|
いったいどういうことか書いてみたいと思います。
欧米の多くのスポーツの目的は
・人より強くなること
・人より早くなること
・相手より多くのポイントを上げること
すなわち、相手に勝つことを目的としています。
そのために一生懸命練習し、相手を打ち負かしてこそ、その目的が達成されるのです。
一方日本の武道は
・型を覚えること
・技を磨くこと
・己の心身を鍛えること
すなわち、自己の鍛錬を目的にしています。
勝敗は、鍛錬の結果として現れるだけです。
相撲にしても、剣道や柔道にしても、技が決まれば、その時点で一旦終了です。
それ以上相手を叩きのめすなんてことはしないのです。
しかも、日本の武道は、丸い土俵であったり、四角いマットであったり、広い道場であったり、自分のテリトリーという考え方がないでしょう?
力の強さを競う勝負というより、いかにうまく技を繰り出すかの勝負と言った方がピッタリきます。
日本人は、負けた者も日頃自己の鍛錬のために努力をしていることを知っていますから、勝った者、負けた者どちらにも、その精進に対して惜しみない拍手を送ります。
かつての相撲は、技を決め勝った力士が、土俵下に落ちた力士に手を差し伸べるなんてシーンもありました。
また、大きくて強い力士だけが人気者になるとは限りませんでしたし、むしろ態度のでかい力士は嫌われたりもしましたね。
時代が違うとはいえ、相手を打ち負かしてガッツポーズなんていうのはありませんでした。
それは武道が勝つことではなく、自分自身を鍛えることを目的としているからです。
共に鍛錬を積み重ねて勝負に挑んだ相手への敬意があれば、ガッツポーズは少なくとも土俵の上では出ないでしょう。
そういう意味では、白鳳の相撲は、もはや日本の武道ではなく、欧米のスポーツになっていような気がします。
なぜなら、勝つこと、相手を打ち負かすことが最大の目的になっているからです。
どんな手段を使っても勝つことが何よりも大事という感じです。
八百長疑惑はその典型ですね。
もちろん、横綱は強くなくてはならないというプレッシャーはあるでしょう。
でも、日本の相撲ファンは、横綱に何が何でも勝つことだけを求めてはいないと思います。
潔く負けることも、日本の武道の精神なのです。
通常なら、フェアに戦えば、横綱と言えども、当然ながら年とともに体力は衰え負けが込んできます。ともに歩んできた長年のファンは、自身の体力の衰えと重ね合わせて、応援していた力士の引退を覚悟します。
その時、日本人が求めるのは、引き際の潔さと美しさです。
それが、武道の美学ではないでしょうか?
日本は周りを海に囲まれた島国として、他民族に侵略されるという危機感をほとんど抱かずに生きてこられた恵まれた民族です。
ですから、自己の鍛錬という欧米のスポーツとはまったく違う目的で、心身を鍛える武道が誕生したのだと思います。
もちろん戦国時代もありましたが、そこは日本人同士ですから、目の色や顔つきの違う異民族に攻め込まれるのとはまったく危機感が違うでしょう。
そういう意味では、欧米の人達は自分達を守るために、強くならざるを得ない、相手に勝たなければならないという宿命を背負ってきたということです。
ですから、どちらがいいとか悪いという話ではありませせん。
日本の武道を目指すなら、日本の武道の精神を忘れてほしくないということです。
どちらが自分に合っているのか、どちらを目指したいのか、白鳳関をはじめモンゴル人力士の皆さんには、ぜひ、この機会に考えてほしいと思います。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用







































