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最近、日本のニュースサイトを見ると「所得格差が広がっている」とか「格差社会」という見出しをよく見るようになりました。
私が南西イングランドのデボン〜コーンウォル(写真)あたりをブラブラしている間、国会でも「格差社会」について取り上げるなど、日本国内では活発に議論されているようですね。
ところで、私の素朴な疑問なのですが・・・
「所得に格差がある」
これはいけないことですか?
私はもし国民みんなが同じような収入でなくてはいけないのは、共産主義国家だと思うのですが、なぜ国民の間に格差が生まれることを皆、怖がっているのでしょうか。
第一、日本は「勝ち組」「負け組」とかそういうことにこだわり過ぎているように見えます。
人生の価値観はその人それぞれなので、勝った、負けたではないのです。
少し前に「負け犬」というのがありました。それに照らし合わせて言うのであれば、私は「勝ち犬」になると思います。でも、それは勝手に他人が決めている価値観であり、私はそのように言われるのは、はっきりいって迷惑です。
イギリス人はそのようなことにはこだわりません。
自分が幸せであれば、子供がいなくても、貧乏でも、離婚歴があっても、同性愛者でも、障害を持って生まれても、失業中でも、オタクでも、そのままの自分でよいのです。
こちらに住んでいると、日本人は人から見てどうだろうということを気にしすぎているように見えますが、もしかしたら私も日本に住んでいたら、自分の人生なのに勝った、負けたと騒いでいたのかもしれません。
ホリエモンに代表されるように、莫大なお金をすぐに稼ぐことばかりを考える日本人も最近多くなったように思います。若くして財を成す人は、ほんの一握りの人間。それなのに、自分だって簡単にお金を稼いでみせると思っている若い人も多くなりました。
所得格差が広がったと皆が言うようになったのは、実は人の目を気にしすぎていることに始まったように思います。ヒルズ族(これも海外に住んでいるものからするとすごく格好悪い言い方ですが)に代表されるように高収入の人が騒がれるようになりました。
簡単にお金を稼いで短期間で高収入になった人たちは、ヤッピーとか言われてイギリスではわりと軽蔑されています。でも他人の目を気にする日本人は、こうした人の生活をうらやましく、そして自分もそうだったらどんなに良いだろう、ずるい、所得格差が広がりすぎている・・・・!となったのではないでしょうか。
人のことはさておき、自分が幸せであれば、それでいいんじゃないでしょうか。
というわけで、私は日本の「勝ち組、負け組」も「格差社会」も客観的に見て、こんなことを国会で騒ぐならもっと重要な話し合いをすべき事柄がたくさんあるだろうと思って見ております。ハイ。
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