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乙女ゲーム「ウェブカレ」をモチーフにした二次創作小説です。

卒業後―竜士 第一部

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Tuesday's gone 最終回

もう疲れた・・・。
 
そう言って泣いたアイツの声が、今も俺の耳に残る。
腕の中に抱いたアイツの体は小さくて、いつまでも小刻みに震えていた。
どんなに言葉を尽くしても、俺のやったことは暴力を暴力で返す子供じみた行動で、アイツを許しきれなかった自分の心の狭さがただ悔しかった。
 
 
その日以来、アイツとは会っていない。
 
アイツがゼミ合宿に出発する前も、こんな風に数週間、会いもしなければ電話もメールもしなかった。
でも、そのときと確実に違うのは、もう帰宅しても、アイツの手料理がテーブルに並んでいないことだった。
 
今までだって、何度もケンカして、別れる別れないで揉めたり、会わない時期だって結構長いときもあった。
それでも、なぜかいつも心のどこかにお互いの絆を感じられるものが最終的には必ずあった。
それは必ずドラマの最後に出てくる水戸黄門の印籠みたいなもので、それまでのストーリーでどんなにハラハラさせられても、必ず最後はハッピーエンドという結末を安心して信じていられるように、俺たちもどんなにケンカをしても、どんなに連絡を取らないでいても、必ず最後は元に戻れるという確信のようなものがあった。
 
でも、今回ばかりはその確信が揺らいで、それを確かめるのが怖かった。
このまましばらく時が経てば、お互いまた何事もなかったように昔の二人に戻れるんじゃないか、とか、いや、もともとここ最近アイツとうまくいってなかった一連の状態自体がすべて俺の夢で、夢さえ覚めればまたいつものアイツの笑顔が側にあるんじゃないか、とか、ありえもしない夢想の中に逃げ込んだ。
 
ドアを開ければ、前と同じようにすぐそこにアイツが鍋をかき回す姿があるような気がして、毎日、祈るような思いでドアの鍵穴に鍵を差し込んだ。
でも、アイツの姿はどこにもなくて、アイツとの思い出だけが染み付いた真っ暗な部屋が目の前に広がっていた。
アイツのいないこの部屋は、ただのガランとした穴のような空間で、気がついたら俺はテレビもつけず、音楽も聴かず、真っ暗な部屋の真ん中でただボーッと座り込んでいる・・・そんな日が続いた。
 
 
そんなある日、ドアを開けた瞬間、俺のよく知っている懐かしい暖かい香りがした。
もしや・・・と思い、慌てて部屋の中に入ると、テーブルの上には昔とまったく同じように、数種類の食事が並べられていた。
安堵と懐かしさと愛しさがごちゃまぜになったような感情が一気に俺の胸に押し寄せてきて、急いでテーブルの側に駆け寄る。
丁寧にラップがかけられた皿がいくつかあり、その横に、1枚のメモが置いてあるのが見えた。
 
 
<鍵は、郵便受けの中に入れてあります。>
 
 
その瞬間、俺の全身が凍った。
 
アイツ・・・もしかして、本気で・・・?
慌てて、部屋の中に走り、アイツの私物を入れていた棚の引き出しを開ける。
 
・・・そこはもうすでに空っぽで、アイツが俺のために集め続けたたくさんのお守りだけが、まるで俺たちの愛の亡骸のようにひっそりと眠っていた。
 
 
その夜、俺はアイツに電話をかけた。
積もるほどではない、細かい雪のちらつく寒い夜だった。
俺はわざといつものように明るい調子で、鍵やお守りのことには一切触れないまま、バイトの話や音楽の話など、どうでもいい話を一方的に話した。
アイツも、いつもと同じようにただ頷きながら俺の話を聞いていたけど、話と話の間にさっと流れる気まずい空気や、アイツが息を吸う間隔、無理して出す笑い声・・・それらが、なんだか今まで感じたことがないほどの圧迫感で、遂に、お互い黙り込んでしまった。
 
「あ、そうだ。今日、納車だったんだ。ちょっと遅いけど・・・今から、車、見に来ねぇ?」
 
そんな空気を遠くへ押しやるように、俺はわざとたった今思いついたかのように、その話を持ち出した。
 
ずっと待っていた納車の日。
せめて最後に一目だけでも見せたかった。
俺の助手席に一番最初に乗せるのはお前だって・・・自分勝手に決めたその夢の証を。
 
アイツが息を呑む音が聞こえる。
しばらくの沈黙のあと、アイツは低い声でこう呟いた。
 
「車買うなんて・・・一言も言ってなかったじゃん・・・。」
「ああ、それは・・・。」
 
なぜか言葉に詰まった。
 
「どうして・・・内緒にしてたの?」
 
静かに責めるようなアイツの声が、俺の胸に響く。
 
「それは・・・高校のときから、お前と約束してただろ?大学生になったら車で旅行しようって。今まで行けなかったいろんな所に一緒に行こうって。だから・・・内緒にしてて・・・お前をびっくりさせてやりたかった・・・。」
 
また、気まずい沈黙が流れる。
 
「そのために・・・あんなにバイトしてたの?」
「う・・・うん・・・まぁ、そうだな・・・。」
 
しんと静まり返った電話の向こう側で、アイツの喉の奥が震える音が聞こえた。
泣くのを必死で我慢しているような、ひくひくという小さな息遣いが聞こえる。
そのひくついた息継ぎの合間に、小さな嗚咽が混じって聞こえる。
それを無理に押し返すように、アイツがかすれた声を出す。
 
「わたしが寂しいって泣いたとき、バイトなんだからしょうがないだろって言ったのは、そのためだったの?」
 
アイツの声が震えている。
いつもアイツが泣き出すときの、真っ赤な目が脳裏に浮かぶ。
いつも、泣くのを我慢して目と鼻が真っ赤になって、それでも頑張って涙を流さないようにするんだけど、まばたきをした瞬間にボロリと零れ落ちるアイツの涙。
 
「旅行も一度も行けなくて、映画も、プールも、おそろいの携帯ストラップも全部、金がもったいないからダメって言ったのは、そのためだったの?」
 
思わず胸が詰まって、何も言えなくなってしまった。
 
「そんなこと・・・一言も言わなかったじゃん!」
 
電話の向こうでアイツが大声で泣き崩れた。
喉の奥から搾り出すような、その悲痛な声を聞いて、胸が焼けただれそうに苦しくなる。
アイツの泣き声が、息もできないくらいに俺の胸を締め付ける。
その胸から這い上がってくる苦い痛み。
漏れる嗚咽に気付かれたくなくて、俺は必死で自分の口を押さえた。
 
そうだよな・・・俺は、何も言わなかったよな・・・。
 
車のことだけじゃなくて・・・お前に対する愛の言葉も・・・感謝の気持ちも・・・二人の将来のことも・・・二人で集めてきたこれまでの思い出も・・・何も・・・何一つちゃんと言葉にしたことがなかったよな・・・。
何も言わなくても、お前は俺のことを理解してくれてる・・・なんて、自分勝手な理由をつけて、お前の気持ちを置き去りにして、愛情を形で表すことを弱さだと勘違いしてた。
本当は、お前がいないと生きていけないのに・・・愛に依存しているのは俺の方だったのに・・・お前の前では強い男でいたくて、わざと傲慢に振舞った。
お前の笑顔が見えないと・・・お前を抱きしめていないと・・・母親の姿が見えなくなるだけで、途端に不安になって泣き出す子供と同じくらい、俺はちっぽけで情けない男なんだってことに・・・こんなことになって、初めて気がついた。
 
「リコ・・・。俺、今まであまり言わなかったけど、本当にお前のこと・・・。」
「竜士・・・。」
 
アイツが静かな声で俺の言葉を遮る。
 
「竜士・・・。もう、遅い・・・。もう・・・遅いよ・・・。」
 
それは、諦めにも似た、静かで優しい声だった。
 
窓の外をちらつく雪が、街灯に照らされてキラキラと光り、アイツの言葉の上を滑りぬけてゆく。
 
遠い昔、今日みたいな雪のちらつく寒い日に、アイツと2人、吹きさらしの公園のベンチで何時間も寄り添いながら話をしていたことを思い出す。
お互いまだ実家に住んでいて、家には行けなかったし、当然車もなかったし、店の中じゃ二人きりになれないから、雪の舞い散る公園で何時間もただ2人で子猫のように身を寄せ合っていた。
手も足もかじかんで動かなくなるくらい寒い日だったのに、2人でいればちっとも寒くなかった。
それなのに、暖かい部屋の中に2人でいても、寒く感じるようになってしまったのは、一体いつからなんだろう・・・。
 
「俺たち・・・別れんの・・・?」
 
「別れ」という言葉が、初めて現実のものとして、俺の目の前に立体となって現れた。
今まで、何度も冗談で・・・本気で・・・お互いの愛を確かめるために・・・自分の寂しさを紛らわすために、切り札のようにして使ってきたこの言葉。
でも、今はそんな戯れの切り札なんかじゃなくて、俺たちの道を分かつ最後のジョーカー。
 
長い・・・長い沈黙のあと、アイツは涙の混じった小さな声で、そっと呟いた。
 
「・・・うん・・・。」
 
 
電話を切って、タバコに火をつけ、車の窓を開ける。
上を見上げると、アイツの部屋のカーテンが少し揺れたような気がした。
 
「今、お前の家の前にいる」・・・そこまでは、もう言えなかった。
 
不思議と、涙は出てこなかった。
悲しいとか辛いとかいうよりも、胸に大きく開いた空虚感の方が強くて、自分の体の中からすべての感情がごっそり抜け落ちてしまったような、虚脱感を感じた。
 
シートを倒し、カーステをつける。
流れてきたのは、俺たちが高校生のとき、ライブでよくやった洋楽のロックバラード。
メンバー全員が好きな曲で、ライブが佳境を迎え、終盤にさしかかる頃に必ずやった曲。
 
その曲を聴きながら、ふと、今日は何曜日だったかな?と思う。
腕時計に目をやり、曜日を確認したその瞬間、どっと堰を切ったように涙が溢れてきて、俺は、車のハンドルに突っ伏して、子供のように声を上げて泣いた。
 
・・・今日は・・・火曜日じゃねーか・・・。
 
 
今、カーステから流れている、この曲。
アイツも、この曲が好きだと言った。
でも、英語だから何を言ってるかわからない、歌詞を教えて・・・と、言うので、簡単に訳してやった。
 
<火曜日が終わると共に幕を閉じた俺たちの恋。
お前を自由にしてやらなきゃいけなかったんだよな。
どこに行けばいいのかもわからないけど、この電車が終わる頃には、
俺はまた新しい人生を生きてみるよ。
今、風と共に火曜日が終わる。
お前と過ごした季節を連れて・・・。>
 
と、まぁ、こんな感じの、いわゆる別れのバラードだった。
 
「この歌にちなんで、俺たちが別れるときも火曜日にするか。」
 
俺がふざけてそう言うと、アイツは泣きそうな顔をしながら、
 
「じゃあ、ずっと月曜日のままがいい。月曜日の時間割は嫌いな教科ばかりで、いつも憂鬱だったけど、それでもいいから毎日同じ月曜日のままがいい。土日も、祝日も、誕生日もクリスマスも、何もなくていいから、ずっと月曜日のままがいい。」
 
って、そう言ったんだ。
その言葉にグッときて、俺はアイツを抱きしめながら、
 
「そんな火曜日は、俺が絶対来させねー。」
 
そう言って、何度も何度も指切りをした。
 
そのときのアイツの小指の感触を、今でもこんなにはっきり思い出せるのに・・・。
 
ごめんな・・・約束、守れなくて、ごめんな・・・。
 
涙がとめどなく、ハンドルの上を滑っては落ちる。
そして、初めて本気で音楽をやめてもいいと思った。
今まで、どんなことがあってもそれだけは一度も思ったことがなかったのに、もし音楽をやめることと引き換えにアイツの気持ちを取り戻せるなら、耳が聞こえなくなって、一生音楽を聴くことも、ギターを弾くこともできなくなっても、それでもいいと思った。
 
でも・・・もう遅いんだよな・・・。
アイツの言う通り、何もかも、遅すぎたんだよな・・・。
 
そっと腕時計に目をやる。
涙でかすんだ文字盤に見える時計の針は、あと数分で12時を指すところだった。
この小さな針が、12のところで交わると、そこで火曜日が終わる。
 
Tuesdsy's gone with the wind・・・
My baby's gone with the wind・・・
 
カーステからは、繰り返しその歌詞ばかりが流れている。
 
あと数分で終わる火曜日と共に、俺たちの恋も終わる。
刻々と迫り来る水曜日が、俺からアイツを奪い去っていく。
 
アイツの部屋のカーテンが揺れ、そして電気が消えた。
12時を過ぎた時計の針は、ただ音もなく俺たちの恋を過去へと押しやっていく。
過去を捨てきれない俺の心だけを置き去りにして。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
竜士とは、ちゃんとした仲直りもできず、納得もしてもらえないまま、わたしはゼミ合宿に出発した。
合宿中もずっと竜士のことが気になって、こんなことなら、たとえ留年してでもゼミ合宿を諦めればよかった・・・とも思った。
悪いことは何もしていない・・・と開き直る気持ちと、それでも竜士の気持ちを思うと、罪悪感にさいなまれ、その間の葛藤で、心は揺れた。
 
 
当然だけど、タクミくんとは、ゼミ合宿中、二人きりになることはなかった。
別に気まずくはなかったけど、彼もわたしに話しかけてくることはなかったし、彼はいつ見ても大勢のゼミ仲間に囲まれて、楽しそうに笑っていた。
 
合宿2日目の夜、わたしは夜中に急に喉の渇きを覚えて、ホテルの1階にある自販機にジュースを買いに行った。
もう誰もいないフロントの明かりだけがぼんやりと辺りを照らしていて、わたしの影だけが大きく映るカーペットの上を、自販機に向かって歩く。
ジュースを買って、部屋に戻ろうとしたとき、どこかからかすかに女の人の笑い声が聞こえた。
 
やだ・・・幽霊・・・?
 
信じてるわけじゃないけど、前にテレビで見た心霊スポットに映る白い影を思い出し、怖くなって、足早にその場を立ち去ろうとしたそのとき・・・。
 
ホテルの入り口付近に、人の影のようなものが見えた気がした。
入り口には、一晩中夜光灯がついていて、真っ暗な中でもそこだけぼんやりと光の輪ができている。
その輪の中にいたのは、ウチのゼミの女の子と、そして横にいるのは・・・タクミくん。
小声だったし、わたしの場所からは遠かったので、何を話しているのかはわからなかったけど、女の子がクスクスと笑いながら、やだぁーといった感じで、彼の肩を叩き、彼もそれに合わせて笑いながら肘で彼女をツツいている。
 
こんな夜中に・・・?
二人きりで・・・?
 
誰が見ても、仲睦まじいカップルに見える二人の姿に、わたしはなぜか動揺して、慌てて部屋に駆け戻った。
 
部屋で、ジュースをゴクゴクと飲みながら、はやる胸を押さえる。
 
わたしは・・・一体、何を動揺しているの?
 
彼が誰と何をしようと、わたしに関係ないじゃない。
彼がわたしを好きだったから・・・?
彼と寝たから・・・?
だから、彼はわたしをずっと好きでいるべきだ・・・とでも言いたいの?
彼を受け入れなかったのは、他でもない自分自身なのに、それでも彼が他の女の子と一緒にいることをなぜか許せないと思ってしまう、そんな自分のズルさになんだかうんざりした。
 
 
翌日、午前中の研究発表を終え、食堂で昼食を取っているとき、たまたまわたしの向かいにタクミくんが座った。
彼はいつもの通り、明るく元気にわたしに話しかける。
当たり前じゃない・・・彼がわたしに遠慮したり、後ろめたさを感じなきゃならないことなんて、何一つないの。
そうは思ってみても、なぜかいつもよりトゲトゲしくなる自分の態度をどうすることもできなかった。
 
「ねぇ、リコちゃん、ここの近くに、夕日の絶景ポイントがあるんだって。午後の発表が終わったら、一緒に行ってみない?」
 
それは別に、何か下心があるとかそんな風ではなく、本当に親しい友人を誘うときのような軽い口調だった。
それがまたわたしの心をイラッとさせる。
 
「わたしじゃなくて、彼女を誘う方がいいんじゃない?」
 
わたしはつっけんどんにそう言いながら、隣のテーブルに座っている、昨夜、タクミくんと一緒にいた女の子の方に視線を送る。
タクミくんは不思議そうな顔をしながらも、わたしのその視線の先を辿り、それが彼女に到達した途端、声を上げて笑いながら、さも可笑しそうにこう言った。
 
「もしかして、リコちゃん、妬いてくれてるの?」
「ばっ・・・!そ・・・そんなこと、あるわけ・・・。」
 
すると、タクミくんはくしゃくしゃの笑顔をサッと真顔に戻し、わたしの方に身を乗り出すと、周りに聞こえないくらいの小声でそっと呟いた。
 
「もし、少しでもそんな気持ちがあるんだったら・・・早く、僕を捕まえてよ。」
 
その言葉に、一瞬、心臓が止まるような衝撃を受けた。
 
「モノには何でもタイミングがある。食べ物だって、いくら好きでも、賞味期限を過ぎたら食べられない。おいしく食べられるタイミングを逃すと、あとは捨てるしかないんだよ。恋愛だってそれと同じだよ。僕は賞味期限が切れて食べられない大好物に執着するよりも、それほど好物じゃなくても、おいしい間に食べられるものを選ぶ。僕たちの関係が賞味期限内に始まるかどうか・・・それはリコちゃん、君次第だよ。」
 
 
3泊4日のゼミ合宿が終わり、夜のフェリーで地元に戻る。
早朝に港に着き、女の子は、男の子たちの車に数人ずつ分かれて家まで送ってもらう。
それを断り、わたしは一人、竜士のアパートに向かった。
今の時間なら、夜のバイトが終わってちょうど家に着いて、眠っている頃。
仲直りできないままゼミ合宿に行ってしまったことがずっと気になっていて、とにかく早く竜士に会って、彼を安心させたかった。
 
彼を起こさないように、鍵穴にそっと鍵を差し込む。
カチャリと小さな音がして、ドアノブを引き、音がしないようにゆっくりと後ろ手でそれを閉める。
そして、部屋の中に目をやった瞬間、「誰か」と目が合った。
 
「誰か」・・・って、誰?
竜士しかいないはずの、その部屋にいる「誰か」は・・・誰?
 
「・・・誰・・・?」
 
わたしが聞きたかった質問を、その「誰か」に先に言われた。
バスタオル1枚を体に巻きつけ、濡れた長い髪をタオルで拭いているその女の人の肩には、たった今浴びたばかりのシャワーの水滴がいくつもついていた。
 
部屋を間違えたんだ・・・。
そう思った。
キッチンも・・・テーブルも・・・その上に置いてあるわたしのマグカップも・・・周りのすべてがここが竜士の部屋であることを物語っていたけれど、それでも、部屋を間違えた以外に考えようがなかった。
 
ごめんなさい・・・部屋を間違えました・・・そう言って、表に出ようとしたそのとき、奥の扉がガラリと開いた。
 
・・・一瞬、何が何だかわからなかった。
 
だって・・・だって・・・ここに竜士がいるはずないもの・・・。
わたしは部屋を間違えたんだもの・・・。
 
違う・・・違う・・・。
 
でも、そこに立っている人は・・・。
ボサボサの赤い髪の毛を片手でかき回しながら、眠そうな目を半分だけあけて、フラフラとした足取りでドアに寄りかかるその人は・・・紛れもなく、竜士だった。
 
閉じかかった竜士の目が、わたしを見た瞬間、カッと大きく見開かれる。
玄関に呆然と立ち尽くすわたしの目と、彼のその目がぶつかった瞬間、わたしは思わず表に向かって飛び出した。
 
 
全速力で、アパートの階段を駆け下りる。
 
「リコ!おい!ちょっと待てよ!」
 
後ろから、竜士の叫び声が聞こえる。
それを振り切るように、わたしはなおも走り続ける。
通りすがりの人たちをなぎ倒すような勢いで歩道を駆け抜け、四辻を曲がり、小さな公園を突っ切って走る。
公園で遊んでいた子供がわたしの勢いに倒されて転んでしまったのも無視して、わたしはただ走り続ける。
公園を出て、大きな交差点を横切ろうとしたそのとき、けたたましい車のクラクションが聞こえ、その瞬間、
 
「危ない!」
 
後ろからわたしの手首がぎゅっと掴まれ、歩道に引き戻された。
 
ハァハァという、竜士の荒い息遣いが聞こえる。
わたしは、彼の顔を見ることができずに、俯いたまま、ただ彼のその息の音を聞いていた。
彼の手にしっかりと握り締められたわたしの手首に、ポタポタと涙の滴が落ちていく。
 
「リコ・・・ごめん・・・。」
 
言葉なのか息を吸う音なのかわからないほど激しい息遣いの中で、苦しそうな声で竜士がそう言う。
 
ごめんって・・・何を?
何を謝っているの?
他の女の人と寝たから・・・?
そんなこと、謝る必要なんかない。
他の女の人を抱いて、竜士の気持ちが晴れるなら、いくらでもすればいい。
 
じゃあ・・・わたしのこの涙は・・・何?
わたしは・・・どうして泣いているの?
一体、何が悲しいの・・・?
 
「言い訳するつもりはないけど・・・自分でも、なんでこんなことになったのか、よく覚えてないんだよ。お前を悲しませるつもりはなかった。」
 
違う・・・違う・・・。
わたしを悲しませているのは、竜士じゃない。
 
わたしを悲しませているのは・・・わたしを傷つけているのは・・・ここまで堕ちてしまった二人の関係。
相手を裏切り、傷つけ、そしてその裏切られた痛みを忘れるために、また相手を裏切る・・・そんな、泥沼のような悪循環に陥ってしまった二人の恋。
あんなにも純粋で美しかったわたしたちの思い出が、一つ一つ侵食されていく。
そのことが、わたしを悲しませているの。 
 
わたしが犯した過ちは、許されることなんかじゃなかったの。
わたしが竜士につけた心の傷は、簡単に洗い流せるようなものじゃなかったの。
それなのに、竜士が許すと言ってくれたから・・・やり直そうって言ってくれたから、わたしはまるで汚れ物をクリーニングに出すみたいに、自分のつけた染みが真っ白になることを期待していた。
 
彼氏でもない人が他の女の子と楽しそうにしているだけで腹を立て、そして今も・・・自分がしたことがそのまま自分に返ってきただけなのに、こんなに取り乱してしまう心の狭いわたし。
それなのに自分の犯した過ちだけは、真っ白にきれいなると思っていたなんて・・・。
 
心についた染みは、薄くはなっても決して消えることはない。
 
そのことに・・・自分が逆の立場になって、今、初めて気がついた・・・。
 
「なぁ、リコ・・・まさか、別れるなんて言わねーよな?俺たち、ここまで二人で頑張ってきたじゃねーか。お前のことだって許したじゃねーか。だからって、自分がやったことを正当化はしないけど、これでもう一度、二人で最初から対等な立場でやり直そう。な?」
 
違う・・・違うの・・・。
心の傷に「おあいこ」なんて、ない。
わたしが竜士につけた染みも、竜士がわたしにつけた染みも、これから二人が一緒にいる限り、消えるどころかどんどん大きくなっていくだけなの。
そうやって、お互いを傷つけ合い、嫉妬も猜疑心も憎しみも、今の何倍もに膨れ上がり、いつか二人ともその中で死んでしまう。
死ぬなら二人一緒・・・って、ずっとそう思ってた。
でも・・・でも・・・そうじゃない。
 
美しい思い出と共に死んでいくなら、それでもいい。
でも、そんなことはあり得ない。
二人で死んで、思い出だけが美しく残るなんてあり得ない。
死のあとに残されるものは・・・薄汚く腐臭を放つ恋の亡骸。
 
昼下がりの図書室。
学園祭のステージ。
バラ園に続く中庭。
夕日のきれいな屋上。
 
今でもはっきりと目に浮かぶ、二人で過ごした美しい景色。
それだけは、絶対、誰にも汚させない。
どんなことがあっても、わたしはそれを守りきる。
 
そのためなら・・・わたしはあなたの手を離す。
思い出を汚して二人一緒に死ぬのではなく、美しい思い出を携えて二人別々に生きていくために・・・わたしはあなたの手を離す。
 
 
わたしの手首を掴んでいた竜士の手をそっと離す。 
竜士が驚いたように、わたしの顔を覗き込む。
 
「ちょっ・・・ちょっと待てよ。お前、まさか別れるつもりじゃ・・・。俺と別れてどうするんだよ?お前は俺がいないと、生きていけないんだよ。そうだろ?」
 
そうだよ・・・。
わたしは、竜士がいないと生きていけない。
 
「そうだよ!」
 
その日、初めて顔を上げて、じっくりと竜士の顔を見つめた。
夢を追い続ける勝気な瞳・・・通った鼻筋・・・愛を語らう唇・・・そのどれもが愛しくて、その一つ一つがわたしの血であり、肉であり、そのどれか一つが欠けても、今のわたしは存在しなかった。
そんな愛しいわたしのすべてが、涙でかすんで見えなくなってゆく。
 
「そうだよ・・・わたしは、竜士がいないと生きていけない。だからこそ、一緒に死ぬか、別々に生きるか・・・毎日が自分の中でその葛藤の繰り返しで・・・そんな自分の気持ちの重さに、もう・・・疲れた・・・。」
 
そう・・・疲れた・・・。
賞味期限の切れた恋を必死で温め直そうとする、そんな不毛な生活に、わたしも竜士も、もう、疲れた・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

毛皮の女 第18話

結局、あの日以来、俺たちは一度も会わないまま、アイツはゼミ合宿に行った。
一度も会わない・・・といっても、アイツは毎日ウチに食事を作りに来ていて、俺が帰宅すると、必ずキッチンのテーブルの上に食事が用意されていた。
どうやら、俺がいない間にウチに来て、俺が帰宅する前に家を後にしているようだった。
 
ゼミ合宿に出発する前日、「気をつけて行って来い」と、メールを送ったけど、アイツからは何の返事もなかった。
数週間も一度も会わず、電話もメールもしないなんて、別れたも同然のような状態だったけど、それでも俺は、毎日テーブルの上に用意されている食事を二人の間の絆に見立て、その細い糸にしがみついていた。
 
 
その日は平日で、しかも夜から降り始めた雨のせいで、バイト先のクラブはいつになくガラガラだった。
暇なので、地下のダンスフロアはクローズにして、1階のバーフロアだけを開けた。
大音量の音楽の中、テーブル席には数組のカップルがポツリポツリと座っていて、奥のビリヤード台ではきっとゲイだろうと思われる外国人の男二人組みがゲームに熱中している。
あとは、ダーツに興じる大学生らしき男女のグループと、せわしなくフロアを歩き回るナンパ目的の男たちがウロウロしている他は、新たに入ってくる客もおらず、酒を注文に来る客もほとんどいない。
 
こんなときは、俺たち従業員もカウンターの中で好きに飲み食いする。
いや、決してそれが許されているわけじゃないんだけど、客もほとんどおらず、店長やマネージャーレベルの人間もいないときは、どこのバイト先でもきっとこんなもの。
俺は、その閑散としたフロアを眺めながら、サーバーから早く酔えそうな酒を適当にグラスに注いで、一気に飲み干す。
味なんてどうでもいい。
とにかく早く酔いたかった。
 
大分飲んで、かなりいい気分になってきたとき、入り口がサッと開いたかと思うと、フェイクの毛皮のコートに身を包んだ派手な女が入って来た。
冬なのにサングラスをかけたその女は、ガランとしたフロアをぐるりと見回し、仕方ないという風に少し首をすくめながら、俺の目の前のカウンターの席に腰を下ろした。
サングラスを外しながら、俺に向かってベルギービールを注文する彼女を見て、どこかで見たことある女だな・・・と思った。
でも、どこで会ったのか思い出せないまま、ビールの栓を抜いて、彼女の目の前に差し出すと、彼女はじっと俺の目を見つめ、ニヤリと笑うとこう言った。
 
「この前は・・・ごめん。」
 
その一言で、思い出した。
そうだ、彼女はこの前、ここで俺を殴った女・・・。
 
「こちらこそ、どうも。」
 
俺はそう言って、彼女がくわえたタバコの先に火をつけてやった。
彼女がふぅーっと大きく煙を吐きながら、顔を上げる。
その瞬間、タバコの煙の向こうで彼女と目があって、何だかおかしくなって二人とも一斉に笑い出した。
 
彼女の長い髪の間から見え隠れする大きなピアスが揺れる。
こういう女と話すのは、気が楽でいい。
お互い、相手の名前やお互いの身元を明かすような具体的なことには一切触れず、ただどうでもいいくだらない話だけをして笑っていればいいから。
俺が、2杯目のビールをおごってやると、彼女は仲直りのしるしに電話番号を交換しようと言った。
お互い、今後連絡するつもりもないくせに電話番号を交換し、名前もわからないから、俺は携帯に「毛皮の女」と登録した。
 
どうして、こういう女だと、こんなにも簡単に電話番号を交換できるんだろう?
 
俺が、アイツに初めて電話番号を聞いたときのことを思い出す。
俺とアイツは、クラスが同じというだけで、部活も委員会も共通のものが何一つなく、電話番号を聞いてまで連絡を取り合わなきゃならないことなんて何一つなかった。
それでも、夏休みに入る前にどうしても聞いておきたくて、聞いても怪しまれないような自然な理由を作るために、何日も考えあぐねた末、俺はアイツが図書委員で、夏休みも当番で週に何回かは登校することを利用して、「夏休み中にどうしても読みたい本が出たとき、貸し出し中かどうかを調べてほしいから、電話番号を教えてくれ」って言ったんだ。
俺が本を読むようなガラじゃないってことは、自分でもわかってたから、自分の下心を見破られるんじゃないかと、内心ドキドキだった。
それでやっとアイツの電話番号をゲットして、結局、夏休み中に2−3回、アイツに電話をして、読みたくもない本を借りたかな?
あとで本の感想を聞かれたときに、答えられないと不自然だから、必死になって読んでさ・・・。
 
電話番号を聞くだけで、あんなにドキドキして苦労したのに、どうでもいい女だと、こんなに簡単に聞けるんだな・・・。
 
 
そのとき、カウンターの隣のテーブル席でイチャついていたカップルが、テーブルの上にグラスを倒した。
二人はグラスが倒れたことにすら気付かないほど、二人の世界に没頭しており、男が今にも女を押し倒さんばかりの勢いで、濃厚なキスにふけっている。
仕方ないので、俺はそのカップルの側に行き、テーブルを拭いて、倒れたグラスをつまみ上げる。
男は、いかにもラリった感じの筋骨隆々の外国人の男で、背中に「祭」と大きく描いてある超ダサいTシャツから突き出した太い腕には、大きな楔形のタトゥーがあった。
一方、その男の太い首に腕を回している女は、ごく普通の女子大生かOLって感じで、そのアンバランスさがやけに目を引いた。
ノースリーブの白いセーターに、ふんわりとしたピンクのフレアスカート、肩までの黒髪をシュシュでまとめている。
そんな、ごく普通の女の子が、なんでこんなろくでもない男と付き合ってるんだろう?
 
俺がグラスを引き上げてカウンターの中に戻ると、俺の目の前にいた毛皮の女が、そんな俺の心を見透かしたようにフフッと笑った。
 
「なんで、あんな普通の女の子が・・・?って、思ってるんでしょ?」
 
そして、チラッとそのカップルに目をやる。
そのカップルのイチャつきはますます激しくなり、時折、女のくすぐったいあえぎ声が聞こえる。
 
「でもさ、これは日本人の男にも責任の一端はあるよ。」
 
彼女はそう言って、新しいタバコに火をつける。
 
「付き合いが長くなってくると、愛の言葉もなくなって、ロマンチックな演出なんて何もない。家事は彼女に任せっきりで、感謝の言葉を言うわけでもなく、エッチですら自分勝手。愛なんて、そんなこといちいち言わなくてもわかってるだろ?って、思ってるんだろうけど、そんな風に彼女の愛に胡坐をかいてるうちに、ああいうつまんない男に持ってかれちゃうんだよね。」
 
なんだか、自分のことを言われているような気になって、一気に顔が熱くなる。
男の膝の上に乗って、身をくねらすテーブル席の女が、急にアイツに見えてきて、俺は思わずそこから目をそらした。
 
「彼らにとっては、女性のためにドアを開けたり、椅子を引いたりすることは、子供のときからしつけられた単なるマナーであって、愛情ではない。でも、そんなことやってもらったことのない女の子にしてみれば、それだけで夢中になっちゃうの。その結果が、アレね。」
 
侮蔑の入り混じった彼女の笑い声を聞きながら、見たくもないのになぜか無性に気になって、テーブル席のカップルを横目で見ると、ちょうど男が彼女のセーターの下から手を入れようとしているところだった。
行き場のない怒りがグッとこみ上げてきて、今すぐあの男を殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られる。
 
強い酒を2−3杯ショットで飲んで、何とか自分の気を静めようとする。
それでも、頭がぼんやりしてくるとともに、テーブル席の女がどんどんアイツの姿とダブッてきて、しまいには夢か現実か区別がつかなくなった。
 
テーブル席から甲高い女の笑い声が聞こえる。
何かをくすぐったがっているような声。
 
ベッドの中のアイツの声。
くすぐったさに笑う鈴のような声が、だんだん甘い吐息に変わり、最後には熱に浮かされたようなかすれた声で何度も俺の名前を呼ぶアイツの声。
それが聞きたくて、アイツの白い肌に幾度となくつけた俺のしるし。
 
男が、女の首筋に唇を這わせる。
女の顔が紅潮し、目の焦点が定まらなくなる。
 
ここはダメ・・・目立つから・・・そう言いながらも、首筋に息を吹きかけるだけでトロンと水気を帯びるアイツの目。
あとで、鏡を見て自分の首筋についた赤いマークに、真っ赤になるアイツの頬。
 
目の前のカップルの光景と、アイツの姿とが交互に目に飛び込んできて、何が何だかわからなくなる。
そのとき、目の端に、男が彼女のスカートの中に手を入れるのが見えて、俺は耐え切れなくなって、思わず手にしていたグラスをわざと床の上に落とした。
 
ガラスの割れる無機質な音が、店中に響き渡り、店内の客が一斉に俺の方を振り返る。
 
「綾川さん、大丈夫ですか?ちょっと、飲みすぎですよ。」
 
バイトの後輩がそう言って、床に散らばったガラスの破片を片付ける。
その姿を煙の向こうで見ていた毛皮の女は、何本目かのビールの小瓶を空にすると、少し上目遣いにニヤリと笑って俺を見た。
 
「ねぇ・・・この前、アンタ、ヤリたいなら最初からさっさとそう言えって言ったよね?」
 
そして、そのままカウンターに身を乗り出すと、俺の腕をぐっと引き寄せ、耳元でこう囁いた。
 
「今晩・・・ヤリたい。」
 
猫のようなあざとい目が、俺の目から数センチと離れていないところにあり、そこに歪んだ自分自身の姿が映る。
歪んだ世界・・・歪んだ人々・・・俺の心までが歪んでる。
 
・・・上等じゃねーか。
 
俺は、彼女の耳元に口をつけると、そっと一言こう囁いた。
 
「あと1時間で、店、上がる。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

愛の亡骸 第17話

ここの交差点は、いつも信号が変わるのが遅い。
俺は、信号が青に変わるのを待ちながら、ギターを反対側の肩にかけ替え、タバコに火をつける。
煙を吐いて、ふと前を見ると、横断歩道の向こう側に、俺と同じようにギターを担いだ、制服姿に金髪の少年がいる。
その隣には、同じく制服姿の女の子。
その光景が、数年前の自分たちを見ているようで、なんだか目が離せなかった。
 
信号が青に変わる。
その金髪ギターの高校生が、そっと隣の女の子の手を取って、こちらに向かって歩き始めた。
俺も二人の方に向かって歩き始める。
そして、ちょうどそのカップルと俺がすれ違う瞬間、金髪ギターがチラッと横目で俺を見た。
その挑戦的で勝気な瞳が、昔の俺とそっくりで、俺は一人、そっと笑みを漏らす。
 
<音楽への夢も、彼女との愛も、絶対両方とも離すなよ。>
 
俺は、その見知らぬ高校生にそっと心の中でエールを送った。
 
 
横断歩道を渡りきったそのとき、後ろから誰かに肩を叩かれた。
 
「相変わらず、目立つな。人ごみの中でも、すぐわかる。」
 
その声に後ろを振り向くと、そこに立っていたのは、元白薔薇学園生徒会長、草間薫だった。
 
 
会長も俺も、ちょうど時間が空いていたので、少し早い晩飯を食いに行った。
まだ「準備中」の札がかかっている居酒屋に無理やり押し入り、偶然の再会に祝杯をあげる。
アーガイルのカーディガンをスマートに着こなし、メガネの位置を直しながらその奥の理知的な目でメニューを見る彼の姿は、よく外国の映画に出てくる上流階級の大学生そのものって感じだった。
 
「今も音楽をやっているのか。君はいいな、好きなことができて。俺なんか敷かれたレールを走るだけの、いわば電車みたいなものだからな。海や空を越えて、どこでも好きなところに行ける船や飛行機には到底敵わない。」
 
少し自虐的にそう言って、会長は笑うけど、でもレールがあるってことは、いつか必ず目的地に到達するってことだろ?
船や飛行機でも、ちゃんと航路が見えている優秀な操縦士ならいいけど、俺は航路図の見方すらわからない。
もしかしたら航路から外れたとんでもないところを走っているかもしれないし、いつ、嵐や台風などの自然災害に襲われて深い海の底に沈んでしまうかわからない。
自然災害の影響も受けず、ちゃんと目に見えるレールを走っている会長が、俺には羨ましいよ・・・。
 
「彼女とはうまくいってるのか?」
 
と、俺が聞くと、彼は少しため息をついて、
 
「うまくいっているといえば言えるし、いってないといえば、それも言える。」
 
と、曖昧な返事をした。
よくよく聞いてみれば、まぁこれは今更始まったことじゃないんだけど、彼女が自由すぎて、それに振り回されるのが大変なようだった。
例えば、夏休みに友達と行った沖縄旅行で、海の美しさに魅せられ、突然、看護士をやめて水中カメラマンになると言って、そのまま1ヶ月帰ってこなかったり、「お一人様」に憧れて、一人旅に出たのはいいが、旅先で持ち金を全部使い切り、帰る交通費がなくなったといってヒッチハイクで戻ってきたりと、彼女の武勇伝は尽きない。
それじゃ、確かに彼氏の方は身がもたないよな・・・と思いつつ、なんだかそんな彼女の姿が目に浮かぶようで、俺は思わず声を上げて笑ってしまった。
 
「笑い事じゃないぞ。しかも、彼女が何か一つ行動を起こすたびに、いつも100万人くらい知り合いが増えるんだ。誰彼構わず親しくなって、近頃は、物騒な事件も増えているというのに、まったく心配で見ていられない。」
「ああ、そういや、今度バイト先で知り合った連中ともスノボに行くんだろ?駿の彼女も一緒にさ。」
「ああ、その話も聞いた。でも、それは君の彼女も行くんじゃないのか?」
「そんなの、行かさねーよ。どこの誰かもわからない男たちと一緒に旅行なんて、ありえねーだろ。」
 
そう言って、俺はビールのジョッキ越しに、居酒屋でも相変わらず正しい姿勢で座る会長に目をやる。
 
「お前は、彼女に甘すぎるんだよ。」 
「でも、そこまで彼女の行動を制限する権利は俺にはないし、彼女の意思も尊重しないと・・・。」
「そんな甘いこと言ってるからダメなんだよ。女なんて、雰囲気に弱いんだから、ちょっといい男に声かけられたらすぐにフラフラついて行っちまうものなんだよ。そうなってからじゃ遅いんだからな。」
 
と、会長に言いつつ、なんだか途中から自分自身に言っているような気分になった。
すると、会長はしばらくそのまま正しい姿勢で、小鉢の中の茄子の味噌和えをツツいていたけれど、ふと、俺の方に顔を上げると、俺の目をじっと見つめながらこう言った。
 
「なぁ、綾川・・・。彼女の行動を制限することはできても、彼女の意思までは制限できないぞ。」
 
 
翌日、アイツはいつも通り、ウチに食事を作りに来た。
スーパーの袋から食材を取り出すアイツの姿を見ながら、ふと会長の言葉を思い出す。
バイトも辞め、友達付き合いもほとんどせず、毎日こうやって授業のあとは真っ直ぐウチに来て、俺のために食事を作るアイツ。
 
それは、本当にアイツの意思なのだろうか・・・?
 
別に、俺は「バイトを辞めろ」とも、「食事を作れ」とも、一言も言ってない。
すべて、アイツが自分で決めたこと・・・そんな風に思っていたけど、もしかしたら俺がそれを望んでるってことが、知らず知らずのうちに態度に出ていて、俺は自分でも気付かないうちに、アイツの意思に無言の制限をかけていたのかもしれない。
 
「なぁ・・・お前さ・・・この前、言ってたスノボ、本当は行きたいんじゃねーの?」
 
俺がそう言うと、アイツは冷蔵庫に顔を突っ込んだまま、あっさりとした口調でこう言った。
 
「ああ、あれ?あれはもう本当にいいの。」
 
そして、キッチンから俺のいる部屋の方に顔を出し、俺の表情を確認すると、そっと部屋に入ってきて、ためらいがちにこう言った。
 
「スノボのことは、もういいの。でも・・・竜士に一つ、お願いがあるの・・・。」
「何だよ?」
 
すると、アイツは妙にソワソワと両手をこすり合わせながら、言いにくそうに何度もためらった末、小さな声でこう呟いた。
 
「来月・・・ゼミ合宿があるの。それに参加しないとゼミの単位がもらえないの。だから・・・どうしても行かせてほしい・・・。」
 
アイツのあまりにもためらうその姿を見て、俺はピンときた。
正直、アイツの裏切りの告白を聞いて以来、その男は何をしているヤツなのか、どこで出会ったのか、アイツの生活にどう関係するヤツなのか、ずっと気になっていた。
でも、それを無理に聞き出して、アイツを追い詰めるようなことはしたくなかったから、あえて聞かないようにしていた。
 
何だよ・・・同じゼミの男なのかよ・・・。
 
「その男も・・・来るのか?」
 
アイツの顔色がサッと変わった。
そして、その自分の狼狽を隠すようにわざと早口でこうまくし立てる。
 
「で・・・でも、他にもゼミの仲間はたくさんいるし、教授だっているし、絶対、二人きりにはならない。彼にもちゃんとそう話して納得してもらえたし、竜士が心配するようなことなんて、もう何もないの。お願い、信じて。」
「そんなこと、信じられるわけねーだろ!」
 
その声に、アイツがビクッと体を震わせる。
 
「クラブやバーで会った、名前も知らない、顔もよく覚えてない、二度と会うことのない男ならまだしも、同じゼミってことは、今でもほぼ毎日その男と会ってるってことじゃねーか!たとえ他に人がいたって、そんな男と一緒に旅行なんて、とんでもねーよ。二人きりになるチャンスなんていくらでもあるんだ。お前は考えが甘すぎるんだよ!」
 
俺の顔を見つめるアイツの目に、みるみるうちに涙がたまってゆく。
そして、口を両手で覆うと、目にいっぱい涙をためたまま、一歩後ずさりした。
俺はそれに追い討ちをかけるように、更にアイツの方に一歩を踏み出す。
 
「どうしたら・・・信じてくれるの・・・?」
 
その瞬間、アイツの目から、溜まっていた涙の欠片がボロリとこぼれ落ちた。
 
どうしたら信じられるかって・・・?
そんなの、俺にもわかんねーよ・・・。
信じたくて、でも信じ切れなくて、苦しいだけだってわかってるのに、街ですれ違う男の一人一人をアイツと重ねて見てしまう。
どうしたらそんな苦しい思いから逃げ出せるのか、そんなこと、俺にだってわかんねーよ・・・。
 
「・・・その男に会わせろよ。俺がちゃんと話つけてやるよ。そいつの口から、もう二度とお前に近づかないって聞けたら、信じてやるよ。」
「そっ・・・そんなの・・・。あれは、彼だけが悪いんじゃないの。わたしも悪かったの。だから、そんなことはやめて!」
「なんで、そいつをかばうんだよ!」
 
アイツの両肩を掴んで、壁際に追い詰める。
もう、自分の気持ちが極限にまで高ぶってどうすることもできなかった。
 
「お前、もしかしてそいつのこと、好きなのか?自分を奪ってほしいって、そんな風に思ってるのか?」
 
アイツが泣きながら、ブルブルと首を横に振る。
 
「そいつはどんな言葉でお前を誘った?お前はそいつにどう答えた?そいつはお前のどこに触れた?どんな風にお前を抱いた?答えろよ!」
「竜士・・・お願い、やめて・・・。」
 
アイツが、更に一歩後ずさりする。
そのとき、アイツの体が横にあった棚に当たった。
その瞬間、棚の上に置いてあった写真立てが、音を立てて倒れ、棚の上を滑り落ちた。
アイツの悲鳴と共に、写真立てが床の上で跳ね、ガラスフレームが粉々になって床の上に散らばった。
ガラスとガラスが擦れ合う、甲高い音が部屋中に響き渡る。
その音で、俺はやっと我に返った。
 
アイツの肩を掴んでいた手の力を緩める。
俺の手からぐにゃりと柔らかい感触がすり抜ける。
アイツはぐったりと力なく壁に寄りかかりながら、死んだような目でじっと床の上に散らばったガラスの欠片を見つめていた。
その姿はまるで、死体のように生気がなく、アイツの目からこぼれる涙の滴だけが、アイツがまだ生きていることを物語っていた。
 
「ごめん・・・。」
 
そう言って、アイツの腕を引き寄せようとして、アイツが床に落とした目線の先を辿る。
その瞬間・・・俺は、涙がこみ上げてくるのをこらえきれなくなって、それを見られないように、アイツの体を思い切り抱きしめた。
 
アイツの目線の先にあったもの・・・。
それは、写真立ての中から飛び出した1枚の写真・・・。
制服姿のまだおどけない俺たちが、夢いっぱいの笑顔でカメラの中を覗いている。
卒業式の日、二人で撮った記念写真・・・。
 
俺の腕の中のアイツの体は、冷たくて、小さくて、もう何も残っていなかった。
生きることをすべて諦めたようなその小さな体からは、すべての感情が抜け落ち、まるでセミの抜け殻のように空っぽだった。
その亡骸のような体を抱きしめながら、俺もいっそのこと亡骸になってしまいたい・・・そう思った。
お互いの心を殺し合い、二人で一緒に亡骸になってしまう以外に俺たちが救われる道は、他にあるのだろうか・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

恋愛中毒 第16話

今日は、久しぶりに高校時代の女友達と晩ご飯を食べに行く約束をしていた。
駅前で、ほのかと綾乃と待ち合わせ、綾乃お勧めのイタリアンのお店に向かう。
予約はしてないけど、時間が早いから大丈夫だと思う・・・と言われ、着いた店を見て、わたしは躊躇した。
 
「あ・・・このお店って、地下なんだ・・・。」
「え?地下、ダメなの?」
「う・・・うん・・・だって、携帯の電波入らないでしょ?」
「機種にもよるかもしれないけど・・・。誰かから電話かかってくる用事あるなら、先にこっちからかけちゃえば?」
「い・・・いや・・・用事っていうんじゃないけど・・・。竜士から電話がかかってくるかもしれないから・・・。」
 
わたしがそう言うとと、二人は怪訝そうな顔で目配せをしていたけど、結局、わたしに合わせて、ショッピングモール内の居酒屋に変更してくれた。
 
 
二人と会うのは久しぶりだったけど、高校時代の友達と会えば、気分はあっという間に女子高生時代に舞い戻る。
思い出話に花を咲かせながら、お互いの近況や恋愛トークまで、女子の話は尽きない。
 
綾乃は、夏休みの短期留学で行ったイギリスのことを夢中になって話している。
イギリスもよかったけど、その後、旅行で回ったヨーロッパにハマり、今ではヨーロッパに住める可能性のある就職先を探していると言う。
 
「ヨーロッパの航空会社で日本人CAの募集もあるし、それなら、ヨーロッパ在住でもフライトでしょっちゅう日本にも帰って来れるし、いいと思わない?日本の航空会社ほど競争率も高くないしね。もしそれが無理なら、ヨーロッパツアーをメインにやってる旅行会社のツアコンにでもなろうかなぁ・・・。」
「でも、もしそうなったら、相葉くんはどうするの?遠距離になっちゃうよね。」
 
すると、綾乃は割り箸の先を噛みながら、何かを考えるように少し首をかしげてこう言った。
 
「まぁ、そうだね。でも、駿のことと就職のことは、別問題だから。」
 
・・・どうして、そんな風に考えられるんだろう?
わたしは、何を決めるにしても竜士が基準で、それがたとえ自分自身のことであっても、竜士とそれを切り離して考えるということができない。
 
「相葉くんは、大学卒業したらどうするの?」
「うーん・・・詳しくは聞いてないけど、普通にサラリーマンになるんじゃないのかなぁ・・・。バスケ部のOBとのコネがいろいろあるから、就職にはあまり困らないみたいだし。」
 
みんな、自分の目標を持って、着々と社会人になる準備を始めている。
ほのかと草間くんは、通っている大学自体が、将来の職業を前提としたものだし、なんだかわたしと竜士だけがみんなから何歩も遅れを取っているような気がした。
 
「そうだ!今度、みんなでスノボ行かない?」
 
と、突然、思い出したようにほのかがそう言った。
 
ほのかの話によると、彼女がバイトしている居酒屋によく来るお客さんと親しくなり、スノボ旅行に誘われていると言う。
彼は半導体か何かの研究所に勤めるサラリーマンで、年末年始を利用して、同僚たちと会社の保養所にスノボ旅行に行くのだが、仕事柄、社内の女性の人数が少なくて、数合わせに誰か女友達を誘ってほしいと言われているらしい。
 
「会社の保養所だから、泊まるところもタダだし、車を出してくれるから交通費もタダ。サラリーマンっていっても、その人は社会人2年目で、一緒に来る人たちも多分、そんなにオジさんはいないと思うしさ。就職のこととかもいろいろ聞けるし、いいチャンスだと思わない?」
「うん、わたし、行く!」
 
早速、綾乃が手を挙げる。
 
「リコは?」
 
そう聞かれて、返答に困った。
知らない男の人たちと旅行に行くなんて言ったら、竜士は一体、何て言うだろう?
それに大体、ほのかだってその人のことをそんなに詳しくは知らないはず。
わたしだって、以前、カフェでバイトしていたけど、お客さんとはオーダーのこと以外で話をすることなんて、まずない。
どうしたら、ただのお客さんと旅行に行くまで親しい仲になれるんだろう・・・。
 
「う・・・うん・・・竜士に聞いてみないと何とも・・・。」
 
すると、ほのかは大袈裟に大きなため息をついて、お箸をポンと軽く放り投げた。
 
「遊びに行くのに、いちいち綾川くんの許可を得ないといけないの?」
「い・・・いや・・・女同士ならともかく、男の人がいるとなると・・・。」
「別に、合コンとか紹介とか、相手を見つけるためのイベントじゃないんだよ?女の人だって来るし、中には結婚してる人だっているかもしれないし、彼女持ちの人だっているだろうしさ。」
「で・・・でも・・・。」
 
ほのかが呆れたようにテーブルの上に肘をつき、少し苛立ったように指で軽くテーブルを叩く。
でも、突然、何かを思い出したようにニヤリと微笑むと、テーブルの右端に置いていたわたしの携帯をサッと取り上げてこう言った。
 
「リコが言えないんなら、わたしから綾川くんに頼んであげる。」
「や・・・やめてよ!ダメだってば!」
 
わたしは、携帯の画面を開き、竜士の電話番号を探そうとしているほのかの手から慌てて携帯を奪い返した。
 
「いいじゃない。わたしや綾乃と一緒だってことがわかれば、問題ないでしょ?」
「そ・・・そんなの・・・。わたしがほのかに頼んで口裏合わせてるって思われるかもしれないじゃん。」
 
すると、ほのかは眉間に皺を寄せて、呆れたように首を振りながら、隣にいる綾乃と顔を見合わせた。
そして、わたしの方に身を乗り出すと、少し心配げな口調でこう言った。
 
「ねぇ、リコ・・・。リコは、こんな風にずっと綾川くんの顔色を伺って、やりたいこともやらずに一生、生きていくの?」
 
 
翌日は、いつも通り、授業のあと竜士のアパートに行った。
いつもはわたしが料理を作り終えてしばらく経った頃に帰ってくるのに、今日はまだ料理をしている途中に帰ってきて、しかもいつになく上機嫌だった。
 
その理由は、一流ホテルのスカイラウンジでやっている生演奏のギター奏者としての採用が決まったから。
生演奏はギターとピアノで隔週だし、しかも週末だけだから、大した金にはならないけど・・・竜士はそう言うけど、自分の奏でる音楽に対してお金が支払われるということは、どんなにその金額が少なくても、プロの証。
今までにも、知り合いのインディーズバンドのステージを手伝ったりして、ちょくちょくお金をもらってはいたけど、今回のように、たとえ隔週の週末だけとはいえ、ちゃんと定期的な契約でギターを弾くのは、やはり格段に意味が違う。
 
「そんなこと関係ないよ。竜士は、もう立派なプロだよ。そのラウンジのチラシなんかにも、ちゃんと竜士の名前が載るんでしょ?すごいよ!」
 
そう言うと、竜士は少し照れくさそうに笑ったけど、やっぱり嬉しそうだった。
 
そのとき、ふと昨日、ほのかと話したスノボ旅行のことが頭をよぎった。
 
今日みたいに、機嫌のいいときなら、言っても大丈夫かもしれない・・・。
もしかしたら、わたしが考えてるよりもずっと簡単に、「行ってこいよ」って言ってくれるかもしれない・・・。
言ってみようかな・・・。
少しドキドキしたけど、わたしは思い切って口を開いた。
 
「昨日、ほのかと綾乃に会ったんだけど・・・。」
「ああ、そういや、そんなこと言ってたな。」
 
竜士が脱ぎ散らかした服を片付けながら、わたしは次の言葉に一瞬、迷う。
 
「で、今度、一緒にスノボに行こうって誘われて・・・。」
「へぇ・・・。3人で?」
「い・・・いや・・・。ほのかのバイト先の知り合いの人たちと・・・。」
 
そのとき、竜士がパッとわたしの方を振り向いた。
まだ竜士は何も言ってないのに、その目だけで、なんだか責められているような気がした。
やっぱり・・・言わなきゃよかった・・・。
 
「それ、男も来んの?」
 
竜士は、そのまま着替えを続けながら、わざと何気ない口調でそう聞く。
 
「う・・・うん・・・。そうみたいだね・・・。」
「で?お前は、どうすんの?」
「い・・・いや、まだ返事してない・・・。竜士に聞いてから・・・と思ってたから。」
「お前は、行きたいの?」
「う・・・ううん・・・別に、そんなことない・・・。」
 
暑くもないのに、背中に嫌な汗をかく。
すると竜士は、わたしの方を見ずにドカッと床の上のクッションの上に座ると、テレビのリモコンをつけながらこう言った。
 
「だったら、いちいち俺に聞くなよ。」
 
 
別に、竜士は「行っちゃいけない」とも、「ダメだ」とも言っていない。
それなのに、どうしてこんなに息が詰まる思いがするんだろう・・・?
なんだか、蛇に睨まれたカエルのように、彼に見つめられるだけで、思っていることを何も言えなくなってしまうのは・・・なぜ?
急に、部屋の空気が薄くなったような気がして、わたしは慌てて話題を変える。
 
「あ、そろそろ来年度の履修の選択をしないといけないんだけど、何取ったらいいと思う?」
「え?そんなの、単位が足りないものから取ればいいんじゃねーの?」
「わたし、卒業に必要な単位はもう全部取ってるの。だから、あとは自分の好きな科目とか興味のあるものでいいんだけど・・・。」
「じゃあ、好きなもの取れよ。」
 
好きなもの・・・?
わたしは、一体、何が好きなんだろう?
 
学部も、ましてや大学すら違う竜士に履修のことなんて聞いてもわかるわけがない。
それなのに、わたしはもう自分の好きなものでさえ、竜士に聞かなきゃわからない。
大学の履修も、友達との付き合い方も、卒業後の進路も・・・何を食べればいいのか、何を着ればいいのか・・・きっとそのうち、自分が生きているのかどうかさえわからなくなって、アルコール依存症の患者が、お酒を飲んでいるときだけ生を実感するように、わたしもまた竜士と一緒にいることだけが唯一自分の生の証になるのだろうか・・・。
 
それを思うと、なんだか背筋が寒くなった。
 
竜士がいないと、何も決められない。
思考さえまともに働かない。
生きていけない。
それがいつか自分の精神を蝕んでしまうということに気付いていながらも、手放せないでいるわたしは、重度の恋愛中毒。
そこから抜け出す方法は・・・きっと、たった一つしかない。
 
 
 
 
 

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