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まだ41歳。 糖尿病が1番の死因だった。
技術を認められて社員200名ほどの今の会社へ移り、まだ数年だった。
その数年間で1つの大きな功績を遺し、社員千数百名もいる親会社から表彰されていた。
・・・ 将来を有望され、これからも活躍するはずだった。
彼は月〜火曜日と、珍しく無断欠勤をした。 連絡も取れない。
不審に思った上司や同僚が火曜日の夜に捜索を依頼し、一人暮らしの自宅で発見される。
死亡推定日は日曜日・・・ 死後2日経っていた。
すぐに探さなかったコトを、上司や同僚・友人達がとても後悔していた。
急遽、東北の田舎から両親が呼ばれた。
火葬だけして田舎へ連れて帰り、菩提寺で葬儀を行うつもりだと言う。
それを発見時から付き添っていた葬儀施行の責任者(人事部の人)が
「是非社員達とお別れの場を作ってほしい」 と説得した。
こうして小さな斎場でお別れ会を執り行うコトになった。
急遽行う事になったお別れ会。
両親と友人と社員30名前後で焼香して終わり・・・ のはずだったのだが、
結局80名ほどの弔問者が訪れた。
寺院を招いての式では無く、斎場にも時間の制限などが無かったので
通夜内容の希望は全て叶えた。
明日の告別式には会社関係の人間はほとんど来られない。
今日お別れ(花入れ)ができないか・というので・・・
棺の蓋を開け、1人ずつ順番に花入れをしていただいた。
泣き崩れ、膝を落とし、なかなか棺のそばから離れられない方もいた。
その後、酒好きだったという彼のために全員で献杯。
とても良い通夜だった。
たかが数年しかいなかった1社員の葬儀に
今の会社からも親会社からも取締役や社員がたくさん訪れた。
友人や同僚達は号泣していた。
闘病生活をしていたワケではない。
事故なら恨む相手や運命だったのだろうとも思える。
でも、つい土曜日までは元気に過ごしていた彼が突然亡くなり・・・
今は棺の中にいるのだから、無理もない。
告別式には、やはり数名しか来られなかった。
でも・・・ 両親にはサプライズが待っていた。
斎場を出棺し、霊柩車は彼の勤めていた会社へ。
火葬場へ行く前に、会社の敷地内を1周する予定だったのだが・・・
そこには200名を越す全社員が整列し、彼を見送るために待っていた。
霊柩車はその前をユックリと進み、火葬場へと向かった。
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彼は1人息子だったそうだ。
両親、特に母親の落胆はかなりのものだった。
火葬だけして連れ帰ったとしたら絶対に分からなかったコト・・・
この2日間で自分の息子がどれだけ皆に そして会社に愛されていたのかを感じただろう。
彼の顔はただ眠っているだけにしか見えないほど、キレイで安らかだった。
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***葬儀のお話し***
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そんなこんなでドキドキ&バタバタしながら過ごしていた、担当葬儀施行日までの6日間。
その間にもう1件葬儀施行のご依頼がありました。
基本は花屋として稼動している会社ですので、続けて施行依頼があるのは少し珍しいんです。
花屋の仕事が立て込んでいた事もありましたので・・・ 会社としてはイッパイイッパイな感じ〜。
私は既に担当を持っていましたので、他の社員:N先輩が担当を。
施行日は私が担当する式の翌日でしたので、
私もN先輩の手伝いや火葬場での案内をさせていただきました。
これまた少々いつもとは違う事がありまして・・・まず、施行式場が会社のある地域では無かったんですよ。
リピートのお客様だったのでお請けしましたが、結構遠かった〜。
そして、亡くなったのはお婆ちゃんで喪主はそのご主人だったんですけど、
ご高齢だったため 実際はご長女さんが仕切ったんです。
そのご長女のご主人というのが・・・ なんとベルギー人!
また異国の方。 続く時には続くもんですね〜。
式自体は菩提寺様をお迎えしての仏式でした。
今回もご家族やご親戚だけでというご希望だったようで、15名ほどでの家族葬。
お婆ちゃんが大好きだったというピンク系の小さな花祭壇でのお別れとなりました。
お婆ちゃんはコスモスが大好きだったんだそうで、
担当のN先輩がコスモスを用意していました♪
これ、実はポット苗をいくつか集めて飾っているんですよ〜。
コスモスは切花だと水上がりも花の持ちもあまり良くありませんからねぇ・・・。
照明などで暖かくなったり乾燥してしまう式場には少し心配!
今回は満開の苗をご用意して飾り、もちろんお花入れにも切って使いました♪
こーいうのって花屋だと色々機転が利くっちゅーか、アイデアが思い付くっちゅーか♪
仕入れも簡単に安く出来ますしね!
供花は出さないというご希望でしたので、祭壇の周りにはコスモスやポイントの花を飾って
寂しくないように致しました。 ^^
1つ困ったのが・・・ 亡くなったお婆ちゃんの孫!
(仕切ってくださったご長女とベルギー人のご主人との娘さん。)
滝川クリステルそっくりでメッチャメチャ可愛いんですけど、気が強くて自由なコなんです。
たぶん20歳前後なんだと思うんですけど、カメラ大好き少女なんです。
どんな場面でも撮影しようとして、亡くなったお婆ちゃんの顔もバシバシ撮影しちゃってねぇ。
別にEんですけど・・・ 見たところ親戚の皆さんがあまり良く思ってない感じでして・・・ ドキドキ・・・
撮影禁止になっている火葬場内でも職員の隙をついて写真を撮ろうとしちゃって・・・ 困りましたっ!(><;
花屋の仕事もやりながら、
自分が担当の葬儀施行もあり、翌日には手伝いの葬儀施行もありの数日間となりました。
花屋として葬儀の仕事をする時は、花の準備だけじゃないですか。
当然施行現場(式場)でも花の飾りをして、葬儀屋や喪主さんにOKもらえたら終わり。
でも、自社施行の葬儀となると・・・ それプラス葬儀屋の仕事もするわけですよ。
花屋としても葬儀屋としても、両方の準備をして、喪主さんとも打ち合わせやらして、ご遺体の管理もして、
施行となれば花屋として飾り付けして、葬儀屋としても仏具やら受付やら式場内の準備をして、
そんでもって喪主さんやら親戚やらが集まったら色々説明して、お坊さんが着たら打ち合わせして、
式が始まれば司会もして・・・
花屋+葬儀屋となりますと、やる事盛りだくさん、考える事も盛りだくさんです。
小さな会社なので、生花部と葬祭部なんて感じに分かれてるワケじゃ〜ありませんし。
そんな中での、日系ブラジル人とベルギー人・・・
遠方の施行現場・・・
施行後には片付け、清算書業務やアフターもありますし・・・
なかなか途切れない花屋の仕事・・・
忙しい時にはゴミも多く、作業場の掃除や花の整理も大変ですし・・・
今日現在、さすがにドッと疲れております。
・・・・・・・・・・ 実は、コスモスには私が癒されました♪
と、少々弱音を吐いたところで、本日の葬儀話しは終了〜。
※ 夜には もこの記事を書きますね♪ ^^ |
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結婚式の仕事が終わってすぐに・・・
10日ほど前から予約を受けていた葬儀依頼が入り、私が担当する事になりました。
予約・・・。 そうです。 10日ほどまえから危篤状態が続いていた方でした。
亡くなったのは、まだ61歳の男性。
仕事中作業場で事故に遭い、結局そのまま1度も意識は戻らなかったそうです。
喪主は奥様。 日系ブラジル人の方でした。
まだ学生のお子さんが3人いらっしゃるので、
無宗教で少しだけお別れの時間を取ってから火葬だけ、というご希望でした・・・ 最初は。^^;
でも、奥様の親戚が出てきてナンヤカンヤと言ったらしく、仏式で葬儀を行う事になったんです。
それぞれ嫁ぎ先や居住地域で、日本のシキタリや慣習などでご苦労なさっているのでしょう。。。
詳しい事情は分かりませんでしたが、奥様も納得されたようでした。
菩提寺があるわけではないので、お坊さんは紹介センターから派遣されてきた方。
お金を掛けたくないからという理由で、親戚がネットで1番安い紹介センターを探して依頼したんです。
当然宗派も指定しなかったんだそうで、紹介センターの都合で臨済宗の方がいらっしゃいました。
私からしますと・・・ あのお坊さんを見て、
日本の坊さんはあ〜いうものなんだとは思っていただきたくないなぁ。。。 という感想でございます。
亡くなったご主人(純粋な日本人)は自分の親戚とはスッカリ疎遠になっていたんだそうで、
もう長い事連絡は取り合っていないんだそうです。
今回も訃報は知らせずに、奥様の親戚関係だけでの葬儀となりました。
・・・というわけで、
日系ブラジル人約20名が集まって仏式の家族葬になる という変わった展開に!!!
お焼香のやり方も分からないという方もいらっしゃいまして・・・
身振り手振りもまじえながら、
普段使っている言葉(日本人なら分かりそうな用語など)を使わずに説明してある程度理解していただく、
しかも偉そうに教えてるみたいにはならないように・・・ 普段以上の言葉と神経と労力が必要でした。
急遽、ご家族には通夜当日早めに集まっていただいて旅支度を棺に納めていただきました。
白木の位牌には俗名が書かれ、親戚一同神妙な面持ちで読経を聴いていましたが・・・
ご親戚の中にはキリスト教を信仰している方もいらっしゃったようで、
その方はお焼香はせずにご自分の席から手を合わせていらっしゃいました。
奥様は通常会話は出来ますが、日本語を書いたり読んだりというのはそんなに得意ではありません。
まだ18歳の長男さんが、少し込み入った打ち合わせの時は間に入ってくれたり、書類の記入をしてくれました。
ご出棺前の挨拶も、奥様には難しいという事で長男さんに一応ご説明。
「でも、親戚だけですから無理にしなくても大丈夫だけど・・・どうする?」 と聴くと、
自分が挨拶するといって、シッカリと話してくれました。
下には中学生と小学生の妹がいます。
これからもお兄ちゃんには頑張ってもらわなくっちゃ!!!
事故後、もう2〜3日だろうと言われながら10日も頑張ったご主人。
ただし、ご遺体の状態はあまり良くありませんでした。
外傷はほとんど無いのですが、内臓の損傷や腹水がひどく、顔もかなり腫れています・・・
元々太っている方だったせいもあり、ドライアイスがなかなか効かない!!!
しかも式場の予約が取れたのは6日後(通夜が初七日にあたる日になります)だったんです。(涙)
火葬当日まで何度も処置をしなおして・・・ 何とか現状維持の姿でお別れをしていただくことができました。
こちらにも、普段以上に
ご家族へ説明するための言葉、そしてご遺体にも神経と労力が必要でした。
キチンと労災はおりるそうです。
勤めていた会社で、書類や他の手続き関係も一式やる事になっているとのこと。
名義の変更や諸申請の提出書類は相当な数になるそうで・・・ 大変だろうなぁ・・・。
信仰も菩提寺も無いのに、仏式葬儀。
戒名も付けずに俗名でのお見送り。
意味の分からない読経を聴きながら・・・
何とも中途半端なお葬式に感じるかもしれませんが、そう思うのは日本人や葬儀屋だけかもしれません。
日本人のご主人の為にと、奥様やご親戚が精一杯の事をしただけ。 それだけです。
奥様は何度も私の方を見て「コレで大丈夫?」という目をしながら、
少し恥ずかしそうにお焼香をなさっていました。
正解かどうかよりも、「キチンと弔う事が出来た」 という思いのほうが、
突然遺されてしまった家族がこれから生きていくためには必要だと、私は思いました。
奥様とも長男さんとも、何度も何度もた〜〜〜〜〜っくさんお話しをしたので、
おかげさまでスッカリ仲良くなりました。 今後の事もありますので・・・ このご家族とは長いお付き合いになりそうです。
※ この後、もう1つ葬儀のお話しを書きます。
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昨年の話しなのですが・・・
事前相談などは無く、急に入った仕事でした。
たまたま私が担当する事になり、他のスタッフが少し遠い病院までお迎えに。
ウチの式場安置が希望だったので、私は式場で到着を待っていました。
ご遺族よりも先に到着した故人様を見ると・・・ 白髪に色白で、やせ細ったおじいちゃんでした。
見た感じ80代も後半といったところでしょうか。
死因を見るために死亡診断書を確認すると・・・ 「パーキンソン病」と書かれていました。
(そっか・・・。 おじいちゃん、可哀相に・・・。)
入院生活は長かったんだろうなぁ、とか。 色白で痩せているのも無理ないなぁ、とか。
色々考えながらお布団でご安置してお線香をあげていただく準備をしていると、
程なく、ご家族の車が到着。 故人の奥様と長男が来ると聴いていたんですけど・・・???
(ん? 若い? この方が奥さん? 娘じゃないのかな?)
思っていたよりもずーっと若い女性とその息子さんらしき方が車から降りてきたんです。
線香をあげてもらい、打ち合わせに入って・・・
2人は確かに故人様の奥さん(50代)と長男(20代)だと分かりました。
私が80代後半だとばかり思っていた故人様は、実はまだ60歳を過ぎたばかりだったんです。
最初に死亡診断書を見た時、
安全面を気にして死因や病名だけを確認して生年月日を全然見ていなかった・・・。
施設での生活は8年ほどだったそうです。
最初は遠くなってしまうけど眺めの良い海沿いの施設に入所していたのですが、
進行とともに数年前から痴呆も進み、面会に行きやすい近くの病院に転院させたとのことでした。
最後は会話など全く出来ず、家族の事も分からなくなっていたかもしれないとのこと。
まだ60代とお若いのに・・・ 葬儀は身内だけで済ませたいとのご希望でした。
最初、わざわざ遠い施設を選んだのも、出来るだけ知人が面会に来ないようにとの思いがあったんだそうです。
ご近所の方にも今は知らせたく無いとの事でした。
ご本人(故人様)がまだ話しが出来ていた時に、そう望んでいたそうです。
発病してからは写真を嫌ったので最近の写真は1枚もありません。
入所してすぐの頃に証明書のために撮影された写真が遺影として使われました。
リハビリをしている様子のようで・・・ 照れくさそうな笑顔で車椅子に腰掛けて、杖を持っている姿です。
その姿はまだ入所当時の年齢・50代前半に見えました。
こんなに短い期間(約8年)で、数十年分も年老いた姿になってしまうなんて・・・。
友人を避け、写真も残していない。 故人様が発病してから今までの人生ってどんなだったんだろう。
少しずつ自由の利かなくなる体と曖昧になっていく記憶は、どれほどの恐怖と不安なんだろう。
年老いた姿を見られたくない・・・ ご主人の意思を尊重し、ご親族だけでのお別れとなりました。
皆さん、「さようなら」 ではなく 「お疲れ様」 と見送っていらっしゃいました。
もう長くないとは分かっていても、亡くなった後の準備をする事はどうしても出来なかった。
葬儀の相談をする気にはなれなかった・・・。
葬儀を終えてから、奥様は私にそうおっしゃっていました。
最初の打ち合わせの時、奥様の表情は強張り、死亡届を書いていただいた時には手が震えていました。
でも葬儀を終え何度か家へ伺ううちに、
私が笑顔で話しかけると奥様もニッコリ笑ってくださるんだと気が付きました。
何度かくりかえすうちに、玄関口で私を見ただけで笑顔を見せてくださるようになり、
電話口の声も明るくなっていくのが分かりました。
葬儀前にお話しを聴き、不安を取り除く事・・・
それ以外にも大切な仕事があるんだと改めて思いました。
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その障害を持って産まれてきた子を 【天使の子】 と呼ぶそうです。
亡くなった50代男性のお子さんに、1人 天使の子がいました。
正直・・・ キチンと理解していない私は、どのように対応したらいいのか?
式中にパニックをおこしたり、具合が悪くなったりしないのか?・・・と、心配していました。
でも、そんな心配は見事に・そしてコッパミジンにブッ飛びました。 お恥ずかしいです。
通夜の日まで、故人様はご自宅でご安置となりました。
天使の子は毎朝必ず亡くなったお父さんの前で手を合わせてから養護施設へ通っていたそうです。
通夜前日、家族でお棺に入れてあげるモノは何が良いかを話し合うことになりました。
その時天使の子が 「甘いパンがいい。」 と言い出したんだそうです。
ほかの家族はお父さんが甘い物を好んだ記憶など全く無く不思議に思ったのですが、
実はお父さんと天使の子・2人だけの秘密がありました。
独り立ちが出来るようにと厳しかったお母さんに代わり、お父さんは天使の子をとても可愛がっていたそうです。
そして、お父さんが養護施設へ迎えに行った時には帰りに必ず甘い菓子パンを買ってあげていたようでした。
甘い物は脳みそにとっても良いんだぞ・と言って、1つの菓子パンを2人で半分ずつにして食べたんだそうです。
そして、晩ご飯の前にパンなんて食べたのがお母さんに分かると叱られるから、ぜったいに2人だけの秘密だ。
晩ご飯もちゃんと食べないとダメだよ・と言われていたんだそうです。
天使の子はお父さんに言われた通りご飯もちゃんと食べて2人だけの秘密をずっと話さずに守っていたので、
この時まで家族は誰も知らなかったそうです。
そして、菓子パンの他にそれぞれが手紙を書いて渡す事になりました。
天使の子の手紙・・・ つたない字でしたが、キチンと書かれた手紙でした。
手紙は、僕はお父さんの事が大好きです・と始まります。
おまえは他の子とは少しだけ違うから一生懸命頑張りなさい・と言われていたので、
もうお父さんには会えなくなるけど僕は頑張ります・と書いていました。
そして、一緒に甘いパンを食べて2人だけの秘密が持てた事と
出先から帰るときには必ず僕に電話をくれた事がとても嬉しかった・と書いてありました。
天使の子はお父さんの死をキチンと理解していました。
担当者や案内の私が何かを説明している時には目を見て聴きながら頷いていました。
皆さんやお父さんの遺影にシッカリとお辞儀をして、お焼香も1人でチャンと出来ました。
お別れの儀の時には、表情こそ変わりませんでしたが菓子パンと手紙を入れながら涙を流していました。
ご出棺の時、位牌と遺影写真を持った方が故人様と一緒に霊柩車に乗ることになります。
担当者とも相談して、遺影写真は天使の子に持っていただきました。
私が 「大丈夫?こことここをしっかり持ってね。」 と言うと、「はい。」 とハッキリ返事をしてくれました。
ご自宅での安置中の様子を聴き、ご家族も担当者も大丈夫だと判断して、
ご納棺の儀、通夜・葬儀告別式、ご出棺、ご収骨・・・ 天使の子にも全てに参加していただきました。
天使の子の中に今回の出来事はどのような形で残るのでしょう。
そしてどんな人生を歩んで行くんでしょうね・・・。
葬儀屋として・もちろん赤の他人として、軽はずみな事は言えないのですが・・・
お父さん、天使の子は大丈夫! そしてあなたの家族はきっと大丈夫です!
・・・と、心の中で思っていました。
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