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歩調をゆっくりにして、座って休める場所を探しながら歩く。 長く続く芝生や木々を眺める。 遠くに神殿が見え、人工の川や橋も見える。 気持ちの良い天気の中での公園だ。 散歩する人も芝生で休む人も多い。 英国庭園は幅一キロ長さ五キロにも渡る広大な敷地を有しているため、公園内の何処かには休める場所があるだろうが、近場にあるかどうかは判らない。 人目を避けた木陰でエドワードの傷口を確認したかったが、ただ休憩するだけに留めるのであれば直ぐに見つかる。 少し歩いて見当たらなければ、そうしようとホーエンハイムは思った。 何処までも続く緑を見つめながら、休めそうな場所を探して歩くホーエンハイムの横で、エドワードが躓いた。バランスを崩す。 ホーエンハイムは直ぐにそれに気がつき、前のめりになる体を引寄せ胸に受け止める。 エドワードの頭が胸にぶつかった。 その感覚が、いつもと違う気がしてホーエンハイムは首を傾げる。 「あ…ゴメン」 「いやいや…大丈夫か?」 いつもと何かが違うとホーエンハイムは並んで歩いて感じていた。 だが何処が…とはいえなかったが、躓いて受け止めた時いつもとは頭の位置が高くなっている気がした。 …もしかして? 「お前…背が伸びたんじゃないか?」 ホーエンハイムが思った事を何気なく口に出した。 言葉を聞いて、エドワードの瞳が一瞬で輝いた。 「そ…そうかな?」 嬉しそうに呟くとホーエンハイムの瞳を期待に満ち溢れた視線で見つめる。 「あぁ…生身の足だけで立ってご覧。あぁ…やっぱりそうだ。身長が伸びている」 ホーエンハイムの言われた通りにエドワードが立つと、ホーエンハイムは慎重にエドワードの頭の位置を確かめる。 思ったように以前とは拳1つ分くらい身長が高くなっているようだ。 …面差しが変化したのも成長の証なのか。 「成る程」と呟きホーエンハイムは考えるように顎の鬚を擦った。 「もしかして成長したから、義足が合わなくなってきたのかも知れないな」 「そっかぁ…大きくなったから、今の義足では合わなくなったのかぁ」 笑みを含んだ声でエドワードは上機嫌にホーエンハイムの言葉を繰り返した。 その横でホーエンハイムは顔を曇らせる。 伸びた身長の分とは言わないが、足の伸びた長さを短めに考えても歩く事すら大変だっただろう。 単なる不精な理由だけで外出しなかったと決め付けた自分自身の判断を反省した。 「休める場所に来たら少し休憩して、帰ろう。無茶をさせて悪かった」 「んな事ねーって。あんたのせいじゃないさ。何たって、オレは成長しているんだからさ。これは、あんたでも止められないって」 ははははと大きな朗らかな声で笑い、エドワードは上機嫌のまま、弾んだ心を表すような言葉で返答した。ホーエンハイムの鬱屈を吹き飛ばすような爽やかな笑顔だった。 人がまばらに座っている芝生の一角に、他からは死角になるような木陰が見つかった。 慎重に歩を進め、木を背にして寄りかかるようにエドワードを座らせる。 ホーエンハイムはエドワードの左の靴と靴下を脱がせ義足の足先少し持ち上げ丹念に観察する。 曲がった個所や切れている線はないか、外れている部品はないか丁寧に調査する。 足先にも幾つかの故障が見つかりやはり無理をしていた事が判る。 エドワードは上機嫌の笑顔のまま、義足を調査するホーエンハイムの姿を眺めていた。 充分に調査すると、エドワードに向き合い、口を開く。 「此処からだと他の人からは死角になるから、傷口を見せてくれないか」 ニコニコとしたままエドワードが頷くと、ホーエンハイムはズボンを捲くり上げ、義足と接続部を見る。接続部は部分に動くのに支障の無いようにはまっていた部分が窮屈になっており、長さの釣り合わなくなった足で歩いたせいか、普段なら曲がらない場所が曲がっていた。 太腿は硬く筋肉に覆われ以前より太くなっている。 だが無駄な筋肉があるのではなく、伸びやかで俊敏な締まった青年の筋肉になっている。 ほんの少し前に調整した時の少年の柔かい柔軟な筋肉とは違っていた。 少年の時期を経て大人の青年になっていく。 ホーエンハイムはそう実感した。 その変化を見守っていられる事に喜びを感じた。 再会する前は逢えないと思っていただけに、運命の悪戯というものにすら感謝したくなる。 金具と肌の間にそって肌を撫でると指先に滑った感触があった。 「…っ…」 エドワードが顔を顰めて、苦しげな表情をした。 よく見ると周囲が擦れて血が滲んでいた。 傷口を撫でてしまったらしい。 汚れている指で傷口を触った事に気がつき、ホーエンハイムは咄嗟に傷口に顔を寄せると舌で舐め上げた。エドワードは息を詰めた。 塩気の強い鉄の味と独特の匂いが口に広がる。 塩辛いはずの味が口の中に広がると同時に何故か甘く感じられた。 魂の情報の詰まった液体。 エドワードを形作る設計図が入っている。 その一部は自分と重なる。 彼を作るパーツはホーエンハイムも提供したものだ。 愛する人と交わり、生まれた愛しい存在。 何ものにも変え難い大切な存在だ。 陶然とした表情を浮かべて傷口を舐めていると、エドワードが熱い息をつき、体を振るわせた。 「そんな変な顔で変な事すんなよ」 頬を赤らめてエドワードは声を潜めて言う。 「こっちまで変な気分になるだろう…」 首まで赤く染まったエドワードを見て、殆どの人に対しては死角になっているとは言え、公園の誰が来てもおかしくない場所ではやり過ぎだったかとホーエンハイムは察した。 意識しなければいいものの、想像力の豊かなエドワードの事だ、舐められる感触にあらぬ事を思い出したであろう事が想像つき、ホーエンハイムはくすりと笑う。 だがこの場で苛めるのも可哀相な気がして、治療の続きというようにホーエンハイムは平然とした声で呟いた。 「傷口を覆うものが必要だな」 「あ・そっかでもオレ何も持ってきてねぇし。あんたも荷物置いたまま何も持って出なかったもんな。深い傷でもないんだし、此れくらい我慢出来るから大丈夫だよ」 「小さな傷だとしても、傷口に触るだろう」 「帰りにまたあんたの腕を借りるから大丈夫」 ふと思い出してホーエンハイムは上着のポケットを探る。 綺麗な紙で包装された小さな箱を取り出し、包装を解く。 「何してんだ?」 「思い出したんだ…ハンカチがあったから」 中から光沢の美しく艶やかな絹のハンカチーフが出てきた。 隅に装飾文字で刺繍が施されている。 エドワードはそれを見てムッとし、眉間に皺をよせた。 「あんたがもらった物じゃないのか?そんな上等な絹なんて…」 エドワードの言葉の中に責めるような声色を感じてホーエンハイムは顔を上げた。 ホーエンハイムの視線の先でエドワードは不貞腐れた顔をしている。 「あんたの帰りが遅かったのは…だからか」 「何を言い出すかと思えば」 「だって、そう考えるのが普通だろう。ご大層にポケットに大事にしまっておくなんて」 「焼餅を焼いているのか?」 「んな事ねーよ」 不機嫌な表情をそのままにしてエドワードはプイッと明後日の方向を向いた。 「馬鹿だな」 ホーエンハイムは苦笑するとエドワードの目の前に絹のハンカチを広げて見せた。 「これはお前への土産だよ。ほら…見てご覧」 複雑な装飾の刺繍文字では一目見ただけでは読めない。 エドワードは差し出されたハンカチを指で刺繍をなぞりながら、訝しげに読んでいった。 「エ・ド・ワー・ド・エ・ル・リッ・ク」 声にして1つ1つ読んで行くと確かに自分の名前だった。 複雑な装飾文字だから一見では気がつかなかったのだ。 「…オレだ」 「そうだ。重い荷物の中に入れて箱が潰れたらと思ってポケットに入れていたんだが、思わぬ所で役にたった。思っていた事とは別の役立ち方だったがな」 「どう考えてもオレには似合わないだろう?あんたじゃあるまいし」 「そろそろ本物を1つ位持っていても良いかなと思っていたんだ。今回滞在した家は絹織物関係の会社の人だったからな」 ホーエンハイムの言葉に嘘が無い事を感じ取って、エドワードは視線を落とした。 「悪かったよ…」 低い声でバツの悪い顔をして呟くように言う。 馴れた手つきでハンカチを傷口に巻き、義足が傷に出来るだけ当たらないように装着する。 処置をしながらホーエンハイムはエドワードに見えないよう人の悪い笑顔を浮かべた。 「私の聞きたい言葉は、謝罪じゃないよ。エドワード…こんな時に言う言葉は?」 しばしの沈黙の後。 エドワードは、やっと口を開く。 「…ぁりがとぅ」 ぶっきらぼうに小さくエドワードは言った。 複雑そうなエドワードの表情を、処置を終えたホーエンハイムは楽しそうに見つめた。 些細なやり取りにエドワードがホーエンハイムの事を意識している事を感じ取って嬉しいのだ。 自分だけで無く相手にも思われている事は、何と心を満たしてくれるだろう。 「感謝は行動で表してもらわないとな」 「どうすれば良いっていうんだよ」 「そうだな…休憩するひと時、お前の右膝を占領させてもらおうか」 「は?」 「だから…膝枕。傷の無い方の足は大丈夫だろう?お前は此処で本の続きを読めばいい」 ホーエンハイムにしたら、ちょっとした冗談のつもりだった。 人前の接触に難色を示す子供を困らせてやろうと思って言ったのだ。 ホーエンハイムのおねだりを聞いてエドワードは激怒するかと思ったが、そんな気配はなく、ホーエンハイムをまじまじと見つめて、ふっと笑った。 「そうだな。よく見たらあんたも疲れた顔をしている。オレの心配だけじゃなくて、あんたも休養しなきゃな」 今度はホーエンハイムの方が唖然とする場合だった。 てっきり恥ずかしいから嫌だと言うかと思ったのに。 慈愛に満ちた瞳がホーエンハイムを見つめ、受け止めてあげると言っているかのようだった。 穏やかな色を瞳に灯し、包容力のある表情をする。 大人びたエドワードの表情に鼓動が跳ねた。 「ほら来いよ」 まるで弟にでも言っているかのように軽口で気安く声をかけ、右の膝を叩く。 くすぐったい気分になりながら、ホーエンハイムはエドワードの膝に頭を乗せた。 爽やかな風が吹く。 緑の匂いと柔らかさを感じホーエンハイムはいつしか転寝を始めていた。 エドワードはそんな安らかに眠るホーエンハイムを見つめ微笑むと、背後の木に背中を預けて読みかけの本に目を移す。 のどかに降り注ぐ柔らかい日差しを体に受け止めながら、二人の時間は過ぎていった。 おわり
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日光浴
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はぁはぁと荒い息をつきながら、エドワードはホーエンハイムに追いついた。 義足はこの世界義肢のどれよりも精巧には出来ているが、以前つけていた機械鎧のようなスムーズな動きは出来ない。 歩く事は難なく出来るが、走るとなると、機械鎧にはなかった細かい配慮と常に抱える不具合と折り合いをつけなければならない。 機械の反応と合わなくて転んだ事も一度や二度ではない。 体力が充分にある時には生身の部分に無理をさせる事も可能だが、今日のエドワードには連日の睡眠不足と栄養不足が祟って不可能だった。 「今日のあんたは強引だぜ」 腕を掴んで、ホーエンハイムの足を止める。 「スマナイな。碌に家にも居ない癖に自分のしたい事に付き合せて。でもこんな清々しい天気の中、部屋に閉じこもる事は無いだろう?」 ホーエンハイムはニッコリとした笑顔でエドワードに笑いかけ、空を見る。 エドワードもホーエンハイムの視線を手繰って空を仰ぎ見た。 風がそよいで頬を撫でていく。心地良い日差しが注いでエドワードを包んでいく。 故郷リゼンブールの日差しをふと思い出し、なだらかな丘の芝生の上で寝転んだ感覚を思い出す。 大地の温かさと包容力。 緑の中で柔らかい風を感じながら、木陰で読書する。 想像しただけで気持ち良さそうだ。 そう考えて、エドワードはウットリと目を細めた。 …気分転換には丁度いいだろう。 …もう帰るのも面倒だしな 「仕方ねぇな…付き合ってやるか」 エドワードはちょっと大袈裟に肩を竦めた。 「この方向からすると、英国庭園にいくのか?」 「ここから近いし、良いかと思ったんだ」 「あんた英国風って好きだもんな。いいぜ。今日はオヤジ孝行するとするか」 諦めた風な表情を装ってエドワードは返事をした。 二人並んで歩く。ホーエンハイムはいつもの歩調のつもりだったのだが、エドワードはそれに遅れて来る。 よく見ると歩き方がいつもと違っていた。 そして歩く度に以前は聞こえなかった、軋んだような異音がする。 「もしかして、義足の調子悪かったのか?」 「最近、ちょっと…な」 肩を竦めてエドワードは答えた。ホーエンハイムは驚いて立ち止まる。 「それだったら、そう言ってくれれば良かったんだ…これから戻って調整しようか?」 「もう行くって決めたからには行く。戻らなくていいさ。でも後でみてもらわなきゃな。何だか、少しずつ。段々悪くなってんだよなぁ。何だかちょっとキツイって感じ。いつものタイミングで歩いているのにバランスも悪いし。変な所から音がするし…乱暴に扱ったとか、そんな心辺りはないんだけど。ぱっと見、壊れていそうな所も無いし…これって、経年劣化?」 「まぁ…その可能性はあるが…」 ホーエンハイムはつい最近エドワードの義足を調整した時の事を思い出した。 それから何ヶ月も経っていない。 あの時には数ヶ月の間に故障の原因になりそうな偏った負荷のかかる場所は無かった筈なのに…不思議そうに思い返した。 英国庭園に着いた時にはエドワードは左足を引きずるように歩いていた。 歩く度に痛みが走るようで、時々顔を顰めて立ち止まる。 黙って見てる事も出来ず、ホーエンハイムは声を上げる。 「腕を貸そうか?」 「んな…気持ち悪い事出来るか!」 食ってかかるようなエドワードの返答にホーエンハイムは困った顔をした。 明らかに左足を痛めたような歩き方をしていて、その姿だけでも目立っているのだ。 手を貸したからといって、それが人目に変に写るとは思え無かった。手を貸さずに見守っている方が辛い。 嫌だと言っても、その場で抱き上げ帰宅したい思いに駆られる。 「気持ち悪い?別にそんな事ないと思うが…」 想像出来ない思春期の子供のプライドみたいなものだろうか…エドワードの心情を推理しつつ、何とか手伝いを受け入れてはもらえないかと説得する。 「そんなに引きずって歩いているのに?誰が見ても、怪我をしている人に手を貸しているようにしか見えないと思うが…」 「そっかなぁ?…そっか」 ホーエンハイムに言われてエドワードはハッと気がついたような顔をして立ち止まる。 そして苦笑いを浮かべると、ホーエンハイムにすまなそうに笑いかけた。 「やっぱ、腕貸して…ちょっと辛くなってきた」 「お前が望めば、抱っこでも何でもしてやるぞ」 ホーエンハイムがおどけて言うと、エドワードの顔が変わる。 「それは、絶対嫌だ」 怒ったように言い放った。 予定調和な会話のように、エドワードの返答を聞いて大袈裟に肩を竦めて見せると腕を差し出した。 「頑なだな…」 「あんたに似たんだよ」 ニヤリと笑いながらエドワードはホーエンハイムの腕を取った。 つづく web拍手(←元から使っているもの。メッセージ送れます)
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「あー。お帰り」 発せられた声と言葉は記憶するエドワードままで、ホーエンハイムは密かに緊張していた気持ちを解く。 「ただいま」 「帰ってくるの遅かったんだな…忙しかったのか?」 「まぁまぁだったな。お前の方こそ忙しいのじゃないのか?」 周囲を見回すように言うと、エドワードはバツの悪そうな顔をした。 「あ…ゴメン。散らかした」 無造作に頭を掻き、整った髪が無残に掻き回されボサボサになる。 煌く金糸の髪と美しい顔には不釣合いな乱暴な動作だった。 そんな子供っぽい変わらない仕草にホーエンハイムは安堵し、笑みが漏れた。 「それは、構わないんだが。随分悩んでいるようだったから」 「うーん。ちょっとなぁ。迷って悩んでいる。この本に書かれている事の検証なんだけどさ…何だか上手くいかないんだ。考える方向を間違っている気がして…でも、もう一息の気がするんだ…欠けている一欠片が判れば理解できそうなんだ…」 どれどれ…と紙を覗き込んだホーエンハイムの視界を、エドワードは遮るように紙を裏側に返した。 「ああ!オヤジは見るなよ。今はオレ一人で考えたいんだから」 「そうか?」 「そうなんだよ。これはオレ自身で解かなきゃならないんだ」 言い出したら聞かないエドワードの事だ、自分でやると言ったら、そうしなければ納得しないだろう。 敵愾心を剥き出しにしてエドワードは時々ホーエンハイムに向かって来る。 オトコとしてのプライドとか、出来の良い父親を持った息子の苦労とかの理由をつけ、ホーエンハイムに手伝いをさせてはくれない。 出来る事なら何でもしたい。 力になれる事は何でもしてあげたい、と思っているホーエンハイムの気持ちを親馬鹿だ過保護だと笑い飛ばすのだった。 でもその事はホーエンハイムの実力を認め、自分よりも能力の高い事に対して評価している事でもあり、ホーエンハイムはそんなエドワードの態度をくすぐったく感じるのだった。 …正攻法では手伝いが出来なくても、何か出来る事はないだろうか? そう考えながらエドワードの顔を見つめる。 今度は儚げな白い顔は実は青褪めた肌色で、憂いを帯びた瞳は実は眠れていない眼精疲労の結果のように思えてきた。途端に心配が深くなる。 ホーエンハイムは少し考え、提案をした。 「あぁ、そうだ、エドワード。これから散歩に行かないか?」 「…へ?」 突然の提案に予想もしていなかったと見え、エドワードは唖然とした顔をする。 「いや、いい。今、忙しいから」 一瞬考える素振りをしたが、直ぐに提案を却下する。 「まぁ、そう言うんじゃない。この分だと最近ずっと自分の部屋か書庫に閉じこもりきりだったんじゃないか?暗い中にずっと居たんじゃ良い案も浮かばないだろう?今日は晴れているし、日の光を浴びるのも気分転換になるし、思考も廻る筈だが…」 「一昨日、あんたが居ない時に出たからいいんだよ」 「晩御飯を食べに、いつものビアホールに行っただけだろう?他の日は缶詰とパンだけの食事だったんじゃないのか?」 「……別にいいじゃないか」 図星を差されてエドワードはムッとした声を出した。 ホーエンハイムは大きな溜息をエドワードに聞こえるようにつくと、エドワードの目の前にある本を掴み、エドワードを抱え上げ肩に乗せた。 思った通り、少し前よりも軽くなっている。 ホーエンハイムはそれを確認し、眉間に皺を寄せる。 厳しい顔のまま自室を抜け、アパートを出る。 驚いたエドワードはジタバタと暴れたが、体格差のあるホーエンハイムは物ともしなかった。 「急に何するんだ…下ろせよ!」 「歩くのが嫌なら、私が運んでやるから日光浴だけでもしよう」 「運ぶって…この状態で?嫌に決まっているだろう?下ろせよ。下ろせって!」 早足でアパートを出て表に出ると、通りを通る人の視線がエドワードに集まった。 流石に暴れる少年を肩に担いで運ぶなどとは真昼間に誘拐を行っているようで、外聞が悪い。 ホーエンハイムはエドワードを肩に抱えて移動する事を諦めた。 肩から下ろすと、エドワードが読みかけた本を持ったまま背を向けた。 「そうか…じゃあ、私は一人で行くとするか」 早足で去っていく。 エドワードは下ろされたのはいいものの、ここ数日頭を悩ましていた本を持って行かれて慌てた。 …何のためにオレが本の前で唸っていたと思っているんだ。 …判ってて、やってんだよな。オヤジの奴。 …ったく言い出したら聞かないんだから。 エドワードは考えて舌打ちすると、遠くなって行くホーエンハイムの背中を追いかけた。 「あ…待てってば。持って行くなよ!オレが読んでいた本!」 つづく web拍手(←元から使っているもの。メッセージ送れます)
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麗らかな朝の日差しを受け、ホーエンハイムは家路を急いだ。 ほんの数日の予定で外泊したはずだったのに、先方に引き止められ請われるまま滞在期間が長くなった。長き不在の後、自宅であるミュンへンにあるアパートへの帰宅だった。 …思ったよりも長い滞在になってしまったな。 …エドワードはちゃんと食事をしているのだろうか? …不摂生な生活をしているんじゃないだろうな。 …まぁ…それは、いつもの事だが… 頬から顎に貫禄のある鬚をたくわえ、眼鏡の奥から知的な瞳を覗かせるホーエンハイムの風貌は、貴族のようにも政府要人のようにも見える。 苦笑いを浮かべ、まるで国の行く末を案じているような表情をしつつ、そんな埒も無い事を考えていた。 長逗留になってしまった先方でも暇さえあればふと考えるのはエドワードの事で、無茶するのはいつもの事だと理解していても気になって仕方ないのだ。 心ここに在らずの様子に何度「何か心配事でもあるんですか?」と訝しげに尋ねられたり、「恋人の事でも考えているんですか?」と揶揄されたりもした。 今までも一人で居ても充分に生活してきて、病気になっているという訳でも無いのに、気になって仕方がない。 不摂生な生活を送っているのではないかという心配は、実はホーエンハイムと一緒に暮らしている時でも同じで、そうそう治るものでもない。 だからと言って、決定的な無茶…倒れるという所までの状態に陥る事は殆ど無かったのだから、エドワード自身は自分なりに限界を知りつつ無茶をしているとも言えなくはない。 だが、その様は端から見ているとハラハラするのだ。 容易に想像のつく事柄を頭の中で並べ立てて心配する。 ホーエンハイムには仕事もあり、エドワードにも学ぶべき事がある。 二人とも忙しく日々を送っていたから、二人の時間を重なり合わせる事は難しい。 でも二人で過ごす時間が短いからこそ、思いを馳せている時間が長くなっているのかも知れない。 一緒に生活する人が居るから、他愛も無い事柄で、その人の事を心配する。 エドワード自身もその事は理解していて、感謝される事もあれば反発される事もある。 喧嘩ですら日常茶飯事だが、彼なりの受け止め方で真っ直ぐにホーエンハイムを受け止めていた。 ホーエンハイムもエドワード自身を理解し、心が通ったと感じる事も最近では少なくない。 独りで生きてきた時間の長いホーエンハイムにはそんな普通の穏やかな生活が心地良かった。 足取りも軽く足早にアパートの階段を上り、部屋の前に辿り付く。 両手に荷物と大きな袋を抱え、ホーエンハイムは玄関のドアを開けた。 大きな袋にはお土産のいっぱい詰まっている。 外出先で目についた美しい物や珍しい物をエドワードの土産にしたらどんな表情で受け取るだろう…喜ぶだろうか?要らないと突っ返すだろうか?それとも、自分が欲しかっただけじゃねぇの?と言ってからかうのか…想像するだけでも楽しくて、ついつい色々と買い込んでしまった。 反応を見たくて弾む気分のままアパートの部屋に入る。 久しぶりの帰宅にエドワードは素直に出迎えてくれるだろうか?帰宅を予定していた日を遥かに超えてしまっていたのだ。 待っていたと、怒って拗ねていても仕方無い。 さもなくば、自分の研究に夢中でホーエンハイムの不在も昨日家を出たかのような自然な態度で迎え入れる可能性もある。 幾つかの可能性を考えてホーエンハイムはドアを開く。 だが想像していたのとは違い、開いたドアの向こうは無人で、廊下はシンと静まり返っていた。 期待が裏切られた瞬間だった。 普段エドワードは何もしていない時であれば、来客の気配には敏感で直ぐに玄関口まで出て来るのだが、今日はそうでは無かったのだった。 ホーエンハイムは落胆した。 早くエドワードの顔を見たかった。 そう寂しい気持ちを感じると同時に、家を離れると事情によっては予定を何日も延長して不在にする事も稀ではない癖に、帰宅するとこの一瞬でも早く顔を見たくなるとは、何とも身勝手な感情だと自分自身を自嘲気味に笑う。 此れだから私はダメなんだなとホーエンハイムは思った。 物音はしなかったがエドワードの気配を感じていた。 不在だとは思えず、部屋の中の何処かで直ぐに会えるのに、逸る心が次の行動を促す。 部屋で読書でもしているのか、論文と顔を付き合せているのか。 そんな風に考えて声を上げてみる。 「ただいま」 多分自室に居るであろうエドワードに聞こえるように大きく声を出し反応を見るが、応えは無かった。 訝しげに眉を潜め気配を探る。 やはり確かに気配は感じる。 「居ないのか?」 独り言のような小さな呟きを漏らし、エドワードの部屋をノックし開ける。 だが、またも予想は裏切られる。 エドワードの部屋はもぬけの殻だった。 ベッドもキチンと整えられていて、起き抜けではない事を表している。 …何処かに外出して泊まったのか? …でも、この気配は? 自分の強い望みによる勘違いや思い過ごしとも思えなくて、ホーエンハイムは不思議に思いながらダイニングに立ち寄り、テーブルに土産を乗せ、キッチンを覗く。 その何処にもエドワードの姿は無かった。 …私の感覚が鈍ったのか? 溜息を尽き、肩を落す。帰宅したら直ぐにその顔を見れると楽しみにしていたのに望みが叶わず失望した。落胆と呼べる軽いものではなく、失望という強い感情を抱く。 エドワードというその存在に強く囚われている事を痛感した。 窓から外を見ると、柔らかい日差しが差し込んでくる。 …こんなにいい天気だったら、外にでも散歩に行こうか。どうせならエドワードと一緒に行きたかったのだが。 …まぁ、それはエドワードが帰ってきてからで良いか。今日でなくても…明日でも明後日にでも行けるのだから。 明るい光に彩られた景色を見つめながら、落胆する気持ちを振り切るようにホーエンハイムは思った。 ホーエンハイムは荷物を片付けようと、自分の部屋に戻った。 何気なく開いた扉の向こう側にエドワードの姿があった。 明るい日差しが窓のカーテンの隙間から漏れている。 カーテンを引けば明るい日差しが入ってくるだろうが、本や紙の資料や薬品機械部品のあるこの部屋では紙や薬品などの変色や変質を避ける為に、カーテンはほんの少し開けるのがいつもの事だ。 机の周りにだけ細い光の筋が幾つも降り注いでいた。 その部屋の中、机の前に彼の姿があった。 大きな机の上の中央に厚い本と紙を置き一心不乱に数式や図形、文章を書いている。 紙の周囲には本の小山が幾つも出来ており、ラテン語とギリシャ語の辞典が直ぐに手に取れるように横に重ねられている。 机の端に忘れ去られたようにニュートンの名著であり運動の法則を数学的に論じた「プリンキピア」や、古代ギリシャで編纂された数学の基本書「原論」の原書が置かれている所を見ると、どうやら科学に関する考察をこの世界の基礎的な論理につき合わせていた事が判る。 壁にしつらえた天井まで届きそうな本棚は沢山の本が抜かれており、老人の欠けた歯のようにガタガタだった。そして床には本棚から抜いて戻していない本が積みあがっている。 一部の整然と並べられている棚を眺めると、隣り合わせにある本の分類は滅茶苦茶で、エドワードが抜いた本を何も考えずに戻した事が明白だった。 …後で本棚の整理をしなければならないな。 溜息をつきつつホーエンハイムは、人の気配にも気がつかず夢中で思索に耽るエドワードの顔を見つめた。 美しく憂いを帯びたその容貌に、ホーエンハイムは目を奪われる。 …こんなに美しい顔をしていただろうか? ホーエンハイムはエドワードを見つめながら記憶の中を探った。 確かに美しい顔をしていた事は確かだ。 だが記憶の中では、もっと少年のあどけなさを残していたような気がしたのだ。 白磁のような細く白い顔を、憂いの帯びた蜂蜜色の双眸が彩っている。口元の薄紅い唇は清楚に結ばれ小さい華が咲いているようだ。 長くなった金の髪は絹糸のような光りを湛え、 窓の隙間から差し込む日光に照らされ誇らしく輝いているようだった。 屋敷の奥深くで世俗から隔絶され大切に育てられた上流階級の人のような浮世離れした空気を身に纏っている。 まるで、深窓の佳人とも呼べるような容姿だ。 誰よりも近くに存在していると思っていたはずなのに、エドワードの姿が神聖な者の様に感じ、近くにいるホーエンハイムは緊張した。 不躾な視線だと感じながら、まじまじとエドワードを見つめる、外出前と今との比較を冷静にしようと試みた。 …少し痩せたか?いや、違う。 記憶する顔よりも細くなっている気がした。 夢中になったら時間も忘れて読書するエドワードを知っていたから、ホーエンハイムの居ない間、碌な食事も取っていない事も充分に感じられたが、やつれているという訳ではないような気がするのだ。シックリくる言葉が見つからず、しばし悩やむ。 眉を潜め考え込んだホーエンハイムの前でエドワードが物憂げな瞳を上げた。 ホーエンハイムの姿を見つけだし、少し驚いたような顔をすると、すぐさま嬉しそうにニッコリと笑った。まるで華が開くように。 つづく web拍手(←元から使っているもの。メッセージ送れます)
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