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低いホーエンハイムの声がエドワードの耳元で発酵し浸透する。まるで度数の高いアルコールでも飲んだように全身に広がっていく。陶酔感が心も体も満たした。その声に抱かれ満たされていく。
それだけで、もう良かった。
ホーエンハイムはエドワードに指示を下す。その声は哀訴する響きに満ちていた。エドワードは自ら進んでその声に従う。己を差し出し、男の望みを叶えてあげられる事が嬉しかった。
言葉通りに指を動かし、受話器に向かって声を上げる。指はエドワードの吐き出した体液に塗れ乾いた所はなくなっている。
僅かに残る自尊心が酩酊しそうな意識に苦味を与えるが、その感覚すら気持ち良かった。
ゆっくりとした動きで時に休み、最後の時を迎えないように、出来るだけ引き延ばすよう細心の注意をしながら、エドワードは自身を慰め続けた。
それでも、敏感な部分を刺激し続けると最後の扉が開き始める。押し止めておく限界が見えてくる。
「あ…も…ダメ…」
「そのまま続けなさい」
危機感を感じてエドワードが言うと、冷たい言葉が返ってくる。ホーエンハイムの言葉を聞いて、根元を抑えていた右手の義手の力が篭る。痛い程に締め付けてくる。
自分の手なのに、自分の意志では動かない。ホーエンハイムから許可が出なければエドワードは達する事も出来ない。
そう思い至った時、エドワードはホーエンハイムに縋りつくように声を出した。
「……でも…も…ぅ…」
「出そうなのか?」
いつの間にか自尊心は霧散し、ただ高められた体の欲求を満たし、溜まりきった欲望を放つ事だけしか考えられない。
「…ぅ…うん。出そう。もう出したい……外したい。なぁ、いいだろう。指、離したい。キツイんだ」
「我慢出来ないのか?」
「…ダメ。我慢出来ない。イきたい」
乱暴に首を振り、叫ぶように訴えた。エドワードの我慢は限界を超えつつあった。精神は恐慌状態を起こしている。
「こういう時はどう言えば良いか教えてあっただろう」
ホーエンハイムは至って静かに冷静に声を返す。彼の労わるような声に、エドワードの乱れて揺れた心が少し凪ぐ。情交の中では何度も繰り返した言葉のやり取り、それをエドワードは思い出した。
「……イかせて…くれ…」
「人にものを頼む時は『お願い』をつけないと失礼だろう」
諭すような言葉がエドワードの中に素直に染み込んでくる。考える事なく口は動いた。
「お願い…」
夢見ているような恍惚とした気持ちのまま、言葉が滑り出る。エドワードは自分の全てがホーエンハイムのものになったかの様な錯覚に陥る。そしてこの時間、エドワードはホーエンハイムを独占している。エドワードはホーエンハイムだけを感じ。ホーエンハイムはエドワードだけを感じている。二人だけの閉じられた世界。所有され独占する感覚は甘美で何物にも代え難い事のように思えた。
常ならば絶対に言わないような甘えた声でエドワードは続けた。
「……イかせて・・・下さい」
「良いだろう。指を緩めて。イってごらん。ちゃんと聴いていてあげるから」
鋼鉄の指を緩めると、押し止めていた激しい欲望が体の奥から競り上がって来る。
「……ぁあ……イ…っっ」
激流に流されるように、エドワードは欲望を吐き出していた。
達した後。一瞬、意識が遠のいた。
視界が真っ暗になり、自分を呼ぶ優しい声でエドワードは気がついた。背中を壁につけて床に正座している。弛緩した体は冷えて肌寒さを覚えた。
「エドワード…エドワード。大丈夫か?」
心臓の音が耳の中で鳴り響いている。息が苦しくて、酸素の足りない頭が鈍い痛みを訴えていた。腰に残る甘い疲労を除けば、体全体がだるく辛かった。だが、体が辛さを訴える反面、心は穏やかに満たされていた。
「……ぅ…ん…」
頭を振り、目をきつく瞑ると、荒い呼吸を必死で整えようとした。動悸が徐々に静まってくる。膝を伸ばして、受話器に近づくと、返事を待つ受話器に向かって言葉を紡ぎ出した。
「……だい…じょ…ぶ…だ」
ホーエンハイムに煽られたとは言え、無茶をし過ぎた自分自身を自嘲気味に笑って、エドワードは答えた。ホーエンハイムが「良かった」と安心した声を囁き、エドワードの心に甘い露を注ぐ。
「お前の事を抱きしめたいよ。今…それが出来ないのが、本当に残念だ」
「・・・おやじ」
恥ずかしいから言えないが、「オレもそうだ」とエドワードは言いたかった。翻弄されて正気を失った時ならば言えたかも知れないが、今はその正気が戻ってきている。でも本心は、触れ合えない事が寂しかった。声だけで心を通わせる事は出来たけれども。
「今日はもう寝なさい。私も明日の夜には帰るから」
「…・・・ん」
続きは明日…と言外に言われて、エドワードは素直に頷いた。体の奥で新たな欲が生まれるのを感じる。自慰だけでも信じられない程に高まった。ホーエンハイムと触れあい繋がり交わる事はエドワードにどんな快感を引き出してくれるだろうか。考えないようにしようとしたが、心待ちにする気持ちを止められない。
そんなエドワードの耳にホーエンハイムの独り言のような、呟きが届いた。
「もう、夢の中には落ちていかないな」
「えっ?」
「いや・・・何でもない。私の思い過ごしだ。変な事を言った・・・」
ふと、電話が鳴る前に悪い夢を見ていた事を思い出した。
自分の見た夢を知っている?エドワードは思った。いや。まさか。そんな事あるはずが無い。否定しようとしたが、出来なかった。
エドワードが夢の中で放った、密やかな助けを求める声をホーエンハイムは聴いたとでも言うのだろうか。細い電話の線だけでなく、深い場所でお互いが繋がっていた。そんな気がしてくる。
表現出来ない温かく熱い思いが溢れ出しそうになる。
「おやじ」
「なんだ?」
「気をつけて・・・・・・早く帰って来いよな」
らしくない事を言っているのは判っていた。だけど言いたかった。言ったはいいが、口にした途端その恥ずかしさを自覚して、エドワードの顔は真っ赤になった。
「ああ。ありがとう」
「じゃ。切るから。お休み」
エドワードは口早やに言うと、ホーエンハイムの返答は聞かず慌てて電話を切った。
電話を切った後の部屋は静まり返っていた。
その静寂も電話の前とは違って、柔らかく暖かい空間になっている。居ないのにホーエンハイムの存在を感じる。破片の一欠けらが周囲に散らばっている気がする。そしてその欠片がエドワードを見守ってくれているのだ。
どんなに小さな声でも、エドワードが本気で呼べばホーエンハイムは応えてくれる。
確信にも似た思い。
温かい気持ちを抱えて、エドワードは立ち上がった。
了 2007-03-29
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