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9月16日付東京新聞に表題のタイトルで詩人で彫刻家の高村光太郎の晩年の写真が2枚掲載された。高村光太郎は戦後の一時期岩手県花巻市の山荘で農耕自炊をしながら詩作に励んだ。
この写真を提供したのは静岡県三島市に住む阿部力さん(61)である。三年前に97歳で亡くなった父で写真家の阿部徹雄の遺品の中から高村光太郎の13枚の写真とハガキ4枚が見つかったという。岩手県花巻市に高村山荘を管理する高村記念会というのがあって阿部さんから連絡を受けた同会はさっそく複写して展示したという。高橋邦弘事務局長は高村光太郎の「生活そのものが感じられる貴重な資料」と喜んでいるという。
これだけの話しなら単なる新聞のコピーで大して意味はない。実は写真提供者の阿部力さん、間違いなく僕の高校時代の同級生なのだ。都内の高校で1年の時は同じクラス、2年、3年の時は別のクラスだったように記憶している。当時から彼の父で写真家の阿部徹雄の名前は知っており、何かの雑誌で写真を見たように記憶している。その阿部徹雄が3年前までご健在だったということを知り驚き、そして阿部力さんが今静岡県三島市に住んでいるということを知ってもっと驚いた。おそらく阿部力さんの消息を知ったのは高校卒業後43年振りである。
「話題の発掘」という特集記事であり、ややもすれば見落とす可能性があった。縁とは不思議なものである。
※高村光太郎(1883〜1956)彫刻家・詩人 代表作・詩集「智恵子抄」(昭和16年)
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2009年高校のクラス会が開かれた。卒業して42年振りである。当時のクラス担任もご健在で出席された。僕は2008年9月に突然の心疾患で入院・手術をしたため第一回のクラス会は体調不良を理由に欠席した。今年2010年第二回のクラス会が開かれ僕は出席した。参加者は第一回、第二回と連続して出席したもの、第一回は出席したが、第二回は欠席したもの、僕のように第一回は欠席したが、第二回は出席したものとさまざまだった。中には深刻な病いを抱えている級友もいた。
僕らの頃は都立高校全盛期で大学進学といえば一部の私立高を除いて進学率は都立高校が圧倒的だった。僕の高校は当時団塊世代の大量入学に合わせて作られた新設校であり、その実績は未知数だった。僕が入学した当時、一年先輩の2年生がいるだけで、3年生はいなかった。だから僕は卒業二回生ということになる。
卒業生のその後は有名大学から有名企業、教師、医師などそれぞれの立場で活躍している。大手私鉄会社の系列会社で社長をしているものもいるという。また他のクラスでは公立小学校の校長、弁護士、公認会計士、薬剤師、看護士などそれぞれの分野で活躍している。新設校で実績は未知数とはいえ当時の都立高校はかなりレベルか゜高かったといえる。
しかし、すべての人が順調な人生を歩んでいるわけではない。学年トップクラスの成績を修め東大か早稲田かと期待されながら病気を理由に大学進学を断念し2009年孤独のうちに突然死した友人もいる。
2011年も第3回のクラス会が開かれる予定だ。
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どなたが書かれたのか思い当たりませんが、
小生は貴兄が言及された阿部です。
ご連絡いただければと思います。
住所は三島市芙蓉台1−16−18です。
早稲田のご出身とのこと、20年位前に気づいたのですが、
早稲田出身の有名人村上春樹のつれあいの高橋陽子女史はわたしの
小学校の同級生でした。
2011/9/17(土) 午前 9:17 [ 阿部 力 ]
阿部力様
コメントありがとうございました
16日〜20日まで不在で帰宅後
貴兄のコメントを拝見しました。
都合によりネット上では実名を明かせない
非礼をお許し下さい
別途ご連絡致します。
2011/9/21(水) 午後 0:09 [ 天 后空 ]