ゆくの菜園日記

ダイエットはマイナス6キロ台をウロウロしています

歌・音楽

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歌キチ・音楽キチの人生でした。
歌は童謡・唱歌から、ロシア民謡や世界の歌へ、そして、歌声喫茶のファンでもあります!
音楽はド演歌・ロック・ニューミュージック以外は、バロック・ロマン派から世界の音楽を聴いています!
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混声合唱団を退かせていただきました。
元々、好きな曲のメロディだけを唄ってきたので、私の声の質が「バス」なんだが、バスの音でハーモニーで参加するのはどうかと思いつつ入らせていただいたんだが、やはり私には歌の参加というよりも、「音の参加」の意識が抜けないで自分の我がままから引かせてもらったのです。
ご指導をいただいた先生にはこの上ない感謝の念を持ちながら、脱落したことに深く謝りたい!
また、バスの音が合わない中をやさしく引っ張ってくれたバスの皆さんには申し訳ないこととなりました。
またフェイスブックでお友達となったメンバーにも、十分な交流が出来ないままになったことが残念でなりません!
さらに年末の忘年会でいただいた「今年の10大ニュース」は目からうろこのような新鮮な感動をいただいたことに感謝しています。
合唱団は退かせていただいたけど、歌(好きな曲)を唄うことは私には空気を吸うようなことなので、気が付けばいつでもどこでも人がいてもいなくても唄っていたり、鼻歌を転がしているのでこれは終生変わることはありません!
大好きだった歌声喫茶は昭和30年代後半と今日では天と地のように距離が大きくなっていて、カラオケも拍手や清聴を求められるので近寄りがたいし、また大好きなロシア歌曲を唄う場所もないし、なかったら作ればいいんだがそれだけのエネルギーはなくなったし、やはり一人で我流の鼻歌を転がすしかない日々を送ることになりそうです。
反省と愚痴めいたことを書き連ねたけど、時間は十分あるので好きだった音楽や歌を、手持ちのCDやカセットでゆっくりと聞き返してみたいと思っています!
メンバーのみなさんにもお世話になりましたが失礼させていただきます。
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昔の歌声の記事

平成8年5月から「ゆくの菜園日記」というタイトルでブログを開設以来、かなり膨大な記事を書いて投稿してきたんだが、今日、ふと思い立って書庫別に過去の記事のタイトルを読んでいたら、かなりの記事がヤフーブログ管理者から一方的に削除されていて、タイトルも内容も探しようがなくなっていた。
私のことだから激しい調子の文章が多かったので「ヤフーの公序良俗基準に反する」との理由だったのかなと推測したんだが、昔、新宿ともしびさんから投稿を求められて、ともしびのページに投稿した記事が残っていたので、無くならないうちにとフェイスブックに掲載することにした。
付け加えれば、平成15年1月に公民館で、半年間取り組んできた歌声喫茶の集大成として、新宿のともしびの応援を得て取り組んだ「400人の歌声喫茶」の打ち上会の席でともしびさんから依頼されて書いた文章でした。この文章を全国各地の方々がネットで読まれ、「玉島の歌声喫茶を参考にして自分達の街を歌声で活性化したい」とともしびに指導依頼があい続いたのだそうです。日経のホームページ「大人の居場所」にも玉島の試みが契機となって全国に拡散したと紹介されています。
「思い出のうたごえ喫茶をあなたと共に!」
玉島商工会議所職員兼音楽溢れる街たましま実行委員会
                 事務局 行本博史
私が勤務している街、岡山県倉敷市玉島地区では平成14年10月に玉島商工会議所が主導して「音楽溢れる街たましま実行委員会」を組織して同地区にある「くらしき作陽大学音楽学部」や民間の音楽愛好者と連携して「音楽溢れる街たましまを目指して」をキャッチフレーズに地域活性化を推し進めています。中でも「歌声喫茶」は、市街地商店街の集会所や新倉敷駅周辺の喫茶店を借り受け半年間で13回を数え、集大成として15年1月26日(日)に玉島公民館で開催した「大歌声喫茶」は定員400名の会場に350名を動員し、新宿の「うたごえの店ともしび」さんより、小川邦美子さん(ソプラノ)、津田伸子さん(アルト)、中西 明さん(テノール)、吉田正勝さん(バリトン)、小松原奈々子さん(ピアノ)、中西民子さん(アコーディオン)の出演をいただき、大変感動的かつ感激的なイベントを開催することができました。
イベント終了後、参加者にアンケートをお願いしたところ、350名中144名の方々にアンケートをお書きいただきましたが、「昔を思い出して涙が溢れた、嬉しかった、大きな声で思う存分に歌えて心身がリフレッシュできた、こんな懐かしい歌が歌えるなんて幸せでした、実行委員会の皆さんに感謝いたしています、ありがとうございました等々」と大変な賛辞をいただき関係者一同感激に浸りました。成功の要因は色々と考えられますが、「ともしび」の皆さんの絶妙な司会とピアノとアコーディオンの伴奏の素晴らしさそして圧倒的な小川邦美子さんや中西さんの素晴らしい歌声とアンサンブルに参加者が酔いしれ、自分が主役になった気分で2時間を歌いつづけることができたことだと思います。「ともしび」のみなさんに心よりお礼を申し上げます。
さて、なぜ私が「歌声喫茶」を始めたかと申しますと、玉島地区は新幹線駅や高速自動車道IC等の都市基盤整備が進む立地にあり、中国職業能力大学校やくらしき作陽大学等の教育文化施設に恵まれながら「これぞ」といったまちおこしのキーワードがなく、既存商店街の衰退と高度成長期を引っ張ったショッピングセンターの撤退や十年続いて京阪神地区からもお客様を集めた「備中玉島へそまつり」の廃止等で活気を失った街になってしまい、新しいまちおこしのキーワードが求められていたところ、数年前に数回試みた「歌声喫茶」を本格的に取り組もうと考えたのがきっかけとなりました。とりわけ、日本の社会を担ってきた中高年層が長引く不況やリストラの中で意気消沈しているところに切り込んでいくには「歌声」しかないと確信したのがそもそもの始まりでした。
と言うのは私自身の人生観というか日々の暮らしの中で音楽なしの生活ができないことにありました。 特に「歌うこと」が大好きであり、小学生時代から、高校卒業までコーラス部に属し、大学時代は京都四条河原町近くにあった歌声喫茶に通いつめ、東京に出た時は必ず西部新宿駅前にあった「歌声喫茶灯」に出かけて歌ってばかりの人生を過ごしてきたことにあります。「カラオケ」の登場で歌いたい歌を歌う場所がなくなったこともあります。幸いにも私の周囲に同じ思いの人たちがいることが分かり、「音楽を通じての地域活性化を」スローガンに掲げたところ、岡山県や倉敷市も温かいご理解とご支援をいただけることとなり音楽イベント、特に「歌声喫茶」を中心に取り組んだというのが実際の話です。現在は「平成15年度もぜひ継続して欲しい」との多くの市民の要望を受け、新しく選曲した60曲の歌集づくりと毎週2回の特訓に励んでいるところです。平成16年1月18日(日)には「うたごえの店ともしび」のご出演を得て「1、000人の大歌声喫茶」を開催することも決定しています。 私の夢は中国地方一円で「歌声と言えば岡山県の倉敷市玉島、倉敷市のたましまと言えば歌声の街」との地位を確立し、正に文字通りの「音楽溢れる街」が現出し、玉島地区の市民が音楽をエンジョイし、世界に誇れる自慢の街になることです。「大法螺吹き」で終わるか否かはこれからの取り組み次第だと思っています。以上

日本列島民謡の旅

19-1-4《日本列島民謡の旅》
昨日地震に寄せて熊本の「五木の子守歌」のことを少し書いたんだけど、ふと日本列島民謡の旅と称して若いころから唄ってきた民謡を北海道から書いてみようと思いたった。
取りあえずネットで都道府県別に好きだった民謡を探したが、検索したページが中途半端だったのか、思ったよりも少ない曲数だった。
もっと沢山あったように思うのだが………
見つかった民謡には私なりの思い出というか想いを記しておきたい。
けだし、好きな民謡があったのは、北海道・青森・秋田・岩手・山形・宮城・新潟・福島・茨木・東京・静岡・岐阜・愛知・和歌山・兵庫・鳥取・高知・福岡・長崎・熊本・宮崎の各県だった。
反対に残念ながら好きな民謡がなかったのは、栃木・草津・埼玉・千葉、神奈川・富山・長野・山梨・石川・福井・滋賀・三重・京都・奈良・大阪・島根・岡山・広島・山口・徳島・香川・佐賀・愛媛・大分・鹿児島・沖縄の各県だった。
次に好きでよく歌った民謡を書き出しておこう。
●北海道では若いころは宴席で必ずソーラン節をガ鳴っていたが、レコードは「江差追分」を静かに聴いていた。
●青森は民謡と言うよりも三味線のじょんがら節が有名なんだが、私には三味線の音がうるさすぎて好きになれなくて、黒石よされ節をよく聞いていた。
黒石よされ節は、昔、へそ踊りを連れてワイキキのカラカウワ大通りで、全国100の団体と踊った時、数組前でPAを台車に積んで大音響で鳴らしながら80人位の躍り手が踊っていたのが「黒石よされ節」だった。へそ踊りはわずか10人でPAは手提げのアンプだったので、誠に音が貧弱だったんだが、黒石の大音響に合わせて腰を振って踊りだすと、どんぴしゃりと様になって、通りの両側を埋めた大観衆が「ヘソヘソ、カモンカモン」と満面の笑顔と踊りのジェスチャーで迎えてくれて、張り切って腰を振ったのです。
●秋田は何んといっても「秋田音頭」です。実におおらかな民謡ですね。下ネタばかりが唄われるんだけど、「性の解放」を打ち上げていて気分が良いですね。どこからうまれたんだろうな!
●岩手と言えば「南部牛追唄」ですね!原発被害は岩手の牛には及ばないでいたのかなあ〜 
●山形と言えば「会津磐梯山」と「真室川音頭」でした。これも座敷での飲み会では必須でした。
●宮城といえば「お立ち酒」「斎太郎節」でしたが、私の学生時代は「斎太郎節」でしたね。東北大地震で松島は大被害に遭われたと聞いていますが………
●雪の新潟と言えば圧倒的に「佐渡おけさ」を唄っていましたが、いつかどこかで覚えた「相川音頭」の格調ある歌と踊りにはまりましたね。相川音頭は義経の八艘飛びを唄っていたが、「ハイハイハイ」と入るあいの手とキリっとした踊りが気品に溢れていて大好きだったなあ。
●福島は「相馬盆唄」と「新相馬節」だったが、三橋美智也で覚えた新相馬節は哀愁が詰まっていて胸を押さえて唄っていたなあ 
●茨木は何んと言っても三池の炭坑節と並ぶ「常磐炭坑節」が大好きでよく唄ったなあ
「朝も早うからよ〜カンテラ提げてナイ♫」
●東京は流行歌で創作した「東京音頭」だった。おそらく日本中を席捲したように思えるね。
●静岡は「のーえ節」があったんだが、今でも歌われているのかなあ。「農兵節」とも言ったのかな!「
何んとかのなんとかがノ〜エ」というような歌だった
●岐阜では「郡上八幡盆踊り歌」だった。郡上の百姓一揆を唄ったと言われる「郡上節」は心が後に残るようで感涙の歌だった。
商店街の近代化事業を模索した時に、指導していただいた先生と飲んだ時、この歌を唄ったんだが、先生も「いい歌ですね。あなたが唄うとじんとします」と言いながら目を指で拭いていたなあ
●愛知ー岡崎五万石
岡崎五万石はこちらの地方の村祭りの千載楽(せんだいろく)の歌にも歌詞が使われていて、子供ごころに沁みついていた歌詞でした。
●和歌山は串本節をよく唄っていた。
●兵庫では丹波篠山の「デカンショ節」を手を鳴らして歌い続けたもんだ。
●鳥取では「貝殻節」一筋で、先般亡くなった仲間が飲み会では必ず唄っていたなあ。
彼はこの歌になると正座できちんと唄っていたよ。
「郷土の誇り」だと言っていて、彼から教えてもらってよく唄ったなあ
●高知では誰が何を言おうと「よさこい節」でしたね。高校の音楽の先生が「唄うときの口の開け閉めはペギー葉山さんをお手本にしてねとよく言っていましたね。
●福岡と言えば「黒田節」と「炭鉱節」だった。黒田節では「峰の嵐か松風か〜」と唄う歌詞が大好きだった。
●長崎では少し地味だが「島原の子守歌」だった。
●熊本ではご存知「五木の子守唄」しかありません。
●最後の宮崎では「刈干切歌」に嵌ってしまった。だけど何十回唄っても節回しが覚えられなかった。
日本の民謡をこのような形で取り上げたのは初めてだった。
実際にはもっと多くの民謡が好きで唄っていたはずなんだが、ネットの検索に掛らなかったのが残念であります!

このところ、童謡や唱歌などの可愛い歌を唄ったりCDやユーチューブを聴いていたんだが、広島市と福山市で精力的に音楽プロデュースされているFB友達に刺激されて、心の洗濯をと思い立ち、ベートーベンヴァイオリン協奏曲を久しぶりに聴きだした。
オットウ・クレンペラー指揮/ニューフィルハーモニー&メニューインと記されている。

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何歳の時に買ったのか記憶はないがケースに1966年と記してあるので、昭和41年に発売されたものと思う。

同志社ではレコード音楽を聴くサークルに入ったのだが、授業が始まれば全員部室を飛び出して留守になるので、一人部室に残って30センチ位のlpレコードを聴きまくった。
そこで出会ったのがヴェートーベンの「運命」だった。
その時の感動は思えてはいないのだが、どっぷりと嵌ってしまい、メロディを丸暗記して腕と手を振って指揮の真似事をしていた。
交響曲については7番も好きだったし、9番合唱付きも勿論聴きあさっていた。
でも1番と4番は聞いた記憶はない。多分部室にはなかったのだろう。
未だにベートーベンの運命は私にとって音楽の頂点に位置する作品であります。
このベートーベンが残したヴァイオリン協奏曲は古今のヴァイオリン協奏曲の中で筆頭だと思っている。
私自身はブラームスやメンデルゾーンやチャイコフスキーの曲を抑えてシベリウスの曲がベートーベンに次いで好きです。
CDを探していると京都の出町柳の名曲喫茶「柳月堂」のレコードコンサートのチラシが出てきた。
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1968 decemberと印刷されているので、昭和43年12月に京都を再訪した時に立ち寄った時のものだと思う。
岩倉の学生アパートに帰る前に、一杯のコーヒーで粘ったものだ。京都は別名「学生の街」と呼ばれていてクラシックの名曲喫茶は繁華街には何店もあり、時間があればハシゴをしたものだ。
最近のフェイスブックの記事は仕事から引退し、富良野塾の演劇公演も終わっているので、ついつい若いころのあれこれが走馬灯のように頭の中を駆け回るので、こんな記事になってしまうんだが、仕方がないのかなあ〜

混声合唱団に誘われて

18-11-4混声合唱団に誘われて
息子と娘は6歳違いなので、わが町の中高学園にはジャスト12年間お世話になったのであります。
当時から音楽を担当されていた先生が、かなり前から混声合唱団を指導されていたことは、よ〜く存じていたし知り合いから誘われてもいたんだけど、好きでないタイプの歌は唄いたくないのでと、入会を断ってきたんだが、フェイスブックを通じて先生からも直にお誘いをいただき、どんな雰囲気なのか?」を知るために練習日に顔を出すことにした。
子供の頃から歌は独唱か斉唱であって、ハーモニーは高校で覚えたんだけど、秋の文化祭に歌う「雪山賛歌」のバスを命じられて、他のパートはそれぞれにメロディを唄うのに、バスはドドドドドドドド↑ソ〜、ミミミミミミミミミミ↓ラ〜とお経を読むような音階にあほらしくなったのであります。
そこで図書室にあったダークのLPレコードでロシア民謡を覚えてコペ転して嵌ってしまい、京都に出てからは四条通りにあった歌声喫茶でロシア民謡や抒情歌をがなってきたんであります。
こんな自分が混声合唱団に溶け込めるのかどうかを確かめるために、次回の練習日に顔を出すとご返事したんであります!果たしてどうなるやら〜
写真はダークやボニージャックスなどの叙情歌とカラヤン指揮の新世界よりとモルダウが入ったカセットテープ。
新世界とモルダウは私の人生の大きな転換点になったカセットでした。
昔、北の国の先生からお電話が入り、「私はあなたの住む金光町にご縁があるのです」と語られたのです。
「えええええ〜っ」と絶句した私に「終戦当時に家族で1年間疎開してお世話になったんです。そのことは私のエッセイ「いつも音楽があった」に書いているんです」と仰られたのです。
電話を切るやチャリンコに飛び乗ってわが町の教団が設置した図書館で探すとエッセイがあり、借りて帰って読むと「モルダウ」の項目があったのです。内容を読む前にまたチャリンコに飛び乗って東隣町のレコード店に飛び込んで「モルダウ」の入ったレコードかカセットがないですか?」と声をかけて探してくれたのがこのカセットだったのです。

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高校時代にレコードで聞いて以来のモルダウに涙が流れてしまったのです。
卒業後は京都に住む予定が母親の「帰ってきて〜」の泣き声に渋々と岡山に帰って以来、緑あふれる京都から沙漠のような岡山に帰ってきたと味気ない想いで暮らしてきた数年間が、一瞬にしてオアシスを得た喜びでした。私の宝物のひとつです!

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