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■この日のドームはライトアップされ、ピースキャンドルや、絵や楽器演奏など、さまざまな取り組みで笑顔にあふれている気がする。置き去りにされていたようなドームが、この日だけはイベントの中心になって、そして多くの人が、世界中からやってきた人が、未来を見つめる目で見上げる。
■久しぶりに町中に出ました。平日に出たのは、もっと久しぶりです。平和公園の中も、原爆ドームの周りも、けっこう人が歩いています。休日とちがって、みんな歩き方が速いです。ただ通り過ぎていくだけの人が多いです。そんな中で、私と同じようにカメラをドームに向けている人がいました。三脚を立て、ファインダーをのぞき、光の様子を考え、露出を決め、やっとシャッターを押します。一枚の写真が組み立てられていきます。私はというと、電源を入れ、カメラを向け、ファインダーを覗いたら、シャッターを切っています。いい写真が撮れるかどうかはそのときの運・・ではいけないんだけど。 ■川の流れが止まっていました。写真好きの人はこういう瞬間をねらって、写真を撮るのでしょうね。ここに夕焼けが重なったらいいだろうな。と思いながら、私も足早に通りすぎていきました。お目当ては本通りの折り鶴でした。
■桜は、薄桃色から緑色に変わり、季節の移り変わりを感じさせてくれます。緑に変わると、目立たなくなるんですね。桜の木は、1年間のほとんどをあまり省みられることなく過ごすんです。もし、人にたとえたら、きっと寂しい人生だろうなあと思います。その輝く一瞬も、ただ酒を飲み騒ぎ、またはカメラを向けるだけで通り過ぎていく。じゃあどうしてほしいのか。人にたとえると、わがままになってしまう。ただただ寂しさだけが残されてしまう。 ■今はつつじに覆われている原爆ドーム。見る人によって、その心情は変化する。つつじの前を修学旅行生が通り過ぎていく。楽しそうにほほえみながら、ときにドームを見上げながら、列をなして行き過ぎていく。だれかが見知らぬ者に挨拶をした。「おほようございます」・・そしてとまどいもなく「おはようございます」と返事が返ってきた。彩りを見せるつつじの暖かさがそうせるのだろうか。それとも単なる気まぐれか。いずれにせよ、今日のドームもいつもと同じように、孤独に満ちている。
■桜と青空と原爆ドーム。1946年、人々は春を迎え、復興に向けて動き始めただろう。そのとき桜の花はどこかで開いていただろうか。そんなことを考えながら平和公園の桜並木を歩き、相生橋を渡り、ドーム前を通る。いつものコース。ただ、今日は人がいっぱい。あちらこちらで宴会。ゴミがいっぱい置き去りにされるのだろな。 ■新しい原爆ドーム説明の看板が設置された。表通りの反対、南側だ。大きな看板だ。 ■被爆60周年、ヒロシマの街は次第にあわただしくなっていく。しかし、それは世間体を気にしてのような気がする。広島の平和教育は数年前の「是正」から廃れていった。見えない抑圧があったみたいだ。平和集会さえ、行われなくなったところもある。だから、広島の子どもでさえ、8月6日を知らないものもいる。昨年くらいから、今まで抑えてきたところから「平和学習の充実」などと声が聞こえてくる。何が真実で、何が間違っているのか。私にはよくわからない。ただこれからも、思いのまま、自然のまま、感じたまま、そよかぜにのせて、伝えたい。
■昨日とはうって変わって晴れ。南東のかなり上の方から眩しい陽射しが届いてきます。ちょうど原爆が落とされ、爆発した位置に近いのかなと思いながら、シルエットで写真を撮りました。平和公園は休日は県外や外国の人がたくさん来られます。みんな記念撮影をされます。わたしもカメラを向けているから同じなんだけど、ちょっと違和感があります。特にピースして「笑って!」なんて声を聞くと、そういうものなのかなと考えてしまいます。原爆ドームは100歩譲って、記念碑(慰霊碑)は手を合わせはしても、前で記念撮影は似合いません。石棺には死没者名簿が収められています。
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