初代談洲楼(柳亭) 燕枝

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伝次郎の死

 伝次郎(談洲楼燕枝)は、明治三十二年九月、動脈瘤という厄介な病に冒された。それでも押してあちこちの席に出ていたが、三十三年一月に人形町の末広亭で、公演中に気分が悪くなり病床に臥す身となった。
社交性に富んでいた燕枝のことなので、お見舞いの客が次から次へとやって来たという。
   
  動脈瘤にかかりて
              動くもの  終わりはありて  瘤柳

 明治三十三年二月十一日、辞世の句を残して六十三歳で亡くなった。花輪はあたりを埋め尽くすが如く並び、盛大な葬式が行われた。
桃太郎が位牌を持ち、千百余名の参列者があった。
浅草源空寺に葬られた。その後、芸能の人々によって碑が建立された。
  

談洲楼燕枝

 明治の落語界に名人円朝と同時期に、一方の柳派の頭領として、貫禄を見せた大師匠となっていた。芝居通の芝居好きの落語家であった。大好きな団十郎をもじって、自ら談洲楼燕枝と名乗った。

 人付き合い良く気前良く、仲間の付き合いその他に、お金を出すことを惜しまなかった。真率洒脱些かの俗気もなかった。しかも滑稽百出、論談風発という性質であったと言われている。
 幡随院長兵衛(※)の二百五十年忌の法要を自ら祭主となって営んだりした、なかなかの好事家であった。

 本所南二葉町の長島家は立派な表門と裏門があり、庭には沢山の種類の果物の木があって、食べ切れない程の実がなった。大勢の訪問客があり、朝から魚屋が出入りしていた。果実はお客様に出しても尚余り、近所に配った。

 暮れになると、芸能界の人達からお供え餅が届けられて、家の中にずらりと並んで飾られにぎやかであった。食べ切れなくて固くなったお餅を割り、油で揚げて来客にふるまった。
長島家ではこれを「ジュウ」と呼んでいたが、当時この家独特の食べ物で来客に好評であった。

 両国の川開きの花火大会には、妻たかと桃太郎は船を借り切って、邸内の子供を誘っては見物をした。知らない人が知り合いだという程の盛んな家であった。

 門弟は多くを数え、現在の春風亭、柳家、柳亭はすべて燕枝より発しているといっても過言ではない。


(※)幡随院長兵衛(1614〜1650)は、大河野(現佐賀県伊万里市大川野)の日在城主・鶴田因幡守勝の家臣・塚本伊識の子として慶長19年、相知町久保で生まれ、幼名は伊太郎といい、父に伴って江戸へ向かったが、下関にて父は病没、一人で上京(12、3才頃)、つてを頼って神田山幡随院に身を寄せ、後に幡随院長兵衛と名乗る。
 江戸の侠客の総元締めと言われ、庶民の英雄であった幡随院長兵衛の生き様は江戸の華と呼ばれ、「人は一代、名は末代の幡随院長兵衛・・・」の有名なセリフで歌舞伎や講談等で今でも演じられている。

  幡随院長兵衛の登場する作品
    池波正太郎「男の系譜」「侠客」
    映画『花のお江戸の無責任』

文筆の才あり

燕枝は文筆の素養があり、仮名垣魯文に師事して、明治十二年に正式に許され、「あら垣痴文」と称して戯作の筆を執った。いわゆる「筆が立つ」人だったのである。

文筆をよくして、創作・翻案が多くあった。代表作は「島鵆沖白浪」(しまちどりおきつしらなみ)という。当時のいろは新聞、毎日新聞、有喜世新聞、東京絵入新聞等の新聞や人民、百花園等の雑誌に載った。
噺本にしても、雑誌・新聞の連載にしても自筆が多く、速記による三遊亭円朝とは対照的であった。

燕枝は、外国ものの翻案もあえておこなった。森田思軒に教えを乞い、フランスものの翻案を試みたことがある。晩年に及んで福地桜痴がユーゴーの「レ・ミゼラブル」を脚色した「あはれ浮世」を人情噺として上演したこともあった。

燕枝は博覧強記であった。読書家で風雅を好んだ。燕枝の話芸には品格があり、有識者には歓迎された。一方、インテリすぎて近寄り難かったともいわれ、一般受けはしにくい欠点もあった。
文筆家で立った方が良かったかもしれない、という批評もあった。
落語は文学と関わりを持つ部分があり、燕枝の落語も終生文学的な匂いをもち続けることになった。

燕枝の晩年の交友の中に、森田思軒、饗庭篁村(あえばこうそん)、幸田露伴、幸堂得知らがあらわれるのは、近代文学史の中で活躍した人々との関わりを示している。

有名人との交流

森田思軒、饗庭篁村(あえばこうそん)、幸田露伴、高橋太華、幸堂 得知(こうどう とくち)、須藤南翠、高畠藍泉(たかばたけ らんせん)、伊藤橋塘、平木平々、関根只試等、多くの文人との交際があった。そして坪内逍遥、森鴎外などを呼び寄せる程の力を持っていた、非凡な人であった。

交際のあった画家、久保田米遷(※1)(くぼたべいせん)は、明治二十六年十二月に燕枝の「化競丑満鐘(ばけくらべうしみつのかね)」が開演された時に、広場に幕を広げ、ほうきを筆に代えて、豪快な百鬼夜行の図を揮毫(きごう)した。
また、画家の豊原国周(※2)とは兄弟分であり、俳優の初代中村時蔵とも兄弟の盃を交わしていた。

そして団十郎一門の俳優達から重んぜられていた。
初代市川猿之助(後に初代段四郎)は、宗家に無断で勧進帳を演じ勘当されていた。彼は何とかとりなしてくれるように燕枝に頼んだ。その仲裁によって、団十郎の怒りがとけ市川に帰参することが出来たので、猿之助は後々まで感謝し恩に着ていた。


(※1)久保田米遷の作品
http://www.japan-museum.net/gazo/kubotabeisen-tutamomizi.htm

(※2)豊原国周の作品
http://www.mediawars.ne.jp/~tairyudo/tukan/tukan355.htm
http://wwwi.netwave.or.jp/~oka1965/kunichika.htm
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/gallery/ukiyoe/ukiyoe_1_20.html

 明治時代の寄席はどんな物であったかと云うことを一般的に説明する。
 明治といっても初期と末期との間には、著しい世態人情の相違がある。それを一と口に云い尽くすことは出来ないので、まず明治二十年前後から四十年頃までを中心として、その大略を語ることにしたい。
 今日(こんにち)と違って、娯楽機関の少ない江戸以来の東京人は、芝居と寄席を普通の保養場所と心得ていた。殊に交通機関は発達せず、電車もバスも円タクも無く、わずかに下町の大通りに鉄道馬車が開通しているに過ぎない時代にあっては、日が暮れてから滅多に銀座や浅草まで出かけるわけには行かない。まずは近所の夜見世か縁日ぐらいを散歩するにとどまっていた。その人々に取っては、寄席が唯一の保養場所であった。
 
 自宅に居ても退屈、さりとて近所の家々を毎晩訪問するのも気の毒、殊に雨でも降る晩には夜見世のそぞろ歩きも出来ない。こんな晩には寄席へでも行くのほかは無い。寄席は劇場と違って、市内各区に幾軒も散在していて、めいめいの自宅から余り遠くないから、往復も便利である。木戸銭も廉い。それで一夜を楽しんで来られるのであるから、みんな寄席へ出かけて行く。今日の寄席がとかくに不振の状態にあるのは、その内容いかんよりも、映画その他の娯楽機関が増加したのと、交通機関が発達した為であると思う。実際、明治時代の一夜を楽しむには、近所の寄席へでも行くのほかは無かったのである。

 東京電燈会社の創立は明治二十年であるが、その電燈が一般に普及されるようになったのは十数年の後であって、大抵の寄席は客席に大ランプを吊り、高坐には二個の燭台を置いていた。したがって、高坐に出ている芸人は途中で蝋燭の芯(しん)を切らなければならない。落語家などが自分の話をつづけながら蝋燭の芯を切るのは頗るむずかしく、それが満足に出来るようになれば一人前の芸人であると云われていた。今から思えば、場内は薄暗かったに相違ないが、その時代の夜は世間一般が暗いので、別に暗いとも感じなかったのである。
 
 暗い話のついでに云うが、その頃の夜は甚だ暗いので、寄席へゆくには提灯を持参する人が多かった。女はみな提灯を持って行った。往く時はともかくも、帰り路が暗いからである。寄席の下足場にはめいめいの下駄の上に提灯が懸けてあった。そこで、閉場(はね)になると、場内の客が一度にどやどやと出て来る。それに対して、提灯の火を一々に点(つ)けて渡すのであるから、下足番は非常に忙がしい。雨天の節には傘もある。傘と提灯と下駄と、この三つを一度に渡すのであるから、寄席の下足番はよほど馴れていなければ勤められない事になっていた。その混雑を恐れて、自宅から提灯を持って迎いに来るのもあった。
 それも明治二十二、三年頃からだんだんに廃れて、日清戦争以後には提灯をさげて寄席へゆく人の姿を見ないようになった。それでも明治四十一年の秋、私が新宿の停車場附近を通ると、これから寄席へゆくと話しながら通る二人づれの女、その一人は普通の提灯を持ち、ひとりは大きい河豚(ふぐ)提灯を持っているのを見た。その頃の新宿の夜はまだ暗かったのである。今日の新宿に比べると、実に今昔の感に堪えない。    
                      岡本綺堂『寄席と芝居と』より

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