雲翳(うんえい)

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 外に出た時には、日差しが斜めに傾いていた。
 夕刻まで間もなくの時間。
 人通りの多い店の立ち並ぶ町を、エドワードは歩いた。
 荷物の過重を腕に感じる。荷物を積めていた時には感じなかった、ずっしりとした重みを感じる。筋力の低下を再び実感した。
――― やっぱ、体が鈍ってるな。
 苦笑すると、道端の隅で鞄を下ろした。
 自由になった腕を回して、体を解すように動かす。
 見上げると空は遠くの方が薄赤く色づいていた。
 慣れた道なのに、いつもと違って見える。
 まるで見知らぬ町を見ているみたいだった。
 明日から…いや、今日からは生活が変わってしまったからだろうか。
 これまでは学習と研究中心の生活だったから、現実ではない形而上の世界がエドワードの中心だった。
 これからは何が自分の必要な情報になるか判らないと思う気持ちが強いからだろうか。気持ちが変わればこんなに変わるんだろうかとエドワード自身は思う。
 いつも頭の中は自分の学ぶべき学問や、目に見える事のない世界の構造の解析でいっぱいだった。必要な本や情報以外は食に関する事にしか関心はなかった。
 自分の興味のある事や物しか目に入らないエドワードだが、今日は周囲の状況が次々に目に入って来る。
 不景気であっても、店に並ぶ商品は多く華やかだ。例えそれが、自分が買わないものであっても、目を楽しませてくれるのは確かだ。
 アクセサリーやレースなどの細工品や骨董店が並んで見える。通り慣れた道だけど、これまでの自分には関係の無いものばかりが売っているこの通りで買い物をする事もなければ、店をジックリと見る事は無かった。
 旅人のような気分で周囲を興味深く見回すと、数歩先に、ひときわ目についた店があった。
 洗練された調度、重厚感のある店構え。
 中の商品は小さいものなのか少し離れた場所からは判別がつかなかった。
  小さい細工品の店かと思って、興味を惹かれて近づく。でもそうではなかった。予想は裏切られる。
 店の中には、一口サイズのチョコレートが整然と並べられていたからだ。
 ドアを開くと芳醇で上質なアルコールとカカオの香りが店内に充満していた。
 艶やかなエナメルのような濃茶の表面をした円形や四角、三角錐。砂糖漬けの花が上に乗っているものもある。マットで表面の球状のもの。並んでいる物は、まるで精巧な細工のようだった。
 ケースの外まで漂ってくる香りは高く、上質な材料を使っている事が匂いだけでも判る。
 シックな箱に入ったチョコは宝石のようで、エドワードは場違いなところに来たと感じて気後れした。
 だけど、そんな心の動きを表に表すエドワードではない。
 堂々とした態度で店内を見回す。チョコの値段がどこにも書いていない事を確認すると、店の中で一人切り盛りをしていると思われる店主に声をかけた。
 値段を聞くと、チョコレート一個で一食分の価格。高価なものだった。
 エドワードの姿に見覚えがあったのか、店主は「ミュンヘンに住んでいるのか」と尋ねられ、エドワードも嘘をつく必要などないから「そうだ」と答えた。
「戦争の前までは庶民が特別な時に購入していってくれたのに、物価が上がりそれと同時にチョコの値段も上げなければならなくなった。値段が書いていないのはそのせいだ。今では外国からのお客しかいなくなってしまった」
 店主は苦々しい顔をすると、そう愚痴を零す。
「少し安くしておくから、買って帰らないか?」
 そう提案された。
 材料にはこだわって、質を落としたくなかったからこんな値段になってしまったと、店主はすまなそうに話したが、並んでいるお菓子を見ていると仕方無いのかも知れないと思えてくる。
――― 今までのお礼に買って帰るか。
 エドワードの脳裏にローザとルークの顔が浮かぶ。
 チョコを食べて笑顔を浮かべる二人の事を想像しただけで、胸が温かくなる気がする。
 エドワードが居候している間、食事を欠かした事はないけれど、食べているものは粗末なものだった。ギリギリの中で自分に良くしてくれた二人に何かお礼がしたい。
――― 嫌。お礼というより、オレがあいつらの笑顔が見たいだけなんだ。
 これからの生活を考えると無駄な出費は控えるべきなのだが、こんな高級なお菓子は食べた事がないのではないかと想像出来ると今出来る範囲で喜ばせたい。
これくらいは大した贅沢にはならないのじゃないかと考えてしまう。
――― 今日だけは特別だ。
 エドワードは二人の笑顔をもう一度心の中で思い浮かべて、店主に女性や子供の好きそうなチョコレートの相談をはじめた。






                            つづく(20071022up) 

 部屋にひとり残されたエドワードは、心の空虚を感じながらも、冷静になって荷物を作ろうとした。
 これから役に立つであろう貴金属を優先的に詰めようと、エドワードはこれまで鞄に詰めていた荷物を出す。そしてホーエンハイムが置いていった貴金属を詰め込んでいった。鞄はそれだけでいっぱいになってしまった。
 机の上やベッドの上には取り出した品物が入りきれずに点在している。
――― 何やってんだ。オレは…
――― そもそもオレは新しい生活の為に出ていくんだ。引越しじゃあない。
 エドワードは考えて、持って出ようと思った荷物のほとんどをアパートに残して行くことにした。義肢のパーツと、着替えが一組。持っていくつもりだった本は持って行く事を止めた。
 荷物を厚手の布の袋に詰める。余計なものは持たない。
 それがエドワードの決断だった。
 ホーエンハイムと暮らしたこの部屋の思い出を持って行く気にならなかったのも、理由の1つだ。
 ローザの部屋での生活で不都合は無かった。日がな一日寝ていただけでこれからの生活が変わる事は判っていた。
 だが、多少行動範囲が広くなったとしても、必要な物は新しく手に入れる事が可能だ。
 つまりは、洗濯している時に着る服があればいい。着替えは一組で充分だと判断した。
――― オレが洗濯すれば済むんだ。
 そうエドワードは思った。出来る事は何でもして、ローザを助けなければ。
――― 一番良いのはローザの夫が大した怪我もなく生きていて、散々になった村人が村に戻って、破壊された村を再建することになればいいんだけどな。
――― そうだったら、オレの持つ知識は役に立つ。
 そこまで考えてエドワードは自分自身の見通しの甘さに気がつく。
 口の端を上げ、疲れた笑いを浮かべた。
 同時にそんな現実にはならない事を考えてしまう程。現実逃避をする程。精神的なダメージを受けているのだと改めて感じた。
 このアパートに来るまでは。澄み渡った空のようなスッキリした気持ちだったのに。
 今は青空も日の光も届かない。
 心は黒い雲に覆われている。いつ晴れるとは判らない雲。その雲が時間が経つにつれて大きく厚くなっていくような気がした。
 エドワードは沈んだ気分に気がつくと、乱暴に首を振る。暗い気分から自分を取り戻そうと、左手で自分の頬を叩いた。
――― こんな所にジッとしてたら、これ以上おかしくなっちまう。早く出よう。
 エドワードはそう決心をすると、鞄を手に持ちアパートを後にした。



 道を歩きながら心の中でホーエンハイムに毒づく。
 ひとしきり心の中で悪口を吐き出す。
――― だいたい全部オヤジが悪いんだ。
――― これまでの生活に終わって、新しい生活になる。これは後退ではなくて前進なんだ。ズルズル考えていても仕方無い。もう道は違えていたんだし。どうしようも無かったじゃないか。あんなだらしない奴と別れてスッキリしたんだ。
――― そうこれで良かったんだ。
――― 今そうじゃなくてもいつかこの日はやってきたんだろう。
――― でも…こんな風になってしまうとは思わなかった。
 ホーエンハイムとの別れを納得しようとすればするほど、納得出来ない気持ちに直面してしまう。
 女々しい自分自身を幾ら笑っても気持ちの切り替えは出来ない。
――― でも仕方無いよな。以前のあの優しい日々は嘘でもなければ、間違いでもない。
 そう過去を思い出し、その思い出に浸る。
 どんなにお互いが変わったとしても、ホーエンハイムとの間には切っても切れない絆で結ばれていると心の底で信じていた。
 だけど実はそうだったのだろうか?
 絆だと信じていたものは実はそうでは無かったとしたら?
 または絆は変わっていないのに変わったと感じているのが自分だけだったとしたら?
――― もしかしたら、オレが変わっていたのかもしれない…
 ふと、思いついた。
 ずっとずっと一緒に人生を歩いていける訳じゃないと判っていたのに。依存していた。
 生活にかかる全ての事を頼り切っていた。エドワードには確かに肉体的なハンディはある。
 だが、ホーエンハイムと一緒に暮らす前までは、そんなハンディを越えて生きていく術を実行していた筈だ。なのに、今は彼がいなければ生きて行く事すらも困難だ。
――― 甘えていたんだ。
 実感する。もしかしたら、だからこんな事になってしまったのかも知れない。 何が真実で何が間違いだったのか判らない。ただただ予想しなかった事態に翻弄されるだけだ。
――― オレがオレであり、この先もオレ自身で在り続ける。
――― それだけは事実で真実だ。
――― だからオレは自分で出来る事をしなければならない。
――― 体が良くなって戻っても、直ぐに何らかの仕事をして金を得る事は出来ない。今持っている金を使えばしばらくは楽な生活が出来るかも知れないが、この不況の中で手持ちの金だけで何とかなるはずがない。幾ら生活にあまりお金のかからない貧民街に住んでいるとは言え、病気などの不測の事態に陥らないとは限らない。
――― よく考えて生活しなくては。
 エドワードは持ち出した貴金属を出来るだけ減らさないように。どうしても必要になた時にだけ使うようにしなければならない…と、この先の生活への覚悟を新たにする。
 ホーエンハイムと生活していくうちに忘れていた、生きて行くための生活するための基本的な思考と行動。
 エドワードはそれを思い出そうとしていた。






                            つづく(20071014up) 

 ホーエンハイムは目を見張り、驚愕の表情をした。隠したり繕ったりする事の出来ない余裕の無い顔。
 この顔をエドワードは一生忘れないと思った。
 一矢くらいは報いた気分でエドワードの中でモヤモヤとしていた不快な気分が、少しスッキリする。
「だから、報告に来たのさ」
 エドワードはそう言い放つと、ホーエンハイムの表情がどのように変化していくのか観察した。
 驚愕の表情はエドワードの声を聞くと、暗い陰りを帯びた寂しそうな微笑に変わる。
「………そうか」
 哀切のこもった声でホーエンハイムは呟く。
 全てを悟ったような、ホッとしたような表情を浮かべてエドワードを見つめる。
 その視線がエドワードには辛くて、ホーエンハイムの視線を避けるようにエドワードは目を逸らした。
 もう心は完全に離れていたんだ。そう思った。少しでも独占欲を抱いていたら、そんな反応にはならないだろうと思うからだ。直ぐに納得して欲しくなかった。そんな訳ないだろうと言って欲しかった。
 彼の方から裏切っていたとしても、自分自身にも気持ちを引きずって未練を感じて欲しかった。
 でもそれはエドワードの単なる甘い希望に過ぎなかったと理解してしまった。
 これまでのホーエンハイムのハッキリしない態度は、エドワードを傷つけまいと思って言い出せなかっただけのような気がしてきた。中途半端な優しさだったのかと思うとガッカリする。
―――そっちがそれなら。オレだって。
 暗くなる気持ちを振り切るようにエドワードは口を開いた。顔を見たら言えなくなりそうなので顔を上げる事は出来ない。俯いたまま。
「オレ、ココを出たら貧乏だろう?直ぐに仕事が出来る訳でもないし。あいつに働かせてばかりじゃ悪いから、金目のものを取りに来たんだ。全部あんたから与えられたものだけど。この部屋にあるものだけだからさ。いいだろう?」
「ここにあるのはお前の物だ。私の許可を得る必要はない」
「そうだけどさ…」
 ホーエンハイムが優しい声で応じる。
 その声を聞いてエドワードは自分がまるで言い訳をしているだけのように感じた。言葉が繋がらず口ごもる。
「そういう事なら、ちょっと待っていなさい」
 ホーエンハイムはそう言うと部屋を出た。少しして手に袋を持っている。
 エドワードの前で袋を開き、中の物を机の上に広げる。国の違う数種類の高額紙幣。繊細な細工で大振りの宝石を配した宝飾品。
「此れも持っていきなさい」
「………」
 目の前の物を見てエドワードは言葉を失った。
 金品が必要だと言ったのはエドワードだったが、いざ目の前にすると手切れ金か慰謝料のように思える。これ以上傷つく事はないと思っていたのに、心の中に細かい傷が増えていくのを感じた。胸が痛い。
 つい恨みがましい目つきでホーエンハイムを見つめてしまった。睨み付けるつもりだったのに、瞳は曇って潤んでくる。泣きそうになっているのは明白で、でも視線を外したのはホーエンハイムの方が先だった。
「私はまた、直ぐに出かけなければならない」
 ホーエンハイムは口早にそう告げる。
 これ以上の関わりを拒否するような言葉。
「別にオレに言わなくてもイイゼ。そんな事。もう一緒に暮らすって訳じゃないんだから」
「鍵だけは持っていきなさい。何か足りないものがあったら取りに来れるように」「そうだな」
 憮然としてエドワードは言い返す。
「用があるんだろう。ささっと行けば」
「ああ。そうだな」
 何か言いたそうな瞳でホーエンハイムがエドワードを見つめた。
「エドワード」
「何?」
「体だけは気をつけて…」
 他にも何かを言いたそうにしているホーエンハイムの言葉を、エドワードは遮った。
「判っている」
 これ以上、会話したくなかった。このままだと、さっきの言葉は嘘だと言いたくなる。
 押えている感情を解き放てば、縋りついてしまいそうだった。もうダメだって判っているのに、駆け寄って強引にでも口づけたくなる。
 別れを決めている相手に縋り付こうとするなんて。あまりにも無様だ。いや、もう無様を通り越して滑稽でしかない。
 エドワードはそんな気持ちを必死で抑えた。
 ホーエンハイムはいつの間にかいつもの表情の読めない顔に戻り、それ以上言葉を紡ぐ事はなく部屋を出て行った。
 閉まったドアをエドワードは見つめた。
 ドア越しのホーエンハイムの気配を集めようとする。
―――もう会う事はないんだな。
 エドワードは胸に開いた大きな穴を感じながら、漠然とそう思った。






                            つづく(20070929up) 

 エドワードは故障した義肢を修理し、予備パーツをまとめた。
 旅行鞄を引き出すと最低限の荷物を作る。
 今までもローザの部屋で生活に必要なものは借りていてそう不自由も無かったから、足りない荷物はそう多くない。
 読みかけだった本を一冊。
 貴重な本は沢山あり持って出たくなるのだが、大抵の内容は頭の中に入っている。これからはホーエンハイムの助けは借りず、自分の力で学んで行く事を覚悟して、持っていく事を断念した。
 ホーエンハイムの人脈から派生したものだが、エドワード自身にも個人的な知り合いは多い。
 学術的な交流も少なからずある。金銭的には苦労するかも知れないが、手紙などのやり取りで学習を進める事は可能だった。
―――出て行ったら、もうここには戻らない。
 痛む胸を自覚しながら、エドワードは決意する。
 何度も何度も自分自身に言い聞かせるように心の中で繰り返した。



 自分の荷物がまとまると、エドワードは思案しながら部屋を見回した。
 少しでもローザの負担にならないように、高価な品や金は持てるだけ持って行こうと考えた。
 量に対して価値の無い大量の紙幣や硬貨を、引き出しからゴソリと出し袋に詰め込むと、棚の箱から、特別にしつらえた精巧な時計や、美しい細工の施されたペン、装飾品を取り出した。
 どれもホーエンハイムが旅先からの土産にとエドワードに渡したものだった。
 必要に駆られ購入し日常的に使っている使い勝手のいい簡素なものがエドワードにはお気に入りで、自分自身には不相応なこの物達を使用した事は無かった。
 でもその気持ちは嬉しくて。
 大切に仕舞い、一人でいる時には何度も取り出して見返したものだった。
――― 以前のオヤジは、外出したら土産を沢山抱えて帰って来たよな。こんなもん使わないからいらないって。金が勿体無いから買ってくんなってオレ言ってたのに…オヤジの奴は、いつもそんなオレの言葉を大人しく聞いてくれなくて…
 思い出が染み出してくる。
 過去を振り返っても仕方無いと判っていても、馴染んだ部屋ではそれは難しい事だ。
 ジクジクと疼く心を抱いたまま、家を出る決心の気持ちを固める。
 心を冷やし氷を張って、何も感じなくして自分自身を守ろうとした。
 エドワードが部屋の中をくまなく探し、高価で直ぐに換金出来る品物を集めていた時、部屋のドアをノックする音がした。
―――オヤジ!
 二人で住まう部屋でノックをする相手と言えば一人しかおらず、帰ってくると予想していなかったエドワードは緊張で体が強張った。
―――今更、何しに来たんだ。オレにあんな態度取った癖に…
 憤る気持ちと一緒に、エドワードの心には、もしかしたら…そう期待する気持ちが沸く。
―――さっきの態度には理由がある?
 期待し過ぎたら大きな失望に繋がると判っていてもエドワードはその期待に賭けたかった。
―――これで本当に。本当に最後だから。
 覚悟を決めて返事をすると、扉が開き、少し疲れた表情をしたホーエンハイムが部屋に入ってきた。
 逡巡がこちらにまで伝わるような、重い足の運び。
 苦悩が歩行にまで表れていた。常ならぬ様子に期待が高まる。
 正面から話が出来るのではないかという期待。
 エドワードはそんな彼の一挙手一投足を見逃さないよう、一言の言葉も聞き逃さないように、ジッと凝視しした。
 ホーエンハイムはエドワードの視線を平然と受け止め、包み込むような心配そうな眼差しで見つめ返す。
 いつもの目の色をしていた。
 懐かしさを覚え、エドワードの心に張った氷が溶けていく。家を出る前、彼を心から信じていた。その日々が帰ってきた気がした。
 見つめて見つめ返される。それだけで満たされていく。あの日々はまた帰って来る?そう予感させる温かい温度を保った瞳。
「エドワード。さっきの事だが…」
 甘い気持ちになりかけたエドワードの前でホーエンハイムは言い難そうに言葉を発した。
 1音1音声を出す度、まとう空気が変わった。
 表面では変化が無いが、薄い膜が張られた気がした。
 何かを決意し、エドワードを立ち入らせない緊張がホーエンハイムを覆う。
―――決定的な何かが変わって、不本意だけどその渦に巻き込まれたのか。
 一瞬でエドワードは理解した。ホーエンハイムも昔の関係を懐かしみ惜しんでいる。
 だけど今はもう新しい何かに絡め取られている。ホーエンハイム自身の心なのか、他の何かなのか判らないけれど。
 そして今はエドワードと決別するために、此処に来たという事も感じ取ってしまった。
 同じ対等な関係にあったと思っていた。共犯者で愛人。そのどれでも無くなってしまった。
 後は親子であるという、分かち難い関係。それすらも、無かった事にしそうだった。
 その変化がたまらなくて、悟ってしまった自分が哀しくて、エドワードは視線を外すと口を開いた。
「一緒にいた男。あいつは何なんだ」
「それは、言えない」
 ホーエンハイムは即座に、エドワードの問いを封じる。
 誠意のない言葉にエドワードの心が冷えていく、溶けたと思った心の氷が再び氷結する。
「オレに言えない関係なんだ」
 エドワードは鋭い瞳でホーエンハイムを見つめて口の端を歪めた。
 ホーエンハイムはエドワードの言葉を聞いて、何かを諦めた表情をした。
 すぐに微かな困惑を張り付かせ、重い口を開く。
「そう、取ってくれて構わない」
 含みのある言い回しに、何を言いたいのか判断つかない。
 つまりは浮気ではなく 本気という事なのか。
 そこまで行っていない関係という事なのか。それとももっと他の何かなのか。
 中途半端な事をするなとエドワード言いたかった。
―――オレが邪魔だって言えば、直ぐにでも目の前から消えてやるのに。
 回りくどいやり方に腹が立った。
「そいつは…あんたの体の事知っているのか」
「それを知って、どうするというのだ?」
 質問をそのまま返し、即座に否定をしなかった。
 それはこの問いの答えはしないと言っているのと同じ事だ。はぐらかされている。
―――もうダメだ。
 落胆と失望がエドワードの心を覆う。話し合いのテーブルに座って居る気がしていたのはやっぱり勘違いだった。
 何も心を明かしてくれない以上、これ以上話す事はエドワードに取って無駄だった。
 ホーエンハイムの心に一石でも投じられたら気分が楽になるのに。自嘲気味に笑うと、ふと思いついた。あるじゃないか。
「今まで何処に居たんだ」
 黙ったままのエドワードにホーエンハイムは思いついたように口を開いた。
 感情を押し殺した声。
 聞きたかったけど、聞けなかった。その思いが声に滲んでいて、傷つけたい凶暴な気持ちに火がつく。
「あんたと一緒さ」
「私と…?」
 ホーエンハイムは首を傾げた。
 想像も出来ない、そう言いたげな仕草。
 これから言おうとする言葉をホーエンハイムが聞いたら驚くだろうと想像すると、歪んだ愉悦を覚える。
 少しでも独占欲を引きずっていたら、その心に傷をつける事も出来る。愉快な気分になった。
「好きな女が出来た。オレ、そいつと暮らすんだ」
 挑戦的な瞳でホーエンハイムを見つめると、エドワードはそう言い放った。





                            つづく(20070913up) 

 凶暴な気分のまま、エドワードはアパートに戻った。
近所の住人がエドワードの姿を認め、声をかけたが、エドワードが不機嫌な瞳を向けると、相手は押し黙り居心地悪そうに視線を外した。
 怒気を隠す余裕は無かった。
 そして、それを誰に見られたとしても構わない気持ちだった。取り繕う気持ちは微塵もない。
 エドワード自身、叫び出しそうな気持ちを押し込めるのが精一杯だった。
―――オレ…何であの場所で怒鳴らなかったのだろう。
 自分の行動が自分でも疑問になる。いつもであれば、そうしていた筈だ。そして気づく。自分自身の気持ち。
―――追いかけてきて欲しかったのか!
 乱暴に歩いていた歩みを止め、大きくため息をついた。
 立ち去ったエドワードをホーエンハイムは追いかけてくれなかった。他人の振りをされ、エドワードに早く立ち去れと言わんばかりの冷たい瞳を向けた事から考えて、追いかけてくるなんて有り得ない事なのに。
 心の片隅の何処かで、それを願っていた。
 自分を一番大切にしてくれるものだと、そう思い込んでいた。一緒にいた男性とホーエンハイム自身がどんな関係かは判らない。だけど、少なくとも今エドワードよりも優先し大切にしたい相手なのだろう。
 確信出来なかったけど身近にいて感じていた、自分を突き放していく行動。それは、エドワードの感じていた通りだったのだ。
―――最悪。
―――あんなヤツの事、少しでも信じていたなんて。
―――でも…信じていても仕方ないよな。前はこんなんじゃなかった。ほんの少し前まで、そんな事無かった。
 いつからその変化が始ったのか。
 今はもう判らない。
 気がついた時には戻れないところまで来ていた。ただそう判るだけだ。
 二人だけの閉じられた世界に存在していた時期もある。優しい瞳に見守られて、大きな胸に包まれて、深い傷を癒した頃。
 思い出は懐かしく美しくエドワードの胸に押し寄せてきた。
 瞼が熱くなる。俯いた目に涙がたまっていくのを感じる。堪えようと我慢したが無理だった。目に溜まった水滴はにわか雨のように足元に染みを作った。
 時は止まる事はなく過ぎ、人は変わり心もうつろう。
 エドワード自身もその事は充分に知っているつもりだった。
 でも、もし何かが変わったのだとしたら、ホーエンハイムはエドワードに正直に話してくれると信じていた。だから、思いも寄らない展開と変化に心がついていけない。
―――オレだけが、あの時のまんまだと思っていた訳か。ほんっと、オレっておめでたかったんだな。ばっかみてぇ。
 溢れていく涙を止める事も出来ず。嗚咽を漏らしそうになって、エドワードは我に返り息を止めた。
 どうしようもなく、みっともない姿。
 このまま路上で立ち止まっている訳にもいかず、エドワードは俯いたまま息を潜め、足を引きずってアパートへの道を歩いた。



 止める事の出来なかった涙もアパートにつく頃には尽き果て、荒れていた心も落ち着いてきた。
 アパートの廊下は誰もおらず、エドワードはホッとしながら、階段を上りホーエンハイムと暮らしていた部屋へと向かった。
 玄関のドアに到着すると、忘れた鍵の代わりに鍵穴に工具を入れた。前の世界で侵入捜査もしていたから、こんな事はお手の物。お茶の子さいさいの筈だが、今日は勝手が違った。
 指が思うように動かず鍵穴の操作が出来ない。何度も何度も失敗した。苛々として焦る。焦れば焦るほど正しい操作とは離れていく。いい加減疲れて、諦めかけた時。余計な力が抜けたのか、驚くほどあっさりと鍵は開いた。
―――こんな所、他の人に見られたら…オレは不信人物だな。
 そう思いながらホッとして、ドアを開けると久しぶりの我が家に入った。



 廊下を抜け、自室に戻る。いつも使っていた椅子に座った。
 椅子は頑丈で、かなりの重みのある金属製の義肢を装着しているエドワードの体を軽々受け止める。
 ローザの所では壊れる事はなくても、いつも座る時にその重さに悲鳴を上げていた。
 たったそんな事でも違う。
―――帰ってきたんだな。オレ。
 ボンヤリと部屋を眺めながら、しみじみ実感する。
 椅子から見える景色は、本棚に並んでいる貴重な本を除けば、何処にでもある在り来たりな物ばかり。その組み合わせなのに、帰って来たと安堵する気持ちが止められない。
―――だけど、もうココには居られない。
 ホーエンハイムはエドワードを疎ましく思っている。それが判った。最悪な結果。
 こうなった以上、ローザの好意に甘え部屋に世話になる事を覚悟した。その言葉を言った時にはまさか本当になるとは思わなかった。
 ほんの少しの可能性だと思っていたのだ。
―――直感の方が正しかったという訳だ。
―――オレにはあんたが必要だったのに、あんたにはもうオレは必要なくなったんだな。
 暗く曇った心。涙はもう枯れ果てていたが、エドワードの心の中の雨は降り続いていた。





                            つづく(20070907up) 

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