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−−−グリニッジ標準時16・00時東部標準時11・00時 −−−ホワイトハウス スティングレーに呼び出されたビル・マービン・ワトキンス大統領は、ホワイトハウス総務部長に一切の邪魔をせぬよう厳命してから一階の礼拝堂を訪れた。 荘厳ミサ曲が流れる澱んだ空気の部屋に人の気配はなく、ワトキンスは十数列ある長椅子の中程に掛けて、鉛のように重い瞼を閉じて両手を組んだ。 東京は深夜の一時、リリーは無事だろうか?……。スティングレーから伝えられた攻撃時間は、向こうの午前四時、プラスマイナス一時間の予定だった。せめて、それまで逃げ延びてくれれば……。 「大統領閣下…………」 ふと視線を上げると、白装束の男が目前に突っ立っていた。ホワイトハウス詰め記者を証明するパーマネント・バッジを左胸に飾ってはいたが、ワトキンスは一瞬、「神よ!?…………」と坤きながら身を引いてしまった。 「髭を生やしてはおりますが、残念なことにイエスではありません」 そのシェークスピア役者並みの芝居染みた抑揚で、ワトキンスはようやく相手の正体を悟った。しかし、軍事委員会当時よりだいぶ痩せているように思えた。 「けむくじゃらのティム!ムーアヘッド提督……。しかし、貴方は!?」 「病院から抜け出して来ましてね。この恰好でお隣りへ掛けてよろしいですかな?」 良くよく観察すれば、それは紛れもない手術着だった。 「相変わらずですな、貴方の芝居好きは。さあ、掛けて。呼んで下されば私が伺ったものを……。そうか!……。スティングレーは、貴方の差し金ですな。ムーアヘッド劇団の一員というわけだ」 ムーアヘッドは痛々しい仕草で腰を降ろしながら「彼はどうです?」と尋ねた。 「私の支えになってくれている」 「ささやかな恩返しが出来て、奴も光栄でしょう。五番街の『アメリカン・スタインホック・ホテル』でのエピソードを記憶してらっしゃるといいんですが……」 「もちろんだとも。真っ先に思い出したよ」 事実ではなかったが、それは政治家に許される方便のひとつだった。 「貴方のチップで母親にストッキングをプレゼントした翌日、彼の母はつまらないギャングの撃ち合いに巻き込まれて死にました。貴方は奴に最後の親孝行をさせてくれた恩人なんですよ」 「そうか……。彼はそこまでは話してくれなかったが……」 ワトキンスはそこでがらりと険しい語調に変えた。 「良く理解できないのだがね、なぜ国家安全保障局のビッグブラザーが、私に正体を明かせなかったのだ?」 「閣下、貴方は選りによってウォーフィールドをCIA長官のポストに抜擢した。情報機関の現場経験者をその政治職の最高ポストに就けるというのは、最も避けなければならない愚行です」 「提督。私は君とウォーフィールドの長年の反目関係を知っている。しかし、どちらを選ぶとなれば、私はCIA長官を経験した手前、ウォーフィールドを抜擢せざるわだかまを得なかったのだよ。もしそのことで君が幡りを感じているのであれば−−−」 「そうじゃありませんよ。私は自分のポストに満足しているし、欲ボケしたこわっばどもが屯ろするホワイトハウスヘ日参するなど御免です。問題は、ウォーフィールドは、貴方のような外交手腕が未知数の為政者にとって、危険な人物だったということです」 ムーアヘッド提督はひどく苦しげに呼吸すると、ゆったりした調子で、カーター中佐に語って聞かせたガモフ教授の亡命事件から掘り起こした。 憤りを抑えて聴き入っていたワトキンスは、途中ただ一度だけ質問を差し入れた。 「ガモフ教授に入れ知恵した人物とは誰なのだ?」 「そう、それです。国防相のニコライ・トゥーラ元帥です」 「狂っている!……」 「それを言うならドネリー財団もそうですよ。連中、ロシアを灰にしたあとは、一体誰を憎しみの対象にするやら……。ウォーフィールドは、ミサイルを発射させるつもりでいます。ロシアの脅威を布教して歩くためにね」 「なぜ、彼を逮捕してはならんのだロ今になって貴方が正体を現したのには理由があるんだろう」 「ええ。ここいらが潮時だと考えたわけです。つい三〇分前、KGBの第一管理本部は、ワシントンの大使館内支局宛てに、ウォーフィールドを徹底的に洗うよう、最優先事項で命令を送りました。連中はようやく気付いたんですよ。誰が糸を引いているか。その情報は、CIAが潜り込ませたスパイによって、直ちにウォーフィールドの耳に届いたはずです。彼がタイムテーブルを進める恐れが出て来ました」 「やはり、逮捕しょう」 「まだ証拠がありません」 「君という証人がいるじゃないか!?」 「今は駄目たんです!閣下、私が正体を明かせなかった最大の理由は……」 ムーアヘヅドは、悲痛に暮れた表情で、一瞬それを言っていいものかどうか思いあぐねている様子だった。そして再び呼吸を整え、さっきよりずっと低い、また聞き取りにくい声で喋り始めた。 「……私は、キューバ危機の直後のまだCIAに籍を置いていたころ、ひとりのロシア人スパイを獲得しました……。彼は今、クレムリンにいます。クラスノ・レピン・フォーミン。ロシアの国家元首として……」 「フォーミンが!?」 ワトキンスは自らの声の大きさに驚き、慌てて周囲を見渡した。 「そ、そんな非現実的な……」 「大方のスパイは現実的で日常的な人格の持主ですが、その存在は他人にとって極めて非現実的に映るものですよ。ウォーフィールドはベルリン時代の私とフォーミンを知っています。もし私が動き出せば、ウォーフィールドは必ずや私が飼っているモグラが誰か気付くでしょう」 「これは、ウォーフィールドとトゥーラ、そして君とフォーミンの作戦なのだな。この陰謀を見逃したフォーミンの狙いは何だ?」 「民族主義運動の鎮圧です。適当にバルト三国で反対運動が盛り上がった頃合いを見計らって、アメリカが、バルト三国政治犯の強制亡命を受け入れる手筈になっていました。先鋭的な連中を〃人道的〃に排除できれば、アゼルバイジャンの二の舞いを防げます。ところが、トゥーラ元帥は予想外にも、完壁な組織作りをあの共和国で進めていた。官僚組織を主体とした『オデッサ・グループ』に、知識層主体の『白いバラ・グループ』。一気に火が点いてしまった」 「トゥーラ元帥は気がふれたのか?核ミサイルをのべつまくなく打ち込めば、核の冬を招くんだぞ」 「私もそう思っていました。しかし、うちの専門チームに検証させて、重大な事実が判明しました。もちろん、小規模な核の冬は起こります。しかし、それは北極圏に限定されるでしょう。なぜなら、トゥーラはバルト三国に火を点け、そこを制圧するという目的で、カテゴリー1のパーフェクト装備にあるモスクワ、レニングラード防衛の主力部隊をごっそり北方に集中配備させたからです。そこを集中して狙えば、被害は偏西風の蛇行の影響から北方域へと限定されます」 「なんてことを……」 ワトキンスは途方に暮れて頭を抱え込んだ。 「私はどうすればいいというのだ!?−−−」 「夜明け前の攻撃は中止して下さい。証拠固めにもうしばらく時間がかかります。私は、なんとかフォーミンと接触します。今、ウォーフィールドを逮捕すると、すべての責めは貴方が負うことになる。一方、フォーミンが私のスパイであることが露見すれば、一朝有事にロシア指導部は躊躇なく全面核攻撃の決定を下すでしょう」 「提督。貴方は私に、溶けかけた薄氷の上を渡れと言っている……」 ムーアヘッドはそれには答えず、瞳を閉じて眠っているかのようにも窺えた。まるで、シェークスピア劇に登場する王族たちの最期を看取るようで、流れる、ミサ曲が、手伝い、ワトキンスは神々しい想いに捉われた。さらに何事かを反駁してやろうかと思ったが、気分が萎えてしまった。そう……。彼がやったことは、右も左も解らないハニムーン期間の大統領の下では賢明な措置だった……。 「せめて、お祈りに付き合いたまえ」 ムーアヘッドはおもむろに瞳を上げると、いささか惚けた表情で、 「ユダヤ人でよろしければ…………」 と両手を組んだ。 |

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