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日本語教室は9月6日以来の参加となった。一時的な災害援助などと異なり継続的なボランティア活動はどうしてもモチベーションが下がりやすい。ボランティアの出入りが激しいのもそのためだろう。改正入管法が成立し、これからますます来日外国人が増え、日本語学習の必要性が増すのに、相変わらずボランティア頼りでよいのか疑問だ。
担当はベトナム人のギアさん。ベトナムのIT企業から派遣されての語学留学だった。サイゴン大学で電気通信を専攻し、IT企業に就職。コンピューター・ソフトの開発が主な仕事のようだ。出身はホーチミン近郊だが、ギアさんは勤務先の関係でホーチミン住まい。
ギアさんに聞いてみた。「サイゴン大学ではなく、ホーチミン大学じゃないの?」
「ちがいます。サイゴン大学です。」サイゴンは旧南ベトナム時代の首都。ベトナム解放後はホーチミン市に変わった。しかし、今もサイゴンという名前が頻繁に使われるそうだ。推測だが、特に旧南ベトナム出身者の間でよく使われるのだろう。
ベトナムは圧倒的に仏教徒が多いはずだが、ギアさんはキリスト教徒だそうだ。カトリックかプロテスタントかは聞き忘れた。旧南ベトナム時代はカトリックのゴ・ディン・ジェムという大統領がいて、激しく仏教徒を弾圧した歴史がある。これに抗議して僧侶の焼身自殺が相次いだ。ベトナム暗黒史の一つである。
最近はベトナム人学習者が目立つようになった。 ギアさんは仕事の関係で日本語を学習しているが、将来はカナダやヨーロッパ志向だそうだ。戦後生まれのギアさんにベトナム戦争の記憶はないそうだ。
実は今ベトナムは投資のチャンスではないかと思っている。仮にベトナムにマンションを買って住むとして蛇の脅威はないかギアさんに聞いてみた。するとベトナム全土至るところに蛇がいるそうだ。特に山間部には。熱帯や亜熱帯に住むには蛇、毒虫、感染症などおよそ日本では考えられないリスクが伴うことも考えなければならない。また不発弾や地雷、枯葉剤などベトナム戦争の後遺症もあるだろう。しかし、ベトナムは南北に長い海岸線を持つので海岸線沿いに経済開発が進むのではないかと思っている。それには道路網や鉄道網のインフラ整備がカギとなろう。
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内閣総理大臣も防衛相にもその存在を知らされていない超法規的組織「別班」。その任務は国内外での諜報・防諜活動。班員は数十名、全員陸自小平学校「心理戦防護課程」の修了者。同課程はスパイ養成機関、旧陸軍中野学校の後継とされる。海外展開は冷戦時代に始まり、最近は主にロシア、韓国、ポーランド等で活動。このような秘密組織は文民統制(シビリアン・コントロール)の埒外にあり、戦前の謀略事件からその暴走が懸念される。自衛隊の本質は軍事組織であり、「災害派遣に象徴される“陽”の面と、別班に象徴される“陰”の面があることを、私たちは忘れてはいけない」(サンプル版)
著者は現共同通信社・編集局編集委員。
石井 暁著
自衛隊の闇組織
講談社現代新書
初版2018年10月17日
定価810円(Kindle版)
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上映中の『華氏119』のマイケル・ムーア監督は朝日新聞のインタビューに答えて以下のように言っている。
気になった箇所を引用してみる。
「(2016年の大統領選では)米国の沿岸部の人たちは、トランプ氏をまともに相手にしようとしませんでした。しかし、ニューヨークとロサンゼルスの間の地域には何百万人、何千万人というトランプファンがいるということが見落とされていました」
「映画でも触れましたが、米国民の多数派は左寄りの政治に賛同しています。多数派は、女性と男性に同額の給料が支払われるべきだと考え、気候変動が事実だと信じています。最低賃金をもっと高くすべきだとも考えています。戦争に反対だし、銃も保有していません。いくらでも例は挙げることができます」
「米国民の過半数はリベラルなのに、なぜ権力を握っていないのでしょうか。(大統領の勝敗を決める獲得選挙人数ではなく)有権者の得票数を見ると、過去7回の大統領選のうち、6回は民主党候補が共和党候補を上回っています。それだけ共和党は嫌われています。」 (「朝日新聞」11月8日)
アメリカ国民の過半数はリベラルであり、銃社会アメリカでも善良な市民は銃など所持しないというわけだ。
翻ってわが邦の安倍一強はどうか。死に票の多い小選挙区制によって同じく民意が歪められているのではないのか。
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イェール大学(アメリカ)で「23年連続の人気講義」で日本初上陸との鳴り物
入りだ。本書は第1講(「死」について考える)から第9講(自殺)までで構成されている。
どのような生き方をするべきか?
“誰もがやがて死ぬ”ことがわかっている以上、
この問いについては慎重に考えなければなりません。
どんな目的を設定するか、
どのようにその目的の達成を目指すか、
念には念を入れて決めることです。
もし、死が本当に“一巻の終わり”ならば、
私たちは目を大きく見開いて、その事実に直面すべ
きでしょう。
―自分が何者で、めいめいが与えられた“わずか
な時間”を
どう使っているかを意識しながら。
シェリー・ケーガン(サンプル版)
シェリー・ケーガン著
柴田裕之訳
「死」とは何か
文春社
初版2018・10・5
定価1、998円(Kindle版)
以下天后空の独断と推理。
“「死」とは何か”は別として、もし人間が永遠に生き続けるものであったとしたらどうだろうか。まず男女の性別がなくなり出産という営みもなくなるだろう。人は生まれながらに遺伝子に死が組み込まれているそうだ。しかし、将来遺伝子操作で不老不死が実現するかも知れない。こう考えると実は少子高齢化社会は自然の摂理であって多子高齢化社会は存在しないのかも知れない。人は長生きすればするほど生む必要がなくなる。それは不老不死に近づくことだから。
人は死があるから生があるのである。もし人間に死がなければ(永遠に生き続けるなら)生もない。生殖の必要がないからである。あなたも私も死があるから存在しているのである。そう考えると死は忌み嫌うべきものでも恐れるべきでもなくむしろ感謝すべきもののように思われる。死を自然に受け入れられるような気がする。他者の死は自分の生の証なのである。そう考えると死を肯定的に受け入れられるような気がする。死を肯定的に受け入れることは自分の生を肯定的に受け入れることである。
人は死ぬから生まれるのである。人間はもともと生死の狭間に置かれた矛盾した存在である。死なない人間は化石=物にしか過ぎない。人間は死ぬから生きている逆説的な存在である。
「自殺」について考えてみた。自殺は通常生を放棄して死を選ぶと考えられているがそれは違うと思う。生死ともに受け入れられない人が自殺するのである。自殺は生=死に対する反逆である。自然死に対して人為死として分けて考えるべきだ。
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11月11日付朝日新聞に86歳で南米最高峰・アコンカグア(6962メートル)に挑戦する三浦雄一郎さんの記事が載った。登山とは無縁の私にも目に留まった。
86歳という高齢に加え持病の心臓病を抱えての登山である。私は三浦さんより10歳以上若いが最近は何をするのも億劫でとかく引きこもりがちだが、そんな自分にもまだ何かできそうな気がしてきた。
三浦さんは70歳、75歳、80歳と節目の年にエベレスト(8848メートル)に登頂している。80歳登頂の時は、半年前までは自宅の階段を10段上るのがやっとだった。
三浦さんの人生観は目標を持つことで、「皆さんがもし明るい気分になれず、ネガティヴな気持ちに支配されているのなら、まず目標を持つことを考えてみいほしいのです。
目標さえあれば、明るくなる。そこに根拠とか、理屈といったものなどないのです。」(サンプル版)と述べている。三浦さんの人生観はいわば目標主義ともいえよう。もうひとつつけ加えれば最後までチャレンジ精神を失わないことだ。
三浦雄一郎著
私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか
小学館101新書
初版2013年4月6日
定価 540円(Kindle版)
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