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卒業なんて、まだまだ実感が湧かない・・・と思っていたけど、卒業式のあと、後輩たちから花束と色紙をもらい、卒業証書の入った筒を片手に中庭を歩くと、3年間の楽しかった思い出と寂しさの入り混じった複雑な感情が、急に実感という輪郭を伴って、雪崩のように僕の心に押し寄せた。
自転車を押す僕の横を歩いていた綾乃ちゃんが、校門を出る一歩手前でピタリと足を止め、ふと後ろを振り返る。
彼女は、少し眩しそうに目を細め、グランドの向こう側にそびえ立つ校舎を仰ぎ見ると、軽く息を吐いた。
「今まで気がつかなかったけど・・・ウチの学校って、きれいだね・・・。」
その言葉に、僕も後ろを振り返る。
広いグランドの向こうに見える、古ぼけた校舎。
その校舎の周りをぐるりと取り囲む藤棚。
中庭に通じるレンガ造りの小径の脇には、早咲きの桜が薄紅色の枝をしならせている。
蔦の絡まる図書室・・・その横にあるバラ園・・・。
そのどれもが、春の柔らかい光に照らされて、本当にきれいだった。
毎日見ていたはずなのに、どうして僕はこの美しさに今まで気付かなかったんだろう?
校門を出たあと、僕たちは、いつものようにコンビニでパンやおにぎりを買って、放課後、僕たちがよく過ごしていた公園に行った。
噴水の水しぶきが、光の輪の中でキラキラと光って、その向こうに見える緑の木々を水彩画のように淡く溶かしていく。
緑の木々の隙間から、ピンクの桜の花弁がチラチラと零れ落ち、地面に春色の地図を描く。
この公園も、しょっちゅう来ていたのに、こんなにきれいな場所だなんて、今までまったく気付かなかった。
どんなに美しいものが目の前にあっても、それを見る心が意識していなければ、心の中には留まらない。
こうやって、僕は美しいものを、一体いくつ見過ごしてきたんだろう。
春の匂いのする芝生に座って、二人でおにぎりを食べながら、もらったばかりの卒業アルバムを見た。
クラスや部活の集合写真があって、それから3年間のいろんな行事のひとコマが所狭しと並んでいる。
「あ、これ、1年生のときのクリスマスパーティーの写真だね。」
そう言って、彼女がアルバムの右端を指差す。
初めて参加した白薔薇学園のクリスマスパーティーで、クラスのみんなで撮った写真。
彼女と付き合い始めて初めて迎えるクリスマスだったから、パーティーに出席するか二人きりで過ごすか、相当迷った。
何度話し合っても結論が出ず、結局二人でアミダで決めた。
決めたものの、やっぱり早く二人きりになりたくて、パーティーの間中ソワソワしていたのを今でもよく覚えている。
この写真を撮ったあと、二人でこっそり会場を抜け出して、体育倉庫の前で初めてのキスをした。
二人の唇が軽く触れ合ったとき、まるでその瞬間を待っていたかのように、空から白い羽のような雪がふわりふわりと舞い降りて、彼女の睫毛に止まったんだ。
白い結晶に縁取られた睫毛をそっと震わせながら、少し恥ずかしそうに頬を染める彼女が、どうしようもないくらいに可愛くて、遠くでパーティーの喧騒を聞きながら、ただひたすら彼女を抱きしめた。
「これは・・・2年生のときの夏合宿。」
バスケ部の夏合宿のときの写真。
本当にキツイ合宿で、肉体的にも精神的にも、限界まで追い込まれた。
体は汗と涙でぐちゃぐちゃで、ユニフォームはドロドロ、夏の日差しにさらされた皮膚は焦げ付いて皮がめくれ、この写真に映っている僕たちはまるでどこかの浮浪者みたいだ。
それでも、その顔は達成感と満足感に満ち溢れ、みんなとてもいい顔をしている。
部活を引退してから、少しだけお洒落に気を遣うようになった今の僕よりも、よっぽどカッコいい・・・なんだか、そんな気がした。
「これは、最後の全国大会の予選で、駿が最後の最後でシュートを決めたときのやつだよね。」
コートの中央で、僕が胴上げをされている写真。
その横で、感激の涙に濡れる彼女の姿が映っている。
この試合のあとの帰り道、二人で自動販売機でジュースを買って乾杯した。
お祝いだって言って、クラッカーをバンバン鳴らしながら歩いて、大人の人に怒られたよね。
こんな風に、このアルバムの写真すべてに僕の3年間がぎっしりと詰まっていて、そのすべての景色の中に彼女がいる。
あのときの空の色、空気の匂い、彼女の表情、肌のぬくもり・・・それらすべてが、平面的な写真の中から立体となって現れてくるんじゃないかと思うほど、はっきりと色鮮やかに心の中に蘇る。
それなのに、普段の生活の中では、これらの美しい景色をまったくといっていいほど忘れているのは、どうしてなんだろう?
「これは・・・3年生のときのクリスマスパーティーだね・・・。」
その声に、少し寂しげな響きを感じて、僕の胸にチクリと小さなトゲが刺さる。
高校生活最後のクリスマスは・・・一緒に過ごせなかった。
それは、僕がそれまでずっと彼女と一緒に見てきた景色を忘れていたせい。
いや・・・忘れていたわけじゃない。
彼女のことも、彼女と一緒に過ごしてきたいろんな季節のことも、常に心の中にあった。
でも、いつしかそんな美しい光景が自分の中で当たり前になり、彼女と過ごした時も、一緒に見た夢も、流した汗も涙も、すべてに気付かなくなって、その場しのぎの満足感で心の空洞を埋めようとしていたんだ。
彼女と一緒に過ごした季節は、当たり前なんかじゃなくて、奇跡に近いくらいに特別で、どんなものとも比べることができないほど美しいものだったのに、そのときの僕はそれを見る心を失っていたんだ。
「でも・・・クリスマスは毎年来るもんね。」
彼女がそう言って、僕の方に首を傾け、にっこりと微笑む。
彼女の後ろから差す黄色い光が、彼女の頬を金色に染める。
そよそよと流れる風を押しのけるように舞う桜の花びらが、彼女の周りに淡いピンクの膜を張る。
ピンク色の風に包まれて微笑む彼女は、本当に息を呑むくらいにきれいだった。
君のこの美しさだけは、僕は絶対に忘れない。
学校も・・・公園も・・・その美しさはずっと目の前にあったのに、僕はずっとそれに気付かなかった。
もう、絶対に見過ごさないから。
彼女をそっと抱き寄せる。
この柔らかな手触りも、シャンプーの匂いも、春の陽射しも、僕は絶対に忘れないから。
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相葉 駿
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学校に行かなくなって、約1ヶ月。
卒業といっても、まだまだ実感が湧かなくて、少し長い春休み・・・そのくらいのつもりでいたのに、久しぶりに訪れた学校は、なんだかすでにもう自分のものではない、少し遠くの存在に感じた。
見慣れた体育館も、今日は卒業パーティーの飾り付けが施され、いつもとは様相を変える。
次々に集まってくる同級生たちも、心なしか少し大人になったように見えた。
来週の卒業式では、きっとクラス単位で行動するし、ちょっと厳粛な雰囲気もあったりするけど、今日の卒業パーティーはクラスの垣根を越えて純粋に仲の良かった友達と楽しく騒げる最後の日。
わたしは、女子バスケ部のメンバーたちと、テーブルに並んだ軽食をつまみながら、3年間の思い出話に花を咲かせていた。
厳しかった真夏の練習、駿が最後の最後でシュートを決めた全国大会予選、みんなで涙し、励ましあった合宿・・・。
どれもこれもが貴重な思い出ばかりで、今でも目を閉じると、その光景が昨日のことのように目に浮かぶ。
わたしの3年間がぎゅっと凝縮されたように詰まったこの体育館を見渡しながら、彼女たちの話に相槌を打つ。
でも、その相槌と自分の挟む言葉との間にある、微妙なズレ。
それは本当に、針の穴ほどの小さなヒビで、きっとわたし以外の誰の目にも見えない、わたしだけが感じる疎外感。
それは・・・みんなで盛り上がる話の中で、わたしだけが傍観者の立場だったから。
どんなに苦しい練習も、どんなに感動的な試合も、確かにわたしはそこにいた。
でも、それはマネージャーという、選手たちとは一歩離れた場所で、たとえどんなにその空間を共有しても、彼らと同じ苦しみと感動を味わうことは、決してできない。
もちろん、誰もそんなことは言わないし、みんなわたしをバスケ部の一員として扱ってくれる。
そんなことを思うのは、わたしの単なる僻みなのかもしれない。
それでも、やっぱりわたしの心の中の声が呟く。
お前は、選手とは違うのだ・・・と。
ステージの上では、運動部に所属していた卒業生たちの中からあらかじめ投票で選ばれた、MVPの発表が始まっていた。
白薔薇学園の卒業パーティーでは、投票で選ばれた人たちに、実に様々な賞が与えられる。
美男美女を決めるミス白薔薇やミスター白薔薇のような俗っぽいものから、ベストアーチスト賞、ベストジーニアス賞、ファッションセンスのいい人を決めるベストコスチューム賞など、多岐にわたる。
女子運動部のMVPに、我がバスケ部のキャプテンが選ばれ、わたしの隣に立っていた彼女が照れくさそうに頭をかきながら、ステージに向かう。
そのとき、彼女の短いスカートから、ほどよく筋肉のついたカモシカのような脚がスラリと伸びているのを見て、わたしは思わず自分の脚と見比べてしまう。
そして、その差に愕然とする。
これが、3年の間についた差。
・・・これが、現実。
賞を受ける彼女に拍手を送りながら、「もしわたしが選手だったら・・・」などという、不毛なことをふと考える。
もし、中学のときにケガさえしていなかったら・・・いや、ケガをしていても、あのとき無理にでもバスケを続けていたら・・・。
そうしたら、今ここであのステージに立っているのは、わたしだったかもしれない・・・。
そんなことを考える自分が恥ずかしくて、わたしはぎゅっとこぶしを握り締める、
人の幸せを素直に喜べないなんて、最低な人間・・・。
そんな思いをかき消すように、表彰を受けて戻ってきた彼女に「おめでとう」の声をかける。
そんなわざとらしい自分も、なんか嫌・・・。
「女子バスケのみなさん、もうすぐ撮影なので、ユニフォームに着替えてきてください。」
その言葉に、後ろを振り向くと、そこには大きなカメラを抱えた新聞部の新3年生。
白薔薇新聞の4月号は、毎年、運動部だった卒業生の1人1人の写真と後輩たちへの一言メッセージを載せるのが恒例になっている。
3学期は3年生は自主登校で、みんないつ学校に来るかわからないので、卒業生が一同に集まる卒業パーティーが撮影日と なる。
後輩たちは、その新聞で憧れだった先輩を探し、そのコメントに励まされ、新1年生は、自分たちと入れ替わりに卒業していった見たことのない先輩たちの写真やコメントから、各部の雰囲気や活動を想像し、入部を決める際の判断材料の一つにするのだ。
ユニフォームに着替えに行くメンバーの背中を見送りながら、言いようのない寂しさを感じた。
別に、表彰されたり、新聞に載ったり、目立ちたいわけじゃない。
でも、自分が3年間やってきたことが、誰かの憧れや励みとなり、人の心に残っていく選手に比べて、わたしのやってきたことなど、誰の記憶にも残らない・・・そう思うことが、どうしようもなく悲しかった。
そのとき、後ろから駿の声が聞こえた。
「あれ?綾乃ちゃん、着替えないの?」
・・・駿は、一体何をバカなことを言っているんだ。
新聞に載るのは、選手だけ。
後輩たちが見たいのは、数々の感動的なプレイで見る者に夢を与えてきた先輩たちの姿やコメントであって、給湯室でお茶を作ったり、体育館の隅でボールを拭いてきたマネージャーの姿なんかじゃない。
「新聞に載るのは、選手だけなんだよ。」
すると、駿は驚いたように目を丸くしながらこう言った。
「えっ!そうなの?毎年そうだった?」
「そうだよ。去年も、一昨年も、そう。」
「そんなのおかしいよ!マネージャーだって、部の一員じゃないか!そんなの不公平だよ!」
「駿が何と言おうと、新聞部の方針なんだからしょうがないでしょ。そんなこと言い出したら、どうして文化系クラブの人は載らないのかとか、部活をやっていない人はどうなるのかとか、いろんなところから苦情が出てくるでしょ。何もかもが公平なんて、あり得ないの。」
わたしがそう言うと、駿は不満げな様子で、しばらく口の中でモゴモゴ言っていたけど、自分に何ができるわけでもないと悟ったのか、
「僕・・・着替えてくる・・・。」
そう一言だけ言い残して、体育館を出て行った。
体育館の隅で、撮影が始まる。
わたしは、少し離れた壁にもたれながら、その様子をぼんやりと見ていた。
ユニフォームを着た選手たちが、一人ずつスポットライトの下に立ち、フラッシュが焚かれていく。
そのフラッシュの光に照らされる彼らの表情は、達成感と満足感に満ちていて、あまりにも眩しすぎて、わたしはそれを直視できなかった。
男子バスケ部の順番になり、キャプテンをかわきりに見慣れた顔が次々とライトの前に躍り出る。
みんなのコメントが感動的だった。
苦しい練習をどんな気持ちで乗り越えてきたのかとか、スランプのときにメンバーからかけてもらった一言によって救われたこととか、ココ一番というときにシュートを決めるためにはどうすればいいのかとか、3年間の間に一人一人が培ってきた経験や、精神力・・・そういったものを垣間見たような気がした。
駿の順番になった。
タンクトップのユニフォームの上に羽織っていた上着を脱ぎ、スポットライトの輪の中に進み出た彼を見て、わたしは一瞬、目を疑った。
いつもの、グレーのタンクトップのユニフォーム。
駿の背番号「7」が、大きく背中と胸にグリーンの文字で書いてある。
その番号の上には、ローマ字で「SIROBARA」。
でも、その番号とローマ字をかき消すかのように、その上から大きな文字が太いマジックで書かれてある。
その文字は・・・わたしの名前。
それを見たみんなのどっという笑い声や、冷やかしの言葉をまったく無視して、駿は淡々とカメラの前に進む。
別に機嫌が悪いわけでもなさそうなのだけれど、彼は完全に無表情で、彼のことだからてっきりおどけた表情で写真を撮るものだとばかり思っていたわたしにとっては、なんだかとても意外だった。
フラッシュの光線とともに撮影が終わり、新聞部員が録音用のマイクを差し出す。
「では、後輩に向かって一言メッセージをお願いします。」
駿がふーっと長い息を吐く。
そして、マイクの方に一歩進み出ると、撮影が始まって初めて、大きな笑顔を見せた。
「君たちが、楽しくバスケをすることができるのは、裏で支えてくれるマネージャーがいるからだってことを、忘れないで。」
そして、わたしの方を見て、にっこり微笑むと、わたしに向かって大きく両手を振った。
その姿を見て、思わず涙がこぼれそうになったわたしは、慌てて、わざと少し怒った顔を作り、声に出さずに唇だけを「バ・カ」と、動かす。
バカだよ・・・駿は、バカだよ・・・。
後輩たちが、駿から聞きたいコメントは、こんなことじゃなくて、感動的な試合の思い出とか・・・どうやったらバスケが上達するのかとか・・・そういうことなんだよ。
バカだよ・・・駿は、バカだよ・・・。
でも、そんな駿の存在に気付かなかったわたしは、きっともっとバカ。
駿は、わたしの3年間をすべてちゃんと見ていてくれた。
他の誰の記憶に残らなくても、駿の記憶のアルバムの中にはちゃんとわたしの3年間がファイルされてあるから・・・。
自分の大切な人の心の中に、一番大切なものとして記憶されていくこと・・・。
そのことが、とても誇らしかった。
表彰状をもらうことよりも、新聞に載ることよりも、わたしにとっては大切な誇り。
ステージでは、投票で選ばれた賞の発表が続いている。
でも、もう誰を見ても羨ましくはなかった。
わたしが一番欲しかった賞を、わたしは今、手に入れたから。
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お風呂上りにリビングに一歩足を踏み入れた瞬間、ぎょっとして、思わず出しかけた足を引っ込めてしまった。
リビングのソファの上で、浜辺に打ち上げられたトドのように横たわっている物体。
・・・それはお姉ちゃん。
仰向けになり、死体のように両手をお腹の上に組んで、長い髪がワカメのようにゆらゆらとソファから床に向かって伸びている・・・それだけでも結構怖いのに、顔の上にはまるでまな板のように、所狭しとキュウリの輪切りが並んでいる。
キュウリパックか・・・。
この間は、レモンの輪切りを並べていた。
こういうことが、どれほどの効果をもたらすのか、僕にはさっぱりわからないけれど、自分がどんなに滑稽な姿になっているのか、きっとやってる本人は気付いていないんだよな。
前、泥パックをしていたときなんかは、ソファの上にゾンビが寝転がっているのかと思って、マジで怖かったんだからね。
「お姉ちゃん!ソファ占領するなよ!」
そう言って、髪の毛を拭きながらソファの横に立って緑の顔をじっと見下ろすと、お姉ちゃんは、両瞼の上に乗っていたキュウリをひょいとつまんで目を開けると、黒目だけギロッと僕の方に動かしてこう言った。
「もう!うるさいわね!」
「僕、今からテレビ見るんだから、どいてよ。」
そう言って、無理にお姉ちゃんの体をソファの背の方に押しやり、空いたスペースに無理やり自分のお尻をはめ込んだ。
「な・・・何?」
緑の畑の中で動く二つの黒目が、下から僕を覗き込んでいるのがあまりに不気味で、一瞬たじろいだ。
「駿・・・アンタ、この角度から見るとカッコいいね。」
「は・・・はぁ?」
「わたしがアンタを見上げることなんて今までなかったから気付かなかったけど。角度が変われば見える世界も変わるもんだねぇ。」
そう言って、お姉ちゃんが寝転んだまま僕の頬を引っ張る。
「僕は、どの角度から見てもカッコいいの!」
その言葉にお姉ちゃんがゲラゲラと笑う。
そうやって笑ってろ・・・お姉ちゃんが知らないだけで、僕はこう見えても結構モテるんだから。
「そうだ、アンタ、綾乃ちゃんのホワイトデーのお返し、考えたの?義理返しの分と同じなんて、許さないよ。」
はぁ・・・またこれだよ。
綾乃ちゃんが僕の家族と仲良くしてくれるのは嬉しいけど、何かイベントがあるたびにこうやってお姉ちゃんがしゃしゃり出てくるのが困りものなんだ。
ケンカをしても、いつも僕のせいになるし、彼女と家族が仲が良すぎるのも考えものだ。
「まだ考えてない・・・っつーかさ、僕、今までのイベントで、女の子の喜びそうなものは、もう大概プレゼントしてきたんだよね。もうこれ以上思いつかないよ。何が欲しいかって聞いても、特にないって言うしさ。」
「それは、アンタが彼女の欲しいものをちゃんと理解してないだけじゃないの?」
「そんなことないよ。一緒に街を歩いたり、雑誌を見てて、彼女が可愛いって言うものや、欲しいって言うものはちゃんと覚えてるしさ。」
「本当に欲しいものは、本人自身が気付いていないことってよくあるの。」
「本人が気付いてないものを、僕がどうやって気付くのさ?」
すると、お姉ちゃんはさっき取ったキュウリをまた両瞼の上に乗せながら、独り言のようにブツブツとこう言った。
「見る角度を変えるのよ。角度が変われば世界も変わる。」
結局、お姉ちゃんの言ってる意味はさっぱり理解できず、ホワイトデー当日は、僕が4月から進む白薔薇大学のバスケチームの試合を午前中一緒に見に行って、午後から街に出て、彼女に似合う何かを二人で選ぶことにした。
高校生とは迫力も雰囲気もまるで違う、大学のバスケチームの試合に、彼女も興奮冷めやらぬ様子で声援を送る。
観客席の熱気と歓声が、狭い体育館を揺るがし、興奮の渦を巻き起こす。
「やっぱり、高校生とは全然違うね。カッコいい。」
そう言って、彼女がうっとりとした目でコートの中を見つめる。
自分の中にムクムクと嫉妬の炎がが湧き上がってくるのを感じつつも、彼女の言葉にまったく同感で、何も言えなかった。
「4月から、駿もあの場所に立つんだね。」
「そんなすぐには立てないよ。大学のバスケチームには、高校時代にエースだったヤツらが、あちこちから推薦で入ってくるんだ。新人戦にだって、出られるかどうかわからないよ。」
「駿は・・・いいなぁ。大学でやることが決まってて。」
そう言って、彼女が軽くため息をつきながら足を伸ばす。
「決まってるっていうか、僕にはそれしかないんだよ。スポーツ推薦で入学するからにはバスケ部に入るのは必須だし、どうせやるからには、もっと上手くなりたいし、レギュラーにだってなりたい。ただそれだけだよ。」
すると、彼女はにっこりと微笑んで、じっと上目遣いに僕の目を見つめてこう言った。
「それだけだからいいんじゃない。」
試合のあと、僕たちは、彼女が欲しいものを選びに街へ出た。
何軒ものアクセサリーショップやブティックを回っては、ディスプレイに飾ってあるものを一つ一つ手に取り、また元の位置に戻す。
どれを見ても「可愛い!」と声を上げ、決して気に入らないわけではなさそうなのに、いざ僕が財布を取り出すと、首をかしげてそっと手を放す。
「全部可愛いし、いいなって思うんだけど・・・。でも、そのうちの一つってなると、決め手がないんだよね・・・。ごめんね・・・長時間付き合わせちゃって。」
「いいんだよ。君には一番好きなものを選んでほしいからね。」
そう言いながら、結局、広いショッピングモール内の店はほぼすべて制覇し、それでもまだ「決め手」となるものは見つからず、とりあえず一度どこかカフェにでも入って休もうと話をしていたとき。
ピタリと彼女の足が止まった。
そこは、女性用のスポーツ用品店の前。
ショーウィンドウには、可愛いゴルフウェアを着たマネキンが何体か立っていて、その下にはいろんなタイプのスポーツシューズが並んでいた。
ゴルフシューズはもちろんのこと、ランニングシューズ、テニスシューズ、そして僕たちのよく知っているバスケシューズ。
横目でチラッと彼女を見ると、彼女の視線はその中のただ一点に注がれていた。
そのとき、僕は思ったんだ。
彼女が本当に欲しいものは、これなんじゃないかって。
それは、バスケシューズそのものではなく、自分の情熱を賭けられる「何か」。
ケガという不本意な理由で、その「何か」を諦めてしまった彼女が、ずっと欲しかったもの。
「これ・・・買おうよ。」
僕がそう言うと、彼女は驚いたように目を見開いて、慌てて手を振ってこう言った。
「いらない、いらない。だって、こんなの持ってても、もう使い道ないもの。」
本当に欲しいものは、本人自身が気付いていない・・・。
お姉ちゃんの声がどこかから聞こえたような気がした。
彼女自身が気付いていないなら・・・きっとそれに気付かせてあげることが本当のプレゼント。
「ねぇ、綾乃ちゃん。大学入ったら、またバスケやりなよ。」
「そんなことできるわけないでしょ。だって、もともとバスケを辞めたのだって、ケガが原因なんだし、もう3年間もやってないんだよ?ずっとやってきた人たちと、今更一緒にできるわけないじゃん。」
「本格的な試合に出ることだけがバスケじゃない。大学には、ただ純粋にバスケを楽しみたい人たちが集まったバスケサークルや同好会がたくさんあるはずだよ。そういうところで、プレイしてみるのもいいんじゃない?」
角度が変われば世界も変わる。
好きなものは好きでいいんじゃない?
やりたいものはやれば、それでいいんじゃない?
自分はケガをしてるからとか、下手だからとか、人に勝てないからとか、そんなのどうだっていいじゃん。
欲しいものを手に入れる方法は一つだけじゃない。
本当にそれが欲しいと思えば、どんな方法だってある。
本当に欲しいものを無理に諦めて、「決め手」がないのに仕方なく何かを選ぶよりも、僕は君にはいつも一番好きなものを選んでほしいんだよ。
彼女が見ていたバスケシューズをそっと手に取る。
それは軽くて、シルバーのラインが白地にキラキラと輝いていて、それはまるで彼女の未来のようだった。
これから始まる新しい未来の中で、彼女がたくさんの好きなものに囲まれて暮らすことができますように・・・。
そして、その「好きなもの」の中の一番上には、僕の名前があるといいな。
どんな風に角度が変わっても、彼女の見る世界の中に必ず僕があってほしい。
彼女のキラキラと光る目が、目の前のショーウィンドウに映っている。
そこには、もう迷いの影は見えなかった。
そう・・・角度が変われば世界は変わる。
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冷たい北風に舞い上げられた砂埃の中にも、心なしか少しずつ春の息吹が感じられる静まり返ったグランドを斜めに横切る。
物音一つしない日曜日の校舎の脇を通り抜け、体育館へと向かう。
厚い壁を通して外にまで聞こえる、賑やかな掛け声。
なんだか、「自分の居場所」に帰ってきたような気がして、グランドを蹴る足取りが軽くなる。
どんどん近くなる掛け声に誘われるように、重い扉をそっと開けると、そこにはずっと長い間忘れていた、子供独特の甘酸っぱい匂いが立ち込めていた。
コートを駆け回る子供たちの中に、駿の姿を見つける。
久しぶりに見る、バスケ部のジャージ姿の駿を見て、一瞬胸が高鳴る。
改めて思った。
やっぱり・・・たとえどんな立場でも、コートの中の駿が一番好き。
「あ、綾乃ちゃん。もうすぐ練習終わるから、ちょっと待っててね。」
そう言って、わたしの方を振り向きながら汗を拭う駿。
その姿も・・・やっぱり、好き。
駿の教えている小学生のバスケチームの練習が終わるまで、わたしは体育館の隅でそれを見ていた。
子供たちは駿になついているようだし、練習の段取りもよくて、チームの運営自体はうまくいっているようだ。
でも、わたしには一つ、気になることがあった。
それは・・・駿は、子供たちにすごく甘い。
しょっちゅう休憩も取るし、トレーニングメニューもそれほど厳しいものはなく、ボールで遊んでいる時間が異常に長い。
もちろん、小学生と中学生では格段に差が出るのかもしれないけど、わたしの中学のバスケ部では入部してしばらくは、厳しいトレーニングばかりで、ボールなんて滅多に触らせてもらえなかった。
そんな辛い練習の中で、どんどん脱落していく人がいて、それでもそれを乗り越えてきた人だけが、本当のバスケの楽しさを知ることができる・・・そんな感じだった。
苦しさのあまり、練習中に涙することはあっても、笑顔なんてとても作れなかった。
それなのに・・・ここにいる子供たちは、みんな笑顔でコートを駆け回っている。
楽しいことは大切だけど、こんなに甘くて本当にいいの?
「ねぇ、駿。駿のやり方にケチをつけるわけじゃないけど、練習、ちょっと甘すぎない?」
練習の終わった帰り道。
昼ごはんを食べに行く道すがら、わたしはさりげなく、駿にそう聞いた。
すると、駿はひと汗かいたあとの、爽やかな笑顔で空を仰ぎながらこう言った。
「僕は、子供たちにバスケを好きになってほしいんだよ。バスケを苦しいものだとか、辛いものだとか、そんな風に思ってほしくない。本当に好きになれば、そのあとはどんな辛い練習でも、乗り越えられるからね。」
昼ごはんを食べ終わって、二人で街へ出た。
ゲーセンでしばらく遊び、スポーツ用品店を冷やかし、アイスクリームを1個だけ買って、二人で震えながら半分ずつ食べた。
「あ、この子、可愛いよね。」
たまたま入ったCDショップの壁に貼ってあったポスターを指さして、駿が言う。
それは、今人気のアイドルグループの女の子の一人。
髪が長くて、目が大きくて、わたしたちと同い年にしては大人っぽい色気のある女の子。
ふーん・・・駿って、こういう女の子が好みなんだ・・・。
別に、テレビの中の芸能人に嫉妬するほど、子供じゃない。
でも、駿の口からこういう言葉が飛び出すたびに、ある思いが胸を刺す。
・・・あの娘は・・・どんな子だったの?・・・
部活を引退し、目的を失った虚ろな毎日をただダラダラと過ごす駿の心の隙間に飛び込んできた女の子。
今更、それを責めるつもりはないけれど、彼の言葉の一つ一つをパズルのように組み立てて、わたしの中で「あの娘の像」が勝手に出来上がっていく。
わたしが、「あの娘」の存在に気付いたのも、駿の些細な行動から。
いつも缶ジュースを買うときは、わたしがフタを開けて駿に渡す。
でも、あの日は駿が開けてわたしに渡してくれた。
それで気がついた。
彼は、今、他の女の子と会ってるんだって。
そして、その子はきっと爪を伸ばしている。
「女の子って、よく携帯のストラップにぬいぐるみつけてるよね?邪魔じゃないのかな」
その一言で、「あの娘」の携帯ストラップにぬいぐるみがついていることを知る。
そして、それはきっとキャラクターもの。
なぜなら、新しくできたキャラクターショップの名前を駿が知っていたから。
キャラクターものの携帯ストラップをつけて、爪をきれいに伸ばして、あのポスターのアイドルのように髪が長くて、目が大きくて・・・。
想像の中の「あの娘」は、わたしが到底かなわないくらいに可愛くて、わたしの胸を苦しいくらいに押し潰す。
もう忘れたはずだったのに・・・。
駿は、ちゃんとわたしの元に戻ってきてくれた。
それだけで十分じゃない。
それでも・・・それでも・・・。
「駿・・・あの子は・・・どんな子だったの?」
つい、聞くつもりのなかった言葉が口をついて出た。
聞くつもりなんかなかった・・・。
一生、聞くつもりなんかなかったのに・・・。
その言葉に一瞬、驚いたように駿が棚からCDを取り出そうとしていた手を止める。
「なーんてね。ちょっと、駿を困らせてみたかっただけ。あはは・・・。」
ごまかすように不自然な笑い声を立てるわたしの横で、駿は無言で手に取ったCDをじっと見つめていた。
そして、軽く息を吐くと、ごく当たり前のような口調で静かにこう言った。
「うん・・・。可愛い子だったよ。」
自分から聞いたくせに、苦い液が胃の奥からせり上がってくるのを感じる。
聞かなきゃよかった・・・。
こんなこと、初めから聞かなきゃよかった・・・。
「じ・・・じゃあ、付き合えばよかったのに。あのときは、もうわたしとは別れてたんだし、何も問題はなかったでしょ?」
わざと、平静を装って余裕のあるフリをする。
本当は、今にも泣き出したいくらいなのに・・・。
余裕なんてまったくなくて、強張る顔の筋肉を無理に引き伸ばして笑顔を作っているのに・・・。
「うん・・・そうだね。休日の暇な時間を一緒に過ごして、楽しく遊ぶだけなら彼女でもよかったかもね。でもさ・・・。」
そう言うと、駿はわたしの方に顔を向け、じっとわたしの目を見つめながら真顔になった。
「彼女と一緒に苦しいことや辛いことを乗り越えていけるかって考えたとき、それはやっぱり無理だったんだ。それができるのは・・・いや、それをしたいと思うのは、やっぱり綾乃ちゃん、君しかいなかったんだよ。」
そして、わたしに向かってゆっくりと微笑んだ。
その笑顔が、なんだかとても大人っぽくて、わたしはどう言葉を返していいのかわからず、ただどぎまぎした。
「だから、僕は子供たちにバスケを本当に好きになってほしいんだよ。本当に好きなもののためなら、どんな苦しいことだって頑張れるんだ。この世に好きなものはたくさんあるけど、そのために苦しい思いをしてもいいって思えるものは、すごく少ない。今、バスケを心から好きになっておけば、中学に入ってどんな辛い練習が待っていても、必ず耐えられるからね。僕は飽きっぽいし、意思も弱いし、苦しいことも辛いことも好きじゃない。でも、バスケのためなら頑張れるんだ。そして、そのときに傍にいてほしいのは、やっぱり君なんだよ。」
そう言って、駿は静かに笑った。
駿の笑顔を見ながら、わたしの脳裏に体育館を走り回る子供たちの楽しい笑顔が浮かぶ。
本当に何かを好きになること・・・。
それは、楽しいだけじゃなくて、時には苦痛も伴う。
それでも、それを乗り越えようとする情熱・・・それを「好き」というのかもしれない。
駿は、きっとその情熱を子供たちに教えようとしているんだ・・・。
いつしかわたしの心の中から「あの娘」の影が消えていった。
楽しいときだけではなく、お互いが苦しいとき、辛いときに寄り添い合える情熱・・・。
駿の中の、そんな情熱の炎がわたしに向かって燃えていることを、今、知ったから。
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バスの窓を流れる景色が、少しずつ雪化粧されていくのを見て、僕は嬉しさに勝手に笑みがこぼれだすのを必死で抑えながら、綾乃ちゃんの手をぎゅっと握る。
今年のバレンタインデーは、彼女と二人、白銀のゲレンデで過ごす。
去年のスノボ旅行は、会長カップルと一緒だったし、お金もそんなになかったから、修学旅行生や大学のサークル団体が泊まるような、本当にスノボだけが目的の味気ないホテルに泊まった。
でも、今年は二人きり。
バレンタインデーと彼女の合格祝いを兼ねて、今年は思い切りロマンチックな旅にしたかった。
お姉ちゃんに手伝ってもらって、少し奮発して、女の子好みの可愛らしいホテルを予約した。
屋根のとんがったコテージ風のホテルを見た彼女の顔が輝く。
お洒落なホテルだけあって、さすがに宿泊客はカップルばかりだった。
エントランスを入ると、吹き抜けになっているロビーの真ん中に大きな木があって、ピンクの飾りが鈴なりになっている。
クリスマスツリーにしては時期外れじゃないか?・・・と、思いながら近寄ってみると、それはバレンタインデーにちなんだ、ピンクのハート型のメッセージカード。
恋人への愛のメッセージや、恋愛成就の願いごとなどがその1枚1枚に込められている。
それを読みながら、ふと、その木の横に目をやると、壁に1枚の大きなパネルがかかっていた。
<20年後のあの人にラブレターを送ろう>
そのパネルの説明を読むと、今年はこのホテルの創立20周年。
それを記念したイベントで、自分の大切な人に手紙を書いて投函すると、それを20年後にその人宛に届けてくれるというもの。
そのパネルの下には、投書箱のような小さなポストがあって、その横には便箋と封筒がある。
「これ、面白そうじゃない?」
僕がそう言うと、彼女は少し首を横に傾けながらこう言った。
「うーん・・・2年後なら面白いと思うけど、20年後って、先のことすぎて想像がつかないよ。それに、今の住所に住んでるかどうかもわからないし。」
まぁ・・・確かにそうだよね。
僕だって、20年後どころか、2年後のことすら想像がつかない。
2年後といえば、僕たちは二十歳。
大人になって初めてのバレンタインデーを、僕たちはどんな風に過ごしているのかな?
今日と同じように、二人で今と同じ気持ちのままで、素敵な1日を過ごせているかな?
夕食が終わり、僕がお風呂から出ると、先にお風呂を済ませていた彼女が、何やらカバンの中をガサガサとかき回していた。
そして、僕の足音に気がつくと、まるで何かを隠すように、慌ててそのファスナーを閉めた。
「どうしたの?何か忘れ物?」
そう言って、僕が近づくと、彼女は焦ったように両手をパタパタと横に振りながら、
「何でもない、何でもない。」
と、言って、一歩後ずさりした。
その拍子に、彼女の体がカバンに当たって、カバンの陰に隠れていた何かがガサッと音を立てて、床に落ちた。
僕がそれを拾い上げると、彼女は、
「ああーーっ!」
と、大きな声を出して、それを取り上げようとした。
「何だよ、いいじゃん。」
僕は、からかい気味にそう言うと、わざと体勢を入れ替えて、彼女の手が届かないように背中を向け、その包みにかかっていたリボンを紐解いた。
すると、そこには・・・。
多分、ハート型だったと思われるチョコレートクッキーが、割れて無残になった形で、袋の底に横たわっていた。
彼女は、バツの悪そうな表情を浮かべると、少し口を尖らせながらこう言った。
「これ・・・今日、渡すつもりで作ってきたのに、移動の途中でこんなんなっちゃった・・・。」
「そりゃ、そうだよ。ボードとかウェアとか、たくさん荷物があるんだから、いくら気をつけてても割れちゃうよ。」
「りょ・・・旅行から帰ったら、もう1回、完璧なやつ作るから!」
そう言って、彼女が僕の手からその包みをひったくる。
「いいよ、そんなの。割れたって、味に変わりはないんだし、君の気持ちもちゃんと届いてるから。」
そう言って、僕は笑いながら自分の胸をドンと叩く。
すると、彼女は少し俯いて、その包みのリボンを手でいじりながら、小さな消え入りそうな声でこう言った。
「駿・・・ごめんね・・・。」
「クッキーくらいで何だよ、大袈裟だなぁ。謝るようなことじゃないよ。」
僕がそう言って笑うと、彼女は俯いたままポツリとこう呟いた。
「そうじゃなくて・・・。今までのこと。」
「今までのこと?」
「うん・・・。わたし、センター試験終わってから、ずっとイライラして、駿に当たりっぱなしで、せっかく駿が電話してくれても素っ気ない態度ばかりで、全然可愛くなかったでしょ?嫌な女だよね・・・。」
うなだれる彼女の肩に、少し伸びた髪の毛がハラリと落ちる。
ホテルの浴衣の襟元から、彼女の白いうなじが覗いているのを見下ろしながら、何故か彼女がとても小さくなったような気がした。
あれ・・・?これって、僕が大きくなったのかな?
「ううん、嫌なんかじゃない。だって、僕は・・・嬉しかったんだ。」
「え?どうして?」
「だって、今までの君は、完璧すぎたから。」
そう言って、僕はそっと彼女の腕を引き寄せた。
彼女は、いつも明るくて、何でも気がきいて、僕がどんなバカなことをやっても、いつも温かく見守って、それをすべて受け入れてくれる完璧なカノジョだった。
もちろん、そんな彼女も大好きだけど、何だか、時々彼女が少し無理をしているように見えて、心が痛かったんだ。
そして、その無理をさせているのは、もしかしたら僕なんじゃないかって・・・僕がしっかりしていないから、彼女の感情を受け止めてやれなくて、あんな風に無理をしているんじゃないかって・・・そんな風に思うこともあった。
だから、あんな風に、君が自分の不安や焦りや苛立ちを、あんな形で僕にぶつけてくれて、僕はとても嬉しかったんだ。
そして、いつも完璧でいようとする君が、あんな風にイライラして、でも、その苛立ちや不安を、人に甘えるやり方で表現できない不器用な君を、何故かとても可愛いと思ったんだよ。
「クッキーも君も・・・完璧なんかじゃなくていい。」
そう言って、僕は彼女をぎゅっと抱きしめた。
そう・・・完璧なんかじゃなくていい。
このクッキーのように、割れたり、欠けたり、不均一だったり・・・そんな完璧じゃない僕たちが、その不完全な部分を補い合って、混じり合って、すこしでもおいしくなっていければいいんじゃないのかな。
君を抱きしめながら、やっぱり20年後のラブレターを君に送ろう、と思う。
20年後、少し大人になった僕たちが、少しおいしくなったクッキーを一緒に食べているといいな。
それでもきっと、まだまだ完璧なクッキーは作れなくて、どこかが焦げていたり、欠けていたりするんだろうな。
でも、君と一緒ならそんなクッキーもきっとおいしく食べられる・・・そんな気がするんだ。
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