■1742(寛保2)−1800(寛政12)年 江戸時代の終わり頃の人
もとは伊予の人で、天明のころ厳島に渡った。竹林庵に住んでいた。
■宮島内にある神泉寺という寺の僧になった。島民たちの生活向上のために、弁財天の琵琶をヒントに杓子(しゃくし)の制作を思い立ち、自らその技術を島民に広めた。「敵をメシ取る」という縁起物とて、今現在全国に広まっている。
■島内は島であるが故に水に不便していたため、誓真は数多くの井戸を掘っている。「誓真釣井」と呼ばれ、現在も4カ所残っている。これらの井戸は枯れることなく島民の生活を支えることとなった。釣井の中には数m先が海岸だったにもかかわらず、塩分もなく雨不足のときも枯れることなく水が湧いたという。
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