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イェール大学(アメリカ)で「23年連続の人気講義」で日本初上陸との鳴り物
入りだ。本書は第1講(「死」について考える)から第9講(自殺)までで構成されている。
どのような生き方をするべきか?
“誰もがやがて死ぬ”ことがわかっている以上、
この問いについては慎重に考えなければなりません。
どんな目的を設定するか、
どのようにその目的の達成を目指すか、
念には念を入れて決めることです。
もし、死が本当に“一巻の終わり”ならば、
私たちは目を大きく見開いて、その事実に直面すべ
きでしょう。
―自分が何者で、めいめいが与えられた“わずか
な時間”を
どう使っているかを意識しながら。
シェリー・ケーガン(サンプル版)
シェリー・ケーガン著
柴田裕之訳
「死」とは何か
文春社
初版2018・10・5
定価1、998円(Kindle版)
以下天后空の独断と推理。
“「死」とは何か”は別として、もし人間が永遠に生き続けるものであったとしたらどうだろうか。まず男女の性別がなくなり出産という営みもなくなるだろう。人は生まれながらに遺伝子に死が組み込まれているそうだ。しかし、将来遺伝子操作で不老不死が実現するかも知れない。こう考えると実は少子高齢化社会は自然の摂理であって多子高齢化社会は存在しないのかも知れない。人は長生きすればするほど生む必要がなくなる。それは不老不死に近づくことだから。
人は死があるから生があるのである。もし人間に死がなければ(永遠に生き続けるなら)生もない。生殖の必要がないからである。あなたも私も死があるから存在しているのである。そう考えると死は忌み嫌うべきものでも恐れるべきでもなくむしろ感謝すべきもののように思われる。死を自然に受け入れられるような気がする。他者の死は自分の生の証なのである。そう考えると死を肯定的に受け入れられるような気がする。死を肯定的に受け入れることは自分の生を肯定的に受け入れることである。
人は死ぬから生まれるのである。人間はもともと生死の狭間に置かれた矛盾した存在である。死なない人間は化石=物にしか過ぎない。人間は死ぬから生きている逆説的な存在である。
「自殺」について考えてみた。自殺は通常生を放棄して死を選ぶと考えられているがそれは違うと思う。生死ともに受け入れられない人が自殺するのである。自殺は生=死に対する反逆である。自然死に対して人為死として分けて考えるべきだ。
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2018年11月17日
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