そよかぜにのせて

思いのまま、自然のまま、感じたことを残したい

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■爆心地から4.6km 1909年(明治42年)の木造の被爆建造物
■洋風の建物 玄関前の屋根、柱、足下の換気孔など細かな工夫が見られる。
■推測だけど、戦後、表面の板にペンキが塗られ、いくらかは使用されたのだろう。現在は、そのペンキがかちかちになりひび割れ、置き去りにされてしまったことが伺われる。家主のいない、使われていないこの建物は、周囲から孤立しているように感じられる。説明の看板も何もない。このまま朽ち果てて、いつのまにかなくなっていくのだろうか。

☆地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.21.18.871&el=132.28.10.311&la=1&sc=3&CE.x=157&CE.y=458

子どもたちへ

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    大きくなってほしい
    願いだけは
    手のひらの中でくしゃくしゃになって
    堅くなっています
    水がほしいか しんどくないか
    何かできることはないか
    伝わらない想いをいっぱい抱え
    照りつける陽射しを
    全身に浴びています


■これは大根の芽です。2mmくらいの小さな種から発芽し、双葉を広げました。ここまでは自分の体の中にあった栄養を使ってきたけれど、これからは太陽と水と大地の恵みと、それから真心が大切になっていきます。どれが欠けても成長しません。太陽の光が必要だからと言っても、あまりに強い陽射しは水を奪い立つ気力も奪って、命をも脅かしてしまいます。野菜を育てることは、自動販売機にお金を入れてジュースが出てくるのとはちがって、時間と労力と気持ちが必要なんだと思いました。子どもを育てることと同じなんだと実感しました。

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■1873年 中区小町 就学館として開館 歴史のある小学校です
■1911年 「袋町尋常小学校」と改称
■1922年 「袋町尋常高等小学校」と改称
■1937年 鉄筋コンクリートの校舎完成(旧西校舎…1999年12月まで使用)
■1945年 8月6日 爆心地から460m 鉄筋コンクリートの建物を残しすべて崩壊
■原爆が落とされた当日は、多くの児童が疎開をしていた。しかし、学校に残っていた160人の児童と教職員16人が被爆しました。当時は全員死亡と思われていました。
■1967年 鉄筋コンクリートの校舎に偶然入っていた児童3人の生存が確認される。一人は登校して下駄箱のあった地下室に入っていて、一人ははだしでグランドにいたため地下室に運動靴を取りに行って戻ろうとした階段の途中で、一人は下駄箱で運動靴にはきかえていたとき被爆しました。
■原爆投下後、この建物は救護所となりました。階段室の壁かべに被爆者のようすを知らせる多くの伝言が残されました。
■2002年 平和資料館として開館

☆地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.23.17.489&el=132.27.39.563&la=1&sc=2&CE.x=226&CE.y=226

平和のでっかい絵2005

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■本通りアーケード街に8月13日から31日まで飾られています。うちの学校が制作したものもあります。子ども達の平和を思う絵には、希望や夢がたくさんあります。まやかしの平和や看板だけの平和ではなかく、こんな世界になってほしいという願いがこめられています。お金と無縁の緑あふれる世界、笑顔があふれる世界、自然がいっぱいの世界、たくさんの手がつながっている世界。そんな子ども達の平和な世界を見てほしい。

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■1897年 設置される。その後拡張され、宇品小学校からカルビ向上まで広大なものになった。
■1911年 缶詰工場が建てられ、今現、在郷土資料館として残されている。
■当時の缶詰工場には、3500人くらいが働いていたが、1943年頃になると、疎開命令が出され、原爆が落とされたとき製品検査のため残っていた行員は40〜50人くらいだったそうだ。
■1985年 広島市の重要有形文化財に指定されています。
■入り口入って、ホールの上を見上げると、爆風で曲がった鉄骨が残されています。

☆地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.21.41.555&el=132.27.41.061&la=1&sc=3&CE.x=352&CE.y=197

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