お遍路「秋の土佐路をゆく」

テレビ番組「街道てくてく旅 四国八十八カ所を行く」のブログ版

黄龍・九寨溝の旅

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 ここは都江堰の見学を終えて一息ついた茶屋です。若い男性が、鶴の首のような急須を背中から回して茶碗に茶を注ぎます。「工夫茶」といわれるものです。どこか曲芸めいていますが、その場を一瞬にして和やかにしてくれます。
 さて、お茶をいただきながら、無事終えた「黄龍・九寨溝の旅」を思い返したいと思います。
 このシリーズを始めた動機は「都江堰」の感動を忘れないためです。2000年以上にわたって守り通してきた「民」の「英知」を目の当たりにできた。その幸せを感謝しておきたいと思いました。
 論語の中で一番好きな「くだり」があります。
「子在川上曰 逝者如斯く夫 不舎昼夜」(子、川のほとりに在りて曰く、逝く者は斯くの如し 昼夜をおかず)
 さまざまな解釈があるようですが、私は次のような解釈に共感を覚えます。
 「昼も夜も休まず流れる川の水 人間の不断の努力や前進のようではないか」。
 この一節を読むたびに、大河を目の前にした孔子の姿に思いをはせたものですが、自ら、都江堰の「魚の嘴」に立ったときに、孔子を身近に感じたような気がしました。(恐れ多いかな)
 最後に、「都江堰」の説明内容は、成都のガイドさんからいただいたプリントを引用したことを明記しておきます。ご愛読を心よりお礼申し上げます。

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「お遍路2005夏」をHPでごらんいただけます。下記をクリックしてください。
 URL http://www.geocities.jp/yukiwarisou182000/index.html


黄龍・九寨溝の旅

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今から2000年以上前は、先進的な技術と道具がない時代。岷江の水を成都平野に導き入れるため、どのようにして山を切り開いたか。李氷の用いた方法は次のようだった。
民衆を率いて岩石を火で熱し、冷たい水で冷やし、表面にすきまを造ってから、簡単な道具で少しずつ掘り続け、辛苦をなめ尽くして、やっと一つの山を切り開き、細長い水の流れの入り口を造ることができた。ここは、瓶の首の形をしているから、「宝瓶口」と呼ばれている。前回紹介した「離堆」の左にあたる。
 ここで、川幅は70メートルから28メートルまで縮小し、洪水の時でも、狭くて、余分の水が入れないので自然に堰の役割を果たして洪水を防ぎ、同時に、岷江の水はこの狭い入り口を通って、四川の西部の平野を灌漑しています。 
「飛砂堰」、「離堆」、 「宝瓶口」 、この3つが「都江堰」を「都江堰」たらしめていることを心にとどめおきたい。
なお、古代の中国では大規模な水利工事は三つあったそうだ。そのうちの二つはもう機能しておらず、都江堰だけが今でも昔のままに残っていて、しかも大きな役割を果たしています。 
幾多の戦乱をくぐりぬけて今なお「現役」であり続ける「都江堰」に惜しみない拍手をおくりたい。


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「飛砂堰」とともに都江堰の役割をになっているのが「離堆」である。前回の画像では正面に位置して、水の流れを内江と外江に分割する役割を果たしている。
もともとは、向こうの山と繋がっていた。李氷は民衆を率いて、山を切り開いて、ここが向こうの山と離れて、小さな丘になりました。ここの長さは80メートル、高さは40メートルしかない。
流れて来た水は丘の先端にぶつかり、うずを巻き、一度戻っていき、余った水は外へ流れていく。灌漑用の水をうまく誘導するためにも、ここを丈夫に作らないといけません。昔は竹の籠に石を入れ、それを水に沈めることで保護していたようです。歴代の役人も毎年修繕していましたから、現代までもよく保たれているわけです。画像はつり橋を渡る前に見た竹籠に包まれた石である。これで、襲ってきた水をさばいているとは「見事」というほかない。2200年前の英知驚くばかりである。
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「飛砂堰」とともに都江堰の役割をになっているのが「離堆」である。前回の画像では正面に位置して、水の流れを内江と外江に分割する役割を果たしている。
もともとは、向こうの山と繋がっていた。李氷は民衆を率いて、山を切り開いて、ここが向こうの山と離れて、小さな丘になりました。ここの長さは80メートル、高さは40メートルしかない。
流れて来た水は丘の先端にぶつかり、うずを巻き、一度戻っていき、余った水は外へ流れていく。灌漑用の水をうまく誘導するためにも、ここを丈夫に作らないといけません。昔は竹の籠に石を入れ、それを水に沈めることで保護していたようです。歴代の役人も毎年修繕していましたから、現代までもよく保たれているわけです。画像はつり橋を渡る前に見た竹籠に包まれた石である。これで襲ってきた水をさばいているとは実に信じがたかった。
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都江堰の「胴体」は細長い。「魚の嘴」から「飛砂堰」という二番目の分水ポイントまではカートで移動した。約20人乗れる。料金は20元(300円)。少し高いな、という感じ。
画像の右手へ斜めに切り込むように浅瀬が見える。増水した水を外江に誘うもので「飛砂堰」という。次回説明する「離堆」と「宝瓶口」との三位一体で水の流れをコントロールしている。
「飛砂堰」は、「深淘灘、低作堰」という治水の原則に従って作られたものだという。
「深淘灘」とは、毎年の冬、河床(かしょう)を修繕する時、深く下へ掘るということです。「低作堰」とは堰を低く造り、最高の部分を河床より2.15メートルの高さを保つということです。
  堰の向こうの河床「鳳凰の巣」という所に、土砂掘りの標識としての四本の鉄筋(てつすじ)が埋まっていて、毎年の冬、水が少ない時、民衆は掃除して、余分の石と砂などのものを取り除き、飛砂堰の最高の部分を河床より2.15メートルの高さを保つようにしています。
 なぜかと言うと、堰が高すぎると内江の余った水がここから流れ出せず、洪水の原因になってしまいます。また、もし低すぎれば、冬、内江に入る水がここから漏れてしまい、成都平野は水が足りなくなってしまいます。夏、水流によって内江に積もった土砂が水面に浮き上がり、飛砂堰を流れて外江へ出て行き、残りの土砂はたった5%程度まで減るそうです。洪水の時には余分な水がここを通って外江に流れ込み、土砂なども排出することができる仕組みになっています。

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