■日清戦争を契機に、広島城の周辺には、軍関係の施設が集められました。
■爆心地から約700メートル 大本営などほとんどの建物が破壊されたが、この司令部は半地下式であったため、かろうじて残りました。
■ここでは、通信員として働いていた比治山高女の三年生たちが被爆。岡ヨシエさんの手記から
「板村さんより一歩遅れて外に出た私は一瞬唖然となった。今まであった司令部も、あっちこっちの建物もないではないか。ただの木屑と壁土が山になっているだけだ。私は思わず、壕の土手に駈けのぼった。私はそのときはじめて『大変だ』と、血の気が下がる思いがしたのである。まだ通話のできるところへ早く連絡を、そう思いながら電話機をもった。九州と連絡がとれた。そして福山の司令部へ
『もしもし、広島が新型爆弾にやられました』
『何! 新型爆弾! 師団の中だけですか』
『いいえ、広島が全滅に近い状態です』
『それは本当か』
『もしもし、火のてがまわりだしました。私はここを出ます』
再び外に出ると、炊事場のあたりには火がまわり、パチパチと木のはぜる音がする。その音にまじり、建物の底から女の人が助けを求める声が耳に入った。」 ヒロシマの声を聞こう より
■護国神社入り口のそばにこの跡は残されています。柵がしてありますが、許可を得れば鍵を貸してもらえて、中を見学できます。中はコンクリートの壁で覆われていて、天井が低く、じめじめした感じです。奥に通路が通じていて、周辺の施設とつながっていたのかもしれません。この跡もいつか壊されなくなっていくのでしょうか。
★地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.23.51.666&el=132.27.40.760&la=1&sc=2&CE.x=234&CE.y=262
|