■1929年 発電を始めました。大きな建物ですが、小さな部屋で発電機3台の電力の運転だったそうです。
■1933年 発電機2台を増設し、最終的に3400キロワットの電力を供給したそうです。
■1942年 重油が困難となり、広島電機株式会社忠海変電所から海底ケーブル2本によって大久野島へ電力が供給されるようになりました。既設の発電設備と海底ケ−ブルによる送電を併用して敗戦までの電力をまかなったそうです。
■発電所は島の外から見えないように、人工的な山が正面に作られたそうです。そして、発電所に行くためのトンネルが今も残されています。この施設は、1950年 朝鮮戦争当時は、アメリカ軍が弾薬庫として使用し、その名残がトンネルの可部に残されているようです。
◇峠を越え、坂道を下ったところに、全面緑で覆われた異様な建物が目に入りました。中に入ることはできません。遠目に見ても、建物の中は荒れ放題になっています。1990年にこの建物は壊すことになったらしいです。しかし、住民の平和学習として残してほしいという署名運動により、積極的に壊すことはなくなったらしいです。そのままの状態で、自然に壊れていくのを待っているようです。歴史は、しっかりした記憶として、こんな目に見えるものを通して語り継いでほしいと思います。そして、原爆ドームだけでなく積極的にできるかぎりの方策を持って残してほしいと思います。
●地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.18.20.962&el=132.59.44.053&la=1&sc=4&CE.x=314&CE.y=251
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