデンティティーが気になる思春期の頃には、激しく衝突もした。
アメリカで生まれ、アメリカ人として生きていく彼にとっては、日本語など何の役にも立たない無意味なものだったに違いない。
こんな押し付けは、自分のエゴかもしれない・・・何度もそう思った。
それでも、これだけはどうしても譲れなかった。
なぜなら・・・彼の父親は、高校の国語教師で、とても美しい日本語を話す人だったから・・・。
彼が、万が一、どこかで自分の父親とめぐり合うことがあったとき、正しい日本語で正しく自分のことを語れるように・・・。
自分の思いや生き方を、父親と同じ美しい日本語で綴ることができるように・・・。
先生・・・。
わたしたちは、同じ場所で同じ景色を見ながら人生を歩むことはできなかったけれど、わたしたちの愛は、この子を通じて、これからも永遠に生き続ける。
たとえ、あなたが今、他の誰かと人生を共にしているとしても、 あの頃のわたしたちが絶望の沼の中から二人で手を取り合い、必死で捜し求めた希望の光が輝く命となって生まれ変わったことは、永遠に変わらない真実だから・・・。
先生、あなたとわたしは、もう二度と生きて会うことはないのかもしれない。
でも、わたしはこの恋を悲恋だとか、不幸だとか、そんな風には思わない。
なぜなら、20年前の卒業式の日、古い本の匂いのするあの国語準備室で、あなたの肩越しに見た、窓の外の早咲きの桜が、この世のものとは思えぬほどに美しかったから・・・。
あの桜を見ることができただけで、わたしは生まれてきて良かったと思えるから・・・。
そして、その桜の種は、しっかりと大地に根を張り、大きな枝をつけ、また再び美しい花を咲かせる。
その巡り巡る美しい連鎖を見るだけで、わたしはこれからも生きていけるから・・・。
息子には、父親のことは何一つ話してはいない。
本人が自ら聞きたいと言い出すまでは、無理に聞かせるようなことはするまいと思っていたから。
それでも、いつしか彼は、日本語に興味を持ち始め、大学では日本語を専攻し、そこで出会った古文に魅せられ、この春から日本の大学への編入が決まった。
20年前、あなたとの愛の結晶を抱いてたった一人この地に降り立ったわたしのように、今度は彼が夢という結晶を抱いて、日本に向かって羽ばたいてゆく。
先生・・・。
わたしは、この20年間、ずっとあなたと共に生きてきた。
辛いときも、苦しいときも、楽しいときも、嬉しいときも、あなたとうり二つの面差しが、すぐ隣でずっとわたしを見守っていてくれた。
それだけで、十分幸せな人生だったから、これ以上望みはないけれど・・・。
でも、一つだけ神様が望みを叶えてくれるなら・・・。
もしいつか、どこかでもう一度だけでも会うことができたなら・・・そのときは、この子と共に生きてきたわたしの20年間を、どうか褒めてください。
あの頃のように、「よく頑張りましたね」と言って、頭をポンポンと撫でてください。
明日、日本に発つ息子のスーツケースの取っ手につけられた、旅の安全を祈願するお守り袋。
その中に、わたしは、この20年間片時も離さず身につけていたあの指輪を、そっと忍ばせた。
先生、あなたへの永遠の愛と、感謝の思いを込めて・・・。
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先生の回を読んだ時には、あゆみちゃん、死んでるんじゃなかろうか(20年後迄生きてない)と心配しましたよ(^_^;)
一粒種が居た訳ですね、素敵☆
日本で是非、先生と出会ってほしいものです。大学の図書館とかで。
いつか、先生には彼が自分の息子だと確信してほしいな、そして更に10年後とか、あゆみちゃんも帰国して、先生と結ばれるといいな♪なんて思いました。
2011/5/31(火) 午後 9:58 [ かおる(orum) ]
かおるさん
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
>日本で是非、先生と出会ってほしいものです。
そうですね、わたしもそう思います。
多分、そこまでは書けないと思いますが。(笑)
二人とも独身ですからね、いつか結ばれるといいなぁと思います。
2011/5/31(火) 午後 10:23 [ 紫 ]
あゆみちゃん、今までのなかでこの話がいちばん幸せだな〜って感じました^^
今までになかったとても明るい光を感じましたね。
これから日本に立つ息子さん・・・
この続きを勝手に妄想してしまいましたよ(^p^)
いつか出逢えたらいいですね^^
2011/6/2(木) 午前 0:14 [ う〜 ]
う〜さん
>今までになかったとても明るい光を感じましたね。
そう言っていただけて、嬉しいです!
読み方によっては「薄幸な女」みたいなイメージになるかな?と思ったんですが、わたしの中ではあゆみちゃんも先生も決して不幸ではないんですよね。
先生が息子と会えたらいいですよね。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました♪
2011/6/2(木) 午後 6:59 [ 紫 ]