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[ 天 后空 ]
2019/1/2(水) 午後 3:33
[ 天 后空 ]
2019/1/1(火) 午後 4:56
> 山のmochiさん
明けましておめでとうございます。本年もごせ指導・ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます。
さてコメントについてですが、なかなかな鋭い洞察で考えさせられました。第一点は「宗教が戦争や殺人を行わせているのか、宗教の名を借りることでそういうことを行っているのか、それを弁別することはむつかしい」ということ、第二点は「多くの場合は経済的利害や政治的対立を背景にして、人をむこうとこちらに色分けするのに重宝されてきたのが宗教のように思えます。」ということ。つまり宗教は政治的・経済的対立の意匠として利用されてきたということですね。
ボクは国家の起源と宗教とが分かちがたく結びついていると考えています。今象徴天皇制ですが、天皇は祭祀であると言ったのは吉本孝明でした。民主化国家アメリカの大統領でさえ聖書に手を置いて宣誓をします。つまり国家の起源は宗教なんですね。ですから、ボクは戦争と宗教とは表裏一体の関係にあると思っています。
[ 山のmochi ]
2018/12/30(日) 午後 10:17
ずいぶんと挑発的なタイトルの本が出たなと、新聞広告を見て思いました。
宗教が戦争や殺人を行わせているのか、宗教の名を借りることでそういうことを行っているのか、それを弁別することはむつかしいですね。
多くの場合は経済的利害や政治的対立を背景にして、人をむこうとこちらに色分けするのに重宝されてきたのが宗教のように思えます。ぼくは宗教は本質では無く外皮(化粧・虚飾)なのだと見る方が分りやすいと思っています。だから、たいていは宗教が殺人をおこなっているのではないという見方です。
帯文を読むとどうやら「宗教の本質」において、己の生命を賭してしまう罠として神(?)が準備されている、というような視点が使われている著作のように思えますが、読んでみないと分りません・・・だから買って読んでください、というわけですね。
現代が体験した最も分りやすい実例はオウムだったと思います。
安っぽい宗教ですが、それでもあなどることはできず、あの教団は弾圧に耐えて残っていくことだろうとボクは見ています。
[ access実験農場 ]
2018/12/30(日) 午前 8:20
[ 天 后空 ]
2018/12/29(土) 午後 8:47
[ 天 后空 ]
2018/12/29(土) 午後 8:40
[ access実験農場 ]
2018/12/28(金) 午後 8:45
この問題、本当に深いですね。宗教が、がけっぷちにいる人の背中を押す役割をしていると思います。
おそらく、そこにあるのは、「魂」の存在の肯定なのだろうと思います。死んでも肉体と魂が分離するだけで、魂は行き続けるのだ、という教えが、戦場に行くのをを恐れる人たちの背中を押しているのだろう、と思います。
そして魂の存在の肯定、という共通項の上に、「善行をすれば天国に行ける」とか「いいことをすればより身分の高い人に生まれ変われる」とかいろいろ尾ひれ、背ひれがついて、勧善懲悪の道具となり、法の支配以上の威力を発揮しているのだろうと思います。
そういう意味で、宗教ではなく、哲学の立場を取った釈迦に共感を覚えます。仏教を宗教にしてしまったのは、後世の、権力者と癒着した僧侶たちだと思います。
あおり運転
天后空コレクション
[ 山のmochi ]
2018/12/24(月) 午後 11:11
この事件を取り上げておられたのですね。ご無沙汰しておりまして。
今となっては大昔、ボクは「法学」という講座の最初を覚えています。高校の「社会」(後に「倫理」と「政治経済」に分解!)でも同じことを教師が言っていましたので、そうか、これは基本中の基本なのだな、と覚えました。法と法律の違いのことです。
法律は法理の「一部」である、ということです。
貴殿はインテリなので、そのことに絡んでおっしゃっていますね。
法律の金科玉条解釈は珍奇ですから。
他方、柔軟な応用は拡大解釈でもあり、主権者が油断していると憲法九条や治安維持法の例もあります。
今回の件、発車から目的地到着までは「運転中」でしょう。高速道路の追い越し車線上は目的地ではありえません。





