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■看板の説明から
・「大久野島は訴える 戦争の悲惨さを 平和の尊さを 生命の重さを」
・「この歴史を忘れないために 二度と再び繰り返さないために いつまでも平和であり続けるために」
・「昭和4年(1929年)から昭和20年(1945年)の終演まで大久野島は秘密の「毒ガス島」として当時の陸軍毒ガス製造所が建設されていました。その間、各種の毒ガス製造作業や戦後の処理作業で被毒した多くの人が亡くなっています。この資料館は、おそるべき毒ガスの実態を多くの人に知っていただき、いまわしい歴史を二度とくり返さぬことを願って元従業員や。ご遺族から貴重な資料をご寄贈いただき展示しています。」
■日本が毒ガスを使用したことは、1984年までほとんど知られていませんでした。化学戦の実態は隠され、旧軍関係者の一部しか知らなかったそうです。1984年、日本の化学戦実施に関する資料が報道され、その実態が明らかにされてきました。
・日本の毒ガス兵器研究開発は旧陸軍科学研究所(東京)
・大量製造した場所が大久野島(広島県竹原市忠海)
・充填は曽根(北九州市)
・化学戦の運用と訓練は旧陸軍習志野学校
[毒ガス資料館パンフレットより]
■防護服が展示されていた。今だから言えるけど、こんなもので毒ガスをシャットアウトできるわけがない。どんなに簡単な装備で毒ガスを作っていたのか、知らないことの恐ろしさを感じました。また、いやでも動員という形で、非国民という精神的な束縛で、毒ガス製造に携わらなければならなかった人々の苦しみが伝わってきます。
●地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.18.50.554&el=133.4.35.949&la=1&sc=6&CE.x=103&CE.y=272
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瀬戸内海にもこんな場所があったのですか・・。記事を拝見して森村誠一さんの「悪魔の飽食」を読もうと思いました。話は変わりますが、全国の大学の多くが陸軍跡地に建てられていると知り複雑な気持ちです。自分の足元にまだ戦争のあとが残っているのを感じます。
2005/5/7(土) 午後 10:43 [ PFC ]
それは知りませんでした。戦争の足跡というのは消し去ってはいけないんだと思うんです。戦争はかっこいいものではなく、戦争は悲惨であり残酷であることを未来に伝え、二度と戦争が起こらないようにしなければ、と思うんです。
2005/5/8(日) 午前 0:41
こんにちは。
毒ガスは化学兵器に使われますが、電波兵器というのがあるのですよ。
レーダーを応用した兵器であり、人体に電波を発射するのです。
どうも自衛隊が日本国内で日本人にテロ活動をするのに電波兵器を使っているようなのです。
米国陸軍は電波兵器を機密解除しているのですが、陸上自衛隊は電波兵器を機密解除しておらず、秘密兵器に指定しているようです。
戦前の化学兵器が秘密だったように、現代では電波兵器が秘密みたいです。
2013/2/20(水) 午後 2:23 [ patentcom ]